夏家店上層文化の人類集団の遺伝的多様性

 現在の中国の北東部地域における青銅器時代人類集団の遺伝的多様性を報告した研究(Zhu et al., 2024)が公表されました。本論文は、西遼河(West Liao River、略してWLR)地域南部の夏家店上層(Upper Xiajiadian)文化関連の1個体のゲノムデータを報告しています。この個体は、中華人民共和国内モンゴル自治区チーフォン(Chifeng)市カラチン・バナー(Harqin Banner)のヨンフェン(Yongfeng)県牛家営子(Niujiayingzi)鎮マジアジシャン(Majiazishan)村で発見され、アムール川(Amur River、略してAR)集団的な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の割合が高い西遼河西部の夏家店上層文化関連個体群とは異なり、黄河(Yellow River、略してYR)流域の後期新石器時代集団的な祖先系統でゲノムが完全にモデル化できます。この遺伝的構成の違いは、西部では牧畜が、南部では雑穀農耕が行なわれるという、生業の違いはと対応しています。

 ただ、西遼河南部の夏家店上層文化については、まだ1個体しかゲノムデータが報告されていないので、断定的に一般化はできません。しかし、本論文は日本人起源論との関連でたいへん注目される分析結果を提示しており、日本人起源論との関わりについては最後に「私見」の項目で述べます。なお、時代区分の略称は次の通りで、新石器時代(Neolithic、略してN)、前期新石器時代(Early Neolithic、略してEN)、中期新石器時代(Middle Neolithic、略してMN)、後期新石器時代(Late Neolithic、略してLN)、青銅器時代(Bronze Age、略してBA)、後期青銅器時代~鉄器時代(Late Bronze Age to Iron Age、略してLBIA)、鉄器時代(Iron Age、略してIA)です。


●要約

 西遼河および黄河流域は、中国北部における雑穀農耕の二大中心地です。浮遊分析と遺跡の空間分布の結果から、農耕と牧畜という二つの異なる生存戦略が西遼河の南部と北部でそれぞれ採用されていた、と示唆されます。西遼河西部地域の古代の人口集団の先行研究は、青銅器時代の夏家店上層文化における牧畜経済と黄河農耕民との遺伝的類似性低下との間の相関を示唆しました。しかし、西遼河南部の人口史は、おもに古代人の遺伝的データの不足のため不明です。

 本論文は、夏家店上層文化と関連する後期青銅器時代の西遼河南部地域のマジアジシャン遺跡の古代の1個体のゲノムデータを報告します。西遼河西部の個体群とは異なり、この個体の祖先系統は完全に後期新石器時代黄河農耕民に由来します。夏家店上層文化の古代の人口集団の遺伝的構造が見つかり、これは西遼河の西部と南部の生計戦略の違いと一致します。気候悪化は、西遼河の西部と南部にそれぞれ異なる集団、つまり西部ではアムール川からの遊牧民集団が、南部では黄河からの農耕民集団が居住することにつながりました。


●研究史

 近東の肥沃な三日月地帯からアメリカ大陸やさらにその先まで、農耕の出現と拡大はヒトの歴史と文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使わないことにしていますが、この記事では「civilization」の訳語として使います】の発展に顕著な影響を及ぼしました。雑穀はアジア東部北方で何千年にもわたって主食で、最初は黄河下流域で早くも紀元前9000年頃に利用され、その後、黄河中流~下流および西遼河地域で少なくとも紀元前6000年頃までには広く栽培されていました。一方で、中期新石器時代には、おもに安定した雑穀生産のため複雑な社会がおもに黄河および西遼河地域で出現し、それは人口増加と文化的革新につながりました。雑穀農耕のこの拡大では、中国北部では黄河および西遼河地域、と中国南東部の方では台湾、中国南西部では四川盆地が、アジア東部における乾燥地農耕の起源と拡大にとって重要な地域と認識されています。

 西遼河地域にはとくに、前期新石器時代から後期青銅器時代にかけての興隆窪(Xinglongwa)文化や趙宝溝(Zhaobaogou)文化や紅山(Hongshan)文化や小河沿(Xiaoheyan)文化や夏家店下層(Lower Xiajiadian)文化など、連続的な雑穀農耕関連文化があります。この文化的過程では、主要な生計戦略が「低水準」の食糧生産から充分に発展した穀物栽培へと変わり、新石器時代においては、動物の消費への依存が減少し、キビやアワの消費が増加しました。興味深いことに、雑穀農耕が主要だったことを特徴とする夏家店下層文化の後に、西遼河地域の西部では畜産が重要な役割を取り戻しました。前期青銅器時代の夏家店下層文化と比較して、夏家店上層文化における「文明」と農耕の水準は、後期青銅器時代における気候の悪化と関連して明らかに低下しました【本論文のこの評価が妥当なのかは、判断を保留します】。この生計の変容に関して、アムール川の狩猟採集民からの遊牧【遊牧を行なっていれば、狩猟採集も同時に行なっているとしても、一般的には狩猟採集民とは呼ばれないように思いますが】が、気候による食糧不足のため、後期青銅器時代における西遼河人口集団の生活様式に影響を及ぼした、と推測されています。対照的に、夏家店上層文化人口集団はじっさい、西遼河地域へと移住したアムール川関連狩猟採集民集団である、との推測もあります。

 以前の遺伝学的研究(Ning et al., 2020)では、前期新石器時代(紀元前5520~紀元前5320年頃)から鉄器時代(鮮卑、紀元前50~紀元後250年頃)までの、アムール川人口集団の長期の遺伝的安定性が見つかりました。具体的には、後期新石器時代西遼河人口集団(WLR_LN、夏家店下層文化)は、中期新石器時代西遼河人口集団(WLR_MN、紅山文化)よりも、雑穀農耕の黄河人口集団の方と高い遺伝的類似性がある、と観察されました。それと比較して、部分的な牧畜青銅器時代西遼河人口集団(WLR_BA、夏家店上層文化)は、WLR_LNと比較して、黄河人口集団との遺伝的類似性が低く、このWLR_BAに含まれる外れ値(outlier、略してo)個体(WLR_BA_o)には、アムール川集団とクレード(単系統群)を形成する遺伝的特性がありました。その研究(Ning et al., 2020)は、経時的な西遼河人口集団における遺伝的特性の頻繁な変化と生計戦略の変化との間にはつながりがあることを示唆し、それは第二の仮定【夏家店上層文化人口集団は西遼河地域へと移住したアムール川関連狩猟採集民集団】を裏づけます。

 しかし、西遼河の南部の古代人のゲノムデータが必要なためこれまで、青銅器時代西遼河地域人口集団の遺伝的特性の包括的理解が妨げられています。本論文では、夏家店上層文化と関連する放射性炭素年代測定結果が得られている、マジアジシャン遺跡の古代人1個体のゲノム規模データが報告されます。マジアジシャン遺跡は、WLR_BAとWLR_BA_oが発見された竜頭山(Longtoushan)遺跡の南方約100kmの、中華人民共和国内モンゴル自治区チーフォン市カラチン・バナーのヨンフェン県牛家営子鎮のマジアジシャン村の近くに位置しています。この新たに報告された1個体(標本識別番号はDSQM2、集団分類表示はWLR_BA_o2)は、先行研究(Ning et al., 2020)で報告された青銅器時代西遼河の両人口集団(WLR_BAとWLR_BA_o)と異なる遺伝的特性を有しているものの、こうが農耕民と密接に関連している、と分かり、これまで検出されていなかった西遼河地域の遺伝的特性を示唆しています。


●標本と手法

 マジアジシャン遺跡(図1)の古代人の標本1点から、歯が収集されました。1点の人骨標本が加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)で年代測定され、非較正年代が得られました。放射性炭素(¹⁴C)年代は、OxCal第4.4.2版およびIntCal20較正曲線を用いて較正されました。古代DNAの信頼性は、脱アミノ化パターンから評価されました。標本DSQM2の遺伝的性別は、X染色体とY染色体のゲノム網羅率が常染色体と比較されました(Fu et al., 2016)。この場合、男性ではX染色体の網羅率は常染色体の網羅率の約半分となり、女性ではほぼ同じとなります。Y染色体では、男性の網羅率は常染色体の半分に、女性の網羅率はゼロとなります。標本DSQM2のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)も決定されました。標本DSQM2の遺伝的データは、他のデータ(Damgaard et al., 2018、Sikora et al., 2019、Jeong et al., 2020、Ning et al., 2020、Yang et al., 2020)と統合されました。124万SNPヶ所の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)で、遺伝的関係が調べられ、1親等もしくは2親等の関係にある2点以上の標本では、既知の古代および現代の人口集団のデータと統合するさいに、網羅率のより高い標本が下流分析に含められました。以下は本論文の図1です。
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 主成分分析(principal component analysis、略してPCA)では、現代人集団を用いて主成分(PC)が計算され、古代人標本が上位2構成要素に投影されました。PCの計算には、470607ヶ所のSNPが用いられました。ADMIXTURE分析では、220388ヶ所のSNPを用いて、教師なし分析が実行され、2~10のK(系統構成要素数)が検証されました。f統計では、f₄形式(ムブティ人、参照;WLR_BA_o2、X)のf₄統計が実行されました。標本DSQM2から黄河とアムール川と西遼河の人口集団Xを区別できる参照人口集団を見つけるため、参照としてアジア東部のさまざまな人口集団が用いられました。現時点での解像度を考えると、人口集団Xのすべてのf₄結果の有意ではないZ得点からは、人口集団X がWLR_BA_o2と密接な遺伝的関係を有する、示唆されます。混合モデル化はqpAdm第810版を用いて実行され、標本が1~3のあり得る供給源の組み合わせとしてモデル化され、潜在的供給源として選択されなかった人口集団は外群に追加されました。


●分析結果

 標本DSQM2の非較正の直接的な放射性炭素年代は、夏家店上層文化と関連しています。標本DSQM2のmtDNA汚染率は2%未満と推定されました。標本DSQM2のmtDNAハプログループ(mtHg)はD4jで、その性別は男性でした。2点のSNP一覧、つまり、アフィメトリクス(Affymetrix)社「ヒト起源(Human Origins、略してHO)」とイルミナ(Illumina)社「124万」標本(Fu et al., 2015、Haak et al., 2015、Mathieson et al., 2015)を用いて、標本DSQM2の疑似半数体データが生成されました。それぞれのSNP一覧で、79460ヶ所と154754ヶ所が得られました。次に、これらのデータはさらなる分析のため、以前に刊行された古代人および現代人のゲノムデータ(Damgaard et al., 2018、Jeong et al., 2020、Ning et al., 2020、Yang et al., 2020、Wang et al., 2021)と統合されました。


●WLR_BA_o2の全体的なゲノム構造

 WLR_BA_o2の全体的な遺伝的構造を調べるため、まずさまざまなアジア東部人集団でのPCAが実行されました(図2)。PCAの結果では、WLR_BA_o2と西遼河地域の他の古代の個体群は、黄河集団とアムール川集団との間に投影されました。WLR_BA_o2は、後期新石器時代~鉄器時代集団(YR_LNとYR_LBIA)の最も近くに投影されたWLR_LNとクラスタ化します(まとまります)が、WLR_MNとWLR_BAはアムール川集団およびWLR_BA_oに向かって、完全にアムール川集団とクラスタ化します(図2)。同様の結果は外群f₃分析で観察でき、WLR_BA_o2は黄河集団とクラスタ化し、WLR_MNとWLR_BAはともにクラスタ化し、次に黄河集団とクラスタ化しとます。対照的に、WLR_BA_oはAR_鮮卑_IAとクラスタ化し、古代アジア北部(Ancient North Asian、略してANA)集団との高い遺伝的類似性を示します。以下は本論文の図2です。
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 モデルに基づく教師なしADMIXTURE分析では、ユーラシア草原地帯人口集団で最大化する青色の構成要素と、ANA人口集団で最大化される黄色の構成要素と、アジア南東部(Southeast Asia、略してSEA)で最大化される橙色の構成要素が観察されました(図3A)。WLR_BA_o2はYR_LNおよびYR_LBIAと類似した遺伝的特性を有し、黄河集団とクラスタ化しており、WLR_LNとWLR_BAはWLR_BA_o2と比較してANA関連祖先系統をより多く有していますが、WLR_BA_oはANA集団と一致しました。まとめると、これらの結果は、後期新石器時代黄河農耕民とのWLR_BA_o2の密接な遺伝的類似性を示唆しています。以下は本論文の図3です。
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●銅器時代の西遼河地域における遺伝的多様性を示すWLR_BA_o2のゲノム特性

 WLR_BA_o2と黄河(YR)およびアムール川(AR)および西遼河(WLR)の集団との間の遺伝的差異を定量化するため、f₄形式(ムブティ人、参照;WLR_BA_o2、YR/AR/WLR)のf₄統計で始めて、WLR_BA_o2の遺伝的特性がこれら3集団(YR/AR/WLR)と直接的に比較され、ここでの参照はアジア東部およびユーラシア草原地帯の95の現代および古代の人口集団を含む参照人口集団の一式です。WLR_BA_o2はYR集団のほとんどに対して有意でないZ得点、つまり、YR上流_LNを除くf₄(ムブティ人、参照;WLR_BA_o2、YR集団)の範囲(−3.11 < Z < 2.50)と、AR集団のほとんどに対する有意なZ得点、つまりf₄(ムブティ人、参照;WLR_BA_o2、AR集団)の範囲(−3.27 < Z < 5.52)を示す、と観察されました。WLR_BA_o2はYR_LNと最も密接な遺伝的類似性を示し、つまり、f₄(ムブティ人、参照;WLR_BA_o2、YR_LN)の範囲(−2.24 < Z < 1.65)です。

 西遼河地域に焦点を当てると、中期新石器時代西遼河人口集団(WLR_MN)と比較して、WLR_BA_o2はSEA祖先系統とより高い遺伝的類似性を、ANA祖先系統とより低い遺伝的類似性を示し、つまり、f₄(ムブティ人、SEA;WLR_BA_o2、WLR_MN)のZ得点が−2.13と、f₄(ムブティ人、ANA;WLR_BA_o2、WLR_MN)のZ得点が3.71超です。この場合、SEAは台湾先住民のアミ人(Ami)、ANAはモンゴル_N_北方によってそれぞれ表されます。WLR_BA_o2はWLR_LNおよびWLR_BAと比較して有意ではないZ得点を示し、つまり、f₄(ムブティ人、参照;WLR_BA_o2、WLR_LN/WLR_BA)の範囲(−2.637 < Z < 2.349)です。しかし、f₄(ムブティ人、SEA;WLR_BA_o2、WLR_LN/WLR_BA)のほとんどの負の値範囲(−0.124 < Z < −1.340)との、わずかにより高いSEAとの遺伝的類似性を依然として観察できます。最後に、f₄(ムブティ人、SEA;WLR_BA_o2、WLR_BA_o)のZ得点−3.18とf₄(ムブティ人、ANA;WLR_BA_o2、WLR_BA_o)のZ得点5.05として示されるWLR_BA_oと比較して、SEA集団とのより高い遺伝的類似性と、ANA集団とのより低い遺伝的類似性を観察できます。

 次に、qpAdm混合モデル化を用いて、青銅器時代WLR集団の祖先系統の割合が調べられました。黄河とアムール川と西遼河の3集団を用いて、WLR_BAとWLR_BA_oとWLR_BA_o2がモデル化されました(図4)。その結果、これら3集団の構成間で明確な区別が見つかりました。具体的には、WLR_BA_oはAR_EN祖先系統が93.8~100%と残りの黄河集団祖先系統でモデル化でき、WLR_BA_o2は黄河集団に100%由来するものとしてモデル化できます。対照的に、WLR_BAは黄河集団からの祖先系統57.6~61.1%と残りのAR_ENもしくはハミンマンガ(Haminmangha、略してHMMH)遺跡個体(HMMH_MN)の祖先系統でモデル化されました。一般的に、青銅器時代の3集団(WLR_BAとWLR_BA_oとWLR_BA_o2)の組成では有意な違いが観察され、これは青銅器時代西遼河集団の遺伝的多様性を示唆しています。以下は本論文の図4です。
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●考察

 西遼河は、内モンゴル自治区チーフォン市のヘシグテン(Keshiketeng、Hexigten)鎮の南西部から始まります。西遼河は、遼河へと合流し、最終的には渤海へと注ぐ前に、シラムレン(Xilamulun、Xar Moron、西拉木倫河)川や白岔(Baicha)川や紹浪(Shaolang)川や老哈(Laoha)川などいくつかの上流の支流と合流します。西遼河領域(北緯41度17分~45度41分、東経116度21分~123度43分)は面積が13万km²にわたり、中国北東部に位置しています。西遼河流域は、内モンゴル高原と松遼(Songliao)平原との間の移行帯に位置しています。この地域は、中華「文明」の発祥地の一つです。興隆窪文化と紅山文化と夏家店文化の繁栄は、中華「文明」の起源に重要な意味を有しています。興隆溝(Xinglonggou)遺跡に代表される興隆窪文化は、主要な作物としてキビとモロコシで乾燥地農耕活動を始めて、それは中国北部における乾燥地のうこうの重要な起源のひとつと考えられています。遼寧省の牛河梁(Niuheliang)遺跡に代表される紅山文化と遼寧省の二道井子(Erdaojingzi)遺跡に代表される夏家店文化も、中華「文明」の起源に顕著な影響を及ぼした、と考えられており、恐らくはそれぞれ、中原「文明」の起源の一つでした。西遼河流域の典型的な青銅器時代文化として、夏家店文化は1960年代に、内モンゴル自治区チーフォン市ソンシャン(Songshan)地区に位置する夏家店遺跡の発掘に因んで命名され、夏家店下層文化と夏家店上層文化の2種類が含まれます。

 この地域は、雑穀農耕民と畜産を行なっている人々の交差点に位置しています。以前の学際的研究では、局所的な人口集団の生計戦略は気候変化とともに変わる、と分かりました。先行研究(Ning et al., 2020)は古代ゲノムの観点からこうした結論を裏づけ、遺伝学的変化を気候変動による人口移動と関連づけています。しかし、その研究(Ning et al., 2020)で報告された古代人の全個体はホルチン砂丘原(Horqin Dunefield)の北側に由来し、おもに畜産生計戦略と関連する西遼河の西部地域における人口集団の遺伝的特性を表しています。浮遊を通じての植物遺骸の回収と遺跡の空間分布から、異なる生計戦略が西遼河の西部地域と南部地域で採用されていたかもしれない、と示唆されます。しかし、後期青銅器時代におけるホルチン砂丘原の南側の人口集団の遺伝的特性は不明なままなので、この地域におけるゲノム特性の包括的理解が妨げられていました。

 本論文では、先行研究(Ning et al., 2020)で報告されたホルチン砂丘原の北側の個体群とは明確に異なる、YR_LNとを形成する遺伝的祖先系統を有する青銅器時代のホルチン砂丘原の南側の1個体が報告されました。これは、西遼河南部地域における農耕活動が西部地域より相対的に強い、という以前の調査結果とも一致します。西遼河西部地域は比較的標高が高く南部地域より気温が低くなり、キビやモロコシに基づく広範な農耕活動に適していません。したがって、西遼河西部地域の人々は、ウシやヒツジの飼育など、畜産活動により従事しなければならなかったでしょう。気候悪化により遊牧民人口集団はアムール川から南方へと移動し、西遼河の西部に居住しましたが、黄河から到来したおもに農耕に従事していた人口集団は依然として、西遼河の南部の広範な地域に居住していました。

 本論文は概して、後期青銅器時代の西遼河地域のホルチン砂丘原の南側の古代人1個体を報告し、この個体は先行研究で報告された個体群とは異なるゲノム祖先系統を有しており、遺伝的多様性の存在を示唆し、ある程度は、西遼河地域における遺伝的構造の知識を向上させます。この違いは、ヒトの移動における気候悪化に起因した可能性が高そうです。本論文は、この結論が不充分な標本規模に制約されており、この地域におけるさらなる考古学的研究が必要であることを認識しています。


●私見

 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、青銅器時代の西遼河地域の夏家店上層文化集団における、生業の違いに起因する遺伝的差異の可能性を示しており、ゲノムデータが得られている西遼河地域南部の夏家店上層文化集団はまだ1個体だけてなので、断定はできませんが、夏家店上層文化集団において生業の違いに対応した遺伝的構成の違いがあった可能性は高そうです。こうした遺伝的構成の違いは、気候悪化とともに、後期新石器時代~青銅器時代にかけて、アムール川地域から西遼河地域西部への人口移動があったためと考えられます。

 アジア北東部人類集団の遺伝的構造は地理を反映して、アムール川地域と黄河地域を対極として、西遼河地域がその中間に位置しますが、黄河地域や西遼河地域では完新世に人類集団の遺伝的構成がかなり変容したようで(Ning et al., 2020)、これは、アムール川地域において少なくとも14000年前頃までさかのぼるかもしれない、人類集団の長期の遺伝的安定性(Mao et al., 2021)とは対照的なようです。また、黄河地域と西遼河地域の人類集団の遺伝的構成の変容には違いがあり、西遼河地域集団は、アムール川地域集団的な祖先系統と黄河地域集団的祖先系統の割合の変化が反映され、黄河地域集団では、黄河流域での後期新石器時代以降における稲作農耕の痕跡の増加とともに、前期新石器時代華南集団的な祖先系統(Yang et al., 2020)の割合が高まります(Ning et al., 2020)。

 冒頭で述べたように、本論文は日本人起源論との関連でも注目されます。学際的な先行研究(Robbeets et al., 2021)では、弥生時代以降の日本列島の人類集団のゲノムが、高い割合の夏家店上層文化集団関連祖先系統でモデル化されています。しかし、この見解に対して、競合する混合モデルを区別する解像度が欠けていて、紅山文化集団関連祖先系統と夏家店上層文化集団関連祖先系統は朝鮮半島および日本列島の古代人と遺伝的に等しく関連しており、夏家店上層文化個体関連祖先系統を選択的に割り当てられた集団は、夏家店上層文化集団関連祖先系統の代わりに紅山文化集団関連祖先系統でも説明できる、との批判があります(Tian et al., 2022)。

 さらに、こうした弥生時代以降の日本列島の人類集団の主要な祖先系統を夏家店上層文化集団関連祖先系統で一様にモデル化するのではなく、弥生時代と古墳時代とで、日本列島の人類集団のゲノムに占める主要な祖先系統には違いがあり、弥生時代にまず夏家店上層文化集団関連祖先系統のようなアジア北東部祖先系統が日本列島に到来し、古墳時代以降に黄河流域集団関連祖先系統のようなアジア東部祖先系統が日本列島に到来した、との見解も提示されています(Cooke et al., 2021)。これは、「縄文人」関連祖先系統と弥生時代以降の大陸から到来した一様な祖先系統との遺伝的混合により本州・四国・九州とそのごく近隣の島々を中心とする日本列島「本土」現代人集団のゲノムが形成された、とする従来の二重構造説に対して、三重構造説とも言えそうで、現代日本人の大規模で高品質なゲノムデータを分析したその後の研究(Liu et al., 2024)でも、三重構造説と整合的な結果が得られました。

 しかし、この三重構造説(Cooke et al., 2021)は、弥生時代集団を長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡の2個体のみに代表させている点で問題があるように思われます。それは、「縄文人」関連祖先系統の割合が現代「本土」日本人集団と同じくらい低い(つまり、アジア北東部とアジア東部を区別するのかはともかく、大陸部アジア東部的な祖先系統の割合が高い)弥生時代の個体が下本山岩陰遺跡の2個体よりも前に存在するからです(Robbeets et al., 2021)。そのため、三重構造説では、「縄文人」関連祖先系統との推定混合年代は、アジア東部祖先系統(1748±175年前)よりもアジア北東部祖先系統(3448±825年前)の方が早いとはいえ、単純に、弥生時代に日本列島に到来したのが夏家店上層文化集団関連祖先系統的なアジア北東部祖先系統で、古墳時代に日本列島に到来したのが、黄河流域集団関連祖先系統とは、現時点で断定できないように思います。

 重要なのは、弥生時代以降の日本列島の人類集団のゲノムが、高い割合の夏家店上層文化集団関連祖先系統や黄河流域集団関連祖先系統でモデル化できるとしても、夏家店上層文化集団や後期新石器時代以降の黄河流域集団が現代日本人の直接的な祖先集団と証明されたわけではなく、あくまでもそうした遺伝的構成要素でモデル化できるにすぎないことです。そこで注目されるのが本論文の知見で、青銅器時代の西遼河地域の夏家店上層文化において、アジア北東部祖先系統の割合の高い集団と、アジア東部祖先系統でゲノムを完全にモデル化できる集団が共存していたことから、西遼河地域およびその周辺地域を含めて黄河流域より北方のアジア北東部が、後期新石器時代~青銅器時代にかけてそうした状況だった可能性は高いように思います。つまり、日本列島への到来で、アジア東部祖先系統が(古墳時代よりも早くても)アジア北東部祖先系統より遅かったとしても、それは黄河流域からの直接的な到来ではなく、直接的な起源は西遼河地域およびその周辺地域にあり、朝鮮半島を経由したのではないか、というわけです。

 日本列島にアジア北東部祖先系統やアジア東部祖先系統をもたらした集団が、いつどこからどのように日本列島に到来したのかは現時点で不明と言うべきで、そのより確かな推測には日本列島とユーラシア東部大陸部の時空間的にさらに広範囲のゲノムデータが必要になるでしょう。おそらく、完新世において日本列島だけではなく朝鮮半島でも人類集団の遺伝的構成のかなりの変容があったのでしょう。朝鮮半島南岸では、中期新石器時代に日本列島「本土」現代人集団のゲノムと似たような割合の「縄文人」関連祖先系統とアジア東部および北東部祖先系統でモデル化できる個体が存在しますが(Robbeets et al., 2021)、これら朝鮮半島南岸中期新石器時代個体群により表される集団が、本当に「縄文人」を祖先に有しているのかはまだ断定できませんし(関連記事)、日本列島「本土」現代人集団における「縄文人」由来のゲノム領域の断片化の程度を考えると、そうした集団が日本列島「本土」現代人集団の主要な祖先である可能性はきわめて低そうです(藤尾.,2023)。

 日本列島と朝鮮半島の両地域では、現代人のような遺伝的構成は紀元前千年紀以降に形成された可能性が高いように思います。また、そうした形成過程では複数の多方向の移動があった可能性は高そうで、単純化には注意すべきでしょう。おそらく日本列島には、縄文時代晩期以降、まずアムール川地域集団関連祖先系統を高い割合で有する集団が、その後で弥生時代のある段階以降に黄河地域集団関連祖先系統を高い割合で有する集団が到来し、複雑な混合過程を経て日本列島「本土」現代人集団の遺伝的構成が形成されたように思います。この間、日本列島「本土」の人類集団の遺伝的構成は、とくに弥生時代にはかなり不均一だったようで(藤尾.,2023)、日本列島「本土」における人類集団の遺伝的構成の形成過程を、時空間的に広範にわたって一様に解釈してはならないでしょう。



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Liu X. et al.(2024): Decoding triancestral origins, archaic introgression, and natural selection in the Japanese population by whole-genome sequencing. Science Advances, 10, 16, eadi8419.
https://doi.org/10.1126/sciadv.adi8419
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Mao X. et al.(2021): The deep population history of northern East Asia from the Late Pleistocene to the Holocene. Cell, 184, 12, 3256–3266.E13.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.04.040
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Mathieson I. et al.(2015): Genome-wide patterns of selection in 230 ancient Eurasians. Nature, 528, 7583, 499–503.
https://doi.org/10.1038/nature16152
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Ning C. et al.(2020): Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration. Nature Communications, 11, 2700.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-16557-2
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Robbeets M. et al.(2021): Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Nature, 599, 7886, 616–621.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04108-8
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Sikora M. et al.(2019): The population history of northeastern Siberia since the Pleistocene. Nature, 570, 7760, 182–188.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1279-z
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Tian Z. et al.(2022): Triangulation fails when neither linguistic, genetic, nor archaeological data support the Transeurasian narrativea. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2022.06.09.495471
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Wang CC. et al.(2021): Genomic insights into the formation of human populations in East Asia. Nature, 591, 7850, 413–419.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03336-2
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Yang MA. et al.(2020): Ancient DNA indicates human population shifts and admixture in northern and southern China. Science, 369, 6501, 282–288.
https://doi.org/10.1126/science.aba0909
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Zhu KY. et al.(2024): The genetic diversity in the ancient human population of Upper Xiajiadian culture. Journal of Systematics and Evolution, 62, 4, 785–793.
https://doi.org/10.1111/jse.13029

藤尾慎一郎(2023)「弥生人の成立と展開2 韓半島新石器時代人との遺伝的な関係を中心に」『国立歴史民俗博物館研究報告』第242集P35-60
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/records/2000021
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この記事へのコメント

長谷川五郎右衛門の介
2024年07月18日 02:08
こちらへは初めてのコメントになりますが、よろしくお願いします。
この地域のゲノム学の論文はワクワクします。私のyハプロタイプが、O2aなのでとくに興味が沸くのです。
貴ブログにも記事がありますが、
2022年の『南方系中国人の人口学史に関するゲノム学的洞察』の図1
www.frontiersin.org/files/Articles/853391/fevo-10-853391-HTML/image_m/fevo-10-853391-g001.jpg
という主成分分析の図中Bで、青緑の▲のJomonの下方、薄い朱色□記号の現代日本人の集団に一致する場所に出ている、夏家店上層文化人の青ダイヤ◆の記号は、紀元前1100年から紀元前600年ということで関心があったのです。
長谷川五郎右衛門の介
2024年07月18日 02:19
2020年6月のnatureの"Ancient genomes from northern China suggest links between subsistence changes and human migration"の論文の補足資料
static-content.springer.com/esm/art%3A10.1038%2Fs41467-020-16557-2/MediaObjects/41467_2020_16557_MOESM1_ESM.pdf
19ページ/58ページに成分分析の図が出ていて、右下に現代日本人集団
38ページに較正年代
40ページにmtDNAとyハプログループの記載がありました。
紅山文化の遼寧省朝陽市半拉山遺跡から出土した
5500~5000年前の40~45歳男性からYハプロ O2aが出ています。また
夏家店下層文化の内蒙古自治区赤峰市紅山区二道井子村から出土した
3330±30年前の男性からYハプロ O2a1c が出ています。

長谷川五郎右衛門の介
2024年07月18日 02:29
コメント連投で恐縮ですが、前記論文からのデータです。
WLR_BA 龍頭山 内蒙古 赤峰市ヘシグテン旗土城子鎮
WLR_BA_o 龍頭山 内蒙古 赤峰市ヘシグテン旗土城子鎮

較正年代 (cal. BCE)
HMMH_MN HMF32ハミンマンガ 3,694-3,636 女 mtDNAハプロD4j/
WLR_MN BLSM27S紅山 3,550-3,050 女 mtDNAハプロ D5a3a1/
WLR_MN BLSM41紅山 3,550-3,050 男 mtDNAハプロ n/a /Yハプロ O2a
WLR_MN BLSM45紅山 3,338-3,098 女 mtDNAハプロD5a3a1/
WLR_LN EDM124夏家店下層 1,464-1,344 男 mtDNAハプロ B5b1a/Yハプロ O2a1c
WLR_LN EDM139夏家店下層 2,050-1,550 女 mtDNAハプロ A22/
WLR_LN EDM176夏家店下層 2,050-1,550 男 mtDNAハプロN9a1/Yハプロ n/a
WLR_BA 91KLH11夏家店上層 1,050-350 女 mtDNAハプロD4m1/
WLR_BA 91KLH18夏家店上層  901-825 男 mtDNAハプロD4j14/Yハプロ NO
WLR_BA_o 91KLM2夏家店上層 1,050-350 男 mtDNA Haplo B4c1a2 /Yハプロ C2b1a1
管理人
2024年07月18日 05:45
はじめまして。今後ともよろしくお願い申し仕上げます。

夏家店下層文化集団や夏家店上層文化集団が現代日本人の主要な直接的祖先集団ではないとしても、かなり近縁な集団である可能性は高いと思のうで、注目しています。

父系や母系、とくに母系の情報は得やすいので、今後の研究の進展により現代日本人の起源がさらに詳しく解明されるのではないか、と期待しています。
長谷川五郎右衛門の介
2024年07月19日 17:03
朝鮮半島にいたかもしれない縄文人?に関しては、韓国の蔚山市に近い「蔚州大谷里 盤亀台岩刻画」を描いた海洋民があると思います。
クジラ漁をしている舟のペトログリフで知られています。
https://ko.wikipedia.org/wiki/울주_대곡리_반구대_암각화

私は、鬼界カルデラ噴火の後に、九州北部にいた縄文人が朝鮮半島に移住したのではないかと考えています。
長浜浩明氏も、『韓国人は何処から来たか』展転社 2014、pp.28-32 において、「縄文人は7000年前から無人の朝鮮半島へ渡り、半島北部まで進出していた」という考えを示しています。
近年の縄文人のゲノム研究からは、縄文人が日本列島で長期間孤立していたため、遺伝的浮動が現れているということです。つまり、yハプロのD1a2aは日本列島で誕生したと考えれば、D1a2aが、北朝鮮にもいるということは、旧石器時代よりも後の移住ではないかと考えるからです。
約8000年から5000年前までは、北京付近まで温暖であったという研究もあります。
https://cigs.canon/article/20220803_6918.html
朝鮮半島北部沿岸でも倭人たちが進出できる気候だったろうと思います。
管理人
2024年07月19日 18:51
朝鮮半島「南部」では最終氷期極大期(LGM)後に人口が激減したものの、8200年前頃には人口が急増した、と推測されています。7300年前頃の鬼界アカホヤ噴火の1000年近く前には、朝鮮半島「南部」でさえとても無人とは言えないわけです。
https://doi.org/10.1016/j.jaa.2022.101407

長浜浩明氏の著作を根拠に日本列島の古代史を論じたいのならば、他の場所でお願いします。
長谷川五郎右衛門の介
2024年07月19日 22:07
なにやら深い事情がお有りのようですね。
Wikiに書かれていたのでコメントに引用しましたが、長浜氏の意見をコメントに書いて気分を害されたのならお詫びします。
長谷川五郎右衛門の介
2024年07月19日 22:15
ご教示の論文は勉強になりました。ありがとうございました。