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永禄十年八月、武田信玄は、甲斐・信濃・西上野の一門・譜代・国衆・国衆の陪臣に起請文の提出を命じました。著名な「生島足島神社起請文」(下之郷起請文)です。その中に、信濃小県郡の国衆小泉喜泉斎重永・小泉内匠助宗貞の連署起請文と、小泉被官連署起請文があります。そして、「 上 小泉被官」の折封上書を持つ起請文には八名の小泉家臣が連署していますが「平介(血判)、惣二郎(血判)、四郎右衛もん(血判)、弥六郎(血判)、藤右衛門尉(血判)、忠介(血判)、藤三(血判)、半右衛門尉(血判)」とあり、誰も名字と花押を持っておらず、血判のみを据えていることがわかります。