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まずは、根拠となった史料を提示する。太田牛一の『信長公記』には、複数の別本が存在し、その集成と紹介はいまだに実現していない。全文が公開されていない尊経閣文庫本には、世間に流布しているものとは別の記述が存在している。 (1)『信長公記』(陽明文庫本)天正九年二月廿三日条 きりしたん国より黒坊主参り候、年の齢廿六・七と見えたり、惣の身の黒き事牛のごとく、彼男健やかに器量なり、しかも強力十の人に勝たり、伴天連召列れ参り、御礼申上ぐ、誠に御威光を以て、古今承り及ばざる三国の名物、か様に希有の物共細々拝見有難き御事なり (2)『信長記』(尊経閣文庫本)同右条 きりしたん国より黒坊まいり候、齢廿六・七と相見へ、惣之身之黒キ事牛之ことく、彼男器量すくやかにて、しかも強力十人に勝れたる由候、伴天連召列参、御礼申上候、誠以御威光古今不及承、三国之名物、かやうに珍寄之者拝見仕候、然に彼黒坊被成御扶持、名をハ号弥助と、さや巻之のし付幷私宅等迄被仰付、依時御道具なともたさせられ候 #弥助