この世で一番大事なものは自分。
北海道在住の女性K様が熱海の家に泊まりに来た。結婚生活がうまく行かず、溜め込んだストレスが体に出て、二年以上寝た切りの生活を過ごした。横になりながら「死ぬ前に熱海に行きたい」と思い、それだけを頼りに瞑想をはじめた。ようやく身体の自由を取り戻したところで「今やらなくちゃ後悔する」と思って熱海に来た、と。私の正しい使い方である。K様は言った。私は、体を休めるために病気を利用したのだと思う。病気になれば、正当な理由になる。人間は、自らの意思で病原菌を作り出すことができる。希望も、絶望も、自分で作り出せる。
K様は言った。家族や友達から「お前は真面目過ぎる」と言われるが、自分にとってはこれが普通だから、何処が真面目に見えるのかわからない。生まれた時から「ごめんなさい」という気持ちが強くあり、自分はここにいてはいけないと思っていた。常に頭の中で声がしていて、自分の声を聞くことができない。記憶だけを頼りに「ここでは笑うものだ」とか「ここでは悲しむものだ」と思って生きていたから、結婚もできたのだと思う。人の優しさに触れても、どうして優しくしてくれるのかがわからなくて、ちゃんと受け取ることができなかった。それが一番苦しかった。人生に、愛だけがなかった。
何をしても不安になる。何をしても「自分は間違っているのではないか」と思ってしまう。罪悪感が消えない。K様は言った。坂爪さん、こんなことをお願いするのはおかしいことかもしれないけれど、手をつないでくれませんか。私は「おっけいご」と言って、手をつないだ。K様は言った。誰かに触ってもらうのは嬉しい。安心する。そして、しばらくの間、沈黙した。数分後、驚くべきことが起きた。K様の顔色が変わって、霧が晴れたように、周囲の空気感まで変わった。目を開けたK様は言った。今、すごいことが起きた。私は、すごいものを見た。
これまで不安や恐怖の声だけが鳴り響いていたK様の頭の中に、後光が差した大仏様が現れて「全部気のせいだよ」と言った。その一言で、不安も恐怖も全部消えて、喜びだけが残った。K様の顔と声に潤いが戻り、生命力が蘇った。人間が回復する瞬間を目撃して、私は驚いた。涙を流す浄化的な回復ではなく、光が闇を一掃するちゃぶ台返し的な回復だった。K様は言った。私は、この瞬間を絶対に忘れない。幻想だとしても構わない。私は、確かに希望を見た。自分にとって価値あるものなら、それが本当か偽物かなんて関係ない。フィクションだろうがノンフィクションだろうが、私がそれを見て力を得たことは真実だ。自分にとって価値のないものだと感じるなら、どれだけ価値があるとされているものでも、捨ててしまえばいい。存在に根拠は要らない。真実に根拠は要らない。根拠があるとすれば、それは「私の心が喜びを感じた」ことだけだ。私は、私に力を与えてくれたものだけを自分の側に置けばいいのだ、と。
私たちは、自分を犠牲にして他人に合わせることを優しさだと教えられた。だが、この世で一番大切なものは自分だと思う。他人の言葉ではなく、自分の体験を優先することができた時、呪縛から自由になる。義務感とは違う、喜びから人生を生きることができるようになる。最高の考えには、必ず喜びがある。それをやれたら絶対に楽しい。そこにいるだけで幸せになる。常識ではなく「自分の体が感じる喜び」を羅針盤にした時、行くべき場所に運ばれて行く。その時、もう、自分は一人だと感じることはなくなっている。自分だけの力ではなく、何者かに運ばれて行くような、運の良さやタイミングの良さ、奇跡とも呼びたくなる出来事の連続に恵まれる。生きるために条件はない。喜びに条件はない。幸せになるために生きているのではなく、生きていることが幸せになる。そこにあるものは喜びだけ。生きているだけでいい。あとは全部おまけだよ。人生に果たすべき目的はない。人生そのものが、ボーナスタイムになる。
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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