第12話 初陣 其の弐

 事務所一階は、わかりやすく事務室だった。西陽が指すそこには、型落ちのデスクトップがまばらに並んでいる。全てを持ち出す前にこの建物を放棄したのだろうか。あるいは、すべて置き去りにした後で物好きな泥棒が持ち出したのだろうか。

 いずれにしてもおいてある電子機器は、もう使い物にならないだろう。電子基盤や回路なんかの単位でも、繰り返される四季の中で焼けついたり、割れたりしていそうである。

 基本的にヒトが去り冷暖房をつけなくなった時点で、人工物は寒暖の差をもろに受ける。亀裂が生じ、そこに雨水が溜まり、膨張と収縮を繰り返し亀裂を広げ、飛んできた種子が芽吹く——そうやって、自然に還っていく。


「なんで取り壊さないんだ」

「魍魎の受け皿にするためだよ」と光希。「魍魎が寄りやすい香——人間や妖怪の血を発酵させたような臭いを妖気化したものを焚いて、こういう場所に魍魎を誘導するんだ。あるいは、発生場所として置いとくんだな」

「そっか、村のど真ん中で湧いたら大変だもんな」

「そういうこと」


 なるほど、どうりで工場が緑に飲まれていないわけだ。


 光希はキッチンを覗いた。茶を入れたり、ちょっとした休憩に使う場所だろう。諸々の調理用品が置いてあるほか、食器棚やなんかもある。

 鉄製の薬缶は錆びつき、手鍋にはヘドロのような、異臭を放つ黒い液体が、茹ですぎて水分との境界を失いつつあるワカメのようにぶよぶよと浮かんでハエが集っていた。光希は綺麗な顔にこれでもかと嫌そうな表情を刻む。退魔師である以上こういうのは見慣れているが——いい気分になることは、決してない。


 試しに一つ、缶詰の賞味期限を見た。擦り切れたそれは、八年前の日付が刻まれていた。

 製造日の二、三年が缶詰の賞味期限である。ということはここは十年前には放置されていたのだ。

 酷いことになっていそうなフルーツ缶を置いて、光希は気配を探る——通常嗅覚とは別種の、妖気嗅覚を使う。


 妖気や瘴気は、第二の嗅覚を使う。これは、妖怪なら生まれつき、人間でも稀に生まれつき——多くは後天的な訓練で身につける。

 燈真は瘴気の臭いを嗅ぎとれていた。どうやら彼には、この「鼻」が備わっているらしい。


「魍魎はうろちょろしてるみてーだな。残滓があっちこっちにとっ散らかってるぜ」

「俺はなんとなくわかる。二階が一番濃くて、一階に二ヶ所、濃い場所がある。二箇所って言っても、ほぼ同じ場所っぽい」

「けっこーいい鼻してんな。さすが、案内してくれよ燈真」

「任せろ」


 燈真たちは事務所を出て工場内に入った。人が三人横列を組んで歩ける通路の隅には、布を入れて運ぶ大きな台車が寄せられている。二階に続く階段の上には「検品部」とあった。おそらく、諸々の工程を終えた布の最終検査をする場所なのだろう。

 と、上から戦闘音が響いてきた。燈真の指がぴくりと跳ね、柄に手が伸びる。


「椿姫なら心配いらねえよ。妖怪としてのスペックだけで言えば上等級なんだぜ、あいつ。それより一階のどこにいるんだ?」

「あ、ああ。あの搬入部ってとこだ」

「よし。……お前の初陣でもあるから、俺はやばくなった時以外は基本見てるぜ」

「そうしてくれ。負んぶに抱っこじゃかっこ悪い」


 光希が、剃刀を握っていない左手で燈真の背中をバシ、と叩いた。鼓舞してくれていることは明らかである。言葉なんてなくてもわかる。半月とはいえ、同じ釜の飯を食って修行に励んだのだ。友、というものに恵まれなかった燈真にとって数少ない親友である。言わんとすることは、その数少ない経験でもわかっていた。


 搬入部に入る。

 広々とした空間には、布を広げる機械や外と繋がっている搬入口——そこから続く通路が、テーピングでマーキングされている。おそらくはあれに従って、運び込んだものを所定の場所へ運ぶのだろう。アナログな手段だが、有効で、何より視覚的にわかりやすい。

 窓から指す光が、微かに弱いが——燈真たちは視界に妖力を流し、暗視する。基礎術の一つだ。蛇のように体温感知サーモはできないが、わずかな光量を増幅する、夜目の備わった鳥類のような真似はできる。


 ガリ、ガリ——ピチャッ。

 ゴリ、ゴキッ……パキキッ。

 ビチャ、ビチュッ——。


 齧るような音、啜り、砕き、貪る音。

 燈真は瘴気の臭い以外に、濃い血の臭いが漂っていることを察している。


 人間は外から入れない。魍魎は出られない——誰か閉じ込められていた? いや、退魔局がその可能性を度外視して封じ込めをするとは思えない。

 おそらくは、結界の内外条件外の生物——獣が、喰われているのだ。


 奥のコンベアの先、そこに一頭の鹿が倒れていた。

 二股の蹄と、副蹄と呼ばれる、合計四つの指をもつ足が投げ出され、なくした首からとめどなく血を流している。

 ペンキを塗ったくったような赤い血の先、鹿の頭を齧り、脳を啜る異形。

 人型の胴体に、口しかない頭。四等級魍魎・威愚痴イグチ


『何見てんだよお前っ!』


 イグチの特徴である、罵声の再生が始まった。

 奴らは人間の負の言葉を知っている——そこから生まれた魍魎なので当然だ。人を傷つける言葉、明確な敵意を持った言葉が、奴らの生みの親である。


「祓葬開始」


 燈真は刀を抜いた。刃鋼はがね色の刀身が西陽に晒され、朱色のオーバーレイが刃を鋭く照らし出す。

 イグチが鹿の頭を投げ捨て、左腕を振るった。爪と指が一体化した恐ろしい手が、斜め下——下段、右脇腹から迫る。

 燈真は手首を捻って刀身を体の右側面で寝かせた。刀身の半ば——鎬部分が、敵の打撃を受け止める。

 火花が散り、燈真の腕に衝撃が駆け抜けた。刀身から掌、肘、肩へ抜けて脳と心臓がビリビリ痺れる感触に奥歯を噛んで耐え、燈真は上段に構え直すと逆袈裟——相手の心臓とは逆、すなわち右肩から左脇腹へ抜ける軌道に、剣を振り下ろす。


『舐めてんじゃねえぞヒトカスがァ!』


 イグチは右手の爪で刀身をいなし、直撃を避ける。わずかに切先が薄皮一枚裂いて血の玉を浮かべたが、それだけだ。

 燈真は飛んできた鐘撞きのような、どてっ腹をぶち抜く蹴りを回転しつつ受け流し、その回転運動を乗せたまま表切上軌道に、刀を切り上げた。渾身のカウンターである。

【挿絵】https://kakuyomu.jp/users/ineine726454/news/16818093081190309304


 ——入った。

 確かな手応えが、柄から返ってくる。

 イグチは『なんなんだ、俺が何したってんだ!? どいつもこいつも!』と濁った声で怒鳴りながら、大量出血する胴を押さえる。

 その仕草がいちいち人間的で、燈真は嫌悪を抱いた。

 ヒトの真似をするな、というんじゃない。

 ヒトに近しいからこそ、つくづく魍魎というものが他ならない自分のはらから生まれた怪物なのだと、思い知らされる。


 燈真にも、他人を罵倒した経験はある。今でも、互いが冗談で済ませるときにふざけて言い合うこともある。

 だがそれが、他ならない、誰でもするような悪意がこんな化け物を生んでしまうのだ。


 まさしく魍魎は、平然と他人を踏み躙るヒトに天罰を下す、なにか上位の——神ともいうべき存在の使いじゃないのか?


 イグチの傷が、ほんの少しずつ塞がっていく。

 妖力による肉体の治癒だ。人間や妖怪が扱うには高度な制御が必要だが、魍魎は大なり小なりその扱いを本能的に理解している。

 生命力が落ちている今こそ好機だ。札で瘴気瘤を破壊するか、直に砕くかすれば終わる。


 燈真は迷いを振り切って、袖口から札を抜いた。破瘤札はりゅうふだという、生命抵抗力が落ちた魍魎の中枢神経核——瘴気瘤を破壊する札だ。

 それを魍魎の額に貼り付けた。


『人間、風情が』


 こいつは、かつて妖怪だったものの、ありがちな恨みを再生したにすぎない。

 けれども、そう思う者が一定数いるのは事実なんだぞと、そう突きつけてきたも同然だった。


 俺には妖怪の血が入っている。

 そう誤魔化しても、この十六年を人間として過ごしてきた記憶や経験は、易々とは消えない。

 イグチの瘴気瘤が破壊され、その肉体が赤い粒子となって消えた。


 と、少し離れたところでバチィッと電気が爆ぜる音がした。光希だ。

 一対一の均衡を崩しかねない邪魔者を押さえていたらしい——と、そいつがより勝てる相手と見定めた燈真に走ってきた。


 五等級、餓鬼ガキだ。

 醜悪で邪悪そうな感情に歪んだシワだらけの、老人——山姥か昔話のステロタイプのような鬼の顔に、一六〇センチほどの上背。

 でっぷりと出たビール腹のような腹部と、短くたわんだ足——そして、長い腕。

 ガキが腕を振るい、燈真に攻撃した。

 鋭い爪が前髪を数本千切り飛ばす——燈真は足の力と背筋の捻りでバック宙を決めて距離を取ると、相手の出方を伺った。


 ガキはガリガリと爪を鳴らし、地面をこすりながら威嚇。

 燈真は迷わず、攻撃に打って出た。

 八相の構えから、奇を衒わぬ真っ向袈裟斬り。鋭い斬撃が、ガキの左肩に迫る。

 すかさず爪を振り上げて防ぐガキ。火花が散り、刀身が滑る。燈真はすぐさま上段に構え直して唐竹割。一歩、ガキが後ろに下がった。刃先が、鷲鼻の先端を割る。


「ち」


 燈真は短く舌打ち。

 一歩深く踏み込み、脇構えから表切上。ガキが瞬時に後ろへ下がるが、やつは障害物を考慮していなかった。

 どん、と布を乗せる台座に激突し、後退を阻まれる。慌てたように両手で頭を守るが、燈真は瞬時に狙いを心臓に切り替え、刺突を繰り出した。


「瘤は、心臓付近にあるんだってな。癒着してるとか?」


 燈真はねじ込んだ刃に妖力を流し込み、噴射させる。

 成形炸薬弾のメタルジェットよろしく炸裂した妖力噴射が、ガキの心臓とそれに癒着している瘤を砕いた。

 末期の痙攣を残し、ガキが赤い粒子となって消える。


 それを見ていた光希は、「お疲れさん」と言って周囲を見回した。


 魍魎は、ヒトが生んだ怪物だ。

 因果応報という歯車の、一環のような。


 光希は当然それを理解しているだろう。軽そうに見えて、その実何倍も考えている少年だ。

 彼は何を思って魍魎を狩るのだろう。あるいは、妖怪を——自分や同族をよく思わないかもしれない市民のために、どう折り合いをつけて戦うのだろう。


 あるいはこの悩みを突きつけ、ふるいにかけることこそが退魔局の思惑なのかもしれなかった。

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