第11話 初陣 其の壱
シベリアンハスキーの犬妖怪が迎えに来ていた。
校門の前に上等そうな防弾・防術仕様のセダンを停め、スーツ姿の彼は柔和な笑みを浮かべて燈真たちに一礼する。
「初めまして、漆宮様。僕はアルバートと言います。カナダから二十年前に渡航してきた、退魔師兼監督官です」
「ご丁寧にどうも……漆宮燈真です。下の名前で、呼び捨てで構いません」
「では——燈真様。僕のことも、アル、と呼んでいただければ」
周りの生徒——特に女子生徒はアルの美しい顔立ちに釘付けである。掘りが深く、青い目に、白と黒の交雑したウルフカットヘア。目を向けるなと言う方が無理だ。
アルは周りの視線には無頓着で、三本の尻尾をゆるく振りながら「乗ってください」と勧めた。
光希は勝って知ったる風に助手席に乗り込んで、椿姫も「行きますよアルさん」と言って、後部座席に乗る。
「燈真様も。任務については、車中でお話しします」
「わかりました。よろしくお願いします、アルさん」
燈真は後部座席に——椿姫の隣、光希の後ろに乗り込んだ。
アルが運転席に座り、シートベルトをすると車を静かに発進する。椅子に座る際、尻尾を持つ妖怪は背もたれと自重で尻尾をプレスしないように、縮めるか一旦消すかする。アルも、椿姫も光希もそうだった。何かの証明写真でもない限り、座っている最中に本来の大きさの尻尾は出さない。
最初の交差点を曲がり、アルがカーナビのモニターを録画映像に切り替えた。
「皆さん、おはようございます。今回の任務についてお話しします」
映ったのは、見知らぬ退魔局局員の女性。種族は人間だろうか。外見から妖怪とわかる特徴がない。
「村はずれの染色工場跡に魍魎の出現を確認しました。数は六体、等級は五等級から四等級と見られます。現地は札による結界で魍魎を閉じ込め、魍魎の脱走と第三者の——民間人ならびに未登録の法師退魔師、ならびに呪術師の侵入を物理的に閉ざしている状態です。
本来二等級退魔師の稲尾さんにはアサインされない任務ですが、漆宮五等の監督ということで同行していただいています。尾張三等につきましては、いつも通りの立ち回りで構いません」
光希は頬を掻きながら、小さく頷いていた。
「工場は二階建て、任務開始時刻の一七時二〇分段階では不明ですが、一五時〇〇分段階での気配索敵では気配は半々で一階二階に散逸しています。臨機応変に索敵、
任務報酬についてはそれぞれの講座に送金する手筈となっています。稲尾二等に関しましては、漆宮五等の報酬金の二割を監督費として割り当てさせていただきます」
要するに燈真の報酬から二割天引きということだ。光希は光希で、満額貰うのだろう。
事前に椿姫から共有されたところでは、稲尾家のメンバーで任務にあたる際の報酬配分は折半。なので、本来椿姫がアサインされないこの任務では燈真と光希で折半した内の、燈真の二割が今回椿姫の報酬となるのだ。光希の懐にはダメージなどない。
「以上で任務説明を終わります。健闘を祈ります」
映像が終わった。
燈真はいよいよ本番という意識が強くなってきて、唇を舐める。
隣の椿姫が「気負わないでね」と肩を叩いた。
車は人里を離れて村の郊外へ。見えてきたのはフェンスで囲われた工場。事務所と寮が併設された建物に、工場には二階部分に「魅雲染色(株)」の文字。ペンキの塗装が溶け、看板が錆びてありふれたジャパニーズホラー映画のワンシーンのようだ。
暮れなずむ空に照らされた工場は、不気味にそこに佇む。カラスの声が、嫌に長く木霊した。
「結界に穴をあけますが、その後また閉ざします。魍魎が脱走しては大問題ですから。皆さんが撤退する際は、問題なく出られます。術師の場合内から外の脱出は容易です」
「どうしてですか?」燈真の疑問はもっともだった。魍魎は出られないのに、なぜ術師——退魔師は出られるのか。
光希が答える。「こういうのは等価交換だぜ。魍魎は内側から出られねーが外からは入れる。退魔師は呪術師の侵入を弾く一環で外からは入れねーが内側からは出られる。魍魎が入る分には被害を最小限にできるし、余計な邪魔モン弾けて撤退もできるなら術師はこうしとくのがうまいだろ?
妖術ってのは効果を得るために代償を払うのが基礎だ。大抵は妖力がその肩代わりになるんだがな」
そういえば、そんなことも聞いていた。
妖力は生命力のエキスのようなものだと柊は言っていた。だから、多少無理な等価交換も妖力で成り立つとかなんとか。だが、より高い効果を望むなら発動条件を絞ったり、楽や舞、唄などの儀礼を必要とするとかなんとか。そうした「誓約と呪縛」がより高度な妖術を成り立たせるらしい。
結界術は基礎術の一つだが、高等なものである。簡単な盾くらいの結界なら貼れても、閉じ込める結界や締め出す結界は作れない退魔師は、実のところ多い。
神から与えられた天賦の力——妖術。かつて神であったゆえに、妖怪は生まれながらに持ち、それを伝えた——技術。
妖術は歴史の中で多岐にわたる進化・変化を遂げたが、その絶対法則だけは未だ不変である。
「では穴をあけます。ご武運を」
アルがそう言って、結界に触れた。ブゥン、と表面が水色に波打ったかと思うと、そこに人一人通れる穴が生まれる。
光希を先頭に、燈真、椿姫の順で入る。
途端、胃がズシ、と重くなるのを感じた。
鼻をつく、甘ったるいような、湿度が高い部屋の水っぽい匂いのような、生温かくねっとりした臭気。
燈真は思わず、「うえっ」と呻いた。
「あんたが最初に出会った魍魎は発生まもないものだったのと単独だったから薄かったけど……これが魍魎の瘴気の臭いよ」
「特別臭くはねえが、長いこと嗅いでいたい臭いじゃねえな」
「俺もだ。言っとくが、この臭気は人間の方が敏感に感じるらしいぜ。お前の体ってベースは人間だから、だいぶキツいだろ」
「いや……大丈夫だ」
痩せ我慢に聞こえただろうか。燈真の顔は明らかに不快感で歪んでいたが、平手で自ら頬を打ち、燈真は懐から札を取り出し、胸に叩きつけた。
すると着ていた学生服が札の中に収納され、代わりに和装が顕現する。
燈真の体を包む着物と羽織は、専用の
椿姫と光希も着替えた。椿姫は襟が狐の毛皮で出来た袴衣装に、紫色の羽織。背負っているのは三尺刀。
光希は雷の模様が染められた黄色のパーカーに、カーボンラバーのインナーとコットン地のだぼっとしたズボン。手には、大昔の剃刀——今と違い、ほとんど両刃のナイフのようなものを握っている。刃先は平坦だが、刃自体は研がれていた。
「私、上見てくるわね。……なんか、いやーな気配するし」
「あいよ。いくぜ燈真。事務所から覗くぞ」
「ああ。さて、やるぞ……!」
いよいよ任務開始——燈真は、気を引き締めた。
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