第10話 一報

 ——という、裡辺のとある地方都市での幕間話は燈真が魅雲村に来る三ヶ月ほど前の話。

 現在の燈真が何をしているかといえば、当然高校生らしくお勉強である。

 学生の本分は勉強だ。四限の昼休み前の生物の授業で、担任でもある生物教師が気だるげな顔でクラスを見回し、毎度恒例となっている頭のウォームアップを始めた。


「さあ、まずはおさらいだ。生物の誕生は何億年前だったかな? ……眠そうな顔をしてる漆宮、行ってみようか」

「げっ」


 周りがくすくす笑った。

 周囲は大勢が妖怪である。実年齢層はバラバラだが、みな十代から二十代ほどの外見であるのがほとんどだ。とはいえ妖怪はその成長が特殊なので、妖怪向けの学校はそのシステムが大学的である。学ぶ意欲があれば年齢は関係ない、というスタンスであった。

 なので中には、小学生くらいの童子もいるし、明らかに年嵩の妖怪もいた。まあ、外見年齢などさほど当てにならないのが妖怪なので、誰も気にしない。


「えっと……」


 燈真は隣の席の光希に救いを求めた。彼はノートの端っこに「35億」と書く。


「三十五億年前です」

「正解だ。いい友達を持ったようで先生は嬉しいよ」

「……」


 担任でもある御薬袋太一みないたいちはこちらの事情を完全に見抜いていた。ヨレた白衣を翻して、黒板に「夏休みの課題について、提出範囲」とチョークで書く。


「うちの高校が自己裁量制なのは知ってると思う。毎週末、問題集を好きに解けという課題は出るが、最低限提出物さえあれば卒業単位は出す校風だ。中には夜勤バイトで働きながら通学してる子もいるからね」


 御薬袋は、カットしたシカ角をこりこり掻きながら言う。化け鹿という妖怪だ。文字通り、長年生きた鹿が妖怪化した種族である。

 以前話していたところによれば、祖父が奈良出身だったが気候と食べ物、そして惚れた女が裡辺妖怪だったからと言う理由で移住してきたらしい。先生自体は生まれ・育ちともに裡辺である。


「夏休みの自主勉強については特に範囲は指定しないが、休み明けにテストがあるからこれまでの単元を元に復習しておくといいかもしれないな。暗記科目だから点は取りやすいだろうし、これを機に生物に興味を持ってくれる子が増えるかもしれないしさ」

「先生って学者なの? 生物に興味持って欲しいなんてさ」


 手を挙げつつ、光希が聞いた。

 御薬袋は「いや、俺は元外科医。妖怪医学専門の外科医だな」と答える。


 意外な経歴だった。そういえば退魔局にも、元医者の職員がいた。


「妖怪専門の外科医を七年やって、退魔局の桜支局で三年、医療チームに勤めて……貯金で大学通い直して教員免許取ったんだよ。実は教師になってまだ二年目なんだよ、俺。まあ元々予備校講師とかもやってたから若い子との接し方はわかってるつもりかな」

「すげー情熱っすね」

「まあね——っと、四方山に花を咲かせたな……。とにかく、これ以上詰め込みで授業を進めても仕方ないし、今日は自習にする。静かに、読書なり勉強なりしてなさい」


 御薬袋はパンパン、と手を叩いた。

 彼は教卓に寄りかかりながらファーブル昆虫記の三巻を取り出した。児童向けの書籍だが、生物が好きという人物ならばあるいは、年齢を問わない名著なのかもしれない。

 燈真自身は読んだことはないが、御薬袋は穏やかな顔で本に目を落としていた。


 斜め前を見ると、椿姫は生真面目に生物の問題集を広げ、シートで答え部分を隠しながら問題を解き直し、復習していた。彼女の勉強法として、問題文もまるごと板書し、言語の理解力を高めると言うものがある。問題文の意図を読み解く最低限の国語力がないと、どんなに計算能力があっても意味がないと言うのが椿姫の持論だ。生物のような暗記科目においても、同様である。何について聞かれているのか読み解く能力が大事らしい。

 確かにその読解力というのは、日常生活においても必須だ。現代社会に寄り添って生きるつもりなら、妖怪とて無頼漢ではいられない。

 そんなことができるなら本くらい読めるだろ、といつも思うが、なぜかできないらしい。不思議なこともあるもんだ。


 一方光希は——確かに生物の授業かもしれないが、タブレットに表示したハクビシンをスケッチブックにクロッキーし始めていた。

 多分、そう言うことではないと思うが、……まあ、時間の有効活用ではある。

 あと自分の種族と同じハクビシンを選ぶのは、やはり雷獣であることを誇っているからなのだろうか。


 燈真は退魔局のマニュアルを取り出した。

 任務に当たる際のハンドシグナルの意味や、仕事の手順、敵対術師『呪術師』と対峙した際の問答、実例を交えた交戦記録——。

 現状修行の身だが、いつ実戦に駆り出されてもおかしくない。

 魅雲村は平和に見えて、激戦区である。薄氷の上に成り立つ平和は、退魔師の血と汗の結晶で成り立っているのだ。


 左の窓際席に座る、退魔師ではない友人——千穂川雄途ちほがわゆうとから「退魔師だったんだな」とこっそり声をかけられた。


「まだ見習いだけどな」

「すげえな。俺には怖くて無理だよ」


 それが普通の反応だ。

 妖怪だって、畏れ知らずと言うわけではない。送り犬(狼)の彼でも、恐怖心くらいある。魍魎は人間だけの天敵ではない。妖怪にとっても天敵だ。

 生物種として圧倒的強者である妖怪、その妖怪の存在を押し除けて支配者たる人類でさえ、魍魎との戦いを根絶できない。というより、感情を持つ限り、そのイタチごっこは終わらない。


 燈真は自分のスマホが震えたのに気づいた。

 差出人は柊。稲尾家の退魔師にとっては師匠であり、任務の窓口である。


『放課後、迎えが行く。退魔局に出頭して任務説明を受けるように』


 端的な文面に、燈真は固唾を飲んだ。

 いよいよ実戦だ。


 夏休み間近——この半月ほど、やれることは十分やった。

 光希は何食わぬ顔でクロッキーに戻り、椿姫は気づいているのかいないのか問題を解く手を止めない。

 雄途が「どうした?」と聞いてきて、燈真は「なんでもねーよ」と笑った。

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