第4章 狼煙

第21話 胎動

 紫電物流のビル——自室となっている円禍の部屋で眠っていると、嶺慈がいる二段ベッドの一段目がモゾモゾと揺れ動いた。

 円禍が入ってきたのだ。彼女は一人では寝られないらしく、嶺慈が来るまでは慈闇と一緒に眠っていたらしい。嶺慈が仕事で明けている時は慈闇か、あるいは凛と寝ているという。

 過去に何があったのか——父に犯され、兄に犯され、父と兄が円禍を巡って殺し合った。結果、円禍の魂は死んだ。そう言っていた。

 どれほどの苦痛だったろう。どれだけ悲しかったろう。この歪んだ世界の狂ったひずみに巻き込まれた彼女は、真っ当な人生を永遠に奪われたのだ。

 そっと触れた。頭を撫で、タオルケットの中に入れてやる。

 嶺慈は暖かな体温と、相変わらず嫉妬深い凛の歯軋りを聞きながら、短い——一時間足らずの睡眠を続けた。


×


「本格的に潰しに来ている」


 管理室で、秋月を交えて話し込んでいた。そこには穂村灼宵、そして紫電夕月もいる。嶺慈一派ももちろんだ。

 円禍は警察組織が陰陽師と組んでいる事実を踏まえた上で、これからの抗争が、わかりやすく激化することを説明する。


「後手に回る前に、先に潰すってのは。先手を打つのは、決して悪いことじゃないと思う」


 夕月がそう言った。確かに、最初に出端を挫いて打撃を与え、流れを持っていくのは有効である。一度立場が瓦解した場合、そこから立て直すのは困難だ。

 特に影法師は、世間に対する発言権というものがない。物理的にも社会的にも、ゲリラ的な戦いを強いられる。であれば、奇襲を繰り返して敵勢力を削るのがいいのでは——そのためには、常に先手を打てる立ち回りをすべきではないか、という旨の発言だと、嶺慈は思った。


「街に放っているアヤカシの情報を集めて、敵の行動パターンや拠点を割り出すのはどうだ。可能なら、俺の声をなるべく広範囲に響かせる環境があると嬉しい」

「言霊で一掃するってこと、嶺慈様。喉潰れない?」

「潰れたら、壊して治す。妖力を使えば肉体の治癒ができるだろ。自分で喉抉って、治す」


 修復困難なものを一度徹底的に破壊し、一から作り直す。要するにそういうことだが、を機械ではなく、己の喉で行うということだ。しかも嶺慈は、顔色を変えずに言い切っている。肝が据わっているというか、やはり、この男は狂っている。


「無茶しないで……心配になるわ」

「お前らより先には死なない。……秋月さん、人間どもの動きはどんな感じですか」


 秋月はプロジェクターを起動した。


「市内の駐屯地には目立った動きはない。まだ、だろうなここは。だが警察車両の巡回は明らかに増え、陰陽師と見られる気配の術師が、ちらほら徘徊しているそうだ。円禍、それから我が愚息の言う通り——」夕月は舌を出して肩をすくめた。親子仲が悪いと言うわけではなく、単にそういう、汚く言い合うことでコミュニケーションを取るタイプなんだろう——「先手を打ってこれらの包囲網が完成するのを防ぐべきでは、と思っている」

「母さんが、穂村組を動かせるようにしてるわ。警察内部にも金を握らせたのがいるから、ある程度情報を回せる」灼宵が言った。


 灼宵の母裹斑かむらは、穂村組という暴力団組織の女組長である。妖狐の親子だが、組員はアヤカシ・鬼憑きなら歓迎である。概ねアヤカシは、同族を大切にするのだ。フィクション世界を覗くと種族ごとにも軋轢があるし、それもわかるが、まあ、世間的な「妖怪」と「アヤカシ」は、そうなるに至るバックボーンが違う。


 慈闇が、「実戦になるわけねえ。なんか、時代の転換期って感じ」と言った。

「或いは、本当に世界が変わるかもね。人類共通の敵として、私たちが舞台に上がる時が来たのかもしれない」円禍はそう言った。

 凛が「だとしても、お姉様に勝利をもたらす覚悟は変わりませんから」と彼女の手を握る。洗脳というよりは、アヤカシ化が進んでいく過程で、過去の経験の中から人間のおかしな点をフォーカスできるようになったのだろう。まあ、脳なんてのは化学物質の反応、そのまやかしの繰り返しで現実を実像と捉える曖昧なものなので、言ってしまえば、あらゆるものが洗脳、と取れるわけだが。己の認知次第で、頭に宇宙だって作れるのが脳だ。脳は、空よりも広いのである。


 秋月が、嶺慈をまっすぐに見た。


「短期間で、お前の力が並々ならぬものになっていることは八部衆にも知られている。神代の術式、だからな。……それに、お前の獰猛さは、ある種のカリスマとも言えるかもしれん」

「普通にしてるだけですよ。……弟との決着もさっさとつけたいですし」

「近いうち、お前が八部衆に入ることもありうる。頭に入れておけ」

「……!」


 嶺慈は目を瞠った。円禍が「スピード出世ね」と微笑み、凛が「こっ、こんなスケコマシが!」と地団駄を踏む。

 慈闇は「むしろ遅いくらいですね」と偉そうに頷くが、夕月は「マジかよ、やば」とか、灼宵は「うらやまー」とあまり興味がない。まあ、夕月と灼宵は世襲的にと言うのはもちろん、それ以前にお互いが手を取り合うことが最大の幸せなので、八部衆自体に魅力を感じていないのかもしれない。


 嶺慈は、時代のうねりが、人間との戦いが近いことをひりひりと感じていた。

 おそらくは、ここがターニング・ポイントなのだろう。


 ——そしてきっと、二度と通ることのない、折り返し地点だ。

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溟戒の影法師 夢咲蕾花 @ineine726454

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