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これは実に美しいスープだ

 何度かしたダイエットの中で、「脂肪燃焼スープダイエット」があった。これは玉ねぎ、にんじん、キャベツを中心とした野菜を、塩コショウで味付けした「脂肪燃焼スープ」を飲むことでダイエットするといったもの。これが私には相性が良かったらしく、当時は野菜スープを作って飲むだけで順調にダイエット出来て、会う人皆に「痩せた? 変わったね」と言われた。
 それが首こり肩こりに悩まされるようになってから、このスープを飲んでも全く効果が出なくなった。けれど先日あまりにも体重が減らないので、久しぶりに脂肪燃焼スープを作って飲んでみることにした。

 私の「脂肪燃焼スープ」はマスト食材が「玉ねぎ、にんじん、キャベツ」で、後はそれに大根を入れたりトマトを入れたり、その時あるような食材を入れている。あればシーフードミックスを入れるのも良い。顆粒の和風だしを入れ加熱した水にザクザク切った食材を入れて行く。適当に煮えた所で塩コショウで味を調えて出来上がり。
 久しぶりに飲んだらこのスープ、本当に美味しく感じた。「五臓六腑に染み渡る」という感じで、澄んだスープが全身に沁みていく。何か体が「中から綺麗になっていく」ような気がする。そして実際、翌日の体重体脂肪が若干減っていた。首こりが楽になることで野菜スープの効果が出る体に戻りつつあるのかもしれない。鍋一杯に作った野菜スープを二日続けて食べ続けたら、二日続けて体重が減少。一日目はちょっと前に行ったジムの効果もあったかもしれない。けれどジム効果で落ちた体重は翌日には増えることが多かったが、二日目も減少したのはスープ効果じゃないだろうか。

 「この調子でまた一鍋スープを作ろう」と思ったら、何と玉ねぎが無い。仕方がないので玉ねぎなしで、代わりに大根とトマトを入れてスープを作った。そしたら何か物足りない。味が違う。実際体重体脂肪も減少がストップ。
 急遽玉ねぎを買って来てマスト3食材でスープを作った。今回はシーフードミックスも入れた。そして作ったスープを飲むと、何だか心底「ホッと」する。体がクリアになるような感じ。鼻呼吸まで楽になる。

 玉ねぎの力は偉大だ。彼無くしては始まらない。そしてこのマスト3食材のスープを、私の体が求めているから、こんなに美味しく感じるのだろう。「体がクリアになる感じ」というのは、実際にスープが血液をサラサラにして巡りを良くしてくれているのだろう。何にせよこんなに相性が良いメニューがあって良かった。このままスルスルと痩せて、コレステロール値も落ちて、軽くて健康な体になりますように。

 ちなみに本記事のタイトル、何からの引用か分かる人いる? 分かったら小一時間その作品について語り合いたいね。

無料ソフトがあった

 自分の誕生日プレゼントにイラストレーター買っちゃおうかな、とイラレ価格を調べてみた。やはり高いので、「イラストレーター 高い 代替品」で検索してみたら、無料の類似ソフトが紹介されていた。その中の一つ、「Inkscape」。これが凄い。

 使いたかった
・複数レイヤー管理機能
・ベジエ曲線の自在な作成
・個別図を合成・統合する機能
が、イラレと同等に出来る。今、ベースの分割線上に丸や楕円、台形などで構成した固い線の人体アウトラインが出来ている。それを一番下のレイヤーに置いて、上レイヤーで比較的柔らかい線で描画していっている。けれど手指や足指はペンタブレットが必要かもしれない。その部分は今はまだざっくり描画で。

 取り急ぎ首・僧帽筋・肩関節は合成したが、後から微調整するために、出来たものを全部合成していってはやりづらくなる。腕は左右対称だから左の調整が終わったらコピーできるよう、合成しない方がいいかな。足も同様で、左が固まった所で右を作ればいいだろうか。

 目や口元もペンタブが欲しいところだけど、ベジエ曲線で描いてみるか。問題は髪とか服だ。今は単純線の人体アウトラインだから問題ないけど、髪って。そして手持ち服のコーディネートを第一に考えるなら人体は髪を考えなくても良い。顔も書かなくても良い。あとやりたいのは手帳デコに使っている「女の子シール」がすぐ足りなくなるから、自分で描けたら一番良い。そうなると今の8頭身人体はむしろ変になっちゃうかも。更に後ろ姿とか横顔とかも必要になる。

 洋服コーディネートのための人体図は1種類あればいい。むしろ大事なのは服を撮影して余計な部分を削除、それを洋服図としてデータベース管理することじゃないかなあ。手帳デコのための人物図描画を優先しようか。いやいやそっちの方が難しくない? 100円でシール買えるのに自分で描く必要ある? そりゃね、見て恥ずかしい出来ならやらない方がマシかもしれない。でも慣れた所で「人物イラストが無い? じゃあ描けばいいか」となると便利だし素敵だ。ってことはまず今のテキストに従って「慣れる」まで(頭の中で人体の仕組みとか見た目が絵に変換されるようになるまで)「描く」ことが必要になる? うーん、今は先を考えないでぼちぼちとやっていってみようか。Inkscapeなんて素晴らしいソフトとも出会ったことだし。

眠っていた本が蘇る

 この本を引っ張り出して来た。『ファッションデザイン画ビギナーズ超速マスター』
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 この本は丸善の書架で立ち読みしてみたら面白くて止まらなくなって、高かったけど買って、そのまま丸善横のカフェで夢中になって読んでいた記憶がある。初版が2007年になっているから、まさにその頃購入したんじゃないだろうか。なんと17年前だ。
 カフェから帰ってこの大型本を本棚にしまうと、それきり見ることも無くなっていた。けれど「いつか暇になったら本腰入れてやろう」と思っていて、ずっと売りに出しもしないで本棚で眠らせていた。
 それが最近、「"いつか暇になったらやろう"と思っていたあの本、正に今がその時なんじゃないか」と考えるようになった。時々、「でもなー今更イラスト書けるようになってもプロにもなれないし」とまるでうちの母親みたいなツッコミが自分から入るのだけれど、ずっと処分しないで「いつかやろう」と思っていた自分も確かにいたわけで、イラストレーターになるためじゃない理由から、「面白そうだから」という理由でやってもいいじゃん、と思ってようやく、この本が日の目をみたわけである。

 本に従って身体バランスを補助する8頭身の枠組みを書いて、それにウェストラインやヒップラインなどの補助線を引く。そして膝頭には頭部に描いた楕円の半分サイズで楕円を置き、肘や足首といった関節にも丸を置いて行く。するとあら不思議、バランスの取れた人体図の一丁上がり。途中から鉛筆を消しゴムで消して書き直すといった作業が面倒になって、基本の枠組みをwordで書いて、その上にポイントとなる丸や楕円を描いた。その丸や楕円を台形でつないで、人体アウトライン図を作った。これをバックにおいて、上に柔らかさを持たせた曲線を描けば、自然な人体図になるだろう。手指や足指などのデテイルはそこだけ別途要練習という感じか。

 面白い。

 子供の頃から漫画が好きで、自分でもイラストを描いたりしてたけど、ずっと心のどこかで「ちゃんと描けるようになりたい」と思っていた気がする。だって私の部屋には漫画家さんの家にあるようなデッサン人形まである。
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平面的な同じポーズの絵しか描けないのが嫌で、動きのある絵を描きたかったんだよね。捨てることもできないまま、この人形と何年一緒に過ごしてきたか。そしてノートに鉛筆で書いて消したらカスを一撃で払うためのブラシもある。これは私が一番最初に勤めた会社がソフト開発会社で、設計作業にはマストアイテムだったんだよね。会社で使っているこのブラシがあまりに便利で、自分用にも買っていたというもの。何とそれが2本もある。このブラシをソフト会社を辞めたあともずっと処分もしないで持ち続けていたのは、今このイラスト描きのためだったかもしれないね。

 色んなポーズを描けるようになったら自分の手持ちの服をイラストに着せて、コーディネートを考えてみよう~。でも折角ブラシあるけど、鉛筆で描くよりPCで描きたい。修正が楽だから。レイヤーを使えるベクター描画ソフトとなると、イラストレーターが欲しくなるけど、プロになるわけでもないのにプロ仕様ソフト買うのもなあ。まあ当分はwordでやってこうかな…

想念の世界で付き合って別れる

 当たり前のことだけれど、想像の世界と現実は違う。
 当たり前のことだけれど、SNSで多少やりとりがあっただけでは「付き合っている」とはならない。例え互いにリアルで顔を合わせたとしても、告白されたり双方の確認が取れなければ、「付き合っている」とは言えない。
 当たり前のことだけれど、付き合ってもいない二人が別れることはできないし、別れてもいない人間が復縁することは当然できない。前提がナンセンス。
 ではそんな「SNSで多少やりとりがあった相手」との関係性は何になるのだろう?

 答え:何でもない。

 やりとりが無くなって悲しいとか、傷ついたとか、「別れたくなかった」とか「復縁するにはどうしたら」とか、ぜーんぶ、勘違い。「若きウェルテルの悩み」の主人公がヒロインにちゃんと思いを告げて、ヒロインの本音を聞いて、コミュニケーションをとることが出来ていたら、彼は死ななかっただろう。想像や妄想の世界で自分だけで苦しみ、頭の中では付き合ったことになっていて、顔も知らない癖にやりとりが無くなったら「復縁するにはどうしたら」なんて考える。道端ですれ違ったって分からない相手に何考えてんの。誰かに相談したら皆こう言うだろう。「お前、現実の人間とちゃんと付き合った方がいい」と。

 想念の世界は本人が作り出した「ドラマ」で溢れている。そこから踏み出して現実に飛び出すと、現実はもっと単純で、身もフタもなくて、「ああこんなもんだったんだ」と拍子抜けするだろう。”案ずるより産むが易し”という諺はそういう意味だよ。
 なーんにも、ぜーんぜん、何一つ始まってなかった。私は何度も現実のコミュニケーションに引っ張り出そうとしたよ。いつまでそんな所に留まってるの?

「向き合わない」という加害

 先日、ハーレクインロマンスのヒーローが、「現実だと非常に痛い」と書いた。しかしそんな、自分の感情の奔流を相手にぶつけているだけのヒーローでも、相手に向き合い、相手の感情を受け止めようとするだけマシなのだ。複雑な生い立ちを経て愛着に問題を抱えているヒーローが、相手に向き合えたのは「仕事の一環」とか「自分の得意なこと」に意識を転化させてようやく出来たことではあるが、それでも向き合う姿勢が持てただけメンタルの強さがある。

 他人と向き合えないのは自分と向き合うことが出来ていないからだ。他人に素直に心中を伝えられないのは自分に対しても素直になれていないからだ。「笑い者にされるんじゃないか」と相手を疑うのは、「自分もそんな事をしかねない」と自分を見下しているからだ。

 アプローチする勇気を出しただけ彼らは偉い。どんなに揉めたって、互いが互いの思っていることを伝え合えたなら両者気がすむというものだろう。T美叔母さんの息子D男は、母親と正面から向き合うのを恐れている。本人はそれでいいかも知れないが、言いたいことが叔母さんにだって沢山あるのに、誰にも受け止めてもらえないことになる。伝え合った後でどうするかは両者の自由だ。けれどそのコミュニケーションの土俵にも上がって来ない人はそれだけで相手を抑圧している。「これは仕事の一環だ」とか「これはゲーム攻略なんだ」と自分の得意なことに転化して考えてみるのもいいだろう。うじうじしすぎて相手を怒らせているなら、その怒りを受け止めるのもうじうじ君の責任だ。

遊んでいる姿が誰かを救う

 この所、兄が変わった。

 次回のT美叔母さんの見舞いの日を皆で決めた後で、義姉に予定が入っていることが分かった。けれどこちらもホームやD男にも日にちを伝えてしまっていたので、日付の変更は出来るだけしたくない。そこで「兄は走れないかな」と聞いてみた。すると自分の叔母の癖にそれまで全く動かなかった兄が、「俺が行くよ」と言ってくれているらしい。

 その前にもこんなことがあった。
 母の携帯に電話をかけたら全く繋がらず、家の電話にかけても出ない。平日だから兄夫婦はまだ戻っていないかもしれない。母もデイサービスから戻っているはずの時間なのにこんなに出ないっておかしい。もしかして脳梗塞の発作でも起こして、倒れているのでは? 焦った私はデイサービスの施設に電話をかけ、母が何時ごろに帰ったのか等を確認した。その際電話に出ないことで心配して問い合わせたことを伝えた。その後で義姉にSMSを送ったら、何のことはない、母が携帯から離れキッチンに居て、呼び出し音が聞こえなかっただけだった。その時、デイサービスのスタッフさんが兄宅にまで様子を見に来てくれた。その時も兄は「俺に電話をくれれば良かったのに」と言っていたらしい。

 その時は「公の施設に迷惑をかけるのは恥ずかしい」という兄の見栄からそんなことを言ったのかな、と思ったが、どうも叔母さんの見舞いにも進んで「行くよ」と言ってくれているあたり、何か端々に「妹の役に立ちたい」という気持ちが伝わって来る。

 心当たりはちょっとある。私が最初の叔母さんの見舞いのために帰省した時、自分が年金を繰り上げ受給するつもりであること、繰り上げすると受給額は下がるけど、65歳で受給した場合と比べても80歳にならないと損益は逆転しないことを話した。その「損益分岐点」の話をした時、焼き肉を食べる手を止めて口数の少ない兄が珍しく、「そう、そうなんだよ」と言った。
 その直後兄は義姉に「60歳で辞めて良いか」と伝え、義姉も了承。今はあと数か月で離れることになる仕事を、余裕を持ってやっているように見える。
 実は私が兄に「60歳で退職すれば?」と言ったのはその時が初めてではない。その前に帰省した折にも何度か言っていた。兄が心臓の手術を受けた話を聞いて、心臓疾患はストレスからくることが多いから「相当ストレスがあるんじゃないか」と思っていたからだ。その時は「自然に定年延長になっちゃうんだ」と言っていたが、心臓の手術後も体調を崩したりすることが度々あり、「早く辞めた方がいいんじゃないか」と伝えていたのだ。

 振り返るに兄を決心させたのは私の「損益分岐点」に関する調査結果だったのだろう。そしてそのことは前から兄自身が考えていたことでもあり、そんなことを考え出したのは妹が定年の数年前から仕事を辞めてしまって、何だか楽しそうに温泉だの旅行だのしている姿を見たからではないだろうか。
 私は義姉にも「60歳で辞めたら」と言っている。旦那も辞めて義妹も辞めて遊び歩いている中、自分だけが仕事を続けるのは義姉も結構しんどいだろう。子供たちだって独立したし、公務員だから退職金も手厚い。年金受給額が65歳より少なくなったとしても、損益が逆転するのは80歳。そこまで元気で生きていられるとは限らない。また受給額が増えると所得税がかかってくるので、結局手取り額は変わらないということもある。

 こんな風に、呑気に遊んで楽しんでいる姿を見せることが誰かの救いになる。そんなことが往々にしてある。

ハーレがリアルになると

 「ハーレクイン・ロマンス」というロマンス小説の一大ジャンルがある。このジャンルは通してヒーローの造形がワンパターンで、後からそうした要素を持つヒーローや、恋の展開を聞くと、「ハーレクインか」と人々は突っ込むことになった。曰く、ヒーローが複雑な生い立ちから立身出世を成し遂げ、ヒロインにとにかく強引に迫りまくる。時にヒロインの弱みにつけこんだりして結婚に持ち込んだりしてくるので、両者非常に揉める。しかしヒロインにもギャンブル好きの兄とか、酒浸りの父親が居たりして、ヒーローにすがらざるを得ない。すったもんだの末に両者心を通わせることが出来、結ばれる、というパターンだ。

 遡れば「シンデレラ・ストーリー」の語源となった「シンデレラ」の現代版と言える。読者はヒーローの「強引さ」を「強さ(メンタルの強さも含め)」と勘違いし、生い立ちの複雑さゆえに素直に感情を表せないヒーローの性格に母性本能をくすぐられ、やがて二人が紆余曲折を経て互いに素直になれる所で「良かった」と涙させられた。

 しかしこれが現実に現れると相当痛いことになる。

 一。メンタルが強い人は「素直に感情を表すこと」に抵抗を持たない。二。メンタルが強い人は相手の意志を無視して強引に迫ったりしない。三。メンタルが強い人は自身の複雑な生い立ちを自らの糧にして、克服している。

 強引に迫る男は自分の感情をどう表現したらいいのか整理がつかず、自分の中に渦巻く感情をただ相手にぶつけているだけという、幼い精神年齢を表している。現実でこれをやられたら「ストーカー」だし、財力を使って思い通りにしようとする様子は、借金をカタに若い女性を狙うヒヒ爺と本質的に変わりがない。現代ではどれほど若くてイケメンの成功者であっても、金をちらつかせて女性を思い通りにしようする場合、寄って来るのは同類の金で動く女性ばかりになる。「類友」の法則はここでも生きている。私も、酒浸りの父親とか、ギャンブル狂の兄とか居なくて良かった、本当に。

 恋愛はフィクションを見て「こうすれば好かれるのか」なんて解釈すると痛い目を見る。結局戦っているのは相手ではなく自分のエゴだということに気が付かなければ、いつまでたっても恋愛の土俵にはあがれない。

「死なないトンボ」の夢

 「食事にも集中して、味わって食べるようにしよう」と、テレビは環境動画だけにして食事するようにしている。そうしていると何か勿体ない時間の使い方をしているようで、自分が「食事」の優先順位を低くしていたことに気付かされる。そんな風にしていたら、「ながら」行動が難しくなってきた。ノートデコしながら動画を聞き流すのも両方に集中できないことに苛ついて、結局環境動画に切り替えたりする。そこで改めて、「自分はその必要が無いのに自ら失敗を引き起こしていたなあ」と気付く。

 このブログを長く読んで下さっている方なら知っているだろう。いつもありがとう。私が味噌汁を足にこぼして、中々消えない火傷に苦しんでいたことを。ガスコンロにうつむいた拍子に髪の毛が燃えた話はしたっけ? お風呂の扉に膝をぶつけて青あざがしばらく消えなかったこともあった。

 全て、「注意力散漫」が引き起こしている。その時していることに集中して、気を配って居れば全部避けられたことだった。何もない「普通」から問題を起こして、自分はそれで人生を楽しくするつもりだったのだろうか。
 行動に集中するようにするとやはり失敗は減っていく。変な失敗をしたら姪っ子に「おばちゃん"今に集中して生きよう"って言ってたくせに」と言われそうだし、母にも「そうやって説教してきたあんたが失敗してんの」と言われるのは必至。恥ずかしくて言えないような失敗はもう出来なくなってしまったのだ。そんなプレッシャーもあるから、今の所は順調に意識的に過ごすことが出来ている。
 そうすると、動画も今まで「ながら作業」で本数を多く視聴しようとしていたことに気付かされ、とても狭い範囲のタイムパフォーマンス、「効率」に振り回されていたことが分かる。そうしていると「面白さ」のハードルが下がって来る。今までなら波乱万丈で刺激の強いものでなければ面白くなかったのに、暮らしのスピードがゆっくりになって、些細なことにも喜びを見出そうとするようになる。これが毎日の「解像度が上がる」ということなのだろう。

 今朝方、夢を見た。男が変わった「トンボ」を見せる。このトンボは生命力が強くて、中々死なないんだ。話半分に聞いていた私だったが、注文していた木刀が届いた時に上段から振り下ろし、故意ではないがトンボを直撃してしまった。慌てて男にそのことを言うと、「大丈夫」と男。見るとトンボは傷つきながらもまだ生きている。男は「今学会で、これを食べたらこの生命力が手に入るんじゃないか」って研究が進んでるんだ、と言った。トンボを食べるなんて、と顔をしかめた私に「こいつは体を半分失ってもまだ再生するんだ。その位生命力があるんだよ」と言った。

 「夢占い トンボ」で検索してみたら、トンボは古来から「勝利を呼ぶ虫」として知られ、「幸運」の象徴だという。「傷つけても死なないトンボ」とは、「私が何をしても失われない幸運」ということになるので、ものすごい「吉夢」ではないだろうか。しかも「トンボを食べる」というのは「幸運を体に取り込む」ことになるので、更に素晴らしい意味になるらしい。
 「何かを殴る」のは、何かに対し疑いや不満を持っていることを示しているので、故意ではないにせよ「トンボを殴る」のは、私が「幸運」や「幸福の予感」を疑って不信の目を向けていることを示している。そうして傷つけてもトンボは生きている。私が今手にしているのは「不滅の幸運」ということになる。もうそろそろ自分のそれを、信じてもいいかもしれないよね。

細面の彼

 同じマンションの住人で、管理組合の集会に高頻度で出席してくれる「いつメン」のAさんは、顔も手足も細い小型犬を二頭飼っている。昨日散歩の途中のAさんに会って、最近の管理組合の動向を尋ねた。全期理事長は私だったが、今期の理事長がAさんで(3人位の"いつメン"で回している)、この所私は風邪だったり帰省だったりと集会に参加できないでいたからだ。
 話している途中で、怒号が聞こえて来た。自転車に乗った女性が先に通り過ぎ、その後ろから同じく自転車で追いかけるように男性が、大きな声で怒鳴っていた。
「この辺も物騒になりましたね」とAさん。聞くと先日Aさんも、散歩中に犬が吠えてしまって、それが気に食わないと犬に向かって怒鳴って来た人が居たのだという。
 それを聞いて私が、足元の細面の黒い犬に、「犬に向かって怒鳴ったってどうしようもないのにねえ」と話しかけると、その犬は私の目をじっと見て、まるでAさんが自分たちのことを言っていることも、私が言っていることも全部分かっているような目で、私を見ていた。
「それじゃこれからもよろしくお願いします」とお互いに挨拶しあって別れて、私も買い物に向かう。「利発な目をしたワンちゃんだったなあ」と思い返した。本当に全部、言っていることも分かっているのかもしれない。

 同じマンションなので散歩中のAさんにはよく会うけれど、毎回私も吠えられる。今回のアイコンタクトで彼らに「あの人、良い人」認定されていると嬉しい。

望んだものを手にしている

 カズレーザーが「自己肯定感の高い人のやり過ごし方について」を問われてこう言っていた。「自己肯定感が高い人って最強なんですよ。…"幸せそうだなあ"って放っておけばいいんじゃないですか」(【自己肯定感が高い人が苦手です#Shorts】。

 どんなに悪意を持った相手に対しても「ありがとう作戦」を展開していけばその内その人は関わって来なくなる。どんな攻撃も喜ばれるだけ、感謝されて相手の養分になるだけだからだ。そしてそのうちカズレーザーの言うように「"幸せそうでいいよね”」と、放っておかれるようになる。
 人と揉めることが多い、不愉快なことをされたらやりこめずにいられない、いざとなったら裁判で戦ってもいい、と常に揉めているような人は、そんな自己肯定感の高い人になるのが、揉め事から解放される一番の方法だ。けれど、そういう人はこう考える。「それはそれで寂しい」と。

 そこで気付かなければならないことは、その人自身が「揉めることを楽しんでいる」ということだ。嫌われたり、批判されたりしても「無関心よりずっといい」と思っている。なぜなら自分がただ毎日を淡々と過ごしているだけではその人は「生きている実感」を持てないからだ。揉め事でもいい、相手の視界に入ることが出来れば嬉しい。それが世界と関わる唯一の方法だと思っている。そのためにいつまでも「自分は辛い経験をした被害者だから世界を責める権利がある」と「被害者」をアイデンティティにする人もいるし、「被害者の代弁者」をアイデンティティにしている人もいる。無関心でいられるよりずっとそれが楽しいのだから、「自分はそんな関わり方を楽しんでるんだ」と認識してみよう。

 そんな人から見れば、自己肯定感を高くして人から放っておかれるのはむしろ恐ろしいに違いない。肯定感の低い者同士で集まって、時に尊敬されたり時に揉めたり時に裁判で争ったりする。そんな人生の方が楽しい、生きてるって感じがする、と思っているのだから。だから自分が人間関係で揉めがちなら、「類は友を呼ぶの法則」で同じような楽しみ方をしている人が周囲に集まっているというだけで、何も不思議なことがない。皆自分が「生きている実感」を持つための行動を取っている。そして当然自己肯定感の高い人とは交友が途切れていく。高い人から見れば「なんであんなに揉めないといけないのかな」と理解が出来ない。

 私も母親が自己肯定感の低い人だから、そういう人を間近に見ているだけにそういう人につい関わってしまう。けれど彼らの問題を私が解決できるということはどんなことをしてもあり得ず、結局本人が気づいて自ら変わろうとしない限り何も変わらない。母は私に「もっと頻繁に帰ってきて欲しい」と考えている。「自分がそうやって他人に自分を犠牲にして尽くしてきたんだから、他人もそうであるべき」と思っている。けれど私が自分で自分を楽しませることを蔑ろにして母親に尽くすようになったら、そのうち私は母親を憎むようになるだろう。優しくすることができなくなる。自分では動かず人に動くことを期待し、一番言い易い私に「言葉にしなくても察して私の望みを叶えなさいよ」と言ってくるその「甘え」を許せなくなる。濡れた毛布のように重い「依存」で”息が詰まる”と感じるようになるだろう。だからある程度の距離をとらずにいられないし、その中で出来る範囲の関わり方しか出来ないと思っている。

 人は結局の所、「類友」の相手と親しむようになっている。周囲の人間と揉めてることが多くて「周りには嫌なやつばかりだ」と思う人は、自分がそうした人の「類友」で、揉めるのが嫌だと思いながら、「でも無関心はもっと嫌だ」と思ってはいないか振り返ってみよう。もしもそうなら、その人は自身の望んだ人間関係の中にいることになるのだから。 
プロフィール

monodream

Author:monodream
関東在住。家電を活用して健康美人になれないかなあ。スイッチ1つでおいしい料理を作ってくれて起きたら部屋が見違えるように綺麗になってないかなあ。そんな夢を叶える家電を購入して使ってみたドキュメントです。家電の力で現代の魔女になりたい。

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