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いやな奴にこそ

 何だか見下されているような気がする嫌なやつにこそ、開口一番「ありがとう」と言ってみよう。メールでやりとりしているなら筆頭に、「先日はありがとうございました」と前に嫌な思いをさせられた時のことの礼を書いてみよう。「色んな考え方に触れることが出来て、日々勉強させてもらっています」と。

 振られるのが怖くて、声を掛けることが出来ない人にこそ、「ありがとう」の先制攻撃をかけよう。挨拶もせずメール筆頭の文章に、「ありがとう」と書いて、2,3行改行して「僕の前に現れてくれて」と続けてみよう。「どこに誘ったらいいだろう」とか、「彼女の好物は何だろう」とかそんなのはどうでも良いんだ。まずは自分に届くように「ありがとう」と言えば、自分の全てが温かい波動に包まれる。自分の全てを許容できる。その上で、本題に入ればいい。

 憎くてどうしようもない人が居たら、日記を開いて、「ありがとう、〇〇(クズの名)」と書こう。「貴方がク〇で〇ズなおかげで、とても苦労させられた。でもだからこそ振り返ったら、人生が印象深い退屈しない、面白いものになった。そういうク〇がいるんだってことを学ぶことができた。ありがとう」と。そうして貴方は気付く。「○○は私の人生を面白くしてくれるキャストの一人だったんだな」と。

 これが言った方も言われた方も丸ごと幸せにする「ありがとうマウンティング」だ。

死ぬこと、生きること

 「死」とは何だろうか。それは「体を失う」ということだ。体があるからこそ出来ていたこと、足を使って歩く、口を使って話す、食べる、消化する、排出する、目で見る、手で触る、耳で聞く、匂いを嗅ぐ、etc.。これら全てのことが出来なくなる。そして「老いる」とはどういうことか。体を介して「感じる」感度が下がっていくということだ。緩慢に少しずつ体を失って行っているということになる。そこから考えよう。では「生きている」とはどういうことか? この「体で世界を味わえる」ということだ。

 足で地面を掴んで歩く。雪国では雪が降るから、足場が悪くて冬の間は歩くだけで緊張しなければならなかった。だから春は嬉しかった。軽い靴を履いて、雪もない固い地面を歩く。足の下が安定していることの安心感。
 息を吸う。吐く。季節の匂いを感じる。音楽を聴く。こんなの好き。雰囲気が良い。お茶の香り。クッキー。漫画を読む。別世界に旅する。熱中しすぎて目が疲れる。ヘッドスパをするとすっきりして、また目が元気になる。
 旅に出る。温泉に浸かる。思いっきりため息を吐く。風呂上りにビールをいただく。山海の珍味とともに。晴れたら絶景を撮影し、雨なら雨で灰色にけぶる朝日を眺める。マッサージチェアに体を預けて、「くぅー」とうなる。
 帰って荷ほどきもそこここに、慣れたベッドにもぐりこんで寝る。家っていいなあ。自分のベッドって最高だなあ。起きたらスッキリ、食事の準備。ご馳走を食べて来たから今日は粗食で。お湯掛けごはんに漬物で。
 病気してなくて良かった。健康だから旅行に行けて、帰って「家って良いなあ」と思える。朝、どこも痛い所もなく目覚めて、「スイカ食べようかな」と思える。スイカに塩を掛けるのは子供の頃には「塩なんていらない」と思っていたけど、今は「こんな食べ方気付いた人すごいな」と思う。最高に美味い。

 生きていること。健康なこと。ものを美味しく食べられて、好きな所に行って、そこそこ不自由なく物を見られて、好きな音楽を聴き、匂いも分かる。良かった。ありがとう体。ありがとう自分。今日も一緒に「今」を味わっていこうね。

「ありがとう作戦」の全貌

 母たち姉妹の「うつ傾向」に隠されているものは「自信のなさ」だ。そしてそれは、D男とその父の問題でもあり、現代で「傷つくのが怖いから好きな人を誘うなんて無理」と膝を抱えているウジウジ君の問題でもあり、「成功しなければ人生に意味はない」とばかりに闇雲に自分を駆り立てている「成功教」信者の問題でもあり、「どんなことをしても金をかき集めた人が偉い」と思っている「拝金教」信者の問題でもある。

 逆に「自信がある」というのは、「何かを達成しなくても、何もしていない自分でいても、その自分を受け入れていて特に不足を感じない」状態だ。「自信がない」人は常に、何もしていない自分を否定し卑下し続ける。彼らは何かしらの条件達成を自分に課し、それを達成した時に初めて「自信を持っていい」と自分に許可が出せると思っている。しかしいくら達成しても、何かしらの問題を見つけて完全に自分を受け入れない。「まだ足りない」「まだ〇〇した方が」と言い続け、自分を否定し続ける。それが「向上心」だと思っている。

 彼らには「自信を持つ」ことがとても難しい、ハードルが高いことに思える。そんな「難題」をいともたやすく解決する言葉がある。それはまるで魔法のように即効性があり、あっと言う間に彼らの世界を180度違うものに変える。その言葉が「ありがとう」だ。

 朝起きて体を起こしたら、「今日も目覚めて体を起こせた。ありがとう」と心中呟く。床に足を下して洗面所に行ったなら、「床も災害で壊れてもいないし、足も痛い所もなく動かせている、ありがとう」と呟く。食事をしたらその味に集中して、「コロナだったら後遺症が残って味が分からなくなってたかもしれない。美味しく食べられる、ありがとう」。Youtubeで興味のある動画を見つけたら、「前から考えていた疑問にぴったりの動画が出て来た、ありがとう」。買い物に行ってレジの人がマイバッグに詰めてくれたら「ありがとう」。ありとあらゆる局面を捉えて「ありがとう」と言ってみる。その時、どういうことが自分に起きているか分かるだろうか?

 「ありがとう」と言う言葉を自分が誰かに言っている時も、その言葉を聞いているのは自分自身だ。そして自分の「心と体」が、「私達に気付いてくれた、嬉しい」と喜ぶ。松島旅行で日の出の場所を教えた時、眼鏡女性が感激した様子で「わあー、有難うございます」と言ってくれた。その時の、むず痒いような照れくさいような、何とも温かい気持ち。それは「気付いているよ。受け入れているよ」という大きな「愛」の波動に包まれた瞬間だ。

 嫌なことを言ってくる人にもあえて、「指摘してくれてありがとう」と言ってみよう。その時、「そんな意地悪を言ってくる人まで私は包み込んでしまう器の大きさがある」と自分は気付き、相手は「意地悪を言った相手に受け入れられた」ことで嬉しいやら気恥ずかしいやら、といった気分になる。そして後から、「ま、まああの人は中々だと思いますよ」なんて評価を180度変えたりする。
 「意地悪を言われて"有難う"なんて言えるわけない」「そんなの相手に媚びているだけ」と思うかもしれない。けれど「ありがとう」を聞いた自分の心と体は喜び、相手は内心こう思う。「ああ、この人は俺のレベルから遥か上に行ってしまった」。ケンカしている内は対等で、同じ土俵に立って同じレベルだ。けれどじゃんけんでパーがグーに勝利するのは、パーがグーを包み込めるから。包み込まれた時、同じ土俵で戦える相手ではなくなったことを相手は感じるだろう。これが本当の「マウント」だ。相手を論破したりやりこめているうちは両者同レベル。相手が「目くそ」なら君は「鼻くそ」にすぎない。大きな「ありがとう」で包んでしまえばいい。器が違う。レベルが違う。そんな最強の「マウント」を皆が取り出したら、世界は確実に素晴らしいものになる。

 何を達成しなくても、金を一銭も稼いでいないプーさんだとしても。寝床があり、食べることが出来て、ネットまで使える。そのこと全てに改めて感謝してみる。その時、それまで「〇〇じゃない俺はなんてダメなやつだ」とずっと否定して来た自分の心と体を大きな「愛」が包み込み、受け入れる。今この場に自分がいること、ただそれだけで「ありがたい」と気付くのだ。

 やってみよう、「ありがとう作戦」。そしてそれまで、どれほど自分を否定し、蔑ろにし、貶めて来たかに気付こう。そんなにしてきたのにずっと文句も言わずに従ってきた体と心に気付いて、「ありがとう」と伝えよう。「自信を持つ」なんて簡単なことだ。「ありがとう」と口に出す時、誰もが魔法使いになる。

ストレスと認知症

 Dr.石黒がストレスと認知症について語っている動画を見た(身近に潜む『隠れストレス』が認知症を引き起こす!対策と予防は?)。これによると、運動や瞑想など、どんなに「認知症予防に有効」といったことをしていても、慢性的なストレスがその効果を全部台無しにしてしまうという。この「ストレス」がもたらす影響を考える時、治療する側も患者がどのようなストレスにさらされてきたのかを探る必要があるだろう、とDrは言った。

 叔母の場合、叔父が料理から何から、家事を一切させなかったという話を聞いている。その裏にあったものが「実家から援助を受けている」という叔父自身の情けなさを誤魔化すために、叔母を「自分の下に居るもの」として位置づけ、叔母に家事をさせないことで「この家では何の役にも立っていない」という「無価値観」を与えていた。それが慢性的なストレスになっていたのではないだろうか。

 こうした「自己卑下」は今でも主婦には多くあるのではないだろうか。年を取って働くことも出来なくなれば更に強くなる。けれどそれは「無理をしても働きに出る」ことが解決策なんじゃなくて、「役に立たない自分はダメだ」と本人が自分の価値を否定していることに気が付く必要がある。
 「役に立たなければダメだ」とか、「金を稼がないとダメだ」とか、「成功しないとダメだ」とか、「結婚しないとダメだ」とか、そんなことを言ってくるのは本人のエゴであって、エゴは「自分」ではないし、自分でないものに自分の価値を決める権利を与えてはいけない。赤ん坊には何もない。人の世話にならないと生きていけない弱者だし、誰かの役に立つことも金を稼ぐこともできない。それでも人は生まれただけで喜ぶ。もともと「命」とはそういうものだ。生きているだけで価値があるものなのだ。

 D男は叔母の問題を「〇〇家の問題」と思っているが、そうじゃない。私の母の問題でもあるし、叔母の妹のS子叔母の問題でもあるし、彼らと同じく「ストレス」に悩む私を含めた現代人全ての問題でもあるのだ。

 叔母はホームで「帰りたい」と何度も訴えた。叔母が求めていたのは「心の居場所」であり、それは「私を分かってください」「私の心に歩み寄ってください」という意味だった。ホームでも仕事だから、いちいち入所者に親身になっていられないということもあるだろう。それでも、「”帰りたい”なんて言われても、あんた家人に見捨てられたからここに来てるんでしょ」なんて心中思い、「万一脱走されて探しに出るなんてことになったら最悪」なんて考えから、帰宅願望を抑えつけるために投薬までする。彼女が求めているのはそんな難しいことじゃない。あなた方に「息子に引き取ってくれるよう説得したり、引き取れる環境を整えてくれ」なんて言ってるんじゃないんだよ。「ここじゃ落ち着かない? どうしたらリラックスできるようになるかな?」と気持ちに寄り添おうとしてくれる「姿勢」を見せてくれることなんだよ。

 現代では「6人に1人」の割合で認知症になるそうだ。そしてその割合はすぐに「4人に1人になるだろう」とDr.石黒は言っている。この病は特別なものじゃなく、私達が普段感じている「モヤモヤ」がもたらすものだ。家人のために無理して承諾してホームに入って、そこで「大人しくないから」と言って投薬で大人しくさせられる。そんな未来、誰も望んでいないよね。

 私が叔母のことに一生懸命になるのを見て、「なんで子供でもない姪がそんなに一生懸命やってんの」なんて言う人もいるかもしれない。もし叔母が私の母なら、そんな病気を引き起こさせはしなかった。「なんか悩んでるな」と思ったら原因を考えて、自分自身を「私って捨てたもんじゃない」と思えるように声をかけていっただろう。母だって父の死前後は相当おかしかった。「聞こえ」が悪くなったことで外部刺激が減って、今もいつ「認知症」と診断されるかは予断を許さない。そしてすぐに「うつ」っぽくなってしまう母だからこそ、こちらも明るくなれるように接し続けて来た。私から見てれば「D男は一体何やってんだ」と思うし、「出来ることなんて沢山あるだろう」と思わずにいられない。
 相手の心に近づいて寄り添おうとすれば必ずこちらの思いが届く。それは難しいことでも何でもなくて、対等な友人のように行先で葉書を出したり、会いに行ったり、ドライブに連れ出したりすることで「気にかけてるよ」と言うことが伝わればそれでいいのだ。

 そして私が叔母に接して考えたこと、感じたことの一部始終をこうして「書き記す」ことで、多くの人が「認知症」を自分事として捉えて、「ストレス」や「うつ」について見直すきっかけになればいいと思う。何より大切なのは「生きているだけで価値がある」と、誰もが気付くことだ。

自分へ素敵なプレゼントを

 誕生日が近づいてきたので、自分に素敵なプレゼントをしてあげたいところ。しかし問題はこの暑さ。去年のように西伊豆や熱海に出かけたら、移動だけで暑さにやられて、更に宿泊地では虫に悩む可能性も。これほど暑いと3時間越えの移動とか考えるだけでゲンナリする。熱海では駅からホテルまでのバスが暑くて湿気がひどくて気持ちが悪かった。花火は去年満喫したので他の楽しみが欲しい。
 船旅に憧れがあるので、クルーズ付きのホテルを見てみた。近場のクルーズ船が出ているホテルは温泉も無いくせにべらぼうに高い。やっぱ温泉欲しいんだよね。私の中でホテルの価値は「温泉と食事で決まる」って思っている節がある。

 都会の「運び湯」の温泉付きホテルなんて行ったら「じゃあ最初から湯元の温泉に行けよ」って思うし。温泉無しの都会ホテルは何だか高い金を払うと損したみたいな気分になるし。あー誕生日がもう少し涼しい時期だったらな。温泉って涼しい方がやっぱり良いんだよね。前に7月の旅行で、暑い中電車を待ってて気持ち悪くなったことを思い出すなあ。いっそ新幹線使って北上しちゃう? きっぱり交通費かけて納得いく温泉に浸かって来ちゃう? 完全に目先を変えて、アフターヌーンティーを楽しむだけとか? 食事だけ楽しむとか? 完全観光で前から行きたかった所に行くとか? 

家と経済問題

 D男に、「叔母さんが探しているのは現実の場所じゃなく、”心の居場所”だと思う」と言ったら、D男からは「○○(D男の苗字)家のことをそんなに考えてくれてありがとう」とのメール。続くやりとりで「認知症は身内が一人で背負うには重い病気だから、複数の人で重荷を分け合って行こう」と提案した所、D男からは「〇〇家の長男として自分なりに考えているので温かく見守って下さい」との返答。

 何だろう、この”〇〇家”の連呼ぶり。メールには、「全て話せていませんが、○○家の事情もあります」との文章も。この”〇〇家”は既に亡くなった父親の実家や親戚筋のことを示しているかもしれない。

 兼ねて不審だったことがある。47歳になるD男は定職についていない。自分の生活費、母親のホーム代はどう捻出しているのだろうか。叔母も働いていた時期があったし、自分の年金や、亡くなった叔父さんの遺族年金があるのでは?という話を母としていたが、果たしてそうだろうか。
 それに加えて、叔母さんに見られる「自信のなさ」。認知症を発症した大きなストレスは彼女自身の「無価値観」ではないかと感じていた。そして叔父さんも生前は職を転々としていて、長く定職についたことがない。この二つを合わせて考えると、叔父さんは実家から資金援助を受けていたのではないだろうか。そしてその金を独り占めして叔母さんに渡さず、奴隷のような状態にして叔母さんを貶めていたのではないか。そしてその資金援助は今も続いていて、D男の生活費、叔母さんのホーム代と、全てが叔父さんの実家側で賄われていて、D男は〇〇家に依存した状態になっているのではないか。

 そう考えると全てが辻褄が合う。私はネットに詳しいことを端々で見せるD男だから、「ネット経由で副業したり、投資をしたり、色んな手法で自立しているのだろう」と考えていた。けれど彼自身のメンタルの弱さ、母親にも直接向き合うことのできない姿勢は、彼自身の「自信のなさ」を示している。それは自分が未だに経済的自立を果たしていないことに対する「負い目」から来ているのではないか。

 これが事実だとしたら、早い時期にその「歪み」を壊して欲しかった。叔父さんに貶められながら叔母さんは、「自分も年を取ってしまったし、今更離れることもできない」と、しがみついているしかなかったのだろう。その長年のストレスが「認知症」となって本人に返って来た。「歪み」は必ず跳ね返って来る。
 だとすれば、もしも叔母さんを引き取るとなるとホーム代などは完全こちら持ちになる可能性がある。短い期間でも働いていた時期があったのだから、今からでも受け取れる年金などはあるかもしれないが、全ての手続きは遅いかもしれない。この「〇〇家からの経済的自立」が、叔母さんの課題の「ラスボス」だろうか。

 女性にとってパートナー選びはものすごく大事だな。叔父さん、何してくれちゃってんのよ。

叔母の4回目の見舞い3

 兄宅に戻ると母、義姉、私の3人で焼肉を食べに行った。兄は風邪らしく寝込んでいて、義姉がかいがいしくお粥を用意してあげていた。私は先日ひどい風邪でダウンしたばかりなので、貰わないように極力接触を避ける。
 その夜はいつものように、母の隣に布団を敷いて寝たが、これまたいつものように母が「眠れない」とテレビを見出したり(しかも音量が大きい)、話しかけたりしてきて、3時間位寝た所で起こされた。その後寝る素振りのない母に、「いっそもう起きよう」と提案し、今日の写真をインスピックでプリント。それを持参してきた葉書に貼り付け、T美叔母さん宛の葉書を仕立てた。「文字が綺麗に書けない」とか「お前が書いて」とか言う母に、「一言で良いから」と書かせる。一発勝負は不安なので、練習もさせた。
 ノってきたので、T美叔母の妹であるS子叔母にも同じ写真を貼って葉書を仕立てた。そこにも母に一言書かせる。部分的に間違ったが塗りつぶして誤魔化す。高齢者にはよくあることだ。
 そんな風に両者あまり眠れないまま朝を迎え、私も今回は旅行計画を入れてなかったので、デイサービスに行く母より少し先に兄宅を離れて駅に向かった。そして「はやぶさ」に乗り、一路東京へ。東京駅に着いた途端、ものすごい熱風に吹かれた。持ってきたハンディファンも何の役にも立たない。ぬるい空気をどこまで攪拌してもぬるいままだ。ようやく家に帰りつくと、エアコンを入れて涼む。何にせよ今回は「やり切った」。手紙に書いたこちらの意図は叔母に十分伝わった気がする。「家に帰りたい」と言うならいくらでも連れて行こう。だから自分の心を「そんなこと思ってはいけない」なんて「心の居場所」を奪わないであげてほしい。
 こうして「叔母の4回目の見舞い」は「太陽」カードの意味するように上々の形で終わったように思われた。しかし、本当の問題がゆっくりと露わになったのだ。

 ひと眠りして起きた所に、D男からのメールが届いていた。私が6月に送った写真と手紙を今受け取ったこと、今日母を家に連れてきてくれてありがとう、というお礼だった。彼のメールにはホームからの6月報告書が添付されていて、それによると「日中から帰宅願望が強く、出口を探して落ち着かない。その旨をドクターに相談し「リスペリドン」を処方され、服用後は落ち着いています」とある。
 6月に行った時、「ホームにしたら私達が叔母さんを元気づけると、”逃げ出そうとするから困る”って思っているのかも」と感じた。その感触は間違いじゃなかった。叔母の「帰宅願望」を抑えるために薬まで使っていたとは。
 「リスペリドン」を検索すると、副作用に「排尿困難、便秘、手足の震え」などがある。担当者に聞いた叔母の問題として挙げていたことばかりだ。その問題を解決するためにスタッフさんは苦労しているはずなのに、スタッフが飲ませている薬が症状を増悪させているのではないのか? 担当者は薬の副作用を知らないのか?
 D男は”「帰りたい」という母を想像するだけで可哀想で、いっそ症状が進んで何も分からなくなる方が幸せなのかなと思ったりします”と書いている。何なんだこいつは。どこまで弱いやつなんだ。

 私はD男に”向き合うのが辛いからと、腫れ物に触るような扱いをしているように見えますよ”と言った。叔母さんは話せばこちらの意図をきちんと理解しているし、完全に引き取れないことも説明すれば分かる。だからその分、”車に乗せて何度でも家に連れて行ってあげる”と言えば、叔母さんの気持ちもすむんじゃないか。
 4月の時点で、叔母さんは横にならずにいられない状態で、D男が話しかけても反応が鈍かった。「このまま死ぬんじゃないか」とD男は恐れたからこそ、私に「会いに来てくれるだけで嬉しい」と言っていた。「帰りたい」と望む気持ちを、息子もスタッフも一丸となって抑えつけるばかりでは、絶望して生きる気力を無くしてしまう。そしたらすぐに寝た切りになって、死んでしまうんじゃないのか、と。
 D男宛のメールを書いた後で、私は叔母の「リスペリドン投与」をこのまま続けさせていていいのだろうか、と考えた。しかし毎月見てきて、明らかに投与が始まった6月から叔母の様子はおかしくなっていた。しかしホームにも方針があるだろうし、子供でもない単なる姪が言うようなことではないのかもしれないし、と一日悩んだ。
 一日悩んで結論を出した。叔母が「帰りたい」と言うなら「monoさんが連れて行ってくれますよ」と言ってくれ。「いつなの」と聞いてきたら「〇月×日」と具体的日付を言って欲しい。だから薬の投与は見直して欲しい、とホームの担当者あてに手紙を書いた。
 大体自分達も「問題」として取り組んでいる症状に、症状を増悪させるような副作用を持つ薬を服用させていては何の解決にもならないではないか。「帰宅願望」を抑えるためだけに、病状悪化を進めかねない薬を使うなんて、「手間かけさせるな」と言っているのと同じだ。手紙を詰めてレターパックに入れ、投函した。

 母は、「T美を引き取りたいって思っていたけど、トイレの問題があるようだと難しい」なんて言って、最近は腰が引けている。しかし今日のドライブでも「いつでも家に来ればいい」なんて言っていた。私は知っている。母は人に「器の大きい人」に見られたいのだ。しかしもう、叔母さんは本気にしているかもしれない。逃げ腰になっている場合じゃないよ、お母さん。そしてそれは私もだ。

叔母の4回目の見舞い2

 手紙を受け取ると叔母は、文面を黙読した。その様子は、書いていることも読めているし、理解しているように見えた。A4用紙に大き目のフォントで書いた2枚の手紙を読み終わったのを見計らって、「叔母さん、80歳の誕生日おめでとう」と言った。
「80歳って、嘘だよお~」と叔母が笑う。
「何でも機会を捉えて、”ありがとう”って言ってみて。手紙の提案をやってみてね」と私が言う。「それを聞いた心と体が喜んで、どこにいてもリラックスできるようになるから」
「手紙でも"叔母さん"っていうのやめて欲しいわ」と叔母。
「姉の娘だから”叔母さん"で正解じゃないの」と母が言うと、「私今19歳だから」とのこと。
 音もなく何かがテーブルの横に来て、それが品物を運ぶロボットだったことには驚いた。配膳ロボットがこんな田舎のファミレスに既に配備されていたとは。注文もタッチパネルで、配膳もロボ。回転寿司の完全無人システムがファミレスにも及んでいた。でも無言で持ってくるんじゃなくて、"お待たせいたしました"くらい言って欲しいなあ。
 運ばれてきたバナナパフェを見て、義姉が叔母のバナナを細かく砕いてくれた。食べ始めた叔母さんを見ていると、指が震えて口元からも食べこぼしたりしている。隣の母に「お母さん、叔母さん何か膝に落としたよ」と言うと、「大丈夫」と母。何と知らぬ間にハンカチを叔母の膝にひいてくれていた。Good Jobだよお母さん!
 しかしこちらは喉に詰まらせないか、こぼさないか、予想外の出来事が起きはしないかと、叔母さんに注目している間、隣の母は「ありゃこれ美味しい。バナナも入って。豪華じゃないの、ねえ美味しいね」と、叔母さんには全く構わず我先に食べていく。その能天気な傍若無人ぶりに、「逆にこのくらいでいいのかな」と思った。じっと見られすぎるのも緊張するかもしれないし。
 私も生クリームの乗った固めのプリン、義姉は「ふわふわかき氷」を食べる。何はともあれ、「美味しい」と感じてくれていることが嬉しかった。
 叔母へのプレゼントとして手紙の他に、「ふせんブック」と、私がこの間行った「松島旅行記」を用意していた。フセンブックの方は以前叔母に手紙を送った時に同封したものを、枕元で見ていたのを知っていたから。ひょっとして今19歳のT美ちゃんにはこんな「可愛い雑貨」が嬉しいのかも、と思ってもう一つあったのを持ってきたのだ。そして松島旅行記を見せるとその場で叔母は読もうとし始めたので、「これはホームに戻ったらスタッフさんに渡すから、後から読んでね」と伝える。その様子からも叔母は文章をしっかり理解していて、楽しみにしているということが伺えた。
 叔母に手を貸しながら店を出ると母が、またしても「どこ行きたい? やっぱり家か?」と尋ねる。「だから今回おうちの住所、持ってこなかったんだって」と伝えるも、母が「こんなに行きたがってるんだから連れて行こう」と言う。「叔母さん、住所分かる?」と聞くと、叔母さんが住所を言って来た。
 その住所をナビに入れて、義姉がナビに従って車を運転。「その住所だとこの辺なんだけど」と義姉が言うが、母も叔母も「こんな川沿いじゃないよ」と言う。あちこち小道に入ってみて、「ここだと番地が変わってきちゃうし」とか言いながらぐるぐる迷っていた。「D男が家を売り払ったんじゃないの」と私が茶化し、「親放って日本一周してるくらいだしな」と母が笑う。そこで気が付いた。
「あたし、住所持って来てるかも」
 そうだよ、インスピックを入れたポーチの中に、葉書とか葉書作成に必要になるから住所一覧も持って来ていなかったか?
 インスピックを入れたポーチは持って来ていた。そこを探るとありました、住所録! 「D男の住所だから、〇番地じゃなくて×番地だ」と義姉に伝える。叔母が答えた番地は一つずれていたのだ。しかしその先は合致していて、ちょっと惜しかった。
 新たにナビに住所を入れて、それに従って進むと遂に叔母さんの自宅にたどり着く。けれどどの道D男が居ないのだから、「見るだけにしよう」と言った矢先に母が下りた。つられるように叔母が下りる。もう誰か、母を何とかしてくれ!
 案の定玄関には鍵がかかっている。母と叔母さんは庭に入って行って、辺りを見回していた。明らかに叔母さんの表情がリラックスしていた。深い呼吸がようやく出来た、そんな感じだった。
 庭に置いてあった踏み台に腰掛けて、母と叔母さんの写真を撮った。「どうだ、変わったか」と尋ねる母に「何も変わってない」と叔母さん。
「来て良かったな。さっぱりしたろ」
「うん、良かった。さっぱりした」
 庭をぐるりと回って、気がすんだのか叔母さんが車に戻る。母の無茶ぶりに焦ったけれど、結果的には「良かったな」と思った。叔母さんが一番来たい所に来れたのだから。
 車に乗って家を離れ、ホームに戻った。スタッフさんに帰所を告げると、「夕食が16時になってるんですけど食べて来ましたか」と聞かれた。「いや、スイーツだけです」と報告。バナナパフェを食べて、バナナは細かくして与えたこと、預かった尿パッドは使用しなかったことなどを伝える。
「夕食は16時になってるんで、その前に戻してくださいね」と言われたが、最初から時間は伝えてあったのだからその時点で言って欲しかった所だ。「次回からそうなるように気を付けますね」と答え、T美叔母さんを返す。何だか、あまりにも叔母さんを「何もできない人」のように扱っている印象を受けた。
 車に戻った所で義姉が、「お母さん、杖どうした?」と聞いた。確かにいつもついているピンクの杖をついていない。
「え、あれっ。無い」と母が慌てる。私がホームの玄関先に戻って確認するも、杖は無い。
「さっきのココスに忘れてきたのかも」と母が言うので、調べてココスに電話してみた。すると、「そのテーブルに杖は見当たらない」とのこと。ココスに無ければ、その後に立ち寄ったのは叔母さんの家だ。そこでさっき撮影した写真を見てみると、写真でも母は杖を持っていなかった。
「お母さん、杖をついて写真に写りたくないからってここで杖を離したんじゃないの」と聞く。どちらにしてもココスと叔母さんの家しか行っていないのだから、叔母さんの家に忘れた可能性が高い。
 急遽叔母さんの家に戻りながら、思わず笑ってしまう。「もう、何かしら起きるね」
「”終わりよければすべてよし”とは中々行かないもんだね」と義姉も笑った。
 叔母さんの家に戻って庭に行くと、あっさり母の杖が見つかった。「あったよお母さん」と声を掛けると、室内から「あれっ、どうしたの」と声。何と日本一周旅行に出ていたD男が帰宅していた。
 さっき叔母さんを家に連れて来たんだよ、とD男に伝える。車に戻ろうとする私達に、D男は玄関先に来てくれて「家には来ないって言ってなかった?」と聞くので、「やっぱり一番来たい所がここだったみたいで、来ない訳にはいかなかったんだ」と伝えた。「でも、叔母さんは十分事情は分かっているし、見るだけでも来たいと思ったんじゃないかな。度々連れてきてあげれば、それだけで気がすむと思うよ」と話す。
 そしてD男にも別れを告げ、母は愛用の杖を取り戻して、ようやく皆で兄宅に帰った。車の中で、「いやでも今回は叔母さんが嬉しそうで良かったよね」「お母さんが最後に杖を忘れたのも、”D男とやりとりしなさい”っていうめぐり合わせだよね」と言い合い、皆「やり切った」という充実感に包まれていた。

負の側面を伝えない

 この動画を見た。「【お金のニュース】ふるさと納税、ポイント付与が禁止に?最新事情3点について解説【リベ大公式切り抜き】
 ふるさと納税は確かに節税効果が高いものだが、その「節税分」はふるさと納税をした人の足元の自治体の運営費を食っている。私の住む市でもその件で苦しんでいて、電車に「知ってください、ふるさと納税の問題点」といった広告を出していた。もしも税収不足で自治体のごみ収集の回数が減ったり取りやめになったりしたら、「ふるさと納税で節税できた」なんて言っている場合では無くなってしまう。

 同様なものに「NISA」がある。これは確かに資産作りに有効な手段だが、インフルエンサーに影響されて沢山の人がNISAを使って外国株を購入すればするほど、「円安」圧力となってNISAをしない人も巻き込んでの「物価高」をもたらす。”自分の「NISA」や外国株投資が隣人の首を絞めている”ことに気付いた時には、円安が進み過ぎていてもう、「インデックス投資をしないではすごせない状況」になっていた。

 私はリベラルアーツ大学の両学長を尊敬していた。彼の体験に基づいた知見はとても参考になるし勉強になった。けれども、「ふるさと納税」にしても「NISA」にしても「負の側面」を取り上げないことには疑問が残る。昔、税収不足で自治体が「ゴミ収集」をしなくなる漫画を読んだ。ゴミは部屋の中にどんどん溜まっていき、人の居場所が無くなっていく。そんなことを想像するだけでぞっとするが、税収不足で削られている細かいサービスは確かに存在しているのではないか。利用者自体が「知った上で」動画を見る必要があるのかもしれない。

カッコーの巣の上で

 ぞっとするような事実を知った。

 5月の見舞いの折、いい笑顔を見せて差し入れに「大好き」と好き嫌いも伝えてきて、写真にあれこれ質問していた叔母さんを見て、「体を起こしても居られなかった4月に比べて、随分良くなった」と感じた。けれど6月9日に行った時は、笑顔が消えて、会った瞬間に私たちを認識することもできず、体の横揺れがひどくなり、ホームに「閉じ込められている」と不満を持っている感じがした。

 6月の1日から、「リスペリドン」を飲まされていた。ホームスタッフがドクターに「帰宅願望が強く、毎日出口を探して落ち着かない」旨を相談した所、処方されたのだという。この情報はD男からの報告書で知った。その薬には患者を落ち着かせて大人しくさせる効能があるようだが、副作用として体のふるえ、排尿困難、便秘などがあげられている。

 もし、6月に行った時の「悪化してる」と受けた印象が、薬からくるものだったらどうだろう。副作用には「口周りのけいれん」などもある。この間行ったレストランではパフェをこぼしたり、涎を垂らしたりしていたが、それは薬のせいではないのか。スタッフさんは「足元がふらついているので気をつけてあげてください」と言っていたが、あんたらが飲ませた薬のせいじゃないの?

 映画「カッコーの巣の上で」の中で、ジャック・ニコルソン演じる暴れん坊の患者を大人しくさせるため「ロボトミー手術」が施され、彼は人が変わったように大人しくなる。それを思い出した。ホーム側の「手間かけさせないで」というメッセージ、そのためなら投薬も厭わない、その薬で病状が進行してもかまわない、そんな「囚人の看守」みたいな意図を感じる。このままあそこに叔母さんをおいといて良いんだろうか。
プロフィール

monodream

Author:monodream
関東在住。家電を活用して健康美人になれないかなあ。スイッチ1つでおいしい料理を作ってくれて起きたら部屋が見違えるように綺麗になってないかなあ。そんな夢を叶える家電を購入して使ってみたドキュメントです。家電の力で現代の魔女になりたい。

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