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Conversation

この考え方はバランスとれてていいなと思いつつ、「仕事が奪われるからAIが憎い」だけではないと思うので、そこを前提にしすぎないで考えていきたい。 自分の観測では、利害のロジックの前に「自分が神聖だと思っていたモノやコトを不気味なスタイルで模倣再現する、人間外知性体への生理的嫌悪感」が根底にあると思ってて、かつて「アジア人のような猿風の人間っぽい集団が、いつのまにか文明から盗み出して工業をしたり科学をしたりするのは不気味でおぞましい」という感覚が西洋にあったのと、いま生成AIに対して「無理」「キショい」という言葉で反発がなされるのはあまり変わらなく見える。どちらも建前では「雇用が奪われる、経済や生活が破壊される」が使われる(使われてきた)のも似てる。 この嫌悪感を緩和しないと「利害調整したから文句言うな」と捉えられかねず、「私たちの感情には寄り添ってない」と内心思われるだけで根本的な解決にはならない。 過去例を見るとアプローチのヒントは色々ありそう。 AIの受容促進を進めるには「気持ちに寄り添う」ことがもちろん大事だとみんな考えてると思う。そこはそうなんだけど、自分が言いたいのは、その感情を子供のような無知・無理解からの「恐怖」「困惑」だと思うと啓蒙主義じみた過ちのもとで、実際には理解した上での「アイデンティティの希少性と純潔性を傷つけられたときに発せられる不気味さ→生理的嫌悪感」では?ということ。ここを見誤らずに感情に向き合っていきたい。 x.com/KananK_AI/stat
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