第335号 「宴の後、その後」

 深谷隆司の言いたい放題 第335号
 「宴の後、その後」
 引退声明をした後、寂しさや空しさがあるのではないかと、なんとなく思っていた。しかし、それはほんのわずかなことで、一息つくと、重い荷物をちょっとおろしたような、不思議な安堵感があることに気づいた。
  昨日のことだが、親しくしていた福岡の御館田文雄氏の訃報が飛び込んできた。義理のおばが入院している小郡市の聖和記念病院の理事長で、私の叙勲の祝賀会にも夫婦で駆けつけてくれた方である。
  とりあえずお花は送ったが、確かまだ62歳の筈、あまりの突然のことで驚いたが、人生の儚さ、無常さを痛感した。
 それに比べて、引退したとはいえ、私は健康に恵まれていて元気一杯、それだけでも幸せな事だと思わずにはいられなかった。

 過日も書いたが、私の引退を残念がって色々な方から激励の便りや、お花が届く。旅行に招かれたり、会食会が開かれたり、結構、大忙しなのである。
 7日には政経塾塾生でジャズシンガーの森下恵子さんに熱心に招かれて、赤坂でのライブに家内と娘で出かけた。直前に、やはり塾生であった石垣島の中山市長から、偶然、電話があって、彼も同行することになった。
 なんと、そこでも、私の為のサプライズが用意されていた。歌の途中で私の政界引退を紹介し、授業で私が教えた愛国心について、熱っぽく話し出すのだ。そして、私が石原裕次郎と親しかったことを知っていて、急遽覚えた彼の歌「ブランデーグラス」を、ジャズ風にアレンジして歌ってくれたのである。
 勿論、私も挨拶に立ったが、石垣島市長にも語らせ、ジャズライブとは全く違う世界になったのである。40人を超えるお客も素直に拍手をしてくれた。胸が熱くなったものである。

 10日、6時からの日本橋産業協会での講演を終え、自民党政経塾に行くと、この日は一般コースで150人総出で満員の盛況であった。
 小田全広塾長代理の講義の後、私は、引退の思いやその後の動きを語り、最後に次のような漢詩で締めくくった。
 「丈夫(じょうふ)は、会(かなら)ず応(まさ)に知己あるべし、世上悠々、安(いずく)んぞ論ずるに足らんや」。
 誠の男は、いつか必ず自分の存在を認めてくれる人を得るものだ。だから、一時の運命や、つまらぬ噂などに惑わされずに、悠々と過ごせという意味である。今、まさに私は悠々の日々なのである。