第552回「久しぶり家族旅行」

 深谷隆司の言いたい放題第552回
 「久しぶり家族旅行」

 最初はグアムに行こうかと計画した。しかし、最近、海外旅行の機会が全くなく、そうなると何故か飛行機なども不安になって、急遽、国内旅行に変更することになった。
 ところが生憎お盆の時期、どこも旅館が空いていない。最後は松島の千葉秀樹さんに頼んで、ようやく、8月12日から2泊3日の青森の旅が実現した。 
 私にはどこにも親切な素敵な友人が居る、こんな幸せな有難いことはないと思った。
 朝8時20分、はやぶさ5号、グランクラスに乗る。今話題の最高級列車とあって、嫁小百合が朝5時に上野駅に並んでようやく手に入れた座席である。
 まるで飛行機のファーストクラスのような雰囲気だ。おまけに食事付き、フリードリンク、仕事でやむなく参加できない伜隆介を除いて、孫も勢揃いの一族11人、約3時間の新幹線の旅を満喫した。

 浅虫温泉椿館は、棟方志功ゆかりの宿、昭和16年ごろから家族でここに逗留し、数々の作品を書き残した。玄関を入ると正面に大きな作品が迎えてくれる。「万里水雲長慈航又何処」
 人生は果てしない大海原を漂うごときもので、どこへ行くかわからない、今日もまた菩薩の慈しみを信じて航(ゆく)のみである・・・。 その作風から一貫して宗教色が醸し出されているように感じる。
 私が一番感銘したのは、八甲田山の案内人、山の仙人と言われた人との交流だ。彼に「先生の絵は、自分の孫より下手だ」と言われ、その絵を見た志功は「それはいい、それは良い、孫のような絵が描きたい」と転げまわって涙を流したと言う。かのピカソが晩年、「子どものような絵が描けるようになった」と言ったと伝わっているが、そこに純粋さを尊ぶ共通した思いがあるように感じたものである。

 青森の海に出ると、孫が釣りをしたいと言う。私も初体験で挑んだが一匹も釣れない。釣り堀風の生簀がある、ここで釣れば代金を払って持って帰れると言う。ならばと要領を少し教わって釣り糸を垂れる。静かに巻き上げていくとなんと大変な手ごたえ、30センチを超える大きな「クロソイ」だ。一部では北海道の鯛とも呼ばれている。代金は1匹800円、市場では2000円もするという。私、小田全宏、それに孫の安希与、香瑠、麻紀、隆仁、隆元で、なんと6匹も釣って大漁だ。その夜の宴会の食卓を「ソイ」の刺身、焼き魚で飾った。

 翌日はチャーターしたバスで八甲田山越えだ。1902年1月23日、青森5連隊210名が、雪中訓練中、この八甲田山で遭難し、実に生存者わずか11名という悲劇が起きた。日清戦争に勝利して、次はロシア帝国と対立が激しくなり、予断許せぬ状況の中、いざという時に備えての雪中訓練であった。
 今、プーチン大統領の訪日を巡って、又、不穏な空気がある。歴史は繰り返すと言うが、そんなことにならぬよう、穏やかな森を越えながら秘かに願っていた。
 昼食は焼山の洒落た「森のホテル」だ。ここはなんと元は「かんぽの宿」、郵政大臣経験者としては複雑な思いではあった。
 午後は奥入瀬渓流の散策だ。ブナの林など自然の古木に囲まれた瀑布街道と呼ばれる千変万化の激しい流れが続く。大小の美しい滝、最後は銚子大滝という魚止めの滝を越えて、ようやく十和田湖に出た。
 いきなり潰れたホテルや土産屋が目立って驚かされる。かつては320万人を誇った観光客が、今は150万人に激減しているという。2008年に鳥インフルエンザで白鳥が死んだことで修学旅行が取り止めになったり、平泉が世界遺産になったことで観光コースから外れてしまったようだ。いずれにしても移ろいやすいは人の心、高村光太郎が作ったブロンズ像「乙女の像」もこころなしか寂しげであった。
 100年前は魚の住まぬ湖であった。和井内貞行氏が、苦難の末にヒメマスを養殖し、「吾幻の魚を見たり」と映画にもなった。もう一度十和田湖を生き返らす偉人は出ないのか・・・。立ち寄った店の応対があまりに優しく気配りの人達であっただけに、そう思った。

 最終日は青森駅付近で、まず「ねぶたの家ワ・ラッセ」見物、続いて青森県立美術館、特別史跡三内丸山遺跡を見て回った。
 正直に言って、美術館は常設の偉大な3枚のシャガール「舞台幕」以外はつまらなかった。特別展が「美少女の美術史」とかいって、江戸時代から現代までの少女を切り口にした作品が展示されているのだが、やたらアニメ、フィギュアが多く、この発想はロリコン親父ではないかと思ったほどであった。
 史跡はすばらしかった。平成4年から始まった発掘調査で、約5500年~4000年前の大規模な集落跡が見つかった。沢山の竪穴住居跡や掘立柱建物跡、墓、多量の石器、木製品、骨格製品などが出土し、出土品の1958点が重要文化財に指定されている。
 ボランティアの人の話を聞きながら、我々の祖先が、こんな時代に立派に生きていたと思うと身震いするような感動を覚えた。

 家内も、知美も、恵理も、この3日間、ずいぶん歩いたものだ。1日6000歩になるが、一向に疲れを見せない。楽しい時は疲れないのか。
 青森の人は何処でも親切で優しかった。椿館の社長も、バスガイドさんも運転手さんも、素朴で人柄が良かった。宿や立ち寄った店の料理は、まさに山海の珍味揃いで美味しかった。なによりも酒が美味い。随分飲み続けたものだ。

 17時22分、青森を離れた。夕食は新幹線の中での駅弁だ。周囲に迷惑を掛けないように全員で乾杯、本当にいい旅であった。
 食べ続け、目一杯飲んで、体重、ほぼ2キロ増やして無事帰京したのであった。