第386回「引き際の大切さ」

深谷隆司の言いたい放題第386回
「引き際の大切さ」

 11月21日、鳩山由紀夫元首相が引退を表明した。気の毒だが、彼の決意を評価する人はいない。マスコミも含めて「今更なんだ」と皆冷やかに受けとめているのが現状だ。
 「消費税増税やTPP、原発稼働など、党内で主張し続けたいと思っていたが、現政権の方針に反対すると公認が得られないと分かって、引退を決意した」と記者会見で語っていた。
 確かに民主党は今度の選挙にあたり、候補者に党の方針に従うことについて誓約書を取ることになった。政党として国民に信を問うからには、当選後、その党の公約を守り党議に従って行動することは当たり前のことで、今更拘束されるのは厭などと言うのはピントが外れすぎている。
 民主党のこの3年余の歩みを見ると、まあ、皆よくぞ勝手なことを言いあい、勝手な方向を歩み続けてきたものよと呆れるばかりだ。政権政党としての秩序も無く、みな自分の都合でバラバラの言動を繰り返す。これでは日本の舵取りが出来る筈もない。その最たる人が鳩山さんだった。

 「選挙情勢が芳しくないのでTPP反対などを口実にしただけ」と言う人もいるがそれは全く当たっている。
 彼の選挙区の北海道9区から、今度は自民党公認で堀井学氏が出馬する。元オリンピックスケート選手で地元での人気は圧倒的で、不人気の鳩山氏では到底勝てない。比例復活も無理な情勢だから、野田首相、この際引きずりおろそうと算段したに違いない。
 仮にも民主党の創始者、引退に追い込んだ野田氏も随分不人情だとは思うのだが、何ともみっともない引き際ではないか。

 2009年9月の政権交代で、鳩山氏は民主党初代首相に就いた。しかし、普天間飛行場移転問題でも明らかになったように、口先で言うだけで何も実現させることは出来なかった。大騒ぎだけで終わって僅か8ヶ月で辞めざるを得なかった。
 その時彼は「辞めた総理が、その影響力を出し過ぎるのはよくない」と記者会見で話し、議員辞職をほのめかした。
 色々あったが、さすがに立派と、この姿勢は高く評価されたが、なんと日をおかずに前言取り消しで、やっぱり議員を続けますとなってしまった。
 もしもあの時、本当に辞めていたら、彼への評価はそれなりにあったかもしれない。少なくとも「引きずりおろされる」という今回のような屈辱的な無様な姿を天下に晒すことは無かった筈である。 
 どの分野にせよ、引退の時を選ぶのは難しい。
 まして政治の世界では、長年支えてくれた後援者への了解や、後継者の問題等、様々な処理すべき問題が多く、簡単な事ではない。
 それだけに、いつ潔く、きれいに引退すべきなのか、その引き際が大事になってくるのだ。
 鳩山氏の出馬断念の苦渋に満ちたな顔をテレビで見ながら、この春、誰よりも早く、自ら引退発表してよかったと思うのであった。

 この日、中央区自民党支部で、後継者辻清人君の為にシンポジュウムを開いた。会場の日本橋劇場には500人余りの人が参加、満員盛況であった。
 冒頭、私は挨拶に立ったが、珍しく押田区議が「たっぷりやってください」と言う。
 なんだか久しぶりに演説するような感覚で、それでも精一杯熱弁をふるった。
終ると婦人部代表から「感謝をこめて」と花束が贈られた。最近呼ばれる会合が多いが、必ず花束が贈られる。この日は「奥様にも」と2束用意されていた。前々から、今野、原田両区議らから熱心に乞われて家内も出席の予定であったが、前日から風邪をこじらせて残念ながら出席出来なかった。
 家内にも是非見せたいような、すばらしい、愛情に満ちた会であった。

 挨拶を終えて、すぐさま文京区に住む娘夫婦(小田全宏家)の家に飛んで行った、実はこの夜、私は八代亜紀さんご夫妻とスタッフを招いて宴を催していたのだ。
 自宅で「おもてなし教室」を開いている娘恵理に頼んで、時折、私の友人を招いて宴を張っているのだ。手伝ってくれる生徒さん達も含めて、ここも大賑わい、ご機嫌の私はすっかり酩酊した。夜中の1時、心配した娘と孫の安希与がタクシーで自宅まで送ってくれた。熱を出して寝ている家内を気遣ってのことでもあった。良い人たち、よい家族に囲まれてなんと私は幸せ者かと思った。
 
 翌朝、稲見秘書から報告の電話があった。「皆さんが先生の話が良かった、涙が出たと言っておりました。 まだまだ元気なのに何故辞めたのかと、残念がっていましたよ」。
 惜しまれて去る。政治家の引き際がいかに大切かと改めて思うのであった。