第455回「自民大勝、武見当選で安堵」

 深谷隆司の言いたい放題第455回
 「自民大勝、武見当選で安堵」

 21日、開票早々に丸川珠代候補の当確が出た。これは幸先が良いと喜んだが、肝心の武見敬三候補が決まらず、入ってくる情報も煩雑で要領を得ない。 
 家で待機しながら、より正確な知らせを待ったが、公明党山口候補当確、次いで共産党の当選が確定、その後がなんと山本太郎の当確であった。あるマスコミ関係者によると、投票当日、「反原発で投票に行こう」との呼びかけが大変な数で流れ、それが功を奏して、午後の出口調査で見ると、一気に支持が増えたという。ネット解禁、ある種の怖さがある。
 残りは1議席、民主党鈴木寛候補と武見候補の勝負となった。
 事前のあらゆるデーターは武見有利だったし、この傾向は崩れないと確信しつつも、不安が心をよぎったりした。選挙の厳しさを何度も経験しているから、余計心配になるのだ。今頃、候補者はさぞかし心痛の極みではないかと同情したりしていた。
 10時半頃か、和泉区議から、台東区の得票の連絡が入った。武見候補11,000票、民主の鈴木寛7,000票。
 よし、これで勝てた。倅隆介とタクシーに飛び乗って、青山ダイヤモンドホールに駆け付けた。既に200人を超える支持者で満員、熱気が溢れている。それでもなかなか決まらない。やっと当確が流れたのは12時少し前、間もなく日付が変わろうとする頃であった。
 本人の当選御礼の弁、石原伸晃都連会長、鴨下一郎選対委員長の挨拶に続いて、選対最高顧問の私が挨拶に立った。
 「武見さん、支持者の皆さんおめでとう。私は昨年後継者を辻清人に決めて正式に政界を引退しました。これからは悠々の暮らしが出来るものと思っていたが、全く逆でした。改めて皆さんに申し上げます。私は死ぬまで後輩の応援に徹することを誓います。(ここで盛大な拍手)武見さんのこれからの大活躍を期待します」。
 武見選挙ではいわゆる深谷系議員団がフル回転で応援に当たった。武見氏は何度もこの姿を見て感謝の言葉を述べていたという。ようやく面目を施してほっとしたものである。
 参議院選の結果は自公圧勝、これで衆参ともに過半数を超えた。橋本内閣の参議院選挙の惨敗から15年、ようやく「ねじれ現象」が解消され、「決められる政治」の時代の幕開けとなった。
 選挙区で負けたのは岩手と沖縄のみ。31の1人区で29勝2敗と圧勝、2人擁立した3人区千葉、5人区東京を含め、複数区では完勝した。比例区でも得票率で他党を引き離し、01年の20議席にあと2議席まで迫った。

 私の高校の後輩で全国比例に出馬した若狭勝候補は残念ながら次点だった。私が彼を知ったのは服部都議の選挙の時、6月14日の出陣式だ。わずか1か月では指導もままならない。ただ次点は6年間の任期中に必ず繰り上げ当選の機会がある。女子プロの神取さんも、何よりも武見さんがそうであったと、彼の電話に答えておいた。少しの慰めになればと思って・・・。
 ここまで書いていたら、見事当選した渡辺美樹氏から感謝の電話が入った。彼は私の義理の息子小田全宏君の親友である。居酒屋和民や老人ホーム、学校など手広く経営している実業家だ。ところが週刊誌などで執拗に叩かれ、随分苦労をした。選挙前、自宅に訪れた彼と会ったが、見ると聞くでは大違い、なかなかの好人物であった。見事、苦難を乗り越えての当選に嬉しくなって、「国会で頑張って」と心から激励した。

 安倍内閣で、衆議院選挙、都議会選挙に続いて勝利続きだ。
 然し、ここで決して驕ってはならない。国民の期待に応えて、国家国民の事を第一に考え、誠実に政策を実行していかなければならない。
 国の内外を問わず難問題が山積している。やっぱり自民党政権になって良かったと言われるよう、是非成果を挙げてもらいたいものである。
 街頭演説で、何度か宣伝カーの上で安倍総理に会った。その度に「御嬢さんにも世話になってます」と感謝された。はじめは何のことかと思ったが、小田恵理が文京区の自宅で「おもてなし教室」を開いているが、そこへご夫妻でお出でになったことがあったことを思い出した。誠実な人なのである。
 心から「頑張って欲しい」と祈るような思いであった。