北海道の農家に生まれた前田さん。
将来の夢はパイロット。幼い頃に見た小型飛行機がきっかけでした。
「シンジ、なんでパイロットにならないんだ」夢を諦めず米国で
前田伸二さんは交通事故で右目の視力を失いました。
それでも、空への情熱を捨てきれなかった前田さん。
渡米先で恩師から「世界には、片目が見えないパイロットがいる」と言われ、夢を諦めるな、と背中を押してもらったといいます。
事故から7年後、アメリカで念願のパイロットになりました。
来年、アメリカから日本までの太平洋横断飛行に挑戦します。
パイロットの夢は打ち砕かれ
(前田伸二さん)
「真っ白いきれいなボナンザ機(小型飛行機)が上空を飛んでいて、なんだあれというところから、あれはパイロットを養成する飛行機なんだっていうことに気づいて、俺もあそこに行きたいと思ったのが、まさにこの畑の中」
日本ではパイロットになれない
パイロットを目指し、高校から専門的に勉強を始め大学に進学した矢先。
交通事故で右目の視力を完全に失ったのです。
「医師がずっと懐中電灯を右目の前で揺らしながら、感じるか、見えるか?と言うんですけれども、私からしてみたら何をしているかわからないわけですよ。右目もうだめだな、失明しているわ。その瞬間に、私は理解しましたので、もうパイロットにはなれないと」。
片目の視力のみでは、日本でパイロットの資格を取得するための身体検査をクリアできないのです。夢は打ち砕かれました。
それでも、空の仕事に携わりたいと、大学での勉強を続けた前田さん。
しかし、就職活動では、障害を理由にすべて断られました。
「本当に門前払いでしたよ。おまえは障害者だからと。人格否定とか、存在自体を否定されたのでつらかったですよ」
「シンジ、なんでおまえパイロットにならないんだ」
空への情熱を捨てきれなかった前田さん。航空安全を学ぶために渡米しました。
ある日、大学院の教授に誘われて、一緒に飛行機に乗ることに。
操縦かんを握らせてもらい、機体を操る体験をしました。
さらに、世界には、片目が見えないパイロットがいると言われ、夢を諦めるな、と背中を押してもらったといいます。
(前田伸二さん)
「シンジ、なんでおまえパイロットにならないんだと。まさか片目が見えないからパイロットにならないっていわないよね?いいシンジ、この世の中には、2つだけ不幸なことがある。まず1つは、正しい情報を持っていないということ。そして、2つめ。おまえが何をやりたいのかということをわかっているにもかかわらず、それに挑戦しないことだよシンジ。なぜならば、おまえはパイロットになれるからだ」
事故から7年 アメリカでパイロットに
本格的にパイロットになるための訓練と勉強を始めた前田さん。
事故から7年。アメリカでパイロットになりました。
米国の航空機メーカー最大手に勤務してフライトエンジニアの仕事をしたり、別の会社で飛行教官としてパイロットの育成に携わったりするなど、活動の場を広げています。
前田さんは、夢を叶えたあとも挑戦を続け、念願の事業用の免許を取得。
2021年には、小型機で世界一周に挑戦しました。
コロナ禍でのフライトは、決められた時間までに空港に着かないと着陸できない過酷な条件。
ぎりぎりの状況下、前田さんは単独飛行としては139人目となる世界一周を達成。予備の燃料を積まずに世界一周を成し遂げたのは、初めてでした。
「挑戦し続ける大切さ」を若者たちに
その後も、アメリカでフライトエンジニアや教官として働くかたわら、愛知県にある中部大学の客員准教授として、若者たちに「挑戦し続ける大切さ」を伝えています。
(学生)
「何事もチャレンジするところ、あとやっぱり、夢を実現させようとする力強さから、熱い男だと感じました」
(学生)
「困難とか自分にとっての壁ができたときでも、前向きさを持って、ポジティブに対処できたらいいなと思います」
“挑戦の成功を” 日本の多くの人に見てもらいたい
来年、アメリカから日本までの太平洋横断飛行への挑戦を決意。
洋上を14時間も飛び続けるなど世界一周以上に難しいといいます。
それでも挑戦するのは、コロナ禍で直接交流ができなかった日本の多くの人に“挑戦の成功”を見てもらいたいと考えているからです。
(前田伸二さん)
「できない、やれないと思っている子どもたちに、できますよと。俺はやってきたからと。だから挑戦してみて。いま、たくさん苦しんで、たくさん失敗して前に進めば、必ず、夢や目標というのは実現するんじゃないの?ということを伝え続けたい」