もう一人の生き残り   作:ハリボテえりーと

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5話 真夜中の出会い 思わぬ気付き

 

 

 

 

 

 中間テストまで残すところあと一週間となった。これまで退学者を出さないよう、クラス全員が必死になって毎日毎日勉強してきた。纏まりのないクラスはこの時だけ、全員が同じ方向を向いていたといっても過言ではない。

 

 試験が近づくにつれ心に溜まっていく退学の不安とは別に、確かな友情や信頼関係が芽生え、深まっていった。

 

 そしてそんなDクラスに突如告げられた絶望。

 

 「―――え、え!? 嘘だろ!? 試験範囲の変更なんて聞いてねーよ!!!」

 

 クラス内に響く男子生徒の声。

 

 櫛田から平田へと送られたメッセージの内容。教室に残っていた生徒たちは平田から口頭でその話を聞き、動揺と焦りを隠せずにいた。

 無理もない。ただでさえ退学しないよう一生懸命だった者たちが大勢ここにいるのだ。ここでの試験範囲変更など、学校からの退学宣告に等しい。

 

 「ど、どうしよう平田君!!」

 

 「やべーって!! 俺たちが力入れて勉強してきたところほとんど範囲に入ってねーし!!」

 

 「私、退学したくないよ……」

 

 阿鼻叫喚。このクラスの現状にこれほど相応しいものはないだろう。

 

 平田の方を見れば、顔に焦りを浮かべつつも、近くに寄ってきた生徒一人一人に丁寧に対応していた。

 

 ―――それが、もう間もなく、昼休みが終わるころの出来事だった。

 

 

 ◇

 

 

 午後の授業が始まっても、教室内には困惑と憔悴の雰囲気が強く残っていた。多くの生徒は、どうせクラスポイントはゼロなのだからと、授業科目とは別の教科書を開いている。

 

 それを咎める生徒は誰もいない。ここで失うクラスポイントよりも、退学の方が遥かに恐ろしいものだからだ。

 

 大勢が必死になって遅れを取り戻そうとしているなか、俺は授業を真面目に聞いている振りをしつつ隣の席に座っている堀北を見た。

 

 その顔には焦りが浮かんでいる。その心境は、折角池たちと再び勉強会を進めてきたのに、といったところだろう。

 

 俺は相変わらず堀北主催の勉強会にこそ顔を出していなかったが、池たちのために問題を作る形で協力をしていた。が、それも今回のテスト範囲変更で水泡に帰してしまった。

 

 尤も、池たちだけにとって水泡に帰すと分かっていたうえで、問題を送っていたのだが。

 

 俺は既に堀北学から小テストと中間テストの過去問を入手している。過去問の範囲の内容が茶柱先生に告知されたものと違うことは、それを見た段階で分かっていたのだ。

 そして念のため、椎名に連絡を入れてテスト範囲がズレていることの確認も取っていた。

 

 因みに、それとは別のオマケで、うちのクラスの担任はかなり酷い奴であることも分かってしまった。もしかして不良品なのは俺たちではなく茶柱先生なのでは……と思ったほどである。

 

 兎に角、既に赤点を取らないための方法である過去問を手に入れていた俺だが、直ぐに過去問を配るマネは幾つかの理由からしなかった。

 

 一つ目に、早期に過去問を渡してしまった結果、他クラスの生徒にそれが感知されてしまうという事態。それが起きるのを防ぐためだ。

 

 今はまだ自分たちのことで精一杯で他クラスとの競争意識が持てないDクラスだが、今後必ずクラス間の戦いに身を投じていくことになる。

 

 そのときのために少しでも差が詰まっている状況を作るため、情報の漏洩が起こる可能性を下げる手段を取った。

 クラス毎の試験結果が今後のクラスポイントに大きな影響を与える可能性があることを見越してのものだ。

 

 あとは僅かに、退学者が他クラスから出ることを期待したりもしている。退学者によって生じるペナルティ、その詳細を知れる可能性のために、他クラスの生徒に良い成績を取らせるわけにはいかない。

 

 二つ目に、クラスの気が緩んでしまい、折角の猛勉強の雰囲気がなくなってしまうのを防ぐため。今回はギリギリまでDクラスの生徒には自学自習をしてもらいたい。それは過去問が絶対ではないという、万が一の事態というものがあるからだ。

 

 このクラスの最底辺の学力を知っている茶柱先生が確実に試験を乗り越えられる手があると言っていた以上、過去問は絶対だと考えられるが、今回職務怠慢を見せた茶柱先生が言ったからこそ、信用できない面もある。

 

 クラスに過去問を配布したことによりそれ以外の勉強を生徒たちが一切しなくかった結果、当日違う問題が出て退学者続出なんて事態も起こり得る。それは流石に避けたいところだ。

 

 念には念を入れて、テストに臨んだ方がいい。

 

 他には、俺が問題作成の練習を出来る限りしてみたいといった私欲が混じっていたが、クラスの反応的に結果的には貢献出来ているのでまぁ問題はないだろう。

 

 「ヤバい、ヤバい……」

 

 小声ではあるものの、クラス内からはそんな声が漏れていた。当然教員はそれを無視して黒板に授業内容を書き記していく。

 

 教師からすれば、ただクラスの評価を下げるだけ行為だ。義務教育を終え、当たり前を既に学んでいる俺たちに特別注意するような行為はしない。

 

 

 やがて五限、六限の授業が終わり放課後の時間がやって来た。いつもなら各々が即座に定位置について勉強をし始めるが、今日はそうもいかない。

 試験範囲の変更がクラスに響いている。

 

 生徒の不満をあしらいながら教室を出ていった茶柱先生。一部の生徒はその姿に怒りと悲しみを覚え、また一部の生徒はそんなことすらする余裕がないのか必死に教科書とにらめっこしている状態だ。

 

 「……宝隆君。少しいいかしら」

 

 重苦しい空気が蔓延するなか、堀北が俺に声を掛けてきた。彼女の声にもいつものような凛としたものはない。

 

 「テストのことだな」

 

 「ええ、何か対策を―――」

 

 「やややッややべぇ~ッよ!! どうすれば良いんだよ堀北ちゃん!?」

 

 突如、俺たちの間に大声で割って入る池たち。今回の試験では特に余裕のない三人は、直ぐにでも賢い堀北の指示を仰ぎたいところなのだろう。

 

 勢いよく堀北へと詰め寄ってきた。そんな様子の池たちに対して呆れ顔を見せながら、堀北は指示を出し始める。

 

 俺はそんな光景を見て、堀北も少しづつではあるがクラスの輪に入っていっていることを実感した。

 

 「変わったみたいだね、堀北さん」

 

 「ああ、少しだけだがな」

 

 堀北が三人の相手をしている間に、平田が声を掛けてくる。堀北同様、平田も俺とテスト対策の件について話をするつもりだったのだろう。

 

 クラスを見れば、取り敢えずだが皆新たに告げられたテスト範囲の内容の勉強を始めていた。平田が一時的に混乱を収めてくれたようだ。

 

 「クラスの混乱を収めてくれて助かった、平田」

 

 「宝隆君こそ、堀北さんの件、ありがとう」

 

 互いに軽く感謝を告げた後、俺たちは本題に入る。

 

 「早速だけど宝隆君はテストの件、どう対応するべきだと思う?」

 

 「ああ。それなんだが、満遍なく学習をするのが不可能だからテストに出そうなところを絞り込んで教えていく方針にしたい」

 

 今から全範囲となるとクラスメイトに掛かる負担は計り知れないものになる。それに、全てをカバーしようとした結果、薄く広く、大して定着していない状況が出来てしまう事態は避けたい。

 

 「確かに。確実性は消えてしまうけれど、今から網羅するのは不可能だしね。どうやって絞り込んでいく?」

 

 「俺と堀北の二人で話し合って、明日までには全科目絞り込む。それから内容理解のためのプリントを俺たちの方で作るっていうのはどうだ? 俺が勉強会に参加できる時間が減って、その分平田たち教師役には負担を強いてしまうかもしれないが……」

 

 「全然そんなことはないよ。むしろ宝隆君と堀北さんの負担が大きい気がするけど……」

 

 「お待たせしたわね」

 

 平田と話し合っている最中、指示を出し終えた堀北がこちらへと合流する。

 

 「話なら聞いていたわ。私と宝隆君でテストに出題されそうなところを絞り込んでいくのは問題ない。それと……突然参入してきて意見を言うのは申し訳ないけれど、平田君には私たちが届かない生徒たちへのフォローをお願いしたいわ」

 

 「……! 気にしないで堀北さん。これからよろしく。フォローの件、分かったよ」

 

 そう堀北の頼みに応じる平田。

 

 一時的にとはいえ、堀北と手を組めたことが嬉しいのだろう。真剣な表情の平田に僅かに笑みが浮かんだ。

 

 「決まりだな。悪いが平田、俺たちは早速絞り込みに取り組み掛かる。席を外すぞ」

 

 「了解。こっちは任せて」

 

 「行きましょう宝隆君」

 

 短い時間の中、最速で方針と役割を決めた俺たちは、クラスのために動き出す。クラスの方は平田が主になって対応してくれるから大丈夫だろう。

 

 問題があるとすれば池たちの方だが……。

 

 「堀北、そっちの方は問題ないか?」

 

 「ええ。救うと決めた以上、必ず成し遂げるわ」

 

 そんな俺の質問に対して、毅然とした顔で応じる堀北。その瞳には確固たる決意が宿っていた。この様子なら、堀北の方も問題はないだろう。

 

 帰り支度を終えた俺たちは、早足で寮へと向かっていった。

 

 

 

 ◇

 

 

 午後十一時半を過ぎた頃、俺は最後の内容理解のプリントを作り終えた。科目は英語。堀北がやや苦手としている科目である。

 

 プリントを作るにあたって科目の分担をしようとなった場面、彼女の口から英語は得意ではないと告げられたときはかなり驚いた。堀北は勉強面においてはオールラウンダーだと俺は勝手に思っていたからだ。

 

 だが蓋を開けて見ればそんなことはなかった。

 

 まぁ少し考えてみれば、この世に完璧な人間などいる筈もなく、誰しも一つや二つの欠点や弱点くらい持っていることなど直ぐに分かる。

 

 相手のイメージとそれによって勝手に自分の中で作られる思い込みと期待。今回の勘違いの原因はこういったモノだろう。

 

 場合によっては一度で関係に亀裂が出来てしまうものだ。人間関係において重要なモノなので、今後は意識していくとしよう。

 

 俺は横を向く。

 

 「お疲れだな、堀北」

 

 「…………ええ」

 

 俺は半ば睡眠状態に入っているだろう堀北に労いの言葉を送った。返事は遅く、今にも眠ってしまいそうなのが見て取れる。

 

 彼女の目の前には数学と理科のプリントが置かれている。堀北が製作したそれは非常によくできており、これなら平均的な生徒は勿論、勉強を苦手にしている生徒たちにとっても十分に役立つであろうことは容易に想像がついた。

 

 もしかしたら極端に学力が低いあの三人にとっては難しいものになるかもしれないが、その懸念も堀北が直接教えることで解決する。

 

 あとは作ったプリントをクラス人数分印刷すれば終わりだな。

 

 プリントを束ね、印刷すべくコンビニに向かおうと俺は立ち上がろうとする。そのとき、こちらの体に堀北が寄りかかってきた。

 

 肩が僅かに上下している。そして、穏やかな寝息も聞こえてきた。体力の限界に達したのだろう。完全に眠っている。

 

 無理もないことだ。放課後に慣れない作業を食事も風呂も惜しんでぶっ通しで続けたのだ。俺だって疲れている。

 

 俺は立ち上がるのを止め、十分程そのままの姿勢でいることにする。彼女を起こさないために。

 

 先程まで彼女は返事が出来ていた以上、まだ眠りは浅い可能性がある。俺が動いてしまった結果、起こしてしまっては申し訳ない。今日はこのまま寝かせておいた方がいいだろう。

 

 俺は動かずジッとする。そして十分が経過するのを待った。

 

 ……もう大丈夫だろう。

 

 俺は堀北を抱きかかえて自分のベッドへと運んだ。起こさないよう優しく横たえた後、布団を被せる。

 

 俺は机に置かれたプリントを束ねそれを入れるバッグを持った後、部屋の電気を消した。そして、コンビニでクラス人数分のプリントを印刷するために玄関を開けて外へ出る。

 

 「同室で一夜を共にするのはマズいしな」

 

 起きたときに堀北から何が飛んでくるか分からない。それに、噂にでもなれば面倒だ。

 

 そんなことを考えながら歩いているうちに、ライトアップされたコンビニの看板が見えてきた。

 

 

 コンビニの前まで辿り着くと、自動ドアが俺を感知しその名の通り自動で開く。俺は真っ先に店内にある印刷機を用いてクラスの人数分のプリントを用意した。

 

 印刷を終えたプリントを束ねてバッグに仕舞った後は軽食を購入。製作中は何も食べていなかったので、流石にお腹が空いてしまっていた。夜遅くの食事はあまり好ましくないが、何も食べないまま朝を迎えるのは少し苦痛なので仕方ない。

 

 このまま寝てしまうのならまだしも、今日はこのまま徹夜する方針なのだから別にいいだろう。

 

 イートインスペースはないので、俺は外に出て近場のベンチに座り一人静かに食事を取る。辺りには人の気配が一つもない。完全な一人だ。

 

 誰かと会話しながらということも無いため、直ぐに食事を取り終える。腹六分目くらいだろうか。まだ少し物足りない感覚があるが、今日はもうよしておこう。

 

 俺は深くベンチに身を預け暫くの間、周囲の音に耳を傾ける。手持ち無沙汰故の行動だ。

 

 そして、ふと思う。

 

 こういう状況下では、多くの人間がこれまでのことを自然と振り返ったりするんだろうか、と。

 

 残念ながら、俺は振り返るほど重要な過去というものを殆ど持っていないので分からない。後悔も寂寥も持ち合わせていない。

 

 持っているのは、予測不能な未来を望むという願望。

 

 閉ざされていない未知な世界で活動することで、自分自身がどう変わっていくのかを知りたいという願望。

 

 兎にも角にも、偶然性を求めている。

 

 このままベンチに座り続けているのも勿体ないと思い、夜の世界を散歩しようと俺は立ち上がる。そんなとき、近づいて来る足音が一つあるのに気が付いた。

 

 「失礼。もしかして宝隆燈ですか?」

 

 深夜に響く女性の声。この時間帯に一人とは珍しい、というか危ない気がするが。

 

 「ああ。一年Dクラスの宝隆燈だ。お前は?」

 

 誰か気になったので、俺は問い掛けながら声がした方へと向く。見れば、藍色の髪を持つ少々垂れ目の少女が俺の方を興味深げに見つめていた。

 

 「一年Aクラスの森下藍です。よろしくお願いします」

 

 そう自己紹介をしながら、少女は俺の正面へと足を運んだ。

 

 「森下か、よろしく頼む。それにしても……Aクラスか」

 

 「Aクラスが何か?」

 

 「単純に羨ましいだけだ。俺たちのクラスは今、一ポイントも支給されていないからな。先月とほぼ変わらないポイントを支給されているAクラスを見ると、少々複雑な気持ちになる」

 

 「なるほど。ところで幾つか質問をしたいのですが、構いませんね?」

 

 「ああ、構わない」

 

 俺の発言にはさして関心がないのだろう。森下は話を進めようとする。

 

 下のクラスからの妬みと羨望の声など、Aクラスの生徒にしてみれば聞くに値しないだろうから当然といえば当然の反応か。それにまだ接触して間もないが、森下は別に見下すことで快感を得るタイプでもなさそうだ。

 

 それにしても相手を呼ぶときにフルネームというのは少々珍しいように思える。普通は苗字か、コミュニケーション能力が高かったり、相手と親密な関係なら名前呼びな気がするが。

 

 彼女の丁寧語も相まって妙な違和感が生じてしまうな。

 

 そんな分析をしているうちに、少々高圧的な態度でこちらに声を掛けた森下が質問を開始した。

 

 「宝隆燈は誰かと交際関係にありますか?」

 

 フルネーム呼びをされながら、突然そんなことを聞かれる。一発目にしては中々踏み込んだ質問だ。何か狙いがあるのだろうか。

 

 俺は目を閉じ考える振りをして、彼女を観察する。質問の意図が掴めないが、少なくとも動揺を誘っているわけではなさそうだ。

 

 「あー、いや誰かと恋人関係ということはないな」

 

 「そうですか」

 

 「誰か俺のことが好きな人でもいるのか? そんな質問をされると色々と予想してしまうんだが。もしかして、森下か?」

 

 俺は試しに仕掛けてみることにする。理由は単純で、彼女の表情を崩してみたいという遊び感覚から。森下に言ったとおりの疑問、その答えが気になるというのもあるが。

 

 別にここで彼女個人に心理戦を仕掛けても大きな成果を生むことはない。こちらはあくまでも、朝までの小さな暇潰し程度に会話をするつもりなだけだ。

 

 森下は僅かに答えに窮していたようだが、目を閉じて冷静に思考を回したのだろう。少ししてから俺の質問に答えてきた。

 

 「実は私はあなたに大きな関心を寄せています」

 

 「関心か」

 

 「可笑しなことですか? あなたは容姿端麗で、文武両道です。そんな魅力的な要素を持った異性に関心を寄せることは自然なことだと思うのですが」

 

 そんなことを森下が言う。

 

 耳触りの良い言葉を並べているが俺の質問に対して曖昧な返事しかしていない。森下の表情からは大した動揺も恥じらいも見られないので、俺に好意を抱いているわけではないのは明らかだ。

 

 そう振る舞う意図は相も変わらず見えないが、深夜に上辺だけとはいえ恋愛話に関係しそうな話題をするのは悪くない。学生らしいこの状況を楽しんでいる自分がいる。

 

 もしかして、修学旅行等で同じような状況が生まれるのは理論や言葉では説明できない深夜効果が影響でもしているのだろうか。だとしたら夜というのは別の意味で恐ろしいものだ。

 

 「一応聞くが初対面だよな?」

 

 「はい。ただ、時々遠くからあなたのことを見てはいました」

 

 どうやら彼女が一方的に俺を知って、意識していたらしい。

 

 「なるほどな。それで暗闇の中でも俺だと分かって声を掛けてきたわけか」

 

 「そうです。それで、あなたを見ているうちに気がかりが出来ました。最近こそ一緒ではありませんが、少し前まで黒髪の女性と二人で食事を共にしていましたよね?」

 

 「堀北鈴音のことか」

 

 名前を知りたがっている様子なので、俺はフルネームで堀北の名を口にする。

 

 「彼女の名前は堀北鈴音というのですね。情報提供に感謝します」

 

 そう言って、森下は頭を深々と下げる。どうやら俺の推測は当たっていたらしい。森下は上体を起こした後、再び質問を開始した。

 

 「実は、彼女のことが恋愛的に好きということはありますか?」

 

 「さっきも言ったが、特定の誰かにそういった感情を向けてはいないな。少なくとも今は」

 

 「今はということは将来性があるような言い方ですね」

 

 「未来のことがわからないから確約するような言い方を避けただけだ」

 

 真に、俺の好きな人は今現在いない。が、将来誰かを好きになる可能性がゼロとは断言できない。俺自身恋愛をしてみたいという思いもあるし、誰かを好きになってみたいという願望もある。

 

 既に想定していた学生生活とはかけ離れてしまっているが、それでも普通の高校生活という奴には憧れる。恋人の一人でも作って、学生生活を謳歌してみたいところだ。

 

 「どうかしましたか?」

 

 黙りこくっている俺を不思議に思った森下がこちらに近づき、覗き込むようにして聞いてくる。

 

 「ああいや、なんでも。そういう森下は気になる相手とかいないのか?」

 

 一方的に質問をされている状況というのも面白くはない。自己分析に役には立つがそれだけだ。

 今は兎に角、朝までの退屈凌ぎになる面白い話がほしいところ。森下がドラマ性のある恋愛をしていることに期待だ。

 

 「よくぞ聞いてくれました。ズバリ、いません」

 

 「……そうか」

 

 ふふん、と自慢げに彼女は告げた。何故自慢げなのかは不明だ。

 

 そこで会話に一区切りが出来てしまう。俺としては、ここで会話が終わってしまうのは避けたいところ。もう少し彼女に踏み込んでいくことにする。

 

 「今はいなくても、過去にいたりはしないのか?」

 

 「いませんね。私は人を好きになったことがありません。逆に人に好かれたこともありませんね」

 

 何とも悲しいことを言っているが、彼女がその事実について気に留めた様子はない。恋愛など要らないと言わんばかりの態度だ。それにしても……

 

 「告白されたことがないのか。意外だな」

 

 「意外ですか? 何故そう思ったのですか?」

 

 興味津々に俺の目を見つめ、さらに近づいて来る森下。なんというか、独特の雰囲気のためか、距離を詰められても不思議と嫌悪感や拒否感が湧くことがなかった。

 

 椎名とはまた違ったタイプで自分だけの雰囲気を持っている人間だ。

 

 「いやなんというか……美的感覚は個人によって異なるという前提で話すが……俺から見て森下は容姿が非常に整っていて可愛いと思える。それで、小、中学生時代に告白されてもおかしくはないと思ってたんだ」

 

 「なるほど。宝隆燈は私に一目惚れしてしまったと」

 

 「していないが……何故そうなる」

 

 「容姿端麗だから告白をされてもおかしくないと言っていたではありませんか。つまり容姿は人が人を好きになる要因になるわけです。そして宝隆燈は私のことを世界で一番可愛いと言いました。これはもう私に対する好意を隠していませんよね」

 

 どうやらこちらの説明不足と彼女の恋愛経験不足が相まって、森下の脳内で可笑しな論理展開が起きてしまったようだ。

 

 「幾つか訂正をする。先ず俺は恋愛的に森下のことが好きじゃない。それと、相手の容姿が整っているからといって、それは必ずしも好意を抱くことと結びつくわけじゃない。一般的には容姿というものは好意を抱く大きな要因にはなるだろうが、あくまでも一因であり好意を確定させるものじゃない」

 

 森下が視線で続けろと訴えてくるので俺は話を続ける。

 

 「そして最後に、俺はお前のことを世界で一番可愛いと言ってはいない」

 

 「質問です宝隆燈」

 

 「どうぞ」

 

 まるで教師に質問する生徒のような雰囲気で森下が言うので、俺はつい手を森下の方へ向けて応じてしまった。

 

 「それは、あなたは私より美人、可愛いと思える異性を見たことがあるということでしょうか? 世間一般の評価ではなく、あくまでも宝隆燈の主観に基づいた判断を要求します」

 

 自分の容姿に特別自信がある、という雰囲気ではなさそうだが……。

 

 兎も角そんな質問に答えるべく、俺は記憶を掘り起こし今まで見てきた女性の顔を次々と思い浮かべていく。とはいってもホワイトルームで人生の多くの時間を過ごした俺に、そこまで多くの人物は思い浮かばない。むしろこの学校に来てからの方が、人との出会いは多いくらいだ。そちらに焦点を当てた方がいいだろう。

 

 少し考えれば櫛田や堀北や長谷部、他クラスでは椎名や遠目に見た一之瀬という少女が思い浮かんだ。

 

 誰が特に美人だと思うか。森下の言う通り俺は主観を絶対の軸として思考を進めていく。要は自分の好みの問題だ。迷うことはない筈。

 

 だが、安易に答えが求められるだろうという思いとは裏腹に、思考は難航していく。

 

 「……おや」

 

 思わず俺はそう呟いてしまった。数分間色々な角度から考えたが、森下より美人だと断言できる生徒がパッと浮かんでこなかったからだ。

 

 一学年の男子社会での評価を挙げるのなら、一之瀬と櫛田は俺が思い浮かべた女子たちのなかでも頭一つ抜けた評価を獲得している。それで回答になるのなら良かったが、今回は俺の主観が求められている。他人の意見は参考にはできても採用はできない。

 

 俺は今一度森下の顔をジッと見た。

 

 「どうしましたか宝隆燈。世界一可愛い私の顔に何か?」

 

 即答しなかった俺を見て調子に乗ったのか、森下は僅かに口角を上げながらそんなことを言ってくる。そんな彼女の態度は少々気に食わないが……俺が答えを出すのが遅いのが原因でもある。

 

 こうなったら意地でも彼女より容姿端麗だと思える女性を探そうと、性格の悪いことを考えた俺は携帯端末へと手を伸ばした。ネットには色々と転がっている筈という考えのもとの判断だ。

 

 だが検索を始めるよりも早く、そんな俺の様子を見ていた森下がわざとらしくため息をついてから勝利宣言をした。

 

 「宝隆燈が出会ってきた異性のなかで、私は一番可愛いことで決まりですね」

 

 それは、つまり、森下が俺のタイプということなのだろうか。

 

 ……。

 

 

 森下が俺のタイプ。

 

 

 ……何だこの敗北感は。

 

 何故だか分からないが悔しくてたまらない。何としても否定したい。森下に対して失礼なことを考えている自覚はあるのだが……。

 

 必死になって頭を高速回転させるが、やはり絶対に上だと断言できる人物は思い浮かばない。つまり、少なくとも顔だけで判断した場合、現状の俺の一番の好みは森下ということになる。

 

 「……え?……嘘だろ? マジ? マジで言ってる? 俺の負けなのか?」

 

 まだ出会って三十分も経っていない少女に、俺は敗北してしまうというのか。

 

 「訂正してください。森下藍は世界で一番可愛いと」

 

 まるで、ゲーデルの不完全性定理の証明が打ち出されたときに世界に奔った衝撃と同等のソレ(誇張表現)が俺の体を突き抜けた。

 

 ……そして数分の後、俺は森下藍が世界で一番可愛いと、他ならぬ森下藍本人の前で『録音』されながら言う羽目になった。

 

 

 ◇

 

 

 

 「……暗いから送ってく」

 

 「なるほど、可愛い女子と一緒にいたいのは当然の欲求ですからね。私としても真夜中に一人で歩かないで済むのは安心するので、その提案に乗っかってあげるとしましょう」

 

 そうこちらを弄る発言をしながら、寮への道を歩いていく森下。

 

 既にベンチ前でのやり取りは終わり、森下に敗北した俺は彼女の帰りに付き添っていくことを決めた。学校の敷地内とはいえ、真夜中で一人は危ないという判断からだ。

 

 やや上機嫌に歩いている森下。そんな彼女の後ろ姿を見て、結局俺は質問に答えてもらえていないことを思い出す。

 

 「森下、幾つか聞きたいことがあるんだがいいか」

 

 「好きな人のことを知りたいと思うのは当然のことですね、どうぞ」

 

 好きな人の部分はもう否定しても意味のないことだと俺は思い、無視して質問を開始した。

 

 「俺に関心を持っているというのは本当か? それになんで最初の質問が恋愛関連のものだったんだ?」

 

 「後者の方が単純なので先ずは後者から答えます。深夜テンションと、修学旅行の夜のような気分を味わってみたかったのと、堀北鈴音と昼食を共にしていたのは恋愛関連なのかという疑問が、私のなかでミックスされたからです」

 

 なるほど。それは非常に分かりやすい動機だ。森下なりに高校生らしいことをしてみたかったという本音。会話を振り返ってみても、俺自身がそう感じる場面が幾らかあったことから嘘は言っていないだろう。

 

 そして、後者の答えが示された以上、前者の答えが自然と気になってくる。森下の発言を汲み取れば、前者の方はやや複雑らしいからな。

 

 俺が促すと森下は逡巡の後、前者の回答をこちらに示した。

 

 「関心を持っているかどうかですが……正確に言うと、学校が行ったクラス分けの判断が何なのかという疑問からあなたへの関心が生じています。文武両道であるとの情報が出回っていた宝隆燈が何故不良品と呼ばれるDクラスに配属されたのか。その理由を探りたくなったというわけです」

 

 「なるほどな。学校が重要視していそうな学力面と運動面で高い記録を打ち出している俺は、少なくともDクラスには相応しくない。生徒の実力でクラス分けを行っている学校の判断が誤っているのではないかと考えたわけか」

 

 「最初は私もそう考えたのですが、一ヶ月半過ごすうちにこの学校の生徒に対する評価の仕方が普通とは異なることが見えてきました。生徒一人一人を観察していくうちに、この学校の入試を通過できそうもない生徒がかなりいることが分かったんです」

 

 一呼吸吐き、森下は話を続行する。

 

 「ですので、学力や運動能力以外の要素が関わっていると思い、それを探すことにしたのです」

 

 「今挙げた二つの点以外で、学校側から不良品の烙印を捺されるに足る欠陥を抱えているのかどうか、俺と直接会話して探りたくなったということだな」

 

 欠陥が見つかれば、評価の仕方も見えてくるという森下なりの考え。

 

 「そういうことです。その二点の評価が高い人物は他の欠点が目に見えやすいと思ったので」

 

 もし俺が森下との会話のなかで何かしら欠陥を見せれば、彼女の考えは限りなく真に近づくことになる。

 

 森下なりにこの学校の仕組みに疑問を抱き、それを解き明かそうとしての判断。自分なりにしっかり筋道を立てて行動に移している。

 

 単なる変人かと思ったが、こちらの想像以上に森下の思考力が高い。もしAクラスが森下のような頭脳を持つもので構成されているとしたら、楽にはその座を奪うことはできそうにないな。

 

 「それでどうだ? 欠陥は見つかったか?」

 

 「Dクラスに配属されるに足る欠陥は見えてきませんでしたね。精々がこの時間帯に外にいて妖しいくらいです」

 

 「それはお前もだろ森下。それに欠陥品云々の仮説が立てられているのなら危ないことをするな。もしさっきの会話でお前の考えが証明された場合、お前は深夜に俺という欠陥品と二人きりの状況が出来上がることになる。探求心があるのはいいが、危険がないかの確認もしてから行動に移した方が良い」

 

 「むっ、それはそうですね。忠告と心配に感謝します。……そういえば何故、宝隆燈はこの時間帯に外にいるのです。私は中々眠れずにいたので散歩することにした結果、偶然宝隆燈と出会っただけなのですが」

 

 話題を変え、前を歩いている森下が足を止めて振り返る。ジッとこちらを見る紫色の瞳。そんな彼女の様子と今までの言動から隠し事をするのは得策ではないと思い、俺は素直に自分の状況を打ち明けた。

 

 テスト範囲変更の告知が遅れたこと。クラスメイトを救うために堀北と自室でプリントを作成していたこと。その堀北が深い眠りに落ちてしまい、同室で寝るわけにはいかなくなったので外で過ごすと決めたこと。

 

 そんな俺の言葉に耳を傾けていた森下は満足そうに深く頷いた後、軽々に言葉を発した。

 

 「詳しい説明ありがとうございます。おかげで宝隆燈の欠陥が見えました。自室に異性をつれこんでしまう質なのですね。もしかして私もその目的で――」

 

 「違うが。何故そうなる」

 

 どうしても自分の仮説が正しいと証明したいのか、森下がまたもや可笑しなことを言う。しかもその発言のせいで、森下に堀北を自室へと連れて行ってもらう計画が犯罪性を帯びてしまい破綻してしまった。

 

 もしこの先の会話で俺が森下にそのことを頼めば、本気で自室に連れ込もうとしていると捉えられる恐れがある。これ以上は踏み込めなくなってしまった。

 

 俺はそのことを残念に思いながら、森下と再び歩き出す。するとすぐさま森下が口を開いた。

 

 「話を戻しますが、学校側の判断基準について宝隆燈がどう思っているのか、意見を聞かせてはもらえませんか」

 

 急に話を戻すマイペースな森下に、俺はやや戸惑いながらも一つの答え――特別確証があるわけではない――を提示した。

 

 それは寮の裏手での一悶着の際、堀北に告げた内容と全く同じもの。

 

 森下は内容を一つ一つ咀嚼するように頷きながら、俺の意見に耳を傾けた。確証こそ得られていないが特別矛盾のある考えでもないので、参考にはなっただろうか。

 

 並行して歩く彼女の横顔を窺えば、先程とは違い真剣に考え事をしていた。どうやら役に立てたようで何よりだ。

 

 

 

 やがて寮の正面玄関へと辿り着く。森下とはここでお別れになる。俺は先に足を止めて、僅かに前へ出た彼女へと感謝の声を掛けた。

 

 「話相手になってくれてありがとな。楽しかった」

 

 「…………」

 

 森下からの返答がない。どうかしたのだろうか。もしかして先程のことをまだ深く考えていて、俺の声が聞こえていないのか。

 

 そんなことを考えたが、振り返った森下の神妙な面立ちを見てそれが違うことを悟る。ジッとこちらを見る森下。そんな彼女の様子を見て、どうかしたのか、と声を掛けようとしたがそれは止めておいた。

 

 森下が何か言いたそうにしていたからだ。

 

 なら、俺は彼女が口を開けるまで、いつまでも待つだけのこと。

 

 もごもごと口を動かしているが開かないあたり、まだ森下のなかで言語化が済んでいないことが察せられる。

 

 数十秒か、数分か。体感ではかなりの時間が経過したと思われるところで、森下がようやく動きを見せる。

 

 徐に携帯を取り出しながら、こちらを見て口を開いた。

 

 「それは、私との会話は宝隆燈にとって、楽しいものであったということですか?」

 

 「ああ、そうだ」

 

 間髪入れず、俺は返答する。

 

 「そう、ですか。……失礼しました。そのようなことを言われたのは初めての経験でしたので少々動揺してしまいました」

 

 携帯を片手に持ちながら体を僅かに揺らす森下。

 

 「またもやだが、意外だな」

 

 そんな俺の言葉に返事はない。まだ動揺が収まっていないのか、手を頻りにぶらぶらさせている。携帯が落っこちないか見ていて不安になるな。

 

 「そういえば、連絡先を交換してなかったな。折角できた縁だし、どうだろう」

 

 手に握られている携帯端末を見て、そんなことを思い出す。元々はベンチから離れる際に聞こうと思っていたことだが、会話の内容が内容なだけにすっかり忘れてしまっていた。

 

 内容こそアレだったが、会話が弾んでいてとても楽しい時間を過ごせたので、是非ともまた話したいと思っている。思わぬ形で自己分析が進んだのも偶然性があってとても良い。

 

 総じて、非常に有意義な時間だった。

 

 そんな理由から連絡先の交換を提案したが……。

 

 「……! なるほど、私はそういうことが……」

 

 俺の言葉には返事をせず、一人携帯を見つめながら呟く森下。そろそろ会話に参加をしてほしいところだが、そんな俺の思いは彼女には中々届かず、暫くの間、液晶画面に浮かぶ自分の顔を眺める森下を見つめる時間が続いた。

 

 やがて長考を終えたのか、こちらに意識を向けた森下と連絡先を交換する。

 

 「好きな人の連絡先を獲得しにいくのは当然の反応ですからね。何も可笑しくありません。意欲があるのも良いことです」

 

 「コミュニケーションが得意じゃない俺が言うのもなんだが、同じネタを擦り続けると相手にウザいと思われてしまうぞ。それと好きな人じゃない。『主観』で、『暫定』世界で一番顔が可愛い女子なだけだ」

 

 「……事実を言っただけなので」

 

 「その事実が覆るよう、俺もこれからは積極的に人と関わっていくとしよう。何だかこのままだと負けた気がするしな」

 

 そんな俺の言葉に対して僅かに不機嫌な雰囲気を漂わせる森下。

 

 相手を不快にさせるような言葉を発したのは確かなので機嫌が悪くなっても仕方ないが、俺としても森下に延々と『顔が可愛い』ネタを擦られるのは望ましくない。

 

 できれば早々に答えを見つけたいところだ。

 

 「まぁいいです。では宝隆燈、楽しい時間をありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします」

 

 「ああ、よろしく。おやすみ森下」

 

 「ええ。ではまた、宝隆燈」

 

 最後までフルネーム呼びを崩すことなく別れの挨拶を終え、森下は寮内へと入っていく。

 

 だが途中で足を止めて、再びこちらへと振り返った。

 

 「どうした?」

 

 「――いえ。ただ、深夜テンションとは恐ろしいモノですね。まるで自分が自分じゃないみたいです」

 

 

 そんなことを告げた後、今度こそ足早に寮内へと去っていった。

 

 

 

 

 

 

 


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