織田信長には弥助という黒人の家来がいましたが、この時代弥助以上に出世した「アフリカ移民」は世界にいたんでしょうか?それとも宣教師の下、わりとかなりの身分にまで上った黒人さんとか結構いたんでしょうか?

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アフリカ系と書こうとしてなんとなく「移民」と書いてしまいました。お三方ともありがとうございます。

お礼日時:2010/4/25 15:34

その他の回答(2件)

弥助は宣教師一行が連れていた黒人奴隷ですね。 彼らにとっては奴隷はモノなので献上品の一つとして信長に献上された訳です。 また黒人ではないのですが蒲生氏郷の家臣にも外国人がいたと思います。 日本名は山科勝成、イタリア人で本名をジョバンニ・ロルテスというそうです。 元は聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の兵士で、九州攻めの際には岩石城攻の一番槍の功名をたてたそうです。 氏郷死後の行方には諸説あり詳しいことは伝わっていませんが、赤髪蒼眼の武士として蒲生家で活躍しましたそうです。 後に石田家に仕え関ヶ原で奮戦する蒲生備中をはじめ、蒲生家には勇士が多くおり、その中に山科勝成という異才もいたというのは面白い話だと思いますね。

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2010/4/19 5:10

アフリカ移民ってどういう意味ですか?宣教師ヴァリニャーノが黒人奴隷として連れ歩いていただけですよ。当時の世界で人種差別意識を持っていなかったのは日本人だけです。