やりたいなら、やろうよ。
新潟に大盛りランチを五百円で出す喫茶店がある。珈琲付き。絶対に赤字でしょと言うと、オーナーのママは「儲けなくていいと思ってるから」と笑う。心配した客が、多めに注文したり友達を連れてきたりお土産を持ってきたり裏金を渡したりする。豪放磊落なママの口癖は「いつ終わってもいいと思ってるから」「いつ死んでもいいと思っているから」。儲けないと言う生存戦略。終わらせてたまるかと思う客たちがせっせと通い、この店は四十二年続いている。ママは新潟の天然記念物であり、絶滅危惧種である。絶滅危惧種は保護される。ママが生きるために頑張らないから、周囲の人間が頑張る。
新潟の自殺率は高い。曇天が多い新潟県民の心は殺伐とし、ストレスの捌け口を探している。ママは「暗く生きるより明るく死のうぜ」と言わんばかりの勢いで、明るい自殺行為に走る。それを見た新潟県民は焦り、どぎまぎし、本当に死なれたら困るとなってお店に通う。お店の口コミを見ると、ほとんどの人が「安過ぎて心配」と書いている。そして「ママはもう少しお店を掃除した方がいいと思う」と書いている。明るいママは掃除をしない。料理は美味いが、家事全般は嫌いだ。ある人は「けしからん」と怒るが、ある人は「仕方ないなあ」と言って箒を持つ。金を払って、ママの店の掃除をする。
死にたいと話す新潟在住の女性K様をママの店にお連れした。ママは「はじめてのお客さんにはこれをあげているんだよ」と言って、手作りのぬいぐるみをK様にあげた。掃除が嫌いなママの趣味は裁縫で、気持ち悪いぬいぐるみを大量生産する。最初、K様は「え」と言って引いた。だが、ある時点でスイッチが入ったのか、今年一番の笑顔を見せながら「ママ最高」と讃えた。滅びの美学を身に纏うママの生き様は痛快で、愉快で、軽快で、爽快だ。通常の価値観が通用しないため、こちら側の器が問われる。私は、ママから儲けないと言う生存戦略を学んだ。ママは、言葉ではなく態度や存在で語る。自由になりたきゃ自立しな。金を稼げるようになるか、金がなくても大丈夫な人間になれ。体を使うか、頭を使うか。口だけ出して、金は出さない人間になるな。そんな人間は最悪だよ。
森の中を歩きながらK様は「本当はさみしかったんだな」と言って泣いた。心の底から自分は平気だと思っていたけれど、楽しい時間を過ごすと、体の奥にあったさみしさや悲しさが顔を出して、溶け出して流れる。あ、自分はさみしかったんだなと、受容と解放が同時に起こる。逃げる限り追われる。向き合うと消える。抵抗すると苦しくなる。受け入れると自由になる。ママは生きようとしない。続けようとか思わない。いつ終わってもいいと思っている。自暴自棄とは違う。いつ終わってもいいと思っているママは、命の塊となり、瞬間瞬間に爆発する。過去もない。未来もない。今しかないんだよと言いながら、ママは、命を燃やして爆発する。その姿に、理屈を超えた感動を覚える。あ、私ちゃんと生きてなかったとなって、涙が出る。
何かに生かそうと思わなくていい。何かの役に立たせようと思わなくていい。金になるとかならないとか、役に立つとか立たないとか、そんなことは考えるな。やりたいなら、やろうよ。美しいもの、面白いもの、かっこいいものをたくさん目にして、心の中に蓄えていく。それを仕事にするとか、何かの役に立たせるってことは問題じゃない。それを見たことがあるということが、必ず、これからの人生に生きてくる。自分を支えるものになる。美しいもの、面白いもの、かっこいいものを目にした時に、涙が出るのはそのためだよ。本当は楽しみたかっただけなのだと、受容と解放が同時に起こる。何のためとか、何の役に立つとか、考えないでいいんだよ。やりたいなら、やろうよ。生きていく中で、あ、これのためだったんだなと思える瞬間に必ず出会う。その日のために、安心して、失敗すればいい。安心して、踏み出せばいい。それを見たことがあるということが、必ず、何かに生きてくる。新潟のママは、そんな風に言っているように思えた。これから東京に行く。
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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