安倍元首相支えた「ネット右派」三つの潮流 彼らはどこへ向かうのか

聞き手・大内悟史

 安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件から2年。憲政史上最長の長期政権を支えた「岩盤支持層」の中で特徴的だったのは、インターネットの興隆とともに育った「ネット右派」の存在だった。唯一無二の支持対象だった政治家を失った彼らはどこへ向かうのか。ネット上の言論空間の移り変わりを追ってきたメディア研究者の伊藤昌亮(まさあき)・成蹊大教授に聞いた。

 いとう・まさあき 1961年生まれ。成蹊大教授。専門はメディア論。著書に、90年代から2000年代にかけてのネット上の言論空間の移り変わりを追った「ネット右派の歴史社会学」(青弓社)など。「ひろゆき論」など話題の論考を数多く発表している。

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 2010年代以降に安倍氏や自公長期政権を支持したネット右派のなりたちと現状を理解するには、いくつかの「軸」を組み合わせて分析する必要がある。

 社会運動や政治思想史研究の面から見て、ネット上で安倍政権を支持する発言を繰り返していた層はいわゆる「ネット右翼」ではなく、「ネット右派」と呼ぶべきだと考える。国家や伝統を重んじる「文化保守」的な従来型の右翼だけでなく、「小さな政府」を志向し、国家からの自由を重んじるネオリベラリズム(新自由主義)やリバタリアニズム(自由至上主義)の潮流なども含まれるからだ。多様な主義主張をひっくるめてネット右派という大きなくくりで認識すべきだ。

 伝統的な右翼・保守と経済的自由などを重んじるネオリベラル派がともに安倍氏を強く支持し、長期政権を支えていた。文化や伝統を守る主張と自由を優先する主張のあいだには、ときに矛盾や対立が生じるわけだが、互いに矛盾や対立がある様々な層の支持を「足し算」で集め続けたのが、ネット上の安倍政権「岩盤支持層」の特徴と言えるだろう。

 10年代以降のネット右派には、少なくとも三つの政治潮流が流れ込んでいる。

 第一に、外国人受け入れなどに反対して国に救いを求める「福祉排外主義」。第二に、自由が最優先の「オタク・リバタリアン」(オタクの自由至上主義者)とでも言うべきネオリベラル派。第三に、経済的苦境から不満を抱えた中小自営業者などの旧中間層で、例えば日本青年会議所(JC)の人々など。この三つのうち、福祉排外主義と旧中間層は反グローバリズムの「文化保守」に分類される。一方で、オタク・リバタリアンなどのネオリベラル派は世界経済の一体化を前提としている。

 こうした潮流は欧米の政治情勢とも一定の共通点がある。フランスの「国民連合」(RN)などの右派政党は、移民受け入れに反対する一方で、国による統制を強めるナショナリズムのもとでの「福祉国家」再建を重視しており、こうした立場が「福祉排外主義」と位置づけられる。支持を集める背景には、医療や年金などの社会保障制度の充実に力を入れてきた従来型の「福祉国家」が、他ならぬこの自分を救ってくれないという疑念の広がりがある。

 1990年代以降に登場したいわゆる「ネット右翼」も、一見すると戦争責任や歴史認識の問題を主題としてきたように見えるが、近年は欧米の右派と同様に、福祉排外主義の特徴を強く持つようになっている。現に、00年代に広がった「在日特権」や近年の「公金チューチュー」といったネット上の言葉遣いには、税金や社会保険料の使い道をめぐる不満が色濃くあらわれている。

 移民が欧米ほど多くない日本で標的にされたのは、在日コリアンや女性、貧困層であり障害者、LGBTQなどの人々だった。差別されてきたがゆえにリベラルな福祉政策の救済対象となっている人たちであり、そうした社会的弱者だけが支援されていると現状を捉えて異議を唱える「反・反差別」の動きが展開された。

「個の力」信奉と他の弱者への冷笑

 もう一つ、別の政治潮流も共通している。それは「自由」を求める動きだ。

 「ネット右派」を構成したのはどういった人々だったのか。その分析に続いて、記事の後半では安倍氏の「リベラルな価値観」をも取り込んだ多面性など、広い支持を集めた要因を考えます。そして安倍氏亡き今、彼らの動向の鍵を握るのは、「左派・リベラルの側のアップデート」だと伊藤教授は指摘します。

 ひとことで言えば、右翼・保守は「国」が大事だと考えて守ろうとするのに対し、ネオリベラル派は「自由」が大事。例えば、その一部は「表現の自由」を主要な争点の一つにしている。オタクのための表現の自由を重視するこの「オタク・リバタリアン」は、女性差別的な表現をする「自由」を求め、自分たちの表現の幅を狭めるポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)の動きに反発している。

 別の「自由」もこの政治潮流を加速させている。高度な情報技術(IT)の発達により貧富の格差が拡大し、ひと握りの成功者が経済的自由の恩恵を大きく受けており、ネット特有のオタク・リバタリアンの主張を増幅させている。これは欧米にも共通する経済・メディア状況だ。米国ではイーロン・マスク氏やピーター・ティール氏、日本では西村博之(ひろゆき)氏や堀江貴文氏が代表的な論客として注目され、ネットを通して大きな影響力を行使している。

 ひろゆき氏や堀江氏の主張を支持する人々は、投資や副業で収入を増やして「個の力」で生きのびる発想を共有しながら、社会的弱者を救済しようとする「大きな政府」に対して異議を唱える。公共的な問題へのシンパシーは低く、自分以外の弱者に対しては冷笑的。リバタリアンといっても、起業がしにくい日本では投資や副業に活路を見いだすしかないが、ネットに張りついている時間が長い層はそうした選択に親和性がある。しかし、全員が利益を得て幸せになる可能性は極めて低く、彼らの多くがネオリベラリズムに流され、絡め取られている状態と言える。

 「外国人より自国民を大事にしろ」と再分配を求める福祉排外主義の主張と、自由を最優先するネオリベラル派の「再分配などやめてしまえ」という主張には大きな違いがあるが、現状に対する「異議申し立て」という点では同じ。日本も全体として、欧米と同じような政治状況が生まれていると見ていい。

 次に、福祉排外主義と重なる部分が多い存在として、JCなどの旧中間層を挙げたい。自民党は公共事業や農業・中小企業などの振興政策を通して全国にあまねく利益をもたらした。ところが、90年代のバブル崩壊や橋本構造改革、00年代の小泉・竹中構造改革により地方への利益誘導が大幅に縮小し、08年のリーマン・ショックが追い打ちをかけた。

 民主党政権(09~12年)も「コンクリートから人へ」を掲げ、地方の農家や商店主、中小企業経営者などの旧中間層は一気に苦境に陥った。これまで得られていたものを失うことによる「相対的剝奪(はくだつ)感」を抱いた中小自営業者などの人々が、新興勢力としての韓国や中国への敵対心をもとに「右傾化」を進めたのは、同じ00年代のことだ。

 一般にネット右派の集票力は、ネット上の言論空間における存在感ほど大きくない。ただ、JCは地域社会のリーダー的存在であり、自民党にとっては主な集票マシンの一つ。安倍政権を中核で支える右派系の国会議員を誕生させる原動力になった。

「敵」の敵は味方

 なぜこうした複数の勢力が安倍政権の「岩盤支持層」となったのか。10年代からの長期政権確立に至る歴史的経緯を振り返っておきたい。

 安倍氏は93年に初当選。97年にいわゆる教科書議連(日本の前途と歴史教育を考える議員の会)が設立され、安倍氏も幹部となり右翼・保守層の期待を集めた。第1次安倍政権(06~07年)の支持層はこうした従来型の右派が中心で、短命に終わった。

 第2次安倍政権以降は小泉改革後の格差拡大が生んだ福祉排外主義や旧中間層の不満に応えたことに加え、アベノミクスによる株高が好感されたことから、オタク・リバタリアンなどのネオリベラル派も取り込んだ。大胆な金融政策と大規模な財政出動を同時に掲げたことで、財界や個人投資家から地方の旧中間層まで、あるいは金融緩和を求める層から小泉政権が切り捨てた層までを幅広く支持基盤とした。政策に一貫性がなく、やれることを何でもやったわけで、その全体的な評価となると難しいが、とにかく呉越同舟・同床異夢の幅広い支持を集め続けた。

 政治手法の面から言えば、安倍長期政権は森友・加計問題に象徴される「ネポティズム」(縁故主義)をもたらした。反差別を掲げる左派・リベラルの社会運動からすれば、差別主義の究極としての縁故主義は許しがたく、大きな反発を生んだが、しかしかえってそのことが、「左翼嫌い」の右派の広範な支持を集めることにつながった。左翼という「敵」の敵は味方だという認識を共有することで、多少の違いを超えた大同団結が可能になった。

 安倍氏自身が多面的な存在で、ある面では「弱者男性」の側面が見られたことも、支持層の拡大に効果的だった。名家の出身だが、決して完全無欠の「強者」ではない。従来型の右翼・保守に一方の軸足を置きながら、他方では市場志向の強い新自由主義的側面もあり、それと同時に自身の家族像などを通してリベラルな価値観を取り込んだ姿勢も見せた。

 恵まれたエリートなのにどこか普通の人っぽい。独特の人のよさ、とぼけた感じがあり、周囲の人々の期待に柔軟に応える素直さを備えていた。複雑で多面的な政治家で、様々な支持層が願望を投影しうる唯一無二の存在だった。例えば後任の菅義偉前首相や岸田文雄現首相、高市早苗氏らが安倍氏の役割を1人で担うのは、とうてい困難だろう。

「あいまいな弱者」をどう包摂するのか

 安倍政権を強く支持したネット右派が今後どこへ向かうのか。どう向き合えばいいのか。鍵を握るのは左派・リベラル側のアップデートだと見ている。

 まず、左派からネット右派に対しては、戦争や差別はいけないという当たり前の批判が繰り返されてきたが、すでに30年も経つのに新たな右派勢力が次々と生まれてきている状況であり、あまり有効ではない。当たり前のことを当たり前に言い続ける一方で、不満を抱くオタクや旧中間層も再分配や社会的承認の対象とするようなアプローチに努めなければ、ネット右派は説得されないだろう。

 特に、ひろゆき氏や堀江氏を支持する人々のようなネオリベラル派を軽視してはならず、敵視してもいけない。高度情報化が進む現代社会において、新たな産業振興や雇用の創出は、情報技術を中心とする技術革新の延長線上にしかありえない。

 在日コリアンや女性、貧困層などの明らかな弱者こそ社会的に排除されているわけだが、非正規雇用やオタクの男性、旧中間層などの「あいまいな弱者」も、自分たちは排除されていると思っている。いま苦しい思いをしている点では、明らかな弱者も「あいまいな弱者」も変わりはない。

 明らかな弱者に対する政策とともに「あいまいな弱者」に対するメッセージも打ち出す。女性の正社員も主婦も、男性の非正規雇用も、中小企業の経営者も自営業も、フリーランスも(ネットを通じて仕事を請け負う)ギグワーカーも、若者も高齢者も――。社会から排除されていると感じる人々をより広範に包摂し、経済を少しでも成長させていく。より幅広い層に向けた労働・雇用政策や社会保障政策は、結果としてネット右派対策にもなるだろう。いわば「福祉レジーム」の再設計こそネット右派と向き合う処方箋(せん)となる。

 この30年のネット上の言論空間が生み出したネット右派の存在が提示している問題を、次の時代まで放置してはならない。(聞き手・大内悟史)

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 いとう・まさあき 1961年生まれ。成蹊大教授。専門はメディア論。著書に、90年代から2000年代にかけてのネット上の言論空間の移り変わりを追った「ネット右派の歴史社会学」(青弓社)など。「ひろゆき論」など話題の論考を数多く発表している。

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この記事を書いた人
大内悟史
文化部|論壇・読書面担当

社会学、政治学、哲学、歴史、文学など