貫目のない人間を座布団に座らせるな

「首長」というからには、助役・副市長など50代、60代まできちんと務め上げてきた立派な大人もいる職場です。

 その代表者というべきWさん60歳が、いま命を失われた。鹿児島県警の生活安全部長とWさんと、共に還暦で正義を貫こうとした。

 それを受け止め、トップとして取るべき所作が、いまの兵庫県知事にみられるか、という問いです。

 ある職責に見合うだけの成功失敗、泥をかぶり、時には涙を飲み、しかし確かに自分でやり遂げたという手ごたえある人生の実績、古い言葉でいえば「器」「貫目」を養いつつ、いままでの人生を歩むことができているのか?

 必要な貫目がある人なら、ことここに及んで「第三者委員会は設置しない」「調査方法は申し上げられない」けど「誹謗中傷」と「必要十分に判断」なぞという、もはや恥ずかしい水準の拙い「ロジック以前」論理破綻、とてもではないけれど口にできたものではない。

「ロスジェネ」全体は、明らかに国際政治経済の犠牲者にほかなりません。だからといって、実務の積み上げと無関係に、立派な大人が地味に、地道にコツコツと積み上げてきた仕事や人生を台無しにしてよいという法はありません。

「石丸論法」型の無責任行政は、公正であるべき公務員機構を根太から腐らせるリスクが懸念されます。

 選挙では対立候補でしたが、小池百合子候補も長年にわたって「石丸論法」の先駆者と言うべきかもしれません。小泉進次郎氏より小池百合子氏の方が「石丸論法」的検証の対象であるべき必要が感ぜられます。

 なぜといって、小池氏の政治家生活30年は、そのまま「失われた30年」に重なっており、門構え肩書はともかく、大きく力を振るう機会を持たなかったことは、完全に共通しているのですから。

 確かな業績がある人は、学歴のなんの、といったことに拘らないし、あるがままを見せて前を向いて歩いて行きます。そういうまともな人にイニシアティブをとってもらう必要があるでしょう。

 その器でない者、職責に求められる貫目のない人物を、いくら神輿が軽いと便利だからといって、そのような座に据えるのは、根本的に間違っているのではないかと思います。