無意味な雑務ばかり多く、若い時期に本当に取り組むべき課題で業績を残せなかった人。

 それでも上によくお仕えして職位には恵まれたような人が「アームチェア」管理職化した例はいくらでも(実名は出しませんが)挙げられます。

 今回「石丸候補」に関して、銀行員時代には「半沢直樹」などのドラマを参考に、いかに「講演」するかを工夫した、というウエブ記事を目にしました。

 銀行の専従といっても、米国主要都市やシンガポールなどで見られる、自ら電子計算機を駆使して戦略展開するエコノミストではなく、ドラマのセリフを研究して、人をどう口説くかといった仕事で、人となりを養ったらしいことが記されていました。

「恥を知れ」というセリフ一つにしても、3日考えたそうです。

 つまり、そんなことに3日も時間を使い、現場で泥をかぶって一つひとつ仕事を成し遂げて行く、市政の最前線とはかなり距離があったらしいことが、こんなところからも垣間見えるように思われました。

 元来の日本の体質に加え「失われた30年」で、本来活躍すべき分野で20代、30代に十分に業績を残せなかった「ロスジェネ・エリート」には、突然ヒステリックに叫んでみたり、自ら責任を引き受け潔く謝ることが苦手だったり、ともかく、いろいろな症状を見せる人が思い当たります。

「ロスジェネ」と世代を一括りにしても、中には、きちんと地に足の着いた歩みで器のある30代、40代も確かに存在し、そういう人に、世代のイニシアティブをとってもらいたいと思うのです。

 いま、ここで検討している「斎藤知事」「石丸前市長」などが、「どのようなロスジェネ・エリート」であるかは、ここでこれ以上問わないことにしましょう。

 しかし、少なくとも、いま白日の下に晒されているような、みっともない責任転嫁は、自治体の首長が取るべき所作ではない。

 一部の「ロスジェネ・エリート」には、ついてる肩書だけは立派だけど、現実には何も成し遂げたことがない「空疎なキャリア」が、そこそこの頻度で散見されます。

 そういうあたりに、みっともない責任転嫁やら、人の業績を自分のものにすげ替えて見せるやら、そんなことに走る傾向が観測されがちです。それではいけない。

 つまり、冒頭に記した、あの救いようのない「プロジェクション・マッピング」だって、それを担当する都の役人がおり、それで「成功」すれば、お気に入りとなって役所で出世しうるわけです。

 あんな、どうしようもない無内容で空疎な税金の無駄遣い、実質的には広告代理店への付け届けみたいな「政策」を担当して、どうやって地方公務員として積むべき本当のキャリア、政策実績を積むことができますか?

 そんなのばっかしになっちゃったのが、ここ30年来「ロスジェネ」が若者から中年になるまでの、この国の歩みの実態だった。

 そのツケを、いま目にしていると言えるでしょう。