江戸時代の奉行所と変わらない兵庫県庁

 この状態、つまり被告人が判検事を兼ね、かつ弁護人がいない状態は、江戸時代の百姓一揆などにおける「強訴」に対する「おカミのお裁き」と性格が共通する、現代日本では決してあってはならない処分になってしまっている。

 にもかかわらず、「兵庫県」サイドは「調査の結果、記載された全事案で」「核心的な部分が事実ではなく」「誹謗中傷」と断定。

 贈答品の受領を認めた県産業労働部長は「訓告処分」とするなど、自己正当化に徹底し、「必要十分な調査を行えた」「県の信頼は回復できたものと考えており、第三者委員会の設置は必要ない」と断定。

 人ひとり亡くなっているというのに、この無軌道ぶりに兵庫県議会は6月13日「百条委員会」の設置議案を可決。

 その第三回会合(7月19日)にW氏自身が証言出頭することなどが決まりましたが、7月7日日曜日、家族から行方不明届が県警に出されていたW氏が姫路の親族方で亡くなっていることが判明。

 翌8日朝から「百条委員会」の緊急理事会が開かれますが、このような折ですら、亡くなった方に圧力をかける要求に固執する会派(あえて政党名は出しません)があったそうです。

 多数決の結果、当然ながらそのような要求は否決されたそうです。

 月曜日の午後、神戸新聞を皮切りにこの顛末が全国に報道される事態となり、7月11日には副知事が辞任を決意、知事にも引責の意向を尋ねますが、斎藤知事は「辞める選択肢はない」と答えたと報道されています。

 すでに2人亡くなり、県庁内の空気は最低最悪、県民の不信も頂点に達しても「辞めるという選択肢はない」と言えてしまう、この状況。

 これと、マスコミとのやり取りにまっすぐ答えず、都合の悪い質問には上から目線で逆に質問を繰り返す過程で別の話に挿げ替え、時間切れで最終的にうやむやにする・・・という例の「アレ」。

 いわゆる「石丸構文」と呼ばれるものと、極めてよく似た論理的骨格を持つ点が気になるのです。