龍角散の関係者で、現在の美郷町六郷東根地区で米を栽培しているのは春霞酒造の栗林様のようです。正確には親戚ではなく、遠縁にあたるのだと推測されます。ネット上の不確かな情報にはくれぐれもお気をつけください!

Joined September 2021
それでは行きます! 龍角散の関係者で、現在の美郷町六郷東根地区で米を栽培しているのはこの家(春霞酒造の栗林様)のようです。 正確には親戚ではなく、遠縁にあたるのだと推測されます。 ネット上の不確かな情報にはくれぐれもお気をつけください!
令和五酒造年度全国新酒鑑評会で金賞いただく事ができました。六郷東根地区、坂本さん栽培の美郷錦仕込みの純米大吟醸です。ということは、イベントで田植え稲刈りしてもらったお米ですね!ありがとうございました! #春霞 #日本酒 #金賞
確認したところ、この地域にもう1人。この人は疑惑の本拠地というか、もうまさに疑惑の総本山の、、、人です。 怪しい情報の発信源の人たちの、、、がヒント。 いやはや、古くは知っていたであろうことも時の流れのはやさに驚いています。
ただの偶然ですが、去年からコツコツ調査していた人と、龍角散関係の怪しい情報の発信源の1人とされる人が某地域の同じ沿線に住んでいることが分かりました。 ヒント。 ここは当アカウントではお馴染みとなりました秋田県のみのつく町と何らかの関係のある地域です。 7月に、、、?
残念なお知らせがあります。大仙市側の人が何人か逃げましたが、よりによってこの時期に誤解を招くようなことを良くやりますね。 おかしなことがなければ逃げる必要はないと思いますが、、、。
あなたのいる場所の「すぐそこ」がトラブルの発信源です。 これがスペシャルヒント。
ただの偶然ですが、去年からコツコツ調査していた人と、龍角散関係の怪しい情報の発信源の1人とされる人が某地域の同じ沿線に住んでいることが分かりました。 ヒント。 ここは当アカウントではお馴染みとなりました秋田県のみのつく町と何らかの関係のある地域です。 7月に、、、?
去年の秋口に似たようなポストをやり過ぎた感じはありましたが、今ならその意味が分かる方も多いかと。 勘の鋭い方は当方が書いたことを元に、「あの人じゃないか?」と的確に聞いてきた人もいましたが、 それ せーいかーい(ドラマ「クロコーチ」風に)
Replying to @MimiS760327
失礼致します。これはこの人がポストしていただけであり、この時の当方は仙北市の人だから敵視していた訳ではないですよ。悪質な印象操作です。 くれぐれも不確かな情報にはお気をつけください。よろしくお願い致します。
ムキになって、龍角散は美郷町のものだと主張しているのは? それは本当ですか? ここまでなる前に止めなければいけない立場の人が沢山いたのではありませんか?
失礼致します。江戸中期の佐竹のお殿様がのどが弱かったと古い資料にはあります。 ただ、正確には龍角散の原型となった佐竹に伝わる薬は水戸藩のものだと言われています。 資料通りですのでよろしくお願いします。
Replying to @HlRe39 @chaconne_15
失礼致します。倹約家だったのは小林製薬からの婿である2代得三郎です。 現在の隆太社長が音楽やるようになったのは、父である前社長が音楽をやりたかったでしょう。 この手の物は古い資料を見れば色々と書いてありますよ。
龍角散の原型となるとさらに長く、約300年以上前の水戸医学、儒学がルーツとされます。
Replying to @pictmatch
失礼致します。1871年創業は東京府側の理屈でして、秋田市と大曲では江戸時代から龍角散が売られていたようです。 なお、現在は開発という言葉を使っていますが、正確には藩の命令でのち龍角散となる薬の調合を習いに行ったもので、本来、開発したのは水戸藩だと言われています。 資料通りです。
無理矢理、美郷町の話に持っていこうとしているの誰か?と考えれば答えは見えてきます。
歴史には様々な説があることを繰り返しポストして来ましたが、そろそろ再開しますね! あくまでも龍角散は美郷町のものであることを主張する皆さんに読んで欲しいところですが。
現在いくつかのアカウントの再調査中です。何か分かればまたポストしていきますね!
いつの間にか美郷町の龍角散になっていますが、龍角散と関わりが深いのは秋田県秋田市や大仙市の大曲もです。 秋田市や大曲は、皆さんも良く通るような場所が龍角散のゆかりの地となります。 あとは佐竹といえば東京の下町。
歴史には様々な説があることを繰り返しポストして来ましたが、そろそろ再開しますね! あくまでも龍角散は美郷町のものであることを主張する皆さんに読んで欲しいところですが。
※藤井家を六郷出身(#美郷町)と書いているのは「六郷町史」のみ。 常陸国(#茨城県)から久保田(#秋田市)に入り、大曲へ移住したと書いてるのは、丸山浩一(日本家系図学会常任理事。家系研究協議会名誉会長)さんの著書です。 他にも国替えの時、国替えの少しあとに久保田へ来たという説が。
龍角散について、一般的に知られていない説が載っている本や資料の名前は信頼出来る相手にお伝えしました。 無理矢理、美郷町六郷、若しくは仙北市の話にしようとしている人たちはいませんか? そこ! そこを狙っていきましょう!
失礼致します。龍角散の原型は水戸のもの。それを藤井一族が習いに行ったもの。 正確には江戸時代から現在の秋田市と大曲で龍角散は売られていたようですよ。 むしろ東京府では知名度がなかったため、明治の初期はあまり売れなかったと伝わります。それがのちの広告戦略に繋がっていくようですが。