今年7月、早稲田の街に激震が走った――馬場下町交差点にある、そば屋「三朝庵」が突如閉店。1906(明治39)年創業、カレー南蛮や卵とじカツ丼発祥の店として知られる老舗は、好調な売り上げだったにも関わらず、店主の高齢化と後継者の不在によってのれんを下げることを決意したのだった。
近年、洋食店「エルム」(2016年)や、ラーメン店「西北亭」(2017年)、「ラーメンジャンボ」(2015年)、「天ぷら いもや」(2017年)、そば屋「長岡屋総本店」(2018年)といった早稲田を代表する老舗店舗が続々と閉店し、学生たちの胃袋を満たしてきた「ワセメシ」に変化の波が押し寄せている。一体、ワセメシはどうなっていくのか…?
今回の特集では、近年急速な勢いで学生たちの胃袋をつかんでいる新興の油そば店「武蔵野アブラ学会」、ワセメシを象徴する老舗「メルシー」、そして、惜しまれながら閉店した「昇龍軒」(2011年)の味を受け継いだ居酒屋「かわうち」を訪れ、変わりつつあるワセメシの現在を取材。そこから見えてきたのは、飲食店にとどまらず、早稲田の街全体に訪れている変化だった。
ギトッとした油と濃厚なスパイスの香りが、食欲を刺激する。お酢とラー油を垂らし、麺をかき混ぜると、湯気と共に香ばしい香りが立ち上り、思わず唾を飲み込む…。
今、油そばは早稲田の学生にとっての新たなソウルフードとなりつつある。
早稲田界隈(かいわい)には「東京麺珍亭本舗」「油SOBA専門店図星」「麺屋こころ」「麺爺あぶら」といった店舗が軒を連ねており、この秋には「早稲田文化芸術週間」(主催:早稲田大学文化推進部)において「油そば学概論・講義編」も開催。多数の学生でにぎわった。
そして、早稲田の学生たちにたっぷりの油を“給油”し続ける名店として知られるのが「武蔵野アブラ学会 早稲田総本店」だ。
国際基督教大学を卒業した木村考宏さんと角幡陽平さんによって2010年にオープンした同店は、都電荒川線早稲田駅停留所からほど近い場所に立地し、昼時には常時10人以上が行列を連ねている。一体なぜ早稲田に店舗を構えたのか? 角幡さんはこう語る。
「特に立地にこだわっていた訳ではありませんが、僕の兄が早稲田大学出身で、かつて僕自身も3カ月ほど早稲田に暮らしていたために馴染みがあった。数多くの古本屋さんがあり、『文化のある街』『知的な街』というイメージでしたね」
しかし、そんなイメージは、店舗を出店するとあっけなく壊れてしまった…。
「実際は、知的というよりも“野蛮”(笑)。店員が目の前にいるのに、こっそり一升瓶を持ち込もうとした学生もいましたね。本人は隠しているつもりかもしれませんが、狭い店内ではバレバレです(笑)。また台風直撃の中で着流しでやって来て、おもむろにぬれた服を脱ぎ出す学生もいました。その時は、別で来ていた学生もずぶぬれの服を脱いで意気投合し、『これが学会だよな!!』と盛り上がっていました(笑)」
普通の街であれば激怒されそうなエピソードも、笑顔で語られるのが早稲田という街の魔力。そんな学生街の特殊性は、店内でのサービスにも反映されているという。
「サラリーマンなど大人のお客さんの場合、絶対に粗相があってはいけないし、変なことをしても受け入れられない。しかし、早稲田ではそんなサービス業の定石は通用しません。むしろ、率先して変なことをすることで、学生たちに面白がられ、話題にしてもらえるんです。例えば、通路に足を投げ出しているお客さんを注意する場合にも、『随分と長い足だね〜、ちょっとしまってもらえるかな』と食堂のおばちゃんのような接し方をしています。自分も楽しんで働くことで、学生たちはお店を愛してくれるようになるんです」
同店の名物となっているお客さんの呼び出しシステムもそんな「変なこと」の一つ。塩ビ管によって作られた、映画『天空の城ラピュタ』に出てくるような伝声管が、店外に並ぶお客さんを呼び出すために使われているのだ。
「このシステムをインターホンにすることもできますが、アナログの方が絶対に面白いし、話題にしたくなりますよね。こういった、ふざけた遊びを受け入れてもらえるのが学生街のいいところ。早稲田で営業をしていると、この街にある“遊び”が、日本の学生文化をつくっていることが分かります」
では、そんな早稲田の街で、なぜ油そばは急速に勢力を拡大しているのだろうか? 角幡さんは、当事者としての自虐を交えながら、こんな分析をする。
「そもそも、油そばってダメな食べ物じゃないですか(笑)。ワセメシと呼ばれるお店のメニューも、あまり健康にいいイメージじゃないものが多い。でも、おなかいっぱい食べることができるし、学生時代だからこそ食べる“思い出の味”になる。創業からまだ8年ですが、お客さんから『昔、通っていたんですよ』と言われると、感慨深いものがありますね」
思い出に残る「ダメな味」に舌鼓を打てるのも若い学生の特権。油そばは、これから「早稲田の味」として、多くの人々の記憶に残っていくだろう。
油そば店をはじめとする新興勢力が勢いを増す中、60年にわたって早稲田の街で営業を行っているワセメシの象徴的なお店が、言わずと知れた「メルシー」だ。昭和の香りが漂う店舗に一歩足を踏み入れると、迎え入れてくれるのは蛍光灯の明かりと古い扇風機。休み時間になると、ひっきりなしに学生たちが訪れ、年季の入ったテーブルと椅子で名物のラーメンやチャーハンを食している。
メルシーが産声をあげたのは、1958(昭和33)年。そこにこんな「前史」があったことは、意外と知られていない。2代目として店を切り盛りする店主の小林一浩さんはこう語る。
「この界隈にうちの親父が住んでいて、戦前は喫茶店をやっていたんです。けど、すぐに戦争になっちゃって、2〜3年の営業で閉店に追い込まれた。戦後、親父は進駐軍の下でハンバーグを作っていたんですが、1958年、今の南門近くに初めは食堂として『メルシー』をオープンしたんです」
当時は、ラーメン、チャーハンなど、今でも人気を誇っている定番メニューの他に、コーヒー、丼、サンドイッチ、かき氷など、さまざまなメニューを提供していたメルシー。1970(昭和45)年に現在の早稲田中学校・高等学校前に店舗を移転すると、メニューを厳選し、今の形になったという。
「味付けについては、当時から全く変わっていません。少なくとも、自分がお店に立つようになった30年前からはずっと同じやり方を貫いている。40〜50年も昔から通っているOB・OGもたくさん来るから、味を変えるわけにはいかないんですよ。値段もなるべく安く、ボリュームを多くして、味付けも学生が好む少し濃いめの味を守っている。そうして、学生に愛される味をずっと保っているんです」
そんな変わらないメルシーの味を求めて、タモリ氏、橋下徹氏、堺雅人氏など有名校友も家族を連れて来店。雑誌などの取材も絶えず、早稲田大学出身の漫画家・弘兼憲史氏による『島耕作』シリーズの学生編では、若き日の島耕作が「メルチー」なる食堂でラーメンをすする姿も描かれている。
では、同じ早稲田の街で商いを続けてきた老舗として、小林さんは三朝庵や西北亭の閉店についてどのように感じているのだろうか?
「厳しいけれども、後継ぎがいないんじゃしょうがないよね…。うちも後継ぎはいないから、自分の代で終わると思います。ただ、あと10年か20年は大丈夫。身体が続くまでは頑張りますよ」
実は、かつて「メルシーが閉店する」といううわさが流れたことがある。早稲田界隈の老舗が続々と閉店しているという趣旨の記事でメルシーの写真が使われ、この記事を見て勘違いした人たちが「メルシーが閉店!?」と慌てふためいたのだ。
「記事自体は『老舗が閉店する中、メルシーは頑張っています』という内容だったんだけど、最後まで読まないと伝わらない内容だったから、勘違いしちゃったんでしょうね。多くのOB・OGたちが心配して来てくれたり、電話をしてくれましたよ」
結果的には誤解に終わったものの、そんな騒動は、改めてメルシーが早稲田にとって欠かせない存在であることを教えてくれた。
ラーメンを一口すすると、そこには煮干しダシが効いた昔ながらの変わらぬ味わいがあった。
いくつかの店は惜しまれながらもなくなってしまい、早稲田の街も大きく様変わりした。かつては、スマートフォンをいじる学生はいなかっただろう。けれども、メルシーには、いつの時代も変わらず学生たちが足を運んでいる。今でも「ラー大」「もや大」といった注文が飛び交い、同じラーメンを食べているのだ。
後継者の不在によって老舗が閉店に追い込まれてしまう中、失われてしまった老舗の味を受け継いだのが、早稲田通り沿いに店舗を構える居酒屋「かわうち」だ。同店では、2011年に惜しくも閉店した「昇龍軒」の名物メニュー「溜豆腐(りゅうどうふ)」を受け継ぎ、今もなおメニューとして提供している。
かわうち店主の渡部雄一さんは、老舗の看板メニューを受け継いだ経緯をこう語る。
「昇龍軒の大井川昇さんには、お祭りや商店会などの現場でとてもお世話になっていて、何十年も昔から付き合いがあったんです。しかし大井川さんが、がんを患ってしまったことによって昇龍軒は閉店に追い込まれました。確か、あれは亡くなるちょっと前かな、大井川さんが溜豆腐のレシピを持って訪ねて来てくれたんです」
「話を聞くと、溜豆腐を食べたいというOB・OGの声が多く、かわうちで溜豆腐を出してくれないか? ということでした。『昇龍軒がなくなっても、自分がいなくなっても、早稲田の街に溜豆腐の味を残してもらいたい』という気持ちが強かったんでしょうね。その気持ちに応えるため、引き受けさせてもらいました」
手渡されたレシピを基に、大井川さんに試食してもらいながら細かい味の調整を重ね、「かわうち」による「昇龍軒の溜豆腐」が再現された。残念ながら、昇龍軒と同じ500円という価格では提供できなかったものの、甘辛のたれと、豚肉、きくらげ、豆腐の生み出す味のハーモニーは、かわうちでも大人気に。
「まあ、ちょっと違うな…とか、いろいろ言ってくる人もいますけどね。私も昇龍軒さん好きだったから。いきさつを2〜3倍に盛って話すんです(笑)。でも、そういうことと関係なく、人気ですよ、溜豆腐は」
今や、昇龍軒を知る校友ばかりでなく、その存在を知らない若い世代にも、人気メニューとして受け入れられているのだ。
また実は、前述の「メルシー」でも同様に、今はなき老舗のDNAが受け継がれている。ただしメルシーの場合、メニューではなく「人」。2012年に閉店してしまった、かつてメルシーと学生の人気を二分するほど人気だったラーメン店「ほづみ」の奥さん・鈴木恵美子さんが、メルシーのホールを切り盛りしており、そんな鈴木さんの姿を一目見ようと、メルシーに足を運ぶ校友も少なくないという。
店舗がなくなっても、味や人は早稲田に残り、早稲田の街を形づくっている。
ところで、かわうちの渡部さんは、商店会の役員を引き受けるなど、街をつくる立場から早稲田の街の変遷を見てきた人物。そんな彼は、老舗店舗がなくなっていく事情をこのように説明した。
「うちは賃貸物件で家賃を支払いながら営業を続けているのですが、多くの老舗は家族経営だし、店舗も所有物件だから経費がほとんどかからない。だから、なんとか“安くてボリューム満点”でも経営は成り立つんです。ただ、飲食店は朝から晩まで働き詰めの体力を使う仕事。売り上げが落ちた訳じゃなくとも、年をとって動けなくなったら、お店を人に貸して収入を得よう、という発想になるのもやむを得ないですよね」
「それから、老舗店舗が閉店してしまう一方で、大規模なチェーン店はなかなか早稲田に参入することができない。早稲田では、1年のうち4カ月は大学が休みとなり、人の流れがぐっと減ってしまうんです。長期休暇のときは、うちでも売り上げが3分の1に激減し、赤字になってしまいます。そうするとね、店はなくなっていって、ワンルームマンションなんかに変わっていく」
「安くてボリューム満点」という学生街の味は、ファミリービジネスと絶え間ない経営努力によって成り立っていた。しかし時代が変わり、かわうちのように賃貸物件で営業する店が増加。商店会に入らない店も増えてきたという。
「街灯の電気代などは商店会費から支払っているのですが、商店会への参加は強制できない。『協力するメリットを示して』と言われてもね。それは端的なものではなく、街の発展を考えてのことだから…。なかなか難しいところです」
かつては多くの飲食店や古本屋が軒を連ね、商店会の勢いも盛んだった。しかし、時代が変わり店が入れ替わっていく中で、商店会も今や全盛期の勢いを失いつつある…。そんな逆境に追い込まれながらも、街を盛り立てているのが、早稲田の学生によるボランティアだという。
「商店会のイベントなどで学生に手伝ってもらうと、早稲田の学生たちの優秀さを実感します。率先して手伝ってくれるし、仕事もきちっとやってくれる。今や、商店会の活動は、学生たちのサポートによって支えられているんですよ」
後継者の不在によって老舗が閉店し、商店会は最盛期の勢いをなくす。一方で、商店会に入らない店の増加や、油そばをはじめとする新たな潮流が生まれ、早稲田の街は変化の真っただ中にあった。では、そんな変化を数十年にわたって見てきた人々は、どのような心境でいるのだろうか?
後編では、西門で1965(昭和40)年から営業を続けてきた「三品食堂」店主であり、早稲田大学周辺商店連合会会長の北上昌夫さんと、2004年に惜しくも閉店してしまった「チョコとん」で知られる「フクちゃん」の元店主・金刺正巳さんの対談から、早稲田の街の「これまで」と「これから」を見つめていこう。
- 取材・文:萩原 雄太
- 1983年生まれ、かもめマシーン主宰。演出家・劇作家・フリーライター。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団が主催する『第13回AAF戯曲賞』、『利賀演劇人コンクール2016』優秀演出家賞、『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。かもめマシーンの作品のほか、手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。
http://www.kamomemachine.com/
- 撮影:加藤 甫
- 編集:横田大(Camp)