pixivは2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴
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ぼくは今日、小さなバスの停留所に座っていた。降り続く雨を避けるためと、ランダルがここに来てくれる可能性に賭けて、ぼくはずーっと、停留所に座っていた。バスは一度も来ない。時刻表には、不明瞭な文字のような物が書いてあるだけだ。ランダルはこの世界でバスに乗る必要なんてないから、この世界にバスは来ない。
ふと隣を見ると、雨に濡れたランダルが俯いていた。トタン屋根に雨粒がぶつかる音で足音が聞こえなかったが、いつの間にか来ていたらしい。
「やあ、ランダル。なんだか今日は…ご機嫌ななめだね」
「……兄さんに怒られた」
「そうなんだ……ねえランダル、ぼくに話してみて?もしかしたら、気分が晴れるかも」
不機嫌そうな顔のまま、ランダルがこっちを向いた…と思ったら、ぼくの両肩に手を置いて、激しく揺さぶりながら叫んだ。
「セバスチャンがあのだっさい髪型にされちゃうんだよぉ〜〜〜!!」
「ち、ちょっとダル、落ち着いて!なにがどうしてどのださい髪型にされちゃうの!?」
「あっ、ごめん……あのさ、わたしって食事のマナーがなってないってよく怒られるんだけど……今日もそれで怒られてね……」
「うん」
「いつもはそれで済むんだけど、今日は……なんか、他のことまで持ち出してきて。もっとペットを大事にしろとか、愛情を持って接しろとか、挙句の果てに、部屋の片付けをしなさいとか……」
「……うん」
「しかも!セバスチャンを預かるっていうんだよ、部屋の片付けがちゃんとできるまで!そんなの百年かけても終わらないよ!!……でムカついちゃって……ふて寝したの」
「へえ、大変だったね」
ランダルが黙って、沈黙が訪れると、雨の降る音がやたらに大きく聞こえた。それが耐えきれないのもあり、ぼくは気の利いたことを言おうと…ランダルの親友でいようと心がけて、口を開いた。
「お兄さん、今日は機嫌が悪かったんじゃないかな。それに部屋の片付けもすぐ終わるよ。いらないものといるものと、いるかわからないものに分けて、全部捨てるんだ……ぼくも正直、片付け苦手だから、合ってるかわかんないけど!」
「…ありがと……起きたらやってみる。あーあ、ずっと寝ていたいな。そしたらこうやって、優しくて漫画みたいな友達とずっと話してられるのに」
「……じゃあさ、ダル!」
ぼくは雨の中に向かって駆け出した。後ろからダルの止める声が聞こえる。トタン屋根の下から出ると、すぐに冷たい雨がぼくの身体を濡らす。くるりと振り返って、少し困惑気味のダルに笑いかける。
「ずっと夢の中にいるのはどう?夢の中なら、こんなに濡れても大丈夫。だってダルにはなんだってできるんだから!」
「ずっと、夢の中に……」
「うん、そうだよ!ほら、ダルも来て!」
ぼくが手を差し伸べると、ダルはその手をとって、ぎゅうと握ってくれた。手袋越しでも体温が伝わる。
「そういえば、さっき言ってただっさい髪型って何?」
「兄さんそっくりの髪型だよ!!兄さんセンスが古いから、みーんなあの髪型にしちゃうんだよね!」
「ダルもあれにされたことあるの?」
「一回だけ!でもあれは黒歴史だよ!」
「えー見たいなあ!」
「絶対にダメ!!」
雨に負けないくらい大きな声で、二人揃って笑った。
「ねえ、ダル……」
「……ん?さとる、わたしのこと呼んだ?」
「呼んだ。あのね、ぼく、ずーっと、ダルの夢の中でこうやって楽しく笑って過ごしたい。一緒に学校に行って、授業を受けて。昼休みには一緒にお弁当食べて、放課後は部活をやって」
「……わたしもそうしたいよ、さとる……そうしよっか!」
「……!いいの?約束だよ、絶対だよ」
「その方が楽しいもんね」
空は晴れ間が見えてきていた。雨が日光に反射して、きらきらと光る。ぼくを祝福しているみたいに、雲の下から光が降り注いでいた。
ひとしきり遊んだぼくたちは、体力を使い切ってしまって、また停留所に座った。
「あはは、楽しかったあ」
「また雨の日にこうして遊ぼうね、ダル」
「うん!あー手袋濡れて気持ち悪い…」
「ぼくのうちで乾かせばいいよ。明日は何する?」
「あ、バス来た!」
バス?
急いで時刻表を確認すると、そこには「現実行き」と書いてあった。腕時計を見る。ちょうど今の時刻まで隣に書いてある。さっきまでなかったはずの表記。
「ね、ねえダル!そのバス、現実行きって書いてあるよ、乗っちゃダメだよ」
「んー?今日はこれで起きてみるよ、面白そうだしね」
「だから、起きちゃダメなんだって……!ぼくたち、さっき約束したよね!?ずっと夢で……この世界で、二人で遊ぶって!学校も行くって」
「あー」
ダルは興味のなさそうな顔をして、適当な返事をした。冷や汗が不快感を伴って噴き出す。
「部活もやるって、……言ったよね、ぼく」
「うん、うん、そうなんだけどさー、やっぱりそれナシで。だって、兄さんからセバスチャンを奪い返さないといけないし」
心臓がバクバクする。なんとかしてダルを引き止めなきゃ、このバスが発車する前に。
「……そ、掃除。掃除しなきゃダメなんだよね」
「それもしなーい。だってわたしの部屋はあれで完成してるんだもん。力づくで奪い返してくる」
「さっき、ぼくの言った方法、で、やってみるって」
「……あのさ、さとる」
ランダルの目線は冷たかった。さっきまで降っていた、鋭い雨粒のように。心臓が凍るようにひやりとする。
「夢ってさ、覚めるから夢なんだよ。ずっと思い通りに進む世界なんてつまらないよ。さとると楽しく遊びたいから、わたしは帰るね」
つまらない?ぼくがいるのに。いつでもぼくは夢の中にいるのに。
「そろそろ兄さんも許してくれてると思うしさ」
停留所のトタン屋根から垂れる水滴を通して、まぶしい夕日がぼくを突き刺す。バスは時刻表どおりに行ってしまった。
「ダル……全部嘘じゃん」
ずっと一緒に……いられると思ったのに。
バスはもう見えなかった。いつのまにか、空には雲ひとつなくなっていた。ぼくは、夕焼けの反射する水溜まりをさらに赤く染めた。