こんにちは、保育士のだいちです。
心も体もリフレッシュしたかった三連休でしたが、残念ながらXで胸糞の悪くなる話が流れてきて気分が悪くなってしまいました。
ご存じの方も多いかとは思いますが、知的障害と発達障害を持っていらっしゃる方が働きながらの猛勉強の末に保育士の専門学校に合格し、その旨をポスト(tweet)した所、大炎上となってしまいました。
批判的なポストの内容としては「知的障碍者が働いていたら子どもの事故が起こるだろう」という様なものらしいのですが、それを受けてその方はせっかく合格した学校への入学を辞退してしまったそうです。
その一連の流れを知って、非常に胸糞が悪くなると同時に悲しくなりました。
この事から得られる教訓を忘れない為にも、それを受けての私の私見なども含めてここに書き記しておきたいと思います。
どんな理由があっても「学ぶ自由」を否定すべきではない
まず第一に言いたいのはこの事です。
例えば園の名前を出して「知的障害がありますが、どこそこに保育士として就職します!」と投稿したならば、そこに子どもを通わせる保護者など直接に利害関係のある人たちが反対の声を上げるのは分かります。
しかし今回の場合はまだ保育士になってすらなく、養成校に合格したという話です。
言うまでもなく、そこで勉強する自由は誰にでもあります。その自由を誰かが制限したり侵害したりする事などあってはならないのです。
保育士になりたいと思って養成校に通い、そのまま夢を実現する人もいれば、現実に圧倒されて諦める人もいます。本当に自分に出来るかどうか、そこで学びながら考える機会すらも否定されるというのは非常に遺憾であります。
しかも今回に関しては養成校側が志望者の障害に関する自己申告を聞き入れた上でOKを出しているのです。
これについては単に金さえ払えば誰でも入学させるなどの歪んだ見方もあるかもしれませんが、実習に送り出して何かやらかされたら学校の評判にも関わる事ですから、学校側もそれをしっかりと考えた上で夢をサポートしたいと合格通知を出したのだと思います。
叩く人たちはそんな事は全く考えずに感情の赴くままに、また流れのままに叩いているのでしょうから何を言っても1%も理解できないとは思いますが、一応書き記しておくこととしましょう。
情報を精査せずにバッシングする頭の足りない人たちへ
所々で、「自分の子どもの担任になったら嫌だ」とか、「知的障害があるのなら子どもたちへの安全配慮が十分に出来ないだろう」とかいった的外れ極まりないポストが散見されました。
こういう人たちは、相手の言い分を知った上で自分の意見を出すのではなく、よく知らない事に関して心の中で独り相撲を繰り返し、そうして出来上がったしょうもない意見を汚い言葉と共に相手にぶつける迷惑極まりない人種なのでしょうね。
今回炎上してしまった方は、「自分は障害の特性上、多数の子どもたちを見守る事は難しいから個別支援が出来る運動療育の場で働きたい」とポストされていました。
「保育士の資格を取る」となればイコール「保育園で働く」という事だと誤解されている方は多いかもしれませんが、保育士の就職先は様々です。誰かの無知かつ無責任極まりない発言で、保育士になりたいと願う心優しい人の夢や人生が壊されるなど、あってはならないことです。
せめてその辺りの事情を知った上で、それでもそれが非と思うのであれば自分の意見を投稿すれば良かったのだと思います。公開しているアカウントで発言する以上は、言論の応酬が生じる事は普遍的な事ですから。
障害当事者だからこそ「無理だ」と主張する人へ
数ある意見の中に、障害当事者だからこそ保育士になるのは無理だと主張する人もいました。
まずそういった人には、環境に恵まれなかった事を心からお悔やみ申し上げます。
保育士として働ける業界に限った話ではありませんが、障碍者を雇用しても適切なフォロー体制を整えてその人を輝かせられる職場もあれば、数え切れないほどの健常者たちを腐らせてしまう職場もあります。
ですから、「絶対に無理」などと断言する事は出来ないのです。
自分の経験からその様に述べているのだとすれば、それはあくまで「環境に恵まれなかった者」が見てきた世界を通した意見でしかなく、世界はもっと広いですから障碍者でも輝ける世界はいくらでもあります。
自分の見える世界だけが全てだと思わない方が良いと思います。
障碍者へのトラウマから批判する人へ
知的障碍者に酷い目に遭わされたからこそ今回の方を批判する人もいました。
そういったバイアスがかかってしまうのは往々にしてあることですが、それは病的な状態なのでSNSでつまらない投稿をしていないで精神科を受診したりカウンセリングに通ったりした方が良いと思います。
「人」に裏切られ続けて人間不信に陥るとか、「男性」に酷い目に遭わされて男性不振に陥るといった事はよくありますが、それはかなり病的で辛い状態ですから、一刻も早く治療した方が今後の人生にとって良い事と思います。他者に牙を剥けて治るものではありません。
例えば何かの食物を口にして酷いアレルギー症状が出たとしましょう。その後に「何かを口にする事自体がいけないんだ」と絶食したりするでしょうか。
火傷が痛かったからと言って、金輪際ガスを使用しなくなるでしょうか。
程度の差こそあれ、それと同じ事です。確かに誰かにトラウマを負わせるような行為は決して赦される事ではありません。しかし、その相手方が障碍者だったからと言って障碍者全員を恨むのはお門違いというものです。
植松死刑囚の様な事件を起こす前にトラウマ治療を施した方が良いと思います。
障碍者の締め出しは子どもの安全に繋がらない
今回の炎上騒動を起こした人たちの言い分として、「障碍者が保育士をしたら子どもの安全が保障されない」というものがある事は先述の通りです。
しかし、障害を持ちながら保育士を志す人を締め出したら子どもたちは安全に過ごせるようになるのでしょうか。
答えは否です。現在騒がれている不適切保育だの児童に対する性犯罪だのは「一見普通の」健常者によるものも多い訳ですから、明らかに障碍者だと分かる人だけ締め出したところで、子どもたちの安全は確保されないのです。
寧ろ、ASDなどの障害を持つ人は黙っていられないという特性を持っていますから、それが組織の自浄作用に繋がる事もあるのです。
つまり、例え経営者や管理者が不正をしていたとしても「長いものには巻かれよ」で全員が黙っているならばその組織の自浄能力は0です。しかしそこに「黙っていられない人」がいるのなら、その人が起点となって組織の改善やサービスの向上に繋がる事だってあるのです。
無責任に叩く人の方が弱い。何なら一番深刻な障害
今回の事で改めて分かりましたが、SNSというのは魔窟です。
もちろんまともな人たちが殆どですし、読んでいて勉強になるポストもたくさんあります。
しかし、自分より強い誰かに叩かれた腹いせに自分よりも弱い者を見つけて叩いてやろうという恥ずかしい生き方をしている人たちが沢山隠れているのもまた事実です。
本当に弱いのは外野から叩くだけの人たちで、ハンディにも負けずに自分の信じた道を進もうとし、その軌跡を残してくださったその方は誰よりも強いと思いますけどね。
寧ろ知的障害より何より、「更に弱い者を叩く」様な生き方しかできない人たちの方がよっぽど深刻な障害だと思いますが、政治家たちは彼らにも何か救済措置を施した方が良いのではないでしょうか。救いようのない人が殆どだとは思いますが。
誰もが輝ける社会へ
散々胸糞を吐き出してしまいましたが、最後には建設的な事も書いておきましょう。
色々と言った私も、いざ子の親となった時に子どもを預ける相手が知的障害をお持ちだったとしたら、色々と考えてはしまうと思います。
しかし、それがその人を否定して良い理由には絶対になりません。
その点をどうしていくかは、その人個人よりも組織の力が試される事でしょう。
障害を持ちながら健常者たちと全く同じ仕事をする事は難しいのかもしれませんが、互いにフォローし合って誰もが活躍できる職場を作る事は出来ます。
私自身は経営者や管理者の様な組織を直接に作る立場ではありませんが、組織の一員である以上はその思想や意識、言動といったものが組織を形作っていく上での小さな礎となるはずです。
つまり、一人一人の小さな気遣いなどが積み重なれば、やがては自然と互いを補い合えるような素敵な職場になっていくという事です。そしてその姿を発信していけば、同じ志を持つ組織が増えていきます。
その為の行動を取っていきたいと思います。
今回炎上してしまった方については、今どうされているのか、これからどうされるのか分かりかねますが、同じような境遇の人が次に出て来て下さった時に、誰もが批判ではなく応援の言葉を送れるような、そんな社会にしていきたいですね。