郡司芽久の『キリン解剖記』は研究の真骨頂だ!
どうしてもアマゾンで本を買うことが多いが、やはり本屋さんへもでかけねばならない。いきなりこの本が目に飛び込んできた。はぁ?『キリン解剖記』??
なんじゃそら。経験上、この手の本はあたりはずれが大きい。いったい誰が書いているのかと著者紹介を見ると、なんと女性の写真が… 郡司芽久、きっと「ぐんじナントカひさ」という名前だと思ったのに「ぐんじめぐ」らしい。キリンの解剖ということで、いきなりジェンダーバイアスのかかった印象を持ってしもた。アカンがな。
経歴を見ると、「日本学術振興会育志賞」受賞とある。あまり知られていないだろうが「将来、我が国の学術研究の発展に寄与することが期待される優秀な大学院博士課程学生を顕彰」する賞である。内容、ちゃんとしてそうやん。おもろそうやん。HONZでの紹介は発刊3ヶ月以内というのが基本ルールだ。奥付を見たら、8月1日と4週近く先。未来からやってきたのか、この本は。ということで「超」超速レビューである。
東京大学に入学した芽久さん、生命科学シンポジウムに参加して、「一生楽しめる大好きなことを仕事にしたい」と考え始める。
“そういえば、私、動物の中でも特にキリンが好きだったなぁ
”
生物系の研究のメインはいまや分子生物学である。そんな中でキリンだ。普通に考えたらアホ、元へ、無謀である。しかし、「博物館と遺体」という全学自由研究ゼミナールがあるのを発見する。さすがは東大、訳のわからないこともやっている。担当教員は遠藤秀紀・東京大学総合研究博物館教授、専門は「遺体科学」。幸運にも京大から異動されたばかりでのゼミ開講だった。
「キリンの研究がしたいんです」と何人もの先生に尋ねたが、難しいと言われ続けてきた。そらそうだろう。しかし、遠藤の答えはちがった。
“キリン?キリンの遺体は結構手に入るから、解剖のチャンスは多いよ。研究できるんじゃないかな。機会があったら連絡するよ
”
ホンマですか?結構あるんですか。いやぁ、遺体科学専門家はやっぱり違う。
そこから芽久さんのキリン解剖修行が始まる。結構あるといっても、動物園で亡くなったキリンが献体されるしかない。キリンの解剖は大変だ。なにしろでかい。冷凍庫に入れて保存することができないので、あった時勝負だ。熱帯の動物なので、亡くなるのは冬が多い。連絡があると、元旦であろうと解剖をしなければならない。実際、毎年のように年末年始は解剖だった。あるお正月、元旦に遠藤先生から来たメール、正月にふさわしくなさすぎて笑える。
“
頌春 遠藤です。さっき、某動物園でキリンが死にました
”
キリンといえば誰がなんと言おうと首の長さだ。その解剖といえば、あのリチャード・ドーキンスを思い出す。進化的制約のために、反回神経は脳から出ているのだが、大動脈の下をくぐって喉頭部に達している。だから、キリンでは、むちゃくちゃ長くなっている。ドーキンスはわざわざそれを確認するために、キリンの解剖に立ち会ったのだ。
遠藤先生曰く「国内にキリンの研究でしてる人間はいないと考えていい」。だから、基本的には自分ひとりで学ばねばならない。芽久さん、最初は何もわからなかったが、次第にキリンの解体と解剖(この違いは本書で詳しく解説されている)の腕をあげ、いろいろなことがわかるようになっていく。
修士課程から博士課程に進むにあたり、研究テーマを決めなければならない。芽久さんが選んだのはキリンの第一胸椎について。よく知られているように、哺乳類の頸椎は、首が長かろうが短かろうが、ナマケモノのような例外を除いて7個である。キリンもその例外ではない。
頸椎の次にあるのが胸椎だ。1999年に、骨の形態的な特徴および腕神経叢の位置という解剖学的な特徴から「キリンの第一胸椎は、本来は第七頸椎だと捉えることができる」という内容の論文が出されていた。少しわかりにくいが、首が長いので、第一胸椎が八つ目の頸椎のようになっているのではないか、ということだ。
しかし、この論文の結論は、かなり否定的に捉えられていた。大学3年生の時にこの論文を遠藤から渡されていた芽久さんだったが、その時は全く理解できなかった。だが、修士課程にはいって、この論文に偶然再会したとき、これをテーマにしようと決める。芽久さんもすごいが、将来を見通していたかのような遠藤先生のメンターシップもすばらしい。
ここからは研究の話だ。キリンの解剖だけでなく、近縁種だけれどあまり首が長くないオカピの比較検討も必要だ。キリンに比べるとオカピの飼育数ははるかに少ない。しかし、幸運にも冷凍されていた生後まもなく亡くなったオカピの標本が手に入った。キリンの赤ちゃんの遺体も手に入った。それらをCTスキャンにかけて、オカピでは動かない第一頸椎が動くことを確認した。
最終的に、キリンの第一胸椎は、定義上は肋骨がくっついているので胸椎だが、機能的には「8番目の “首の骨”」であることを明らかにする。決定的な証明をすべくおこなった解剖のドキュメンタリーは、まるでプロジェクトXだ。
役にたつ研究を、とか言われることが多い昨今だ。いまは役にたたなくともいずれ役に立つかもしれない、とか、おためごかしのようなことが言われることもある。しかし、断言しよう。キリンの第一胸椎の研究がいずれ何かの役に立つことなど絶対にありえない。
“誰かの役にたつような研究を、とか、世界を救うような研究を、という高尚な志をもって研究の道に入ったわけではない。ただただ、「子どもの頃から好きだったものを追求したい」という一心だった
”
それでいいのだ。好奇心が導く芽久さんの研究はむちゃくちゃおもろい。本の後半、第一胸椎研究のストーリーにはいってからは、ワクワクドキドキ、そして感動しながら一気に読んだ。役に立つとか立たないとかよりも、研究で大事なのは、まず自分が面白がることだ。そして、他人に面白がってもらえることこそが研究の真骨頂なのである。学術振興会も、よくぞ郡司芽久さんを育志賞に選んだものだ。お目が高いっ!いやぁ、おっちゃん研究者、大興奮の一冊だ。
ドーキンスとキリンの解剖については、この本に記されています。レビューはこちら。
怪獣が大好きだった少女が恐竜の研究者になり、フタバスズキリュウの名付け親に。なんだか似てませんかね?このお話もむちゃくちゃ面白いです。ちなみに佐藤たまきさんも東大女子。
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