「ファンがマウンドに立っている」ルーキー、DeNA石田裕太郎の「人生を変えた決断」…「西舘を見て、自分はこれじゃやっていけないなって」
あと一歩で球団初のデビュー4戦4勝に迫るなど、好投を続けるドラフト5位ルーキー、石田裕太郎。「ファンがそのままプロ野球選手になった」青年が、プロへの道を切り開いた「人生の決断」を語る(全2回のうち第2回/第1回はこちら) 【写真】「ほぼ、ただのベイファン?」DeNAドラ5ルーキー石田、指名の喜び爆発から初勝利で三浦番長との感激ツーショットまでを見る 中央大学から昨年のドラフト会議で5位指名されてDeNAに入団。大学時代は1年秋からリーグ戦で投げ、2年秋にはマダックスを達成するなど好投を見せ、防御率1.11で最優秀防御率のタイトルを獲得している。だが3年になると怪我も疲労もなかったが、何故かピッチングが停滞してしまう。プロに行きたかった石田は、ここで大きな決断をする。
オーバースローを捨てた日
「プロになるためには球速を上げなくてはいけない。そうフォーカスした時、当時オーバースローで投げていたんですけど、それが合っていないように思えたんです。自分はウェイト・トレーニングもあまりやっていなかったし、腕力があるわけでも体が強いというわけでもない。なのに結構上投げだよなって感じていたんです」 そこで4年の春、動作解析によるフォーム研究をしている後輩に相談すると、腕のアングルを下げたスリークォーターを勧められた。 「で、練習をして最初の試合で投げてみたら、リリーフでしたがヒットを1本も打たれない完全投球ができたんです。真っすぐも速くなってMAX149キロ出るようになったり、あと同時にシンカーを習得することもできたんです」 人生を左右するドラフトイヤーの大きな決断。上手く行かなければプロへの道は遠ざかっていたが、恐れず変化に挑んだことが功を奏した。 「2年生の時、防御率のタイトルを獲ったりマダックスを達成したりしましたが、自分の中では『何で抑えられているんだろう? 』って感じだったんです。運が良かったな、みたいな。けどフォームを変えた4年の秋は自分の実力で抑えられた感覚があって、これならプロでもやれるかなって自信を持つことができたんです」 頷くように石田は言った。現在の活躍につながるターニングポイントとなったフォーム変更。それを後押ししてくれたのが、大学の同期で昨年のドラフトで巨人から1位指名された西舘勇陽だった。
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