信長に仕えた黒人侍Yasuke 昨春アニメ化 世界が注目する魅力
今から450年近く前、天下統一を進めていた戦国大名・織田信長に気に入られ、近臣となったアフリカ出身の黒人侍がいた。イエズス会の宣教師に連れられて来日した男性の名は、弥助。その数奇な人生を題材に、米動画配信大手「ネットフリックス」で2021年春にアニメシリーズが配信され、米ハリウッドでは映画化の動きもある。なぜ今、「Yasuke」は注目されているのか。魅力を探った。【後藤豪】
“史上最強の浪人”ヤスケが主人公 ネトフリが配信
アニメの舞台は、群雄が割拠する戦国時代の日本。史上最強の浪人ヤスケは、戦いの日々を経て一度は隠居の身となったが、地元の村が大名たちの争いの戦場となる。邪悪な力と血に飢えた武将たちの標的となった不思議な少女を護送するため、ヤスケは再び刀を手に取ることに――。
ネットフリックスのアニメシリーズ「Yasuke -ヤスケ-」のシーズン1は、昨年4月29日に世界で全6話が同時配信された(シーズン2は未定)。配信に先立って、ラション・トーマス監督は昨年3月、アニメ化の動機などについて次のようにコメントした。
<日本の歴史におけるヤスケの役割について、私が初めて知ったのはおよそ10年前。来栖良夫の児童書「くろ助」(記者注・1968年、岩崎書店)に描かれた絵に、好奇心を刺激されたのがきっかけです。やがて、彼がただの架空の人物でなく実在していたと知りました。冒険物語を描く上でまさに素晴らしい題材だったのです>
米ハリウッドで映画化の動きも
ハリウッドでは映画化の話もある。キム・バース監督は、弥助について取り上げた昨年5月のNHKBSプレミアムの番組で、祖先が何世代にもわたり奴隷として働いていたことに触れ、負の連鎖を断ち切り、奴隷として働く農場から逃げ出し自由を勝ち取ったのは、高祖父だったと話した。キム監督は「高祖父はとても勇敢な男で(製作を準備している)映画の原点となった人物です」と述べ、弥助を主人公にした映画への思いを語った。
20年5月に米ミネソタ州で起きた白人警官による黒人男性暴行死事件を受け、黒人差別などに抗議する「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大事だ、BLM)」運動が、全米各地や世界で広がっていた。キム監督は番組の中で「今、世界中で人種差別による苦難や争いが起こり、ブラック・ライブズ・マターが叫ばれています。今だからこそ弥助を伝えたいという強い情熱が生まれたのです」とも述べた。
世界から注目されている弥助。10年以上にわたり弥助の研究を続けている日本大学法学部准教授のロックリー・トーマスさん(44)は言う。「黒人差別は、今に始まったわけではなく、歴史の深い部分で起きたものです。そんな中、450年近くも前に黒人侍として活躍した弥助の姿が、(米国をはじめ)今の人たちを引きつけているのではないでしょうか」
弥助の出身地は?
弥助はどんな人物だったのだろうか。
出身地については、アフリカの中で、モザンビーク説が有力だ。しかし、ロックリーさんは「姿や皮膚の色がモザンビークではない。(現在の)南スーダン周辺ではないでしょうか」と話す。さらに「子どもの頃、アフリカで捕まって人身売買されたのだと思います。ただ、日本に来るときには、いわゆる解放奴隷か傭兵(ようへい)だったのではないでしょうか」と続けた。
弥助は1579年、イエズス会の宣教師、アレッサンドロ・バリニャーノに連れられて船で来日した。護衛だったといわれ、降り立ったのは今の長崎県の島原半島の口之津港。弥助はバリニャーノとともに九州を巡り、キリスト教を信仰した「キリシタン大名」と面会したり、各地の布教拠点を訪問したりしたとされる。
信長は当初「墨色の肌」を信じず
1581年、バリニャーノの一行は使節として、当時の日本の中心だった京の都を訪れることに。近隣の大名などを次々と打ち破り、最高権力者になった信長に会い、キリスト教の布教活動に対する支援を求める必要があったとみられる。
九州を出た一行は、瀬戸内海を船で進み、当時の国際都市・堺へ。ロックリーさんによると、弥助を一目見ようと人々が殺到した。弥助は180センチを超える長身だったとされ、肌の色も「墨色」だったことから、ひときわ目に付いたのだろう。京でも無数の人だかりができ、その騒ぎは信長の耳にも入ったという。そして、弥助はイエズス会の別の宣教師とともに、京・本能寺で信長との面会を果たした。
信長は弥助の黒い肌を最初に見たとき、…
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