龍角散の関係者で、現在の美郷町六郷東根地区で米を栽培しているのは春霞酒造の栗林様のようです。正確には親戚ではなく、遠縁にあたるのだと推測されます。ネット上の不確かな情報にはくれぐれもお気をつけください!

Joined September 2021
それでは行きます! 龍角散の関係者で、現在の美郷町六郷東根地区で米を栽培しているのはこの家(春霞酒造の栗林様)のようです。 正確には親戚ではなく、遠縁にあたるのだと推測されます。 ネット上の不確かな情報にはくれぐれもお気をつけください!
令和五酒造年度全国新酒鑑評会で金賞いただく事ができました。六郷東根地区、坂本さん栽培の美郷錦仕込みの純米大吟醸です。ということは、イベントで田植え稲刈りしてもらったお米ですね!ありがとうございました! #春霞 #日本酒 #金賞
現在いくつかのアカウントの再調査中です。何か分かればまたポストしていきますね!
いつの間にか美郷町の龍角散になっていますが、龍角散と関わりが深いのは秋田県秋田市や大仙市の大曲もです。 秋田市や大曲は、皆さんも良く通るような場所が龍角散のゆかりの地となります。 あとは佐竹といえば東京の下町。
歴史には様々な説があることを繰り返しポストして来ましたが、そろそろ再開しますね! あくまでも龍角散は美郷町のものであることを主張する皆さんに読んで欲しいところですが。
※藤井家を六郷出身(#美郷町)と書いているのは「六郷町史」のみ。 常陸国(#茨城県)から久保田(#秋田市)に入り、大曲へ移住したと書いてるのは、丸山浩一(日本家系図学会常任理事。家系研究協議会名誉会長)さんの著書です。 他にも国替えの時、国替えの少しあとに久保田へ来たという説が。
龍角散について、一般的に知られていない説が載っている本や資料の名前は信頼出来る相手にお伝えしました。 無理矢理、美郷町六郷、若しくは仙北市の話にしようとしている人たちはいませんか? そこ! そこを狙っていきましょう!
失礼致します。龍角散の原型は水戸のもの。それを藤井一族が習いに行ったもの。 正確には江戸時代から現在の秋田市と大曲で龍角散は売られていたようですよ。 むしろ東京府では知名度がなかったため、明治の初期はあまり売れなかったと伝わります。それがのちの広告戦略に繋がっていくようですが。
大阪府 大阪市 中央区 道州町 この近辺がどうも怪しいですね。 いらないことをしなければ気づかなかったのに、、、。
失礼しました。余計なところに。が入りました。 さて、一連の調査により、観光関係者、インストラクターの皆さんに疑惑の目が向いています。 それは何が原因だったのか?をみんなで考えてみてください。
Replying to @senkanko
怪しい観光情報を流している人がいます。ので、気をつけてください。 現在の美郷町六郷東根が龍角散の生家であり、この地に端を発した龍角散はと主張している人がいますが、 当家は茨城県出身で、国替えを経て、秋田市。何代目かが医者となり、大曲、六郷にも藤井某が住んでいたが正解となります。
ほら、出てきましたね。 そして このリンク先に出てくるのが、 秋田県森林学習交流館 即ちプラザクリプトン やっぱりか。 サイトにあくまでも美郷町側の理屈を並べるのはこの手の連中ですが、呆れたことに彼らは正しい歴史を知らないのですね。
美郷町で’24七滝「水の森」植樹事業が行われました。 町内の児童たちの手によって200本のブナの苗木が植えられました。 詳細は、美の国あきたネットにてご覧ください。 pref.akita.lg.jp/pages/archi…
ここですね。一見、 龍角散のふるさと秋田 という表現なら問題なさそうですが、ところがこれを、例によって龍角散の歴史は美郷町や仙北市の歴史である!とやっているのがいるのが問題なのです。 この人のように、良く知らずにネット上で井戸端会議をしているのもまた問題の1つなのでしょうな。
今季、ハピネッツへのサポートありがとうございました。 龍角散のふるさと秋田を、これからもよろしくお願いします❗️🙌🙌 #龍角散
それでは、久しぶりに。当家が六郷(美郷町)出身の町医者で、のちに大曲(大仙市)に移住したという事実はありません。 本来の龍角散の原型となる薬は、久保田(佐竹)藩の秘伝薬でした。 「藤井家は、何代目かが医者になった」という昔の龍角散の資料と話が合わなくなります。
再掲載:夢中で作った #砂の城 を崩されまいと必死になる #疑惑の本拠地 の皆様。 色々と調査している方々にとって、#時は今 です。#突撃せよ#どうぶつの森#ぼくとシムのまち ならぬ、ぼくとわたしの龍角散の町状態となっていますが、龍角散とは藩の物。古くは #幕府の処方 です。よろしく!
この手の報道が正しかったのかをご確認ください。よろしくお願いいたします。 「龍角散は秋田県六郷(現在の秋田県仙北郡美郷町)出身の医師の一家をルーツとし、現在も当該地域で生薬栽培をするなど、秋田には大変ゆかりが深い企業です。」 ttps://sportsmania.jp/21286/amp/
この手の報道が正しかったのかをご確認ください。よろしくお願いいたします。 「龍角散は秋田県六郷(現在の秋田県仙北郡美郷町)出身の医師の一家をルーツとし、現在も当該地域で生薬栽培をするなど、秋田には大変ゆかりが深い企業です。」 ttps://sportsmania.jp/21286/amp/
このpdfにある説明は間違いだらけですが、龍角散の原型となった薬自体は300年以上前の水戸のもので、水戸光國に由来すると言われています。 竜角と和琴とは音楽に関する用語なので、本来の「龍角散」の名前とはここから来ているとされます。 ttps://www.mlit.go.jp/tagengo-db/common/001557186.pdf
このpdfにある説明は間違いだらけですが、龍角散の原型となった薬自体は300年以上前の水戸のもので、水戸光國に由来すると言われています。 竜角と和琴とは音楽に関する用語なので、本来の「龍角散」の名前とはここから来ているとされます。 ttps://www.mlit.go.jp/tagengo-db/common/001557186.pdf
古い話題に返信失礼致します。 秋田市、大曲には直営の店があったために地域で親しまれていましたが、肝心の秋田側で製造販売をしなくなってから時が経っているため、分からなくなっているのでしょう。 ちなみに今でも六郷で、龍角散を売る店があったことは知られております。
Replying to @KEIKOT0705
x.com/KEIKOT0705/status/1051… ↑この時に返信した者です。その節は失礼しました。 前から気になるのですが、この10数年で、元から言われていた龍角散のエピソードとは異なる話を広めている方々がいます。 どこから聞いた話だったのかを今一度ご確認ください。 よろしくお願い致します。
角館・佐竹の殿様が子供の喘息の治療のため藩医に薬を作らせて、そこの家の人が東京に出て『龍角散』として売り出して成功した…とかそんな話だったはず。