第9話 自主練、会得するもの
七月二十一日 月曜日
高校が終わり、帰宅部の燈真と椿姫、光希は寄り道をしつつ家に帰った。寄り道といっても近所の雑貨屋であれこれ見た後で、ちょっと駄菓子を買うくらいである。
その後は午後の修行メニューをこなし、夕飯である。
メニューはニジマスの竜田揚げとマンボウの刺身、マンボウの肝汁にハムとレタスのサラダ、桃、あとはやはり、白飯である。
裡辺地方ではマンボウが食卓に上がることが珍しくない。この地方の郷土料理といってもいい。裡辺地方法泉県は、東側の
マンボウは置き網にかかることが多く、ついでのように水揚げされる。裡辺にはマンボウが多く生息しているらしく、比較的安価に流通していた。
「湖の水温が低いから、ニジマスが多くてな」
柊が日本酒を注ぎながら口を開いた。
「龍神が住んでおるのだ。ゆえに水温が低いとか、あるいは地底に絶対零度の氷塊があるとか言われておってな。だから、低い水温を好むニジマスが生息しておるわけだ」
教えたがりの柊はそれだけ言うと、満足げに酒を飲んだ。
本当にそれだけで、先は喋らない。
椿姫は「村が比較的涼しいのも、湖で冷やされた風が吹くから?」と会話を広げた。
「いかにも。この土地が古くから妖怪に愛される所以だな」
「人間の俺にも、過ごしやすいけど」
「特殊だよなあ。フツー妖怪を恐れるんだけど」光希がマンボウの刺身を口に入れつつ、言った。生姜醤油で、さっぱりといくのが光希の好みらしい。
人間は本能的に妖怪を恐れる。
それは元々、妖怪と共存していなかった歴史からくるものだ。彼らとの共存が始まったのは、江戸中期から後期にかけてのことである。柊のように平安時代に人間と結ばれたと言う話は、だいぶ特殊だ。今でこそ妖怪と結婚というのは珍しがられてもそこまで異様ではないとされるが、当時の感覚でいえば神話の異類婚姻譚くらいの扱いだっただろう。
燈真はニジマスの竜田揚げを頬張り、咀嚼して飲み込むと、光希の言葉に答えた。
「いや、俺の家系ってだいぶ血ぃ薄いけど妖怪の血入ってるらしいからな。それもあって、平気なのかも」
「えっ、燈真も僕らと同類だったの?」
「ああ。それこそ平安時代に漆宮の方の祖先が妖怪と子供を作って、その心臓をもらったんだと。俺、小さい頃移植手術でその心臓をもらってるから、先祖よりは妖怪の血が濃いと思うぞ」
「燈真君マジ半妖じゃん。やば。人間って聞いてたからちょい割れ物扱う感じだったけど、乱暴していい感じ?」万里恵は可愛い顔してとんでもないことを言う。
「乱暴されるのは嫌だけど、気遣う必要はないよ」
柊が少し黙っていた。伊予が、斜め隣——上座の柊の目を見る。伺う、ではなく、はっきりと見ていた。椿姫はその様子をちらっと見て、どうしたんだろうと思った。
「伊予さん、柊が急に黙ることってそんなに珍しくないんじゃない? 喋るだけ喋って満足して大人しくなるなんて、むしろいつものことっていうか」
「えっ、ああそうね。酔いが回るのが早いからどうしたんだろうって」
「歳じゃないの? 今年で一四六一歳だっけ?」
「ふん、千幾許なんぞで年寄りなんぞ……」
燈真は耳を疑った。
「いつ生まれなんだ柊」
「大和時代。欽明天皇の御世に生まれたのだ。言っておくが、普通に母上も父上もおったぞ。妾はたまたま霊力に恵まれて、生まれながらに九尾だっただけであって、それ以外は普通の白狐だ」
まず、白狐が普通じゃない。稲尾家はアルビノというわけではなく、一族として白狐が定着しているのだ。ホッキョクギツネが変化した姿ではなく、この裡辺特有のアカギツネの亜種であるリヘンギツネ、それが白変種の一つとしてこの一族を成り立たせる白狐になったのだ。
「すっげえ長生きなんだな、柊」
「何を言う。万年公主を知らんのか。世の中には万年単位で生きた妖怪もおるのだ。千幾許など若い若い」
ひらひら手を振って、柊はまたグラスに酒を注いだ。
燈真は淡白で歯応えがあるマンボウの刺身を山わさびをおろした醤油につけて食べる。
「わっちは、ひゃくまんさいまで、いきちゃおっかな」
菘が桃を齧りながらそう言った。
子供ながらの純粋さである。実際、百万年後の地球はどうなっているんだろうか。昔図書館で、百万年後の生態系を描いた漫画を読んだことがあるが、あんな風に大陸が大きく移動し、生物も色々と進化して、タコやイカが地上に進出するのだろうか。
そんなことを考えながら燈真は食事を進めた。魚中心の食卓だが、伊予や椿姫、万里恵といった料理人の腕がいいのか、肉を食べた時と同じ満足感がある。
子供じみているが、燈真は肉か魚か選べと言われたら迷わず肉を選ぶ男である。しかし、こんなに美味い魚料理を食べられるなら、たっぷり五分悩んで、魚を選ぶかもしれないと思った。
比較的ゆっくり食べる方の光希はまだ半分残っているが、気にせずモニターのお笑い番組を見ながら食べていた。
画面ではネット配給の、昨今珍しい体を張ったバラエティをやっている。
竜胆はもう桃だけ、菘は食べ終わってご馳走様をしていた。
椿姫と万里恵は会話しながらマイペースに。そして燈真は、米の一粒まで綺麗に食べて、手を合わせた。
「ご馳走様」
「お粗末さまです。美味しかったかしら」
「美味かった。……柊、道場開いてる?」
「ああ。……雑巾掛け、忘れるなよ」
燈真は「わかってる」と言って、玄関で草履に履き替えた。
池にいる貝音が「精が出るわねえ」と微笑むので、燈真は「じっとしてられないからな」と返す。
決して、焦っているわけではない。だが、じっとしているのは性に合わない。
脳みそまで筋肉でできている燈真は、とにかく行動することでしか成長を実感できない。
道場の前で草履を脱ぎ、一礼。
妖力式のカンテラのスイッチを入れた。青い火が、ゆらりと灯る。
看板には『
道場にそれを掲げる以上は、鍛錬こそがその価値あるもの、と言いたいのだろうか。
修行を始めて半月程度の燈真には、まだその言葉の真意は見えない。
燈真は上着を脱いで上半身裸になると、立て掛けてある模造刀を握った。自分に合わせた長さである。
鯉口を切って鞘から抜き、構える。
【挿絵】https://kakuyomu.jp/users/ineine726454/news/16818093080783504355
実物と同じ、一・五キロほどの重さ。燈真の身長なら、刀の長さは二尺五寸(約七十五センチ)が理想である。この模造刀は、その大きさを模していた。
集中を乱せば、刀の先がブレる。ゆっくり上段に構え、継ぎ目のない動作で中段、上段霞、脇構えに持っていく。八相、下段、正眼——正確な構えを学ばねば、斬撃など打てないと椿姫は言っていた。
『素人じゃ、巻藁も切れないわ。途中で弾かれて終わり』
椿姫はそう言って、初日に燈真に真剣で藁を斬らせた。結果は、途中までは刃が通ったが、そこで刀身は藁の途中を滑って、空を切ってしまったのだ。
力一杯振るって、ダメだった。そしてやはり、椿姫はそれを見抜いていた。
『腕力だけじゃ斬れない。構えができてないと、そうなるのよ。先人が築いたノウハウは、最適化されてるからこそ今に至るまで伝わってるの』
八相に構えた椿姫は、その直後三つ並べた巻藁を両断してみせた。断面はまるで初めからそう整えたように滑らかであった。
『燈真、あんたの腕力や体力は充分。次に学ぶべきは技術よ。同時に、精神も鍛えなさい。己を律する精神を伴わない力は、ただの暴力よ』
体に汗が浮かぶ。額から垂れたそれが頬を撫で、顎を伝って落ちる。
構わず、続ける。さながら演舞じみた動き。
道場を照らすのは妖力灯の青い光。
最初こそ、椿姫が見せた斬撃が脳に流れていたが、次第に如何にその構えを美しく行うか、その状態からどのように動くのが最良なのか——そんなことを考え始め、目の前の一挙手一投足が、思うがままになっていく感覚に入っていく。
(ゾーン……最悪な状態だ)
アスリートにとって、ゾーンは最高の状態である。だが、退魔師にとっては違う。
状況把握能力が落ち、仲間との連携能力が下がるそれは最も悪い状態である。退魔師はスタンドプレイヤーではないのだ。
散漫な、拡散された集中力——それこそが、退魔師の最適解。三人称視点で、己を見下ろす感覚が求められるのだ。
虫の声。蛙の鳴き声。風の音、己の呼吸、鼓動、ズボンの衣擦れ。それを、全て取り入れる。
己の世界に入り込まない。意識を拡散する。その上で、集中する。
まだ自分の中でも理解が難しい考え方だが、言わんとすることはなんとなくわかっていた。
実体験が伴えば、完全にモノにできるという確信も、ある。
と、足音が聞こえてきた。歩幅——子供。弾んだ呼吸の隙間から漏れる、高い鼻息。燈真の手は、刀を離さない。体はなおも、構えを続ける。
菘だ。燈真は、気配で相手を察した。
「とうまー、ねるじかん!」
道場の外から、菘が大声で呼びかけてきた。
来ることがわかっていたから、驚くこともない。燈真は落ち着いて切先を下ろし、菘に振り向く。
「もうそんな時間か。……悪い、雑巾掛け手伝ってくれないか」
「しょーがないなー。わっちはできるおんなだからな……てつだうのは、ヤブサカではないぞ」
単語の意味を理解しているのか怪しいイントネーションだったが、まあ結果的に間違った使い方はしてないのでいいか、と思った。大方柊の真似でもしたかったんだろう。
燈真は模造刀を鞘に納め、立て掛けた。
バケツに水を汲んで、二人で雑巾掛けを行い、燈真は今更になって、気配で人を察する能力を身につけた事実に、素直に驚くのだった。
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