第3話 若者は、時代を違わずただ苦悩する

 魅雲村みくもむら。裡辺地方南西の法泉県ほうせんけん、その山間部にあるのどかな村。

 人口二万人、中心部は地方都市レベルにまで栄え、周辺には穏やかな田舎風景が広がる村。リンゴと梨、桃を作る果樹園が有名であると同時に、畜産業も栄える。魅雲鶏といえば全国的にも有名で、高級地鶏として知られるのだ。また、この地で醸造されるきつねごろしという酒も、酒飲みの間では知る人ぞ知る逸品として流通している。

 小さな村だが一次産業を中心に栄え、食品加工工場も備えるため就職に困ることもない。また、退魔局が支局を構えるため、退魔師やその局員になるという選択肢もある。

 風光明媚で豊かな気風から、地元の妖怪に愛され、ここ十年では人間の移住者も増えている。


 周辺は北を魅雲連山、東を鬼岳に囲まれる。その地形は天然の要害をなしているといえ、霊山とも言われる魅雲連山から流れ落ちる滝が龍神湖という湖を形成し、遊覧船や釣り人で賑わっていた。

 村の中心部には地上二十二階建ての高層ビルが一棟、不自然なくらいに佇立している。それこそが退魔局魅雲支局の本拠地だ。


 そんな支局ビルの屋上のヘリポートで、手すりの付近で杖に手をかけて立っている偉丈夫が一人。

 黒々とした髪を後ろに撫で付け、ブラウンの瞳を村に、それから山に投げかける。

 若々しいが、よくみれば手や顔にはしわが浮かんでいるのがわかった。いかつい顔には斜めに大きな傷が走り、とにかく恐ろしげな男である。胸板も腹回りも分厚く、そのせいでスーツが悲鳴を上げていそうである。なんならジャケットのボタンは千切れるからという理由で、いつもつけていない。

 熊のような威容。しかし黒縁眼鏡が不思議な愛嬌を醸していて、恐ろしさを和らげていた。肩に留まる一羽のカラスは、彼の長年の戦友であり、渾式神である。

【挿絵】https://kakuyomu.jp/users/ineine726454/news/16818093080419872672


 御歳五七歳、身長二〇一センチ、体重一二九キロ。三年前魅雲支局の支局長の座についた、上等級退魔師・久留米宗一郎くるめそういちろうその人だ。


 今日はいい天気だった。

 雲ひとつない快晴、山から吹き下ろす涼やかな風。久留米は煙草でも吸えたら最高だなと思ったが、ここは屋上も禁煙である。昨今、高額納税者に非常に厳しい時代だと思う。それを口にすると決まって秘書や妻、そして三人の子供から「煙草をやめろ」という類の説教が飛んでくるのだが。

 代わりに、自販機で買ったブラックコーヒー——クイーンズ・カフェのブラックを手に、芋虫のような太い指でプルを引いて一口呷った。

 アラビカ種の豊かな香りが鼻を抜ける。こだわりの製法で作られたものだ。長年いろいろな缶コーヒーを飲んできたが、これに落ち着いた。


「支局長」


 屋上の鉄扉を開けて、秘書がやってきた。

 スカートスタイルの白スーツに、一つ目の美しい顔。アシンメトリーのおかっぱヘアと、控えめながらも女性らしい体つき。あと三十年若ければ口説いていただろう、一つ目娘の美女——美原春子みはらはるこだ。


「私は休憩中だぞ。あと五分あるはずだが」

「かねてよりお待ちだった子が来るのに、ですか?」

「……そっか、来てくれたんだな」


 久留米はコーヒーを飲み干して、スチール缶を当たり前のように握りつぶしてぺちゃんこにした。口元には、嬉しそうな微笑みが浮かんでいる。


「すぐに退魔局に来るそうです。稲尾二等がうまく説得したのか、入局試験を受けさせてほしいと」

「手続きは」

「失礼ながら、返答がわかっていたので既に手配済みです」

「さすがだ。期待以上の働きだよ。……よし、休憩は切り上げだ。すぐに行くぞ」


 久留米はそう言って大股で歩き出した。杖を手にしているが、あれが呪具だということは周知である。

 とにかく体が大きいので、一歩の歩幅が大きい。美原はヒールを鳴らしながら早足であとを追うのだった。


×


「試験?」

「うん。もう受けるって言っちゃった。どうする?」


 魅雲村に入って少しして、途中のサービスエリアの自販機で買った熱々のチャーハンを紙パックから食べていると、突然椿姫がそう言ったのだ。

 彼女は獣妖怪向けの薄味にしてあるカツサンドを自販機で買っており、それをぱくついている。


「どうするもこうするも受けるしかないんだろそれ」

「うふ、ごめーんね♡」


 毛ほども謝る気がないのは明らかである。

 このクソアマ、という言葉を、どこか困りながらも面白そうに笑う伊予に免じて飲み込んだ。


「試験っつったって、なんにも勉強してねえんだけど。俺中三で習った因数分解すらいまいち理解してねえんだぞ」

「その前にたすき掛けって習ったでしょうが。あんた一次関数出てきたら詰むんじゃない?」

「?? よくわかんねえけど……なんで数字の計算にアルファベット出すのかわかんねえんだよな」

「こりゃあ教えがいのあるバカだこと。……って、そうじゃなくて。退魔師の筆記試験は最低限の読み書き計算ができればいいんだから。それ以外はもう実戦的な身体テストとかだし」

「ああなんだ、それなら平気だ」


 典型的なバカだこいつ、と椿姫は思ったが、笑いを堪える伊予の手前我慢した。


「んで燈真、得意科目は?」

「えっ……暗記科目」

「生物とか?」

「それもあるけど、どっちかっていうと日本史の方かな」

「文系かあ……私文は国立理系に笑われるぞ〜」

「うるせえな。真っ当に払うもん払えりゃあいいんだよ馬鹿」


 高校生同士のなかなかナイーブな皮肉の応酬に、伊予は変わった青春のやり取りだな、と苦笑いした。若者の手前、あまりおばさんが口を出すべきではないと無言を貫くが。


「伊予さんは得意科目ってある?」

「えぇ……私そもそも学校ってものがない時代の妖怪だから……強いていえば寺子屋とかは知ってるけど」


 椿姫が話題を振ったら、なんというか予想外の方向に話題が散っていった。


「そうね、……音楽と家庭科かしら。主要語科目で言えば……うーん、古文と日本史は教えてあげられるかしら」

「伊予さんいつの生まれなんだ……」


 燈真の疑問に、伊予は真顔で「秘密よ秘密。女妖怪はいつだって七〇歳よ。心はまだ未成年だもの」と言った。

 有無を言わさぬ気迫に、燈真は「あ、ああ」と黙りこくる。

 ちなみに妖怪にとっての七〇歳とは、種族差も多少あるが人間換算で十七歳である。井上喜●子理論のようなものだ。


「椿姫は、いくつ」

「六七。長嶋茂雄が巨人デビューしたり東京タワーが完成した年に生まれたのよ。あんたは……親父さんがお祖父さんのキンタマにいた頃かな」

「頼むから年頃の女子がそういうこと言うなって……!」

「女に幻想持つなって言いたいんだけどね、こっちは。女子校とか見てみなさいよ。あんたみたいなガキ絶対幻滅するから」


 伊予は我慢の限界なのか、「ぶふっ」と吹き出していた。


「昭和生まれだからガサツなんだろ」

「うるっさいなあ。別にいつの生まれだろうが変わんないわよ。人間を妖怪らしく見守ってきたけど、昭和も平成も令和もみーんな苦労してる。誰がどう偉いとか大変とかってのはないわよ」

「そっか……そうだよな」


 車が退魔局のビルの前で一旦止まる。

 ゲートがあり、そこで検査員がやってきた。伊予が窓を開け、紹介状を見せると検査員は頷いて、検査ゲートへの侵入を許可した。

 ピンポーン、と検査完了音を鳴らし、車が地下駐車場に入っていく。


「今の、何検査したんだ?」

「未登録の呪具とかを持ち込んでいないか。一般に市販されてる護符やなんかは退魔局の認可が通ってるから登録済みだけど、民間呪法だったり違法な術のものは一時的に取り上げられる。無論、後者の違法なものの場合処罰を受けるわ」

「へえ。なんだっけ、退魔局の……祓葬法だっけ?」

「そそ。退魔師祓除葬送法たいましばつじょそうそうほう。未登録の呪具の持ち込みを禁ずる。あと、これは絶対覚えておいて」

「なに?」

「違法妖術ならびに禁術の持ち込み、保有、使用、研究、実験の一切を禁ずる。非核三原則ってあるでしょ。あれみたいなもん。これは祓葬法じゃなくて、国際的な術法規制法にもある条項よ。高校から習う妖怪史にも出てくるし」


 なんだか退魔師ってのはめんどくさいんだな、と思ってしまった。


 燈真が負け犬の最弱状態の今から最強になるにあたって、椿姫が提示した方法論——それが退魔師になることだった。

 なぜそれが燈真のためになるのか、なぜ母がそんな遺言を残したのかは結局分からずじまいだが、椿姫曰く「浮奈の先輩で今偉い人やってる方が教えてくれる」らしい。


「それ、筆記試験に出る?」

「あ、うん。出るはず。ってかこれにさえ答えられればいいってくらいのものだし」


 じゃあなんで今になって言ったんだ、と燈真は呆れてしまった。


「さ、着いたわ。いきましょうか」


 三人は車を降りた。夏とはいえ地下はひんやりしている。

 並んでいる車は、いずれも退魔師や局員のものだろうが、まばらだ。多分、みんな村にアパートを借りるなり社宅で暮らすなりしているのだろう。もしかしたら、家を買うものもいるかもしれない。であれば、むしろ車より徒歩や自転車のほうが安上がりだし、小回りが効くという判断かもしれない。田舎である以上、車があった方が便利なのは確かだが。


「椿姫のそれは持ち込んでいいのか? ってか銃刀法なんちゃらに思い切り触れるだろそれ」


 燈真が言ったのは、椿姫が背負う三尺刀。


「認可されてる呪具だから」

「いやでもそれ凶器——」

「そういう規則だから」

「司法を舐めんな」

「規則ですから」


 まともに取り合ってくれない。


「燈真君、退魔師は選ばれた才能がないと無理なの。代わりに、命懸けで戦うわけでね。だからある程度の越権は認められるのよ」

「……武士と鎌倉幕府の、御恩と奉公みたいなことか?」

「そうね。さすがに土地はあげられないけど、いろいろな優遇措置は得られる。退魔師が戦いを放棄すれば、国が成り立たなくなるもの」


 それだけ魍魎の被害が酷いのだろうか。そうは、思えないが。

 その疑問が顔に出ていたのだろう。エレベーターに乗った時、伊予がボタンを押しつつ答えた。


「魍魎が何から生まれるか。さあ、試験の事前テストよ」

「人妖の負の感情だ」

「正解。じゃあ、魍魎の事件や被害を大々的に報道したらどうなると思う?」

「そりゃあ……」


 ——人や妖はますます魍魎を恐れ、負の連鎖を加速させる。


「……報道規制や情報統制も辞さないんだろうな」


 燈真は先を読んだ答えを口にした。


「その通り。最低限の知識をつけさせる程度の番組や、あとはこの局にいるアイドル兼業退魔師なんかが配信をするけど、恐怖を悪戯に煽る報道は絶対にしないわ」

「ふん。言論の自由が聞いて呆れる」

「この世に一度だって言論の自由があったことなんてないでしょうに」


 椿姫が痛烈な皮肉を言い放った。


「言葉狩り、対策の言葉遊び。業務の本質が変わらないから言い回しが変わった先の単語も言葉狩り。さあ、これのどこに自由が?」

「やめなさい椿姫ちゃん」

「ごめん……。でも、お父さんもお母さんもいく先々でそういうわけのわからないものに苦しんでるし」


 どうやら椿姫も随分と苦労をしているらしい。

 自分だけが大変ではないのだと思い知って、燈真は反省した。


 ケージは地上十七階で止まった。

 扉が開く。


「燈真、試験は一人で受けることになるけど、大丈夫。今の話を覚えてれば余裕だから」

「頑張ってね、燈真君」

「ああ。……一周回ってこの状況が面白くなってきた」


 燈真は肩を回し、いっそ清々しいくらいに冴えた頭で廊下を歩んで行く。

 やってきたスタッフに導かれ、燈真は試験会場に向かうのだった。

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