「621、俺はこれからしばらく野暮用で外す」
ある日、エアが来てから最早日常となりつつある二人での勉強会の最中に、ウォルターがそう切り出した。
「中央氷原に向かう件については、企業に情報を売ってパトロンがついてからだ」
ウォッチポイント・デルタの破壊によって空気中に大量に放出されたコーラルの動きから、集積コーラルは中央氷原にあるということが殆ど割り出されている。
だから、そこへの到達が最終目標である621たちも、当然中央氷原に向かうことになるのだが、ウォルターとしてはそれはまだ先のことだと考えているようだ。
「戻るまでの指示を出す……しばらく休め。今はそれがお前の仕事だ」
故に、ウォルターは休息の指示を出す。
しかし、621としてはそれは認められなかった。もう十分に休息はしているし、何より集積コーラルに一刻も早く辿り着く必要があるからである。
企業にコーラルが渡った日には、人とコーラルの共生など夢のまた夢。であるならば、621は誰よりも早く集積コーラルに到達せねばならなかった。
だから、三度の人生で得た知識をフル活用してウォルターを説き伏せる。
「でもウォルター、グリッド086のカーゴランチャーを使えば、俺は今からでも中央氷原に行ける。ベイラムから先行調査の依頼も来てるし、俺は一足先に向こうに言った方がいいんじゃないか?」
ここ数日エアやウォルターとずっと話していたおかげで、かなり流暢に動くようになった口で捲し立てる。
「確かにお前の言うとおりだが……グリッド086はドーザーの縄張りだ。奴らはコーラルを麻薬として摂取している薬物中毒者だ。話し合いは期待できない。あまりにも危険すぎる」
ウォルターの頭の中に一人話し合いが期待できるドーザーが思い浮かんだが、それもすぐに却下する。彼女は使命に忠実だ。集積コーラルが見つかっていない今は、企業に目を付けられないように、隠れ蓑としてのドーザーの仕事を完璧にこなそうとするだろう。
であるならば、こちらから訴えかけて621を見逃してもらうことは恐らくできない。カーゴランチャーを使おうとするならば、十中八九ドーザーとの戦闘になる。
「しばらくは俺も野暮用の方に専念しなければならない。そうなるとオペレーターとしてお前を支援することもできない。ドーザーを相手取るには、今は状況が悪すぎる」
ウォルターとしては、自分の目が届かないところで621が危険な目に遭うのは避けたかった。
『ウォルター、それならば私がレイヴンをオペレートしましょう。これなら安全にグリッド086を通り抜けられるはずです』
621には声として、ウォルターには文字として、エアの言葉が伝えられる。
「確かに、お前の電子戦能力を考えれば、621を安全にオペレートできるか。しかし……」
エアのハッキング能力は非常に高い。封鎖機構のデータベースからバルテウスの情報を抜いてきたのを初めとして、セキュリティ万全なはずのウォルターのPCを操作したり企業の調査状況を覗いたりしてみせた。
ウォルターとしては、ルビコンに来る前に余計なデータを消しておいてよかったと、心底震えあがったものだった。だから、エアの能力に疑問はない。
ただ、問題であったのはグリッド086を通る過程で、まず間違いなくカーラの戦力とぶつかることになるだろうことだった。カーラとウォルターは使命を果たすための協力者だ。彼女の戦力を今削ってまで621を中央氷原に送ることは、果たして賢い判断であると言えるのか。
(……まあカーラのことだ。直属の部下や技術者は滅多に表にださないだろう。621が暴れたとしても、死ぬのは何も知らない末端の中毒者だけか……)
それくらいなら切り捨ててしまっても仕方がないか。そう判断したウォルターは、621に指示を出した。
「わかった。621、お前はカーゴランチャーで一足先に中央氷原に向かえ。エア、621をよろしく頼む」
「『ウォルター!』」
二人が喜ぶ。ウォルターとしてはなぜそれで喜ぶのかわからなかった。普通は休みが増えた方が嬉しいのではないのか。
「621、エア。俺はしばらく外すが、何かあったら遠慮せずに連絡してくれ。お前たちの安全が第一だ」
相も変わらず心配性のウォルターであった。
◆◆◆◆◆◆
『そういうことで621がお前の縄張りを通る。手加減は必要ない。カモフラージュのためにも、全力で相手してやってくれ』
「なんでそうなるのさ……まあ、アタシとしてもあんたのところの新入りの実力は知りたかったからね。テストはうんと難しく作っといてやるさ」
『……621が死なない程度に頼む』
「親バカも大概にしなよ、ウォルター」
その言葉を最後にモニターが消える。暗号通信を終え、カーラは考える。
「だが、新入りはあのV.Iにも勝ったみたいじゃないか」
V.Iを退け壁を守り切ったことは、最早この星中に噂として伝わっている。新人の傭兵が企業の最高戦力に勝ったという事実は、それだけセンセーショナルなのだ。
「普通の歓迎パーティーを開いても、満足してくれないだろうねえ……」
椅子から足を投げ出し、天井を見上げながら頭を回す。
「こんな機会滅多にないんだ。どうせなら、最っ高に
ウォルターの心配性から始まった通話は、事態を思わぬ方向へ動かそうとしていた。
◆◆◆◆◆◆
ルビコンを取り巻く巨大建造物群、グリッド。その一区画の足元に、黒いACがいた。
『これより、グリッド086に侵入します』
621はLEAPER4を操って垂直カタパルトに乗る。ついでとばかりにここでアセンブルの最終チェックをしておく。
R-ARM UNIT:
L-ARM UNIT:
R-BACK UNIT:
L-BACK UNIT:
HEAD:HC-2000/BC SHADE EYE
CORE:CC-2000 ORBITER
ARMS:04-101 MIND ALPHA
LEGS:RC-2000 SPRING CHICKEN
BOOSTER:IB-C03B: NGI 001
FCS:FC-008 TALBOT
GENERATOR:VP-20C
武装は総火力重視。立体的なグリッドを渡り歩くためにフレームは重量逆関節、ジェネレータは容量型を採用。そんなアセンブルであった。
『システムにバックドアを作成』
エアがカタパルトのシステムに侵入したようだ。独りでに各パーツが動き出し、射出準備を整えていく。
『垂直カタパルト、ロック解除』
レールから火花が散り、カタパルトが少し下がる。合わせて、621もLEAPER4の膝を曲げ、跳躍する姿勢に入る。
『スチームシリンダー接続』
カタパルトから煙が排出される。これで準備は整った。あとは跳ぶのみ。
『射出します』
エアの言葉の直後に、カタパルトが射出された。発射台は凄まじい速度で急上昇し、621には尋常ではないGがかかる。しかし、今の621にとってはこの程度慣れたものだ。
台が最高点に到達するその瞬間に膝を伸ばし、一気に跳躍。数千メートルもの高度をひとっ跳びで超えていき、ちょうど良いところにあった橋へと着陸する。
『さあ、レイヴン』
心なしかエアの声が弾んでいるように聞こえる。そんなに二人で出撃することが楽しみだったのか。
『仕事を始めましょう』
その一言を合図に、621は機体と神経を接続。
『メインシステム、戦闘モード起動』
聞き慣れたシステムボイスと共に、視界がクリアになる。目標は最上部にあるカーゴランチャー。長い登山が始まった。
ウォルター
あなたの不用意な行動で621が危険に晒され、プロットが崩壊することが決定しました。あーあ。
621
いつの間にか流暢に喋れるようになった猟犬。自身の目的のため、そしてウォルターの役に立つため、いち早く中央氷原入りを提案した結果、次のミッションの難易度の激増が決定した。なんで?
エア
なんか普通にウォルターとも交流しちゃってるよこの子。書いてて感慨深かった。
カーラ
グリッド086を風雲カーラ城に改造中。次回の惨劇はだいたいこの人のせい。
ということでグリッド086侵入直前。おかしいなあ、Chapter2は一ミッションを除いて原作通りだったはずなのに、キャラが勝手に動いた結果なんかヤバいことが始まろうとしてる……どういうことなの?
次回は風雲カーラ城。ウォルターの胃は死ぬ。