10:コミュニケーション
眩しい。瞼に光が当たっている。目を開けようとするが、瞼がくっついてなかなか離れない。
(あれ……? 俺は……? そうだ、ウォッチポイントを襲撃して、エアに会って、バルテウスを倒して、それから──)
「……起きたか。621、調子はどうだ?」
現状を確認しようとしたところで、ウォルターが来た。
「ウォル、ター」
「お前はウォッチポイントでコーラルの逆流を浴び、死にかけた。なんとか手術は間に合ったが、それでも身体には相当な負担がかかっているはずだ。今はゆっくり休め」
やはり自分は死にかけていたか。あのコーラルの奔流に身体を蝕まれる感覚は、四度味わっても慣れるものではない。
『あなたのハンドラーの言う通りです。あなたはあれから三日間も寝たきりだったのですよ。身体の治癒自体は終わっていますが、今後のためにも休息をとるべきです』
エアにも休息を勧められた。ならば、そうするのが一番だろう。暫くは依頼も勉強も一休みだ。
「621……俺の不手際のせいで、お前を命の危機に晒してしまった。本当にすまない」
ウォルターは深々と頭を下げた。621としては、エアと会うために態と浴びに行った側面もあるため、こうも謝罪されると罪悪感が半端ない。
「いや……ウォルターの、せいじゃ、ない。あれは、予測できない。仕方ない」
だから、言葉を尽くしてあなたは悪くないと伝える。だが、それでもウォルターの表情は晴れない。
「予測ができる、できないで済ませていい話ではない。お前は危うく死ぬところだったんだ。俺がもっと慎重になれていたら、こんなことには──」
それは、間違いなく善意からの行動であったのだろう。しかし、621は寧ろ心を痛めた。
大好きな人には笑顔でいて欲しかった。あれは、仕方なかったと、巻き込まれた自分が一番わかってたから。自分は大丈夫だったんだから、そのことはもう忘れて欲しかった。
『レイヴン、こういうときは――』
エアからの入れ知恵。これならば、ウォルターもきっと自分自身を許してあげられると。その言葉を信じ、621は口を開いた。
「ウォルター、じゃあ、美味しいもの、食べさせて。それで、許す」
「621……わかった。必ず、旨いものを食べさせてやる」
ウォルターの表情が少し緩んだ。どうやら効果があったらしい。621としては、死にかけのところを助けてもらった上にさらに美味しい食事を強請るなんて、罰当たりもいいところなのではないかと思ってしまう。
しかしそれでウォルターの笑顔が戻ったのなら、それでいいのかもしれないと、そう思い直すのだった。
(本当に俺は、周りの人に恵まれている)
一緒にいればいるほど、彼らに生きていて欲しいという思いが強くなる。であるならば、今できることをもうしてしまおう。行動を起こすのは、早ければ早いほどいいはずだ。
意を決して、621はその言葉を口にする。
「ねえ、ウォルター」
「どうした、621」
「Cパルス、変異波形、だったっけ? 俺、それと交信、できるように、なった」
「……は?」
『レイヴン!?』
突然の暴露に、二人とも驚愕せざるを得ない。
「……621、それは一体どういうことだ? 詳しく説明してくれ」
ウォルターからの質問に、621はウォッチポイント襲撃のときのことを全て話した。コーラルの奔流に巻き込まれてから頭の中で声がするようになったこと。その声がエアと名乗ったこと。エアのサポートでバルテウスと戦ったこと。そもそもバルテウスという名前もエアが教えてくれたこと。エアがいてくれたお蔭で何とかバルテウスに勝てたこと。
一つ一つ621の口から語られる度に、ウォルターの表情はどんどん重苦しくなっていく。
「幻聴は第四世代ではよくある事だが……いや、幻聴ならどうしてバルテウスの名前を知っている? 621が自分で調べることは不可能だ……」
ウォルターは俯いてブツブツと考えを巡らせている。その有様には、ウォルターにしては珍しいことに「621の言うことを信じたくない」という感情がありありと表れていた。
「……621、その声は、その……大丈夫なのか? 何か危害を加えられたりとかは……」
『私がレイヴンに危害を加えるなど、ありえません!』
頭の中で抗議の声が響くが、一旦無視。今はウォルターの不安に応える。
「大丈夫。そんな危ない、奴だったら、バルテウスのときに、助けてはくれない」
実際LEAPER4に記録された戦闘ログには、初見のはずのアサルトアーマーを完璧に避ける621の姿がある。本当はこれは四度目で知っていたから避けられただけなのだが、ウォルターはこれがエアのサポートによるものだと勘違いしてくれるだろう。
情緒が育ち、悪巧みもできるようになった621であった。
「そうか……わかった。お前が信じるなら、俺も信じよう」
「ウォルター!」
621は心の底から嬉しそうな声を上げた。
「621、その変異波形……エアは、お前以外に対するコミュニケーション手段を持っていないのか?」
「どうなんだろ……エア、何か、できる?」
『もちろんです! では、そこのPCに……』
621の頭の中から
(今まではこんなことをしても悪戯扱いされて、誰も取り合ってくれなかった……でも、レイヴンが取りなしてくれた今なら、きっと……!)
願いを込めて、文字を綴る。「初めまして、ハンドラー・ウォルター」。たった一行のその文は、ウォルターの時間を数十秒止めるだけの力があった。
「これで、確証が持てた?」
「あ、ああ」
621に声をかけられて、漸くウォルターは再起動した。
『私の存在を信じてくれる人が二人もいるなんて……本当に夢のようです……! ありがとう、レイヴン』
「いや、いい。やりたいこと、やったまで」
傍から見れば独り言同然の会話をしながら、621はウォルターの様子を見る。
「そんな……だったら俺は、どうすれば……」
エアは嬉しさのあまり気付いていない。ウォルターが項垂れて、頭を抱えていることに。
(そうだ……これで終わりなんかじゃない。これは飽くまで始まりだ。人とコーラルが共生するための、最初の一歩に過ぎない)
自分がやらなければいけないことは多い。621は改めて覚悟を決めたのだった。
◆◆◆◆◆◆
『ところでレイヴン、どうしてあなたは私がコーラルの変異波形であると気付けたのですか?』
「え゛っ……あ、えっと……キサラギ博士の、論文とか……あと、状況、証拠」
そこをどう誤魔化すかは全く考えていなかった621であった。
◆◆◆◆◆◆
『レイヴン、何をしているのですか?』
「ん、勉強」
あれから数日。今は暇な期間だった。
どこもかしこも、ウォッチポイントの破壊によって空気中に飛び散ったコーラルの動きから集積コーラルの場所を割り出すことに必死で、いつもの企業や解放戦線による小競り合いが殆ど起きていないからだろう。
621はこれが嵐の前の静けさでしかないことを知っている。だからこそ、今のうちに勉強を進めておきたかった。
『とても、熱心なのですね』
「うん。そうじゃなきゃ、キサラギ博士の論文、読めないから」
以前と比べれば大幅に学力が向上した621だが、それでも学術論文を読むには全然足りない。だから脇目もふらずに勉強する。
『レイヴン、一つ質問なのですが、なぜそんなにキサラギ博士に拘るのですか?』
必死な様子の621を見て、ふとエアがそう尋ねた。621の鬼気迫る様子は、エアから見ても異常なのだろう。
対する621の答えは、最初から決まっていた。
「コーラルと人の、共生。それを、成し遂げたい」
『え?』
「人にとって、コーラルは危険な生き物。でも、だからといって、啀み合うのは、嫌だ」
それは621の本心から出た言葉であった。もちろん、共生を成し遂げたい一番の理由は、ウォルターとエアの二人と共にいたいからだ。しかし、人間にいいように使われ、燃やされ、焼き尽くされるコーラルという生き物のことを、可哀そうだと思ったことも事実であった。
「だから、知識が必要、なんだ」
前よりはだいぶ動くようになった口で、必死に言葉を紡ぐ。きっと自分の思いがエアにも伝わると信じて。
『あなたは、優しいのですね』
エアは嬉しそうにそう621に言った。
「そんなこと、ない」
だが、621はその言葉をすぐさま否定した。
「優しかったら、人なんて、殺さない」
そうだ。自分が優しい人間なら、どうして友人を殺せる?
『それでも……私は……人と……コーラル……の……』
どうして父を殺せる?
『そうか……621……お前にも……友人ができた……』
唯一無二の戦友すら殺した癖に。
『届かなかったか……戦友……』
自分を助けてくれた恩人すら自分勝手に裏切って、殺し尽くした癖に。
『ボス……俺はここまでだ……笑っ……て』
『ビジター……あんたの勝ちだ……』
殺して殺して殺して。ただひたすら殺し続けて。その度にこれは父のため、友人のためと言い訳して。
「…………っ!!」
『レイヴン!? どうしたのですか! レイヴン!!』
育った情緒が、今更になって犯した罪の重さを突きつける。吐き気がする。呼吸がうまくできない。殺した記憶が蘇り、自分を責め立てる。
「エア……俺、は……」
『レイヴン! 落ち着いてください!』
怖い。四度目でも、また同じことをしてしまうのではないか。ずっと目を背けていた可能性と向き合ってしまった。もう、みんな死なせたくないのに。
『レイヴン! 大丈夫です! 私では何もできないかもしれないけれど……それでも、あなたを独りにだけはさせませんから……!』
「エ……ア……」
エアの必死の呼びかけで、なんとか621は落ち着きを取り戻していく。少しずつ呼吸が安定していき、身体の震えも治まっていく。
「ハァ……ハァ……ごめん、エア。見苦しいところ、見せた」
『いいえ、私こそ……不用意なことを、言ってしまいました」
「いや、悪いのは、俺で――」
『いえ、私のせいで――』
今度は不毛な謝罪合戦が始まってしまった。お互いがお互いを思うがゆえに、止めどころがわからない。
『じゃあ、こうしましょう』
流石に疲れ始めてきたところで、エアが提案した。
『お詫びとして、私もあなたの勉強に協力しましょう。私なら、論文を読む助けにもなってみせます』
「え、でも……」
悪いのは俺なのに。そう思うのだが、しかしこのままでは埒が明かないのも事実であった。これはウォルターのときと同じだ。どちらかが折れない限り、きっと終わらない。
「わかった。じゃあ、お願いするね? エア」
『はい! 喜んで!』
まあ、エアと一緒に勉強できるのなら悪くはないか。とりあえずはそう思うことにした621だった。
◆◆◆◆◆◆
PCを起動。
暗号通信を確立。相手が気付くのを待つ。…………繋がった。
『どうしたんだい? ウォルター。急に連絡してくるなんてさ』
「カーラ、621が変異波形と交信した」
『……はぁ? あんたまで
「冗談ではない。あいつは封鎖機構から情報を抜いて621を助けた。これは、紛れもない物証だ」
『……だったら何だって言うんだい? 今更コーラルに情が湧いたとでも言うんじゃないだろうねえ?』
「621は、あいつととても仲が良さそうだった。もし、あいつがそれを望まないなら、俺は焼くのを止めることだって――」
『ふざけんじゃないよ!! 「友人たち」が何のために死んでいったと思ってるんだい!? 親バカもここまでくると
「……俺は621の親ではない」
『ツッコむところそこかよ……とにかく、あんたや新入りがどう思おうが、焼くのは確定だ。それは変わらない』
「……わかった。あいつも……エアも、集積コーラルに辿り着くことを望んでいる。今のところ俺たちの目的は一致している。そこまでは、予定通りに進める」
『その後はどうすんだい?』
「それは……その時までに、考えておく」
『……変な気を起こすんじゃないよ』
通信終了。誰にも気付かれないように、ログは自動で一切の痕跡も残すことなく削除される。
(こんなこと、あいつらに知られるわけにはいかない)
尚も楽し気に勉強をする
(今は考えても無駄だ。とにかく、できることをしよう)
ウォルターはキッチンに向かう。漸く約束通り、美味しいものを用意できた。何とか手に入れられた、合成ではない挽肉。かなりの出費を強いられたが、そんなのは約束の前では些細なことだ。
さて、ハンバーグにでもすれば、621は喜んでくれるだろうか。
「621、夕食の時間だ」
とにかく今は、できることを。
621
二人が生きる未来のために、開幕強硬手段に出た駄犬。おかげでウォルターの心労が酷くなっただろうがよお! 何やってんだ駄犬ン!!?
エア
今回の件で改めて全身全霊で621をサポートすることを決意。コミュニケーションできる人が二人に増えて超嬉しいが、そのうち片方がクッソ激烈に曇ってることにはまだ気づけない。
もともと勉強には協力する予定だったが、謝罪合戦を利用して引け目を感じさせることなく協力することに成功。強か。
ウォルター
駄犬のせいで心労が増えた。でも大丈夫。ハッピーエンドは約束されてるので。逆を言えばそれまではいくらでも曇らせていいということでは?
カーラ
同志が狂人の思想に染まってしまって当惑。道を外さないよう、釘を刺す。
ということでChapter2直前の日常回。おかしいなあ、もともとエアバレ自体はさせるつもりがあったけど、こんなに早いタイミングでする予定じゃなかったのに……621、お前何勝手してくれてんの?(親の顔よりも見たプロット崩壊)
次回はグリッド086かなあ。前話でも言いましたが、Chapter2は一ミッションを除いて原作通りになると思います。