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2次避難先での支援後手に 施設によっては食事なし、健康状態の把握に壁

2024年7月10日 05時05分 (7月10日 14時01分更新)

 
 「これ以上は、つらい」。元日の地震から10日ほどたったころ、石川県珠洲市の飯田高校に避難していた女性(56)は限界を感じていた。プライバシー確保が難しく、入浴もできず、食事支給も少なかった。
 心配した同県白山市の長男宅にいったん身を寄せた後、「いつまでもいられない」と1月下旬に金沢市内のホテルに落ち着いた。だが、当初はホテルで食事提供がなく、支援団体が催す炊き出しを探して通った。親切さに感謝しつつ、やるせなさが募った。「被災するのって、惨めだな」
 厳しい真冬に能登半島を襲った地震。1次避難所では感染症がまん延し、物資も十分に行き届かない。災害関連死の多発を懸念した県は高齢者ら要配慮者から優先的に2次避難を進め、10日ごろには「フェーズが変わった」(馳浩知事)として、要配慮者以外にも積極的に2次避難を呼びかけ始めた。
 県地域防災計画(地震災害対策編)には「2次避難支援体制の整備」という項目があるが、主に想定していたのは要配慮者の福祉避難所への避難や入院だった。しかし、インフラ被害が大きく、ほぼ全ての被災者が対象となった今回は様相が異なった。受け入れを担う行政機関には初めて直面する事態ばかりだった。
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 まずは2次避難所となる宿泊施設の確保に取りかかった。県は1月5日に大手旅行会社に協力を要請し、運営を委託する事務局を立ち上げた。「とにかく暖かくて安心できる場所を可能な限り集めた」(県文化観光スポーツ部の鈴木繁浩次長)。最終的に県内外で受け入れ可能な施設は約3万人分を確保した。
 ホテルや旅館など2次避難所の利用者は、ピーク時の2月16日時点で5275人。県外は敬遠される傾向にあり、希望に沿わない場合は順番待ちが発生した。金沢市内では施設ごとに待遇に差が出たことで、被災者から「食事がなくて困っている」との声が上がったり、自家用車の駐車場代がかかる施設への不満が高まったりした。
 着の身着のまま避難し、収入さえ途絶えた被災者にとって、新たな出費は重荷だ。だが、施設入居後の細やかな支援まで手が回らず、「対症療法」になった感がある。食事提供を施設側に任せていた県は、1月25日以降に事務局が弁当を手配する仕組みを整えた。2月からは市内の駐車場の無償提供も始めた。
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 災害派遣医療チーム(DMAT)やボランティアら周囲の目がある1次避難所に比べ、2次避難所での健康管理も課題だった。輪島市の女性(77)は1月下旬から金沢市内のホテルに移ったが、提供された食事は丼物など油っぽく、胃腸の調子が悪くなった。意思疎通が苦手で部屋にこもりがちになり、夜も眠れなかったという。
 県は1月20日に「健康管理は避難先の市町に委任」との通知を発出。県の避難者名簿が金沢市福祉健康センターに届いたのは1月29日で、市の保健師が全ての受け入れ施設を回ったのは2月3、4の両日。その時点で市内には約1600人が避難していた。
 名簿は被災者の氏名や年齢など基本的なことしか分からず、支援の手を差し伸べるべき人を見つけるのに苦労した。結局面会できたのは約200人。個人情報保護という理由で施設側に断られた事例もあった。同センター総務課の斉藤理香担当課長は「名簿が実態を反映しているのか分からなかった」と振り返る。
 地震から半年を迎え、2次避難者は全体で993人に減った一方で、民間賃貸住宅を利用する「みなし仮設」の入居者は7月4日時点で3796世帯8917人に増えている。被災者の存在がより見えにくくなる中で、災害関連死を防ぐ孤立対策が依然として求められている。
 
 (河野晴気)

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