叔母の4回目の見舞い3
兄宅に戻ると母、義姉、私の3人で焼肉を食べに行った。兄は風邪らしく寝込んでいて、義姉がかいがいしくお粥を用意してあげていた。私は先日ひどい風邪でダウンしたばかりなので、貰わないように極力接触を避ける。
その夜はいつものように、母の隣に布団を敷いて寝たが、これまたいつものように母が「眠れない」とテレビを見出したり(しかも音量が大きい)、話しかけたりしてきて、3時間位寝た所で起こされた。その後寝る素振りのない母に、「いっそもう起きよう」と提案し、今日の写真をインスピックでプリント。それを持参してきた葉書に貼り付け、T美叔母さん宛の葉書を仕立てた。「文字が綺麗に書けない」とか「お前が書いて」とか言う母に、「一言で良いから」と書かせる。一発勝負は不安なので、練習もさせた。
ノってきたので、T美叔母の妹であるS子叔母にも同じ写真を貼って葉書を仕立てた。そこにも母に一言書かせる。部分的に間違ったが塗りつぶして誤魔化す。高齢者にはよくあることだ。
そんな風に両者あまり眠れないまま朝を迎え、私も今回は旅行計画を入れてなかったので、デイサービスに行く母より少し先に兄宅を離れて駅に向かった。そして「はやぶさ」に乗り、一路東京へ。東京駅に着いた途端、ものすごい熱風に吹かれた。持ってきたハンディファンも何の役にも立たない。ぬるい空気をどこまで攪拌してもぬるいままだ。ようやく家に帰りつくと、エアコンを入れて涼む。何にせよ今回は「やり切った」。手紙に書いたこちらの意図は叔母に十分伝わった気がする。「家に帰りたい」と言うならいくらでも連れて行こう。だから自分の心を「そんなこと思ってはいけない」なんて「心の居場所」を奪わないであげてほしい。
こうして「叔母の4回目の見舞い」は「太陽」カードの意味するように上々の形で終わったように思われた。しかし、本当の問題がゆっくりと露わになったのだ。
ひと眠りして起きた所に、D男からのメールが届いていた。私が6月に送った写真と手紙を今受け取ったこと、今日母を家に連れてきてくれてありがとう、というお礼だった。彼のメールにはホームからの6月報告書が添付されていて、それによると「日中から帰宅願望が強く、出口を探して落ち着かない。その旨をドクターに相談し「リスペリドン」を処方され、服用後は落ち着いています」とある。
6月に行った時、「ホームにしたら私達が叔母さんを元気づけると、”逃げ出そうとするから困る”って思っているのかも」と感じた。その感触は間違いじゃなかった。叔母の「帰宅願望」を抑えるために薬まで使っていたとは。
「リスペリドン」を検索すると、副作用に「排尿困難、便秘、手足の震え」などがある。担当者に聞いた叔母の問題として挙げていたことばかりだ。その問題を解決するためにスタッフさんは苦労しているはずなのに、スタッフが飲ませている薬が症状を増悪させているのではないのか? 担当者は薬の副作用を知らないのか?
D男は”「帰りたい」という母を想像するだけで可哀想で、いっそ症状が進んで何も分からなくなる方が幸せなのかなと思ったりします”と書いている。何なんだこいつは。どこまで弱いやつなんだ。
私はD男に”向き合うのが辛いからと、腫れ物に触るような扱いをしているように見えますよ”と言った。叔母さんは話せばこちらの意図をきちんと理解しているし、完全に引き取れないことも説明すれば分かる。だからその分、”車に乗せて何度でも家に連れて行ってあげる”と言えば、叔母さんの気持ちもすむんじゃないか。
4月の時点で、叔母さんは横にならずにいられない状態で、D男が話しかけても反応が鈍かった。「このまま死ぬんじゃないか」とD男は恐れたからこそ、私に「会いに来てくれるだけで嬉しい」と言っていた。「帰りたい」と望む気持ちを、息子もスタッフも一丸となって抑えつけるばかりでは、絶望して生きる気力を無くしてしまう。そしたらすぐに寝た切りになって、死んでしまうんじゃないのか、と。
D男宛のメールを書いた後で、私は叔母の「リスペリドン投与」をこのまま続けさせていていいのだろうか、と考えた。しかし毎月見てきて、明らかに投与が始まった6月から叔母の様子はおかしくなっていた。しかしホームにも方針があるだろうし、子供でもない単なる姪が言うようなことではないのかもしれないし、と一日悩んだ。
一日悩んで結論を出した。叔母が「帰りたい」と言うなら「monoさんが連れて行ってくれますよ」と言ってくれ。「いつなの」と聞いてきたら「〇月×日」と具体的日付を言って欲しい。だから薬の投与は見直して欲しい、とホームの担当者あてに手紙を書いた。
大体自分達も「問題」として取り組んでいる症状に、症状を増悪させるような副作用を持つ薬を服用させていては何の解決にもならないではないか。「帰宅願望」を抑えるためだけに、病状悪化を進めかねない薬を使うなんて、「手間かけさせるな」と言っているのと同じだ。手紙を詰めてレターパックに入れ、投函した。
母は、「T美を引き取りたいって思っていたけど、トイレの問題があるようだと難しい」なんて言って、最近は腰が引けている。しかし今日のドライブでも「いつでも家に来ればいい」なんて言っていた。私は知っている。母は人に「器の大きい人」に見られたいのだ。しかしもう、叔母さんは本気にしているかもしれない。逃げ腰になっている場合じゃないよ、お母さん。そしてそれは私もだ。
その夜はいつものように、母の隣に布団を敷いて寝たが、これまたいつものように母が「眠れない」とテレビを見出したり(しかも音量が大きい)、話しかけたりしてきて、3時間位寝た所で起こされた。その後寝る素振りのない母に、「いっそもう起きよう」と提案し、今日の写真をインスピックでプリント。それを持参してきた葉書に貼り付け、T美叔母さん宛の葉書を仕立てた。「文字が綺麗に書けない」とか「お前が書いて」とか言う母に、「一言で良いから」と書かせる。一発勝負は不安なので、練習もさせた。
ノってきたので、T美叔母の妹であるS子叔母にも同じ写真を貼って葉書を仕立てた。そこにも母に一言書かせる。部分的に間違ったが塗りつぶして誤魔化す。高齢者にはよくあることだ。
そんな風に両者あまり眠れないまま朝を迎え、私も今回は旅行計画を入れてなかったので、デイサービスに行く母より少し先に兄宅を離れて駅に向かった。そして「はやぶさ」に乗り、一路東京へ。東京駅に着いた途端、ものすごい熱風に吹かれた。持ってきたハンディファンも何の役にも立たない。ぬるい空気をどこまで攪拌してもぬるいままだ。ようやく家に帰りつくと、エアコンを入れて涼む。何にせよ今回は「やり切った」。手紙に書いたこちらの意図は叔母に十分伝わった気がする。「家に帰りたい」と言うならいくらでも連れて行こう。だから自分の心を「そんなこと思ってはいけない」なんて「心の居場所」を奪わないであげてほしい。
こうして「叔母の4回目の見舞い」は「太陽」カードの意味するように上々の形で終わったように思われた。しかし、本当の問題がゆっくりと露わになったのだ。
ひと眠りして起きた所に、D男からのメールが届いていた。私が6月に送った写真と手紙を今受け取ったこと、今日母を家に連れてきてくれてありがとう、というお礼だった。彼のメールにはホームからの6月報告書が添付されていて、それによると「日中から帰宅願望が強く、出口を探して落ち着かない。その旨をドクターに相談し「リスペリドン」を処方され、服用後は落ち着いています」とある。
6月に行った時、「ホームにしたら私達が叔母さんを元気づけると、”逃げ出そうとするから困る”って思っているのかも」と感じた。その感触は間違いじゃなかった。叔母の「帰宅願望」を抑えるために薬まで使っていたとは。
「リスペリドン」を検索すると、副作用に「排尿困難、便秘、手足の震え」などがある。担当者に聞いた叔母の問題として挙げていたことばかりだ。その問題を解決するためにスタッフさんは苦労しているはずなのに、スタッフが飲ませている薬が症状を増悪させているのではないのか? 担当者は薬の副作用を知らないのか?
D男は”「帰りたい」という母を想像するだけで可哀想で、いっそ症状が進んで何も分からなくなる方が幸せなのかなと思ったりします”と書いている。何なんだこいつは。どこまで弱いやつなんだ。
私はD男に”向き合うのが辛いからと、腫れ物に触るような扱いをしているように見えますよ”と言った。叔母さんは話せばこちらの意図をきちんと理解しているし、完全に引き取れないことも説明すれば分かる。だからその分、”車に乗せて何度でも家に連れて行ってあげる”と言えば、叔母さんの気持ちもすむんじゃないか。
4月の時点で、叔母さんは横にならずにいられない状態で、D男が話しかけても反応が鈍かった。「このまま死ぬんじゃないか」とD男は恐れたからこそ、私に「会いに来てくれるだけで嬉しい」と言っていた。「帰りたい」と望む気持ちを、息子もスタッフも一丸となって抑えつけるばかりでは、絶望して生きる気力を無くしてしまう。そしたらすぐに寝た切りになって、死んでしまうんじゃないのか、と。
D男宛のメールを書いた後で、私は叔母の「リスペリドン投与」をこのまま続けさせていていいのだろうか、と考えた。しかし毎月見てきて、明らかに投与が始まった6月から叔母の様子はおかしくなっていた。しかしホームにも方針があるだろうし、子供でもない単なる姪が言うようなことではないのかもしれないし、と一日悩んだ。
一日悩んで結論を出した。叔母が「帰りたい」と言うなら「monoさんが連れて行ってくれますよ」と言ってくれ。「いつなの」と聞いてきたら「〇月×日」と具体的日付を言って欲しい。だから薬の投与は見直して欲しい、とホームの担当者あてに手紙を書いた。
大体自分達も「問題」として取り組んでいる症状に、症状を増悪させるような副作用を持つ薬を服用させていては何の解決にもならないではないか。「帰宅願望」を抑えるためだけに、病状悪化を進めかねない薬を使うなんて、「手間かけさせるな」と言っているのと同じだ。手紙を詰めてレターパックに入れ、投函した。
母は、「T美を引き取りたいって思っていたけど、トイレの問題があるようだと難しい」なんて言って、最近は腰が引けている。しかし今日のドライブでも「いつでも家に来ればいい」なんて言っていた。私は知っている。母は人に「器の大きい人」に見られたいのだ。しかしもう、叔母さんは本気にしているかもしれない。逃げ腰になっている場合じゃないよ、お母さん。そしてそれは私もだ。
叔母の4回目の見舞い2
手紙を受け取ると叔母は、文面を黙読した。その様子は、書いていることも読めているし、理解しているように見えた。A4用紙に大き目のフォントで書いた2枚の手紙を読み終わったのを見計らって、「叔母さん、80歳の誕生日おめでとう」と言った。
「80歳って、嘘だよお~」と叔母が笑う。
「何でも機会を捉えて、”ありがとう”って言ってみて。手紙の提案をやってみてね」と私が言う。「それを聞いた心と体が喜んで、どこにいてもリラックスできるようになるから」
「手紙でも"叔母さん"っていうのやめて欲しいわ」と叔母。
「姉の娘だから”叔母さん"で正解じゃないの」と母が言うと、「私今19歳だから」とのこと。
音もなく何かがテーブルの横に来て、それが品物を運ぶロボットだったことには驚いた。配膳ロボットがこんな田舎のファミレスに既に配備されていたとは。注文もタッチパネルで、配膳もロボ。回転寿司の完全無人システムがファミレスにも及んでいた。でも無言で持ってくるんじゃなくて、"お待たせいたしました"くらい言って欲しいなあ。
運ばれてきたバナナパフェを見て、義姉が叔母のバナナを細かく砕いてくれた。食べ始めた叔母さんを見ていると、指が震えて口元からも食べこぼしたりしている。隣の母に「お母さん、叔母さん何か膝に落としたよ」と言うと、「大丈夫」と母。何と知らぬ間にハンカチを叔母の膝にひいてくれていた。Good Jobだよお母さん!
しかしこちらは喉に詰まらせないか、こぼさないか、予想外の出来事が起きはしないかと、叔母さんに注目している間、隣の母は「ありゃこれ美味しい。バナナも入って。豪華じゃないの、ねえ美味しいね」と、叔母さんには全く構わず我先に食べていく。その能天気な傍若無人ぶりに、「逆にこのくらいでいいのかな」と思った。じっと見られすぎるのも緊張するかもしれないし。
私も生クリームの乗った固めのプリン、義姉は「ふわふわかき氷」を食べる。何はともあれ、「美味しい」と感じてくれていることが嬉しかった。
叔母へのプレゼントとして手紙の他に、「ふせんブック」と、私がこの間行った「松島旅行記」を用意していた。フセンブックの方は以前叔母に手紙を送った時に同封したものを、枕元で見ていたのを知っていたから。ひょっとして今19歳のT美ちゃんにはこんな「可愛い雑貨」が嬉しいのかも、と思ってもう一つあったのを持ってきたのだ。そして松島旅行記を見せるとその場で叔母は読もうとし始めたので、「これはホームに戻ったらスタッフさんに渡すから、後から読んでね」と伝える。その様子からも叔母は文章をしっかり理解していて、楽しみにしているということが伺えた。
叔母に手を貸しながら店を出ると母が、またしても「どこ行きたい? やっぱり家か?」と尋ねる。「だから今回おうちの住所、持ってこなかったんだって」と伝えるも、母が「こんなに行きたがってるんだから連れて行こう」と言う。「叔母さん、住所分かる?」と聞くと、叔母さんが住所を言って来た。
その住所をナビに入れて、義姉がナビに従って車を運転。「その住所だとこの辺なんだけど」と義姉が言うが、母も叔母も「こんな川沿いじゃないよ」と言う。あちこち小道に入ってみて、「ここだと番地が変わってきちゃうし」とか言いながらぐるぐる迷っていた。「D男が家を売り払ったんじゃないの」と私が茶化し、「親放って日本一周してるくらいだしな」と母が笑う。そこで気が付いた。
「あたし、住所持って来てるかも」
そうだよ、インスピックを入れたポーチの中に、葉書とか葉書作成に必要になるから住所一覧も持って来ていなかったか?
インスピックを入れたポーチは持って来ていた。そこを探るとありました、住所録! 「D男の住所だから、〇番地じゃなくて×番地だ」と義姉に伝える。叔母が答えた番地は一つずれていたのだ。しかしその先は合致していて、ちょっと惜しかった。
新たにナビに住所を入れて、それに従って進むと遂に叔母さんの自宅にたどり着く。けれどどの道D男が居ないのだから、「見るだけにしよう」と言った矢先に母が下りた。つられるように叔母が下りる。もう誰か、母を何とかしてくれ!
案の定玄関には鍵がかかっている。母と叔母さんは庭に入って行って、辺りを見回していた。明らかに叔母さんの表情がリラックスしていた。深い呼吸がようやく出来た、そんな感じだった。
庭に置いてあった踏み台に腰掛けて、母と叔母さんの写真を撮った。「どうだ、変わったか」と尋ねる母に「何も変わってない」と叔母さん。
「来て良かったな。さっぱりしたろ」
「うん、良かった。さっぱりした」
庭をぐるりと回って、気がすんだのか叔母さんが車に戻る。母の無茶ぶりに焦ったけれど、結果的には「良かったな」と思った。叔母さんが一番来たい所に来れたのだから。
車に乗って家を離れ、ホームに戻った。スタッフさんに帰所を告げると、「夕食が16時になってるんですけど食べて来ましたか」と聞かれた。「いや、スイーツだけです」と報告。バナナパフェを食べて、バナナは細かくして与えたこと、預かった尿パッドは使用しなかったことなどを伝える。
「夕食は16時になってるんで、その前に戻してくださいね」と言われたが、最初から時間は伝えてあったのだからその時点で言って欲しかった所だ。「次回からそうなるように気を付けますね」と答え、T美叔母さんを返す。何だか、あまりにも叔母さんを「何もできない人」のように扱っている印象を受けた。
車に戻った所で義姉が、「お母さん、杖どうした?」と聞いた。確かにいつもついているピンクの杖をついていない。
「え、あれっ。無い」と母が慌てる。私がホームの玄関先に戻って確認するも、杖は無い。
「さっきのココスに忘れてきたのかも」と母が言うので、調べてココスに電話してみた。すると、「そのテーブルに杖は見当たらない」とのこと。ココスに無ければ、その後に立ち寄ったのは叔母さんの家だ。そこでさっき撮影した写真を見てみると、写真でも母は杖を持っていなかった。
「お母さん、杖をついて写真に写りたくないからってここで杖を離したんじゃないの」と聞く。どちらにしてもココスと叔母さんの家しか行っていないのだから、叔母さんの家に忘れた可能性が高い。
急遽叔母さんの家に戻りながら、思わず笑ってしまう。「もう、何かしら起きるね」
「”終わりよければすべてよし”とは中々行かないもんだね」と義姉も笑った。
叔母さんの家に戻って庭に行くと、あっさり母の杖が見つかった。「あったよお母さん」と声を掛けると、室内から「あれっ、どうしたの」と声。何と日本一周旅行に出ていたD男が帰宅していた。
さっき叔母さんを家に連れて来たんだよ、とD男に伝える。車に戻ろうとする私達に、D男は玄関先に来てくれて「家には来ないって言ってなかった?」と聞くので、「やっぱり一番来たい所がここだったみたいで、来ない訳にはいかなかったんだ」と伝えた。「でも、叔母さんは十分事情は分かっているし、見るだけでも来たいと思ったんじゃないかな。度々連れてきてあげれば、それだけで気がすむと思うよ」と話す。
そしてD男にも別れを告げ、母は愛用の杖を取り戻して、ようやく皆で兄宅に帰った。車の中で、「いやでも今回は叔母さんが嬉しそうで良かったよね」「お母さんが最後に杖を忘れたのも、”D男とやりとりしなさい”っていうめぐり合わせだよね」と言い合い、皆「やり切った」という充実感に包まれていた。
「80歳って、嘘だよお~」と叔母が笑う。
「何でも機会を捉えて、”ありがとう”って言ってみて。手紙の提案をやってみてね」と私が言う。「それを聞いた心と体が喜んで、どこにいてもリラックスできるようになるから」
「手紙でも"叔母さん"っていうのやめて欲しいわ」と叔母。
「姉の娘だから”叔母さん"で正解じゃないの」と母が言うと、「私今19歳だから」とのこと。
音もなく何かがテーブルの横に来て、それが品物を運ぶロボットだったことには驚いた。配膳ロボットがこんな田舎のファミレスに既に配備されていたとは。注文もタッチパネルで、配膳もロボ。回転寿司の完全無人システムがファミレスにも及んでいた。でも無言で持ってくるんじゃなくて、"お待たせいたしました"くらい言って欲しいなあ。
運ばれてきたバナナパフェを見て、義姉が叔母のバナナを細かく砕いてくれた。食べ始めた叔母さんを見ていると、指が震えて口元からも食べこぼしたりしている。隣の母に「お母さん、叔母さん何か膝に落としたよ」と言うと、「大丈夫」と母。何と知らぬ間にハンカチを叔母の膝にひいてくれていた。Good Jobだよお母さん!
しかしこちらは喉に詰まらせないか、こぼさないか、予想外の出来事が起きはしないかと、叔母さんに注目している間、隣の母は「ありゃこれ美味しい。バナナも入って。豪華じゃないの、ねえ美味しいね」と、叔母さんには全く構わず我先に食べていく。その能天気な傍若無人ぶりに、「逆にこのくらいでいいのかな」と思った。じっと見られすぎるのも緊張するかもしれないし。
私も生クリームの乗った固めのプリン、義姉は「ふわふわかき氷」を食べる。何はともあれ、「美味しい」と感じてくれていることが嬉しかった。
叔母へのプレゼントとして手紙の他に、「ふせんブック」と、私がこの間行った「松島旅行記」を用意していた。フセンブックの方は以前叔母に手紙を送った時に同封したものを、枕元で見ていたのを知っていたから。ひょっとして今19歳のT美ちゃんにはこんな「可愛い雑貨」が嬉しいのかも、と思ってもう一つあったのを持ってきたのだ。そして松島旅行記を見せるとその場で叔母は読もうとし始めたので、「これはホームに戻ったらスタッフさんに渡すから、後から読んでね」と伝える。その様子からも叔母は文章をしっかり理解していて、楽しみにしているということが伺えた。
叔母に手を貸しながら店を出ると母が、またしても「どこ行きたい? やっぱり家か?」と尋ねる。「だから今回おうちの住所、持ってこなかったんだって」と伝えるも、母が「こんなに行きたがってるんだから連れて行こう」と言う。「叔母さん、住所分かる?」と聞くと、叔母さんが住所を言って来た。
その住所をナビに入れて、義姉がナビに従って車を運転。「その住所だとこの辺なんだけど」と義姉が言うが、母も叔母も「こんな川沿いじゃないよ」と言う。あちこち小道に入ってみて、「ここだと番地が変わってきちゃうし」とか言いながらぐるぐる迷っていた。「D男が家を売り払ったんじゃないの」と私が茶化し、「親放って日本一周してるくらいだしな」と母が笑う。そこで気が付いた。
「あたし、住所持って来てるかも」
そうだよ、インスピックを入れたポーチの中に、葉書とか葉書作成に必要になるから住所一覧も持って来ていなかったか?
インスピックを入れたポーチは持って来ていた。そこを探るとありました、住所録! 「D男の住所だから、〇番地じゃなくて×番地だ」と義姉に伝える。叔母が答えた番地は一つずれていたのだ。しかしその先は合致していて、ちょっと惜しかった。
新たにナビに住所を入れて、それに従って進むと遂に叔母さんの自宅にたどり着く。けれどどの道D男が居ないのだから、「見るだけにしよう」と言った矢先に母が下りた。つられるように叔母が下りる。もう誰か、母を何とかしてくれ!
案の定玄関には鍵がかかっている。母と叔母さんは庭に入って行って、辺りを見回していた。明らかに叔母さんの表情がリラックスしていた。深い呼吸がようやく出来た、そんな感じだった。
庭に置いてあった踏み台に腰掛けて、母と叔母さんの写真を撮った。「どうだ、変わったか」と尋ねる母に「何も変わってない」と叔母さん。
「来て良かったな。さっぱりしたろ」
「うん、良かった。さっぱりした」
庭をぐるりと回って、気がすんだのか叔母さんが車に戻る。母の無茶ぶりに焦ったけれど、結果的には「良かったな」と思った。叔母さんが一番来たい所に来れたのだから。
車に乗って家を離れ、ホームに戻った。スタッフさんに帰所を告げると、「夕食が16時になってるんですけど食べて来ましたか」と聞かれた。「いや、スイーツだけです」と報告。バナナパフェを食べて、バナナは細かくして与えたこと、預かった尿パッドは使用しなかったことなどを伝える。
「夕食は16時になってるんで、その前に戻してくださいね」と言われたが、最初から時間は伝えてあったのだからその時点で言って欲しかった所だ。「次回からそうなるように気を付けますね」と答え、T美叔母さんを返す。何だか、あまりにも叔母さんを「何もできない人」のように扱っている印象を受けた。
車に戻った所で義姉が、「お母さん、杖どうした?」と聞いた。確かにいつもついているピンクの杖をついていない。
「え、あれっ。無い」と母が慌てる。私がホームの玄関先に戻って確認するも、杖は無い。
「さっきのココスに忘れてきたのかも」と母が言うので、調べてココスに電話してみた。すると、「そのテーブルに杖は見当たらない」とのこと。ココスに無ければ、その後に立ち寄ったのは叔母さんの家だ。そこでさっき撮影した写真を見てみると、写真でも母は杖を持っていなかった。
「お母さん、杖をついて写真に写りたくないからってここで杖を離したんじゃないの」と聞く。どちらにしてもココスと叔母さんの家しか行っていないのだから、叔母さんの家に忘れた可能性が高い。
急遽叔母さんの家に戻りながら、思わず笑ってしまう。「もう、何かしら起きるね」
「”終わりよければすべてよし”とは中々行かないもんだね」と義姉も笑った。
叔母さんの家に戻って庭に行くと、あっさり母の杖が見つかった。「あったよお母さん」と声を掛けると、室内から「あれっ、どうしたの」と声。何と日本一周旅行に出ていたD男が帰宅していた。
さっき叔母さんを家に連れて来たんだよ、とD男に伝える。車に戻ろうとする私達に、D男は玄関先に来てくれて「家には来ないって言ってなかった?」と聞くので、「やっぱり一番来たい所がここだったみたいで、来ない訳にはいかなかったんだ」と伝えた。「でも、叔母さんは十分事情は分かっているし、見るだけでも来たいと思ったんじゃないかな。度々連れてきてあげれば、それだけで気がすむと思うよ」と話す。
そしてD男にも別れを告げ、母は愛用の杖を取り戻して、ようやく皆で兄宅に帰った。車の中で、「いやでも今回は叔母さんが嬉しそうで良かったよね」「お母さんが最後に杖を忘れたのも、”D男とやりとりしなさい”っていうめぐり合わせだよね」と言い合い、皆「やり切った」という充実感に包まれていた。
負の側面を伝えない
この動画を見た。「【お金のニュース】ふるさと納税、ポイント付与が禁止に?最新事情3点について解説【リベ大公式切り抜き】」
ふるさと納税は確かに節税効果が高いものだが、その「節税分」はふるさと納税をした人の足元の自治体の運営費を食っている。私の住む市でもその件で苦しんでいて、電車に「知ってください、ふるさと納税の問題点」といった広告を出していた。もしも税収不足で自治体のごみ収集の回数が減ったり取りやめになったりしたら、「ふるさと納税で節税できた」なんて言っている場合では無くなってしまう。
同様なものに「NISA」がある。これは確かに資産作りに有効な手段だが、インフルエンサーに影響されて沢山の人がNISAを使って外国株を購入すればするほど、「円安」圧力となってNISAをしない人も巻き込んでの「物価高」をもたらす。”自分の「NISA」や外国株投資が隣人の首を絞めている”ことに気付いた時には、円安が進み過ぎていてもう、「インデックス投資をしないではすごせない状況」になっていた。
私はリベラルアーツ大学の両学長を尊敬していた。彼の体験に基づいた知見はとても参考になるし勉強になった。けれども、「ふるさと納税」にしても「NISA」にしても「負の側面」を取り上げないことには疑問が残る。昔、税収不足で自治体が「ゴミ収集」をしなくなる漫画を読んだ。ゴミは部屋の中にどんどん溜まっていき、人の居場所が無くなっていく。そんなことを想像するだけでぞっとするが、税収不足で削られている細かいサービスは確かに存在しているのではないか。利用者自体が「知った上で」動画を見る必要があるのかもしれない。
ふるさと納税は確かに節税効果が高いものだが、その「節税分」はふるさと納税をした人の足元の自治体の運営費を食っている。私の住む市でもその件で苦しんでいて、電車に「知ってください、ふるさと納税の問題点」といった広告を出していた。もしも税収不足で自治体のごみ収集の回数が減ったり取りやめになったりしたら、「ふるさと納税で節税できた」なんて言っている場合では無くなってしまう。
同様なものに「NISA」がある。これは確かに資産作りに有効な手段だが、インフルエンサーに影響されて沢山の人がNISAを使って外国株を購入すればするほど、「円安」圧力となってNISAをしない人も巻き込んでの「物価高」をもたらす。”自分の「NISA」や外国株投資が隣人の首を絞めている”ことに気付いた時には、円安が進み過ぎていてもう、「インデックス投資をしないではすごせない状況」になっていた。
私はリベラルアーツ大学の両学長を尊敬していた。彼の体験に基づいた知見はとても参考になるし勉強になった。けれども、「ふるさと納税」にしても「NISA」にしても「負の側面」を取り上げないことには疑問が残る。昔、税収不足で自治体が「ゴミ収集」をしなくなる漫画を読んだ。ゴミは部屋の中にどんどん溜まっていき、人の居場所が無くなっていく。そんなことを想像するだけでぞっとするが、税収不足で削られている細かいサービスは確かに存在しているのではないか。利用者自体が「知った上で」動画を見る必要があるのかもしれない。
カッコーの巣の上で
ぞっとするような事実を知った。
5月の見舞いの折、いい笑顔を見せて差し入れに「大好き」と好き嫌いも伝えてきて、写真にあれこれ質問していた叔母さんを見て、「体を起こしても居られなかった4月に比べて、随分良くなった」と感じた。けれど6月9日に行った時は、笑顔が消えて、会った瞬間に私たちを認識することもできず、体の横揺れがひどくなり、ホームに「閉じ込められている」と不満を持っている感じがした。
6月の1日から、「リスペリドン」を飲まされていた。ホームスタッフがドクターに「帰宅願望が強く、毎日出口を探して落ち着かない」旨を相談した所、処方されたのだという。この情報はD男からの報告書で知った。その薬には患者を落ち着かせて大人しくさせる効能があるようだが、副作用として体のふるえ、排尿困難、便秘などがあげられている。
もし、6月に行った時の「悪化してる」と受けた印象が、薬からくるものだったらどうだろう。副作用には「口周りのけいれん」などもある。この間行ったレストランではパフェをこぼしたり、涎を垂らしたりしていたが、それは薬のせいではないのか。スタッフさんは「足元がふらついているので気をつけてあげてください」と言っていたが、あんたらが飲ませた薬のせいじゃないの?
映画「カッコーの巣の上で」の中で、ジャック・ニコルソン演じる暴れん坊の患者を大人しくさせるため「ロボトミー手術」が施され、彼は人が変わったように大人しくなる。それを思い出した。ホーム側の「手間かけさせないで」というメッセージ、そのためなら投薬も厭わない、その薬で病状が進行してもかまわない、そんな「囚人の看守」みたいな意図を感じる。このままあそこに叔母さんをおいといて良いんだろうか。
5月の見舞いの折、いい笑顔を見せて差し入れに「大好き」と好き嫌いも伝えてきて、写真にあれこれ質問していた叔母さんを見て、「体を起こしても居られなかった4月に比べて、随分良くなった」と感じた。けれど6月9日に行った時は、笑顔が消えて、会った瞬間に私たちを認識することもできず、体の横揺れがひどくなり、ホームに「閉じ込められている」と不満を持っている感じがした。
6月の1日から、「リスペリドン」を飲まされていた。ホームスタッフがドクターに「帰宅願望が強く、毎日出口を探して落ち着かない」旨を相談した所、処方されたのだという。この情報はD男からの報告書で知った。その薬には患者を落ち着かせて大人しくさせる効能があるようだが、副作用として体のふるえ、排尿困難、便秘などがあげられている。
もし、6月に行った時の「悪化してる」と受けた印象が、薬からくるものだったらどうだろう。副作用には「口周りのけいれん」などもある。この間行ったレストランではパフェをこぼしたり、涎を垂らしたりしていたが、それは薬のせいではないのか。スタッフさんは「足元がふらついているので気をつけてあげてください」と言っていたが、あんたらが飲ませた薬のせいじゃないの?
映画「カッコーの巣の上で」の中で、ジャック・ニコルソン演じる暴れん坊の患者を大人しくさせるため「ロボトミー手術」が施され、彼は人が変わったように大人しくなる。それを思い出した。ホーム側の「手間かけさせないで」というメッセージ、そのためなら投薬も厭わない、その薬で病状が進行してもかまわない、そんな「囚人の看守」みたいな意図を感じる。このままあそこに叔母さんをおいといて良いんだろうか。
叔母の4回目の見舞い1
その日、寝ようとベッドに横になったのは深夜2時頃だった。寝る前の日記を開いて、今日のトートタロットを引く。出たカードは「太陽」だった。蝶の羽を付けた二人の子供が手を取り合って輝く太陽を背にダンスをしている絵柄のこのカード。見た目通りに「喜び」を意味していて、その喜びは「コミュニケーション」から来る。幸先が良い。なんて素晴らしいカードが出たんだろう。起きたら、私は叔母の4回目の見舞いに行くからだ。
同時に引いている「マーメイドオラクルカード」では、「オーラの調整」が出た。このカードは「体調が悪化する可能性」を意味していて、丁度喉も痛かったし、「無理をしたらまた風邪を引くかもしれない」と自戒の一助にすることにした。
朝の6時少し前に起きて、朝食。出かける支度をすませると、昨日粗方詰めておいたリュックサックに、直前まで使っていた化粧品類や、充電器など詰め、準備完了。リュックを背負って部屋を後にした。
お昼少し前に新青森に着く。義姉の車に乗って来た母が改札まで迎えに来てくれた。髪が短くなっていて、「そういえば電話で”この間美容室に行って来たの”って言ってた」と思い出した。杖をつきながらではあるものの、随分足取りが軽快になっている。髪の印象も相まって、何だか若返っているような印象だ。そのことを伝えると、「足は今も痛いんだよ」と言い、いつものように「年を取るってこういうことなんだろうねえ」と言う。けれど月イチで見ている私からすれば、以前に比べると歩くスピードも早くなってるし、スタスタ歩いていることに気付く。離れているからこそ分かる違いなのかもしれない。
車で待つ義姉が「おかえり」と声を掛けてくれて、私もお礼を言って乗り込んだ。兄宅に着いたら遅れて姪のN子、その姉のT子がやってきた。この後T美叔母さんのホームに行ってドライブに連れ出す予定なのだが、いつものように義姉と母、それにN子が同行していては車が2台必要になる。そこに”T子が行ってくれるから大丈夫だろう”と義姉は言ってくれていたが、若い二人は「行かない」とのこと。叔母さんをドライブに連れ出して少し早い彼女の誕生日を祝うつもりだったが、実は姪のN子も今日が誕生日。正直、折角の誕生日にさほど交流もない叔母さんと一緒に過ごす気にはならなかったのだろう。私は自分が「T美叔母さんは何が問題なんだろうか」と考え続けていたので、何となく誰もが皆彼女のことを心配しているような気になっていた。T美叔母さんとは何ら血のつながりがない義姉が毎回車を出してくれることが本当に有難いことで、そのことを忘れてはいけない。でもちゃんと、叔母ちゃんはN子にプレゼントを用意して来たんだよ。T子が来ることも分かっていたので彼女の分も(T子の誕生日は5月)。それぞれに気持ちを込めて書いた手紙を添えたプレゼントを渡せたから、それで良しとしよう。私達が兄宅に帰って来る頃には二人はもう居ない、ということになる。
丁度午後2時位に着くような時間めがけて義姉の車でホームに向かう。とは言っても母が出がけの準備にバタバタして少し手間取った。行く途中では交差点で事故があったようで、数分間止められた。そんなこともあってか、ホームに着いたのは午後の2時20分くらい。予め叔母さんをドライブに連れて行く旨は伝えてあったので、届け出の紙を貰った。念のために、と尿漏れパッドを預かり、叔母の現状や使い方など聞いた。こんな風に入所者を連れ出す人はそう居ないのだろう、かなり心配しているようで、足取りがふらついているので転ばないように気を付けて下さい、大きなものを食べて誤嚥を起こしたら大変なことになるので、小さくしてあげてください、など色々。そして”2時間のドライブ”と伝えてあった通り、開始”14:25"、帰りを"16:25"と記入。
私が書類を書いている間、杖を付いている母が叔母に手を貸そうとする。それを見たスタッフさんが、「杖を付いてるお姉さんじゃなく、別の方で」と心配する。確かにそんなことでは二人で転びかねないので、義姉が叔母に手を貸してくれた。書類をスタッフさんに渡し、「それでは行ってきます」とホームを後にした。
義姉が叔母を車に乗せてくれて、母も乗り込む。行先はファミリーレストランのココスだ。最初私がオシャレ喫茶店を見つけたものの、「話す声が大きいから、あまり静かな所は目立つかも」と義姉。確かにその通り。母も耳が遠いし、大きな声でゆっくり話す必要がある。収容人数の少ないオシャレ喫茶店では目立ってしまって、雰囲気を楽しみに来た他の客が帰ってしまうかも。ということで、ココスがいいだろう、と決まったのだった。
ココスまでの道は、何故か随分農道を通る。義姉もナビに頼って移動しているので、その道が正しいか半信半疑で運転している。田植えが済んで青々とした稲が風にそよいでいる様を見ながら母が、「稲っこ青々としてほら、見ろ」と叔母に言い、「さっぱりしないか、田んぼ見てれば」と聞く。すると叔母も「さっぱりするな」と答える。「どこに行きたい?」と母が聞き、「やっぱり家か?」と誘導尋問のような質問をする。それは聞かないで欲しかった。助手席の私が振り返ってゆっくり話す。「今ね、D男が”日本一周旅行”に出ていて家に居ないんだって。だから家には誰も居ないから、今回は予定に入れてないんだ」と言った。
「日本一周旅行?」と前もって聞いてて知っているはずの母が驚く。一度聞いても忘れる母だが演技かもしれない。
「そう、一人息子が親をほっといて日本一周してるんだよ。だから叔母さんも楽しまなくちゃね!」と私は言った。
「でも叔母さん、元気でいてくれて良かった。私松島旅行の後でひどい風邪ひいちゃって」と言って、「松島からの葉書、届いた?」と聞くと首を振る叔母。落胆したがすぐに、「思い出した、思い出したよ。葉書ちゃんと届いた」と。「フェリーの写真張り付けた葉書、届いた?」「届いた、届いた」と言ってくれた。私も悩んだ上に送った葉書だったから、覚えていてくれて嬉しかった。
義姉も「ナビ通りに来たけど迷わず着くだろうか」と不安ながら運転していた様子だったが、ちゃんと目指す「ココス」に到着。運転席と助手席で思わず「着いた~」と喜ぶ二人。叔母に手を貸しながら席へ着く。杖を付く母と介助されている老婦人を連れた4人組は入っただけで人目を引いた。それを見て「ファミレスにしておいて良かった」と思った。
席に座ると思いがけずエアコンが効いていて、「エアコン寒いかもしれないから上着を沢山持ってきたのに、車に置いてきちゃった」と私。実は兄宅を出る時に母が手間取ったのはこの、「エアコン除けに上着を持とう」問題に、母が服選びに迷ったからだった。なのに私も母も、用意した上着を全部車に置いてきたことに気が付いたのだ。すると席の手前側に居た義姉が、「取って来るよ」と立ち上がって、車から上着やブランケットを取って来てくれた。なんというGood Job! 有難い!
母が上着を羽織り、叔母さんにも羽織らせて、元々車に置いていたブランケットを膝にかける。落ち着いた所で私が叔母に、「7月20日は何の日ですか?」と聞いた。叔母さんはちょっと戸惑ってから「…私の誕生日」と答える。横に居た母が「あんた20日だったっけ、違う日じゃないの」と言う。母の大真面目な顔の茶々は無視して、「今日は7日だけど、叔母さんのちょっと早い誕生会をやろうと思って」と言った。メニューを見てもらってスイーツを選んでもらった。誤嚥を避けるために、プリンとか飲み下しやすいものを勧めるつもりでいたが、母が「これがいいよ」と「バナナパフェ」を指さした。
「バナナに何だか色々入ってて豪華で、これが良いじゃない」と母が言うと、叔母さんも「それが良い」とうなづく。見ると、アイスクリームと生クリーム、フルーツはバナナとベリーが入っている。喉に詰まり易そうなものは無さそうだ。勧めようと思っていたプリンは、プリンに生クリームが乗っているだけで何だか寂しい。なので私がプリンを頼むことにして、母と叔母にバナナパフェ、義姉は「ふわふわかき氷」を注文。なんと注文はタッチパネル方式。ココスもしばらく来ない内にハイテク化してるなあ。
注文を待つ間にプレゼントを披露。
「まずこれ。差し入れに夏らしいゼリーとか、スイーツを買ってきたので、これは帰りにホームのスタッフさんに渡すね。おやつの時間に出してもらってください。で、もう一つ。叔母さんにお手紙を書いて来ました」と渡す。その手紙に私は、こんなことを書いていた。
4月から毎月、叔母さんに会いに来ているけれども、「叔母さんは心からリラックスしてくつろいでいないみたいだ」と気がついた。そしてその理由は、自分の本音、本心を無理に抑え込んでいるからじゃないか。自分を敵にしてしまっているから、周りの人も敵に見えてリラックスできないんじゃないか。そんな「自分」と仲直りする方法は、「ありがとう」という言葉を使うことだよ、と。
この手紙は母にも見せ、概要を義姉にも伝え、ホームに来る前に二人には「叔母さんの前では出来るだけ”ありがとう”を連発することにしよう」と言い合っていた。名付けて「”ありがとう”作戦」がこの日、幕を切っていたのだ。
同時に引いている「マーメイドオラクルカード」では、「オーラの調整」が出た。このカードは「体調が悪化する可能性」を意味していて、丁度喉も痛かったし、「無理をしたらまた風邪を引くかもしれない」と自戒の一助にすることにした。
朝の6時少し前に起きて、朝食。出かける支度をすませると、昨日粗方詰めておいたリュックサックに、直前まで使っていた化粧品類や、充電器など詰め、準備完了。リュックを背負って部屋を後にした。
お昼少し前に新青森に着く。義姉の車に乗って来た母が改札まで迎えに来てくれた。髪が短くなっていて、「そういえば電話で”この間美容室に行って来たの”って言ってた」と思い出した。杖をつきながらではあるものの、随分足取りが軽快になっている。髪の印象も相まって、何だか若返っているような印象だ。そのことを伝えると、「足は今も痛いんだよ」と言い、いつものように「年を取るってこういうことなんだろうねえ」と言う。けれど月イチで見ている私からすれば、以前に比べると歩くスピードも早くなってるし、スタスタ歩いていることに気付く。離れているからこそ分かる違いなのかもしれない。
車で待つ義姉が「おかえり」と声を掛けてくれて、私もお礼を言って乗り込んだ。兄宅に着いたら遅れて姪のN子、その姉のT子がやってきた。この後T美叔母さんのホームに行ってドライブに連れ出す予定なのだが、いつものように義姉と母、それにN子が同行していては車が2台必要になる。そこに”T子が行ってくれるから大丈夫だろう”と義姉は言ってくれていたが、若い二人は「行かない」とのこと。叔母さんをドライブに連れ出して少し早い彼女の誕生日を祝うつもりだったが、実は姪のN子も今日が誕生日。正直、折角の誕生日にさほど交流もない叔母さんと一緒に過ごす気にはならなかったのだろう。私は自分が「T美叔母さんは何が問題なんだろうか」と考え続けていたので、何となく誰もが皆彼女のことを心配しているような気になっていた。T美叔母さんとは何ら血のつながりがない義姉が毎回車を出してくれることが本当に有難いことで、そのことを忘れてはいけない。でもちゃんと、叔母ちゃんはN子にプレゼントを用意して来たんだよ。T子が来ることも分かっていたので彼女の分も(T子の誕生日は5月)。それぞれに気持ちを込めて書いた手紙を添えたプレゼントを渡せたから、それで良しとしよう。私達が兄宅に帰って来る頃には二人はもう居ない、ということになる。
丁度午後2時位に着くような時間めがけて義姉の車でホームに向かう。とは言っても母が出がけの準備にバタバタして少し手間取った。行く途中では交差点で事故があったようで、数分間止められた。そんなこともあってか、ホームに着いたのは午後の2時20分くらい。予め叔母さんをドライブに連れて行く旨は伝えてあったので、届け出の紙を貰った。念のために、と尿漏れパッドを預かり、叔母の現状や使い方など聞いた。こんな風に入所者を連れ出す人はそう居ないのだろう、かなり心配しているようで、足取りがふらついているので転ばないように気を付けて下さい、大きなものを食べて誤嚥を起こしたら大変なことになるので、小さくしてあげてください、など色々。そして”2時間のドライブ”と伝えてあった通り、開始”14:25"、帰りを"16:25"と記入。
私が書類を書いている間、杖を付いている母が叔母に手を貸そうとする。それを見たスタッフさんが、「杖を付いてるお姉さんじゃなく、別の方で」と心配する。確かにそんなことでは二人で転びかねないので、義姉が叔母に手を貸してくれた。書類をスタッフさんに渡し、「それでは行ってきます」とホームを後にした。
義姉が叔母を車に乗せてくれて、母も乗り込む。行先はファミリーレストランのココスだ。最初私がオシャレ喫茶店を見つけたものの、「話す声が大きいから、あまり静かな所は目立つかも」と義姉。確かにその通り。母も耳が遠いし、大きな声でゆっくり話す必要がある。収容人数の少ないオシャレ喫茶店では目立ってしまって、雰囲気を楽しみに来た他の客が帰ってしまうかも。ということで、ココスがいいだろう、と決まったのだった。
ココスまでの道は、何故か随分農道を通る。義姉もナビに頼って移動しているので、その道が正しいか半信半疑で運転している。田植えが済んで青々とした稲が風にそよいでいる様を見ながら母が、「稲っこ青々としてほら、見ろ」と叔母に言い、「さっぱりしないか、田んぼ見てれば」と聞く。すると叔母も「さっぱりするな」と答える。「どこに行きたい?」と母が聞き、「やっぱり家か?」と誘導尋問のような質問をする。それは聞かないで欲しかった。助手席の私が振り返ってゆっくり話す。「今ね、D男が”日本一周旅行”に出ていて家に居ないんだって。だから家には誰も居ないから、今回は予定に入れてないんだ」と言った。
「日本一周旅行?」と前もって聞いてて知っているはずの母が驚く。一度聞いても忘れる母だが演技かもしれない。
「そう、一人息子が親をほっといて日本一周してるんだよ。だから叔母さんも楽しまなくちゃね!」と私は言った。
「でも叔母さん、元気でいてくれて良かった。私松島旅行の後でひどい風邪ひいちゃって」と言って、「松島からの葉書、届いた?」と聞くと首を振る叔母。落胆したがすぐに、「思い出した、思い出したよ。葉書ちゃんと届いた」と。「フェリーの写真張り付けた葉書、届いた?」「届いた、届いた」と言ってくれた。私も悩んだ上に送った葉書だったから、覚えていてくれて嬉しかった。
義姉も「ナビ通りに来たけど迷わず着くだろうか」と不安ながら運転していた様子だったが、ちゃんと目指す「ココス」に到着。運転席と助手席で思わず「着いた~」と喜ぶ二人。叔母に手を貸しながら席へ着く。杖を付く母と介助されている老婦人を連れた4人組は入っただけで人目を引いた。それを見て「ファミレスにしておいて良かった」と思った。
席に座ると思いがけずエアコンが効いていて、「エアコン寒いかもしれないから上着を沢山持ってきたのに、車に置いてきちゃった」と私。実は兄宅を出る時に母が手間取ったのはこの、「エアコン除けに上着を持とう」問題に、母が服選びに迷ったからだった。なのに私も母も、用意した上着を全部車に置いてきたことに気が付いたのだ。すると席の手前側に居た義姉が、「取って来るよ」と立ち上がって、車から上着やブランケットを取って来てくれた。なんというGood Job! 有難い!
母が上着を羽織り、叔母さんにも羽織らせて、元々車に置いていたブランケットを膝にかける。落ち着いた所で私が叔母に、「7月20日は何の日ですか?」と聞いた。叔母さんはちょっと戸惑ってから「…私の誕生日」と答える。横に居た母が「あんた20日だったっけ、違う日じゃないの」と言う。母の大真面目な顔の茶々は無視して、「今日は7日だけど、叔母さんのちょっと早い誕生会をやろうと思って」と言った。メニューを見てもらってスイーツを選んでもらった。誤嚥を避けるために、プリンとか飲み下しやすいものを勧めるつもりでいたが、母が「これがいいよ」と「バナナパフェ」を指さした。
「バナナに何だか色々入ってて豪華で、これが良いじゃない」と母が言うと、叔母さんも「それが良い」とうなづく。見ると、アイスクリームと生クリーム、フルーツはバナナとベリーが入っている。喉に詰まり易そうなものは無さそうだ。勧めようと思っていたプリンは、プリンに生クリームが乗っているだけで何だか寂しい。なので私がプリンを頼むことにして、母と叔母にバナナパフェ、義姉は「ふわふわかき氷」を注文。なんと注文はタッチパネル方式。ココスもしばらく来ない内にハイテク化してるなあ。
注文を待つ間にプレゼントを披露。
「まずこれ。差し入れに夏らしいゼリーとか、スイーツを買ってきたので、これは帰りにホームのスタッフさんに渡すね。おやつの時間に出してもらってください。で、もう一つ。叔母さんにお手紙を書いて来ました」と渡す。その手紙に私は、こんなことを書いていた。
4月から毎月、叔母さんに会いに来ているけれども、「叔母さんは心からリラックスしてくつろいでいないみたいだ」と気がついた。そしてその理由は、自分の本音、本心を無理に抑え込んでいるからじゃないか。自分を敵にしてしまっているから、周りの人も敵に見えてリラックスできないんじゃないか。そんな「自分」と仲直りする方法は、「ありがとう」という言葉を使うことだよ、と。
この手紙は母にも見せ、概要を義姉にも伝え、ホームに来る前に二人には「叔母さんの前では出来るだけ”ありがとう”を連発することにしよう」と言い合っていた。名付けて「”ありがとう”作戦」がこの日、幕を切っていたのだ。
カレントライフリーディング2407
少し前、自分の現状を知るためにカードを引いてみた。
スプレッドは「カレントライフリーディング」で、メインカードにトートタロット、補助カードに「サイキックオラクルカード」を使用。サブカードの「サイキック」の方が大きいので目を引くけれど、メインカードはあくまで小さなトートタロットの方だ。
ぎょっとするのは左の端から半時計周りに9番目に「塔」のカードが出ていること。ここは「マインド」を示す位置となる。そして現状を踏まえてカードからのメッセージとなる10番目にディスクの10、11番目にワンドのプリンセス、12番目にディスクの2が出て、中央に大アルカナの「愚者」のカードが出ている。
10番目はピーク・エクスペリエンス「この状況で出来る最高のこと」を意味する。
11番目はスピリチュアル・メッセージ。
12番目は瞑想。
中央が概観となる。
ディスクの10は「ことがおのずから明らかになるにまかせよ」であり、ワンドのプリンセスは「自分で何とかしようとせずに流れにまかせよ」で、ディスクの2は「変化」を意味し、「愚者」は「自発、冒険」を意味している。
”とにかく今は、自分で何とかしようとせずに、ものごとがおのずから明らかになるのを見てなさい”と言われているということだ。状況としては天の「仕込み」が終わったのだ。細工は流々、仕上げを御覧じろ。
スプレッドは「カレントライフリーディング」で、メインカードにトートタロット、補助カードに「サイキックオラクルカード」を使用。サブカードの「サイキック」の方が大きいので目を引くけれど、メインカードはあくまで小さなトートタロットの方だ。
ぎょっとするのは左の端から半時計周りに9番目に「塔」のカードが出ていること。ここは「マインド」を示す位置となる。そして現状を踏まえてカードからのメッセージとなる10番目にディスクの10、11番目にワンドのプリンセス、12番目にディスクの2が出て、中央に大アルカナの「愚者」のカードが出ている。
10番目はピーク・エクスペリエンス「この状況で出来る最高のこと」を意味する。
11番目はスピリチュアル・メッセージ。
12番目は瞑想。
中央が概観となる。
ディスクの10は「ことがおのずから明らかになるにまかせよ」であり、ワンドのプリンセスは「自分で何とかしようとせずに流れにまかせよ」で、ディスクの2は「変化」を意味し、「愚者」は「自発、冒険」を意味している。
”とにかく今は、自分で何とかしようとせずに、ものごとがおのずから明らかになるのを見てなさい”と言われているということだ。状況としては天の「仕込み」が終わったのだ。細工は流々、仕上げを御覧じろ。
強制ストップがかかる時
母がT美叔母のことを、「そんな状態なら引き取れない」と言い出した。こっちは母が「引き取れないか」と言うからあれこれ調べて、色々動いているというのに、自分は何もしないでこの台詞だ。むかっ腹立つわ。
一人息子のD男は母親を放って日本一周旅行に出ているし、何だろうね、何で私一人が奔走してるんだろうね。
なんて思って腹が立ったりしているのは、自分が自分を満たすことより人のために動いてしまって、自分を蔑ろにしてしまっているから。あの風邪は「強制ストップ」だったのだ。これと似たようなことが以前あった。それは自民党の統一教会問題が露わになった時、ツイッターで盛んに呟いていたら、ひどい風邪を引いて強制退場せざるを得なくなった。これはメッセージなのだ。「ちょっとちょっとあんた、走り過ぎてるよ」という。
自分を楽しませる。そのついでに他人を喜ばせる。順番を間違えるな、と。
一人息子のD男は母親を放って日本一周旅行に出ているし、何だろうね、何で私一人が奔走してるんだろうね。
なんて思って腹が立ったりしているのは、自分が自分を満たすことより人のために動いてしまって、自分を蔑ろにしてしまっているから。あの風邪は「強制ストップ」だったのだ。これと似たようなことが以前あった。それは自民党の統一教会問題が露わになった時、ツイッターで盛んに呟いていたら、ひどい風邪を引いて強制退場せざるを得なくなった。これはメッセージなのだ。「ちょっとちょっとあんた、走り過ぎてるよ」という。
自分を楽しませる。そのついでに他人を喜ばせる。順番を間違えるな、と。
冷やし中華の黄金律
スーパーで買ってきた冷やし中華を作った。麺を茹でて、その間に具材を用意する。きゅうりを刻んで、生ハムがあったのでそれと、ミニトマトも。「薄焼き玉子が無いな」と思ったけど、家のコンロは一口なので、麺で使ってしまっている今、薄焼き玉子を作ることはできないし、後から作ると時間がかかるので「無し」にした。
茹で上がった麺を流水で締め、具材を投入して付属のタレを掛ける。そして実食!
「薄焼き玉子ってマストだったな」
そう、何だろうねこの「これじゃない」感。必要不可欠なものがない。それは何か、と考えるとやはり薄焼き玉子なのだ。ほんのり甘い薄焼き玉子がシャクシャクのきゅうりやハムを優しく受け止めるあの感じ。予め焼いておいてから茹でに入れば良かった。レシピには崩せない「黄金律」があるんだなあ。
茹で上がった麺を流水で締め、具材を投入して付属のタレを掛ける。そして実食!
「薄焼き玉子ってマストだったな」
そう、何だろうねこの「これじゃない」感。必要不可欠なものがない。それは何か、と考えるとやはり薄焼き玉子なのだ。ほんのり甘い薄焼き玉子がシャクシャクのきゅうりやハムを優しく受け止めるあの感じ。予め焼いておいてから茹でに入れば良かった。レシピには崩せない「黄金律」があるんだなあ。
「ちょう」から始まるNG語対策
選挙活動中の小池百合子が、記者にグーパンチを見舞う画像を見た(恐怖!女帝の正体!小池百合子が不都合な質問をする記者に対してグーパンチ!街頭演説で嫌われまくる小池百合子。元博報堂作家本間龍さんと一月万冊)。
検索してみると、「朝堂院大覚さんを知っていますか」との問いに対する対応だったそうだが、他にも「ヒルトンから盗んだ食器を返すつもりはあるんですか」との問いに対する対応だったと言っている人もいる。
街宣にも出ないで「タコつぼ戦略」を取って、学歴詐称疑惑やヒルトン窃盗疑惑などから逃げ回っていた彼女だけれど、選挙終盤の追い上げに立川市に街宣に出た時のことだったそうだ。
彼女は今聞かれたくない、怖い、聞くなバカ、圧力かけてやるわよ、どこのどいつだ、失言できない、ここまできて舌禍で落ちるなんて失敗は絶対にしたくない、なんていう恐怖で一杯なんだろうなあ。
「ちょう」と聞けば「朝堂院大覚さんの話か」と身構え「朝食は何を食べられましたか」の質問にもイラっ。”紛らわしいこと聞かないでよ”と内心キレる。
「カイ」と聞けば「カイロ大学の学歴詐称疑惑はどうなってるんですか」と聞かれると思い身構え「回答方式は電話とインターネットです」といった選挙分析TVにもイラっ。
「ヒル」と聞けば「ヒルトンホテルの皿を盗んでいたという話は本当なんですか」と聞かれると思い身構え「昼間にはなんと34℃を記録しました」なんて気温情報にもイラつく。
「コジマ」と聞けば「カイロ大学の卒業証明書は自作自演だと告発してきた小島氏のことか」と身構え「コジマックスさんは元祖お掃除芸人なんですよね~」なんてバラエティにもイラっ。
「キタ」と聞けば学歴詐称を指摘したかつての同居人「北原百代」さんのことかと身構え「北国と言いながら最高気温は東京と同じなんです」なんてお天気番組にもイラっ。
「あま」と聞けば、一部の大手企業に都庁の役人が大量に天下りしている件のことかと身構え「あま酒は夏の疲労回復に良いらしいですよ、飲む点滴ですから」なんて側近の好意にもイラっ。
「みつ」と聞けば天下り先「三井不動産」のことかと身構え、「”みつ”なんて名付けたコロナ対策のネーミングセンスは最高でしたね」という取り巻きの言葉にもイラっ。
<百合子地雷ワード辞典>
・ちょう ・カイ ・ヒル ・コジマ ・キタ ・学歴 ・大学 ・イエスかノーで答えて ・食器 ・銀のさら ・セット(セットウ)
・エジ ・オーディー(エー) ※エジプトに多額のODA費用を日本が出しているのはひょっとして?
・あま(下り) ・みつ(いふどうさん) ・みつ(びしじしょ) ・じん(ぐうがいえん)
他にも色々ありそうだな。こんなことになるから、子供にとっては「嘘」ってすごく辛いんだよね。言い訳をすれば嘘に嘘を重ねることになるから辻褄が合わなくなっていく。
小池さん、ちょう・・・食はなにを食べられましたか?
小池さん、ヒル・・・間は暑かったでしょう、ヒルトンホテルで涼まれたら?
小池さん、「銀・・・のさら」さんから差し入れが届いていますよ。いや、銀の食器って磨き続けないとすぐに黒くなるからお手入大変ですよね。
小池さん、エジ・・・プト大博覧会をやってるそうですよ、そこで街宣したら注目度上がりますよ!
小池さん、あま・・・ちゃんの再放送あったら見ます?
小池さん、みつ・・・い不動産さんからってええ?(殴られた)差し入れがありました、って報告だったのに~!
一つ一つ、全部に身構えて、備えて、全部から逃げていかなきゃね。真っ向から相手にして本当のことを言ったら自分は楽になるけれど、もう後戻りできない所に来てしまったんだもんね。退路はもう自ら落としてしまった。ハリネズミのように針を立てて、うなるように金が入って来ても怖いもの、避けなければならないもので一杯。そんな人生にしたいと、彼女はいつ望んだんだろうね?
検索してみると、「朝堂院大覚さんを知っていますか」との問いに対する対応だったそうだが、他にも「ヒルトンから盗んだ食器を返すつもりはあるんですか」との問いに対する対応だったと言っている人もいる。
街宣にも出ないで「タコつぼ戦略」を取って、学歴詐称疑惑やヒルトン窃盗疑惑などから逃げ回っていた彼女だけれど、選挙終盤の追い上げに立川市に街宣に出た時のことだったそうだ。
彼女は今聞かれたくない、怖い、聞くなバカ、圧力かけてやるわよ、どこのどいつだ、失言できない、ここまできて舌禍で落ちるなんて失敗は絶対にしたくない、なんていう恐怖で一杯なんだろうなあ。
「ちょう」と聞けば「朝堂院大覚さんの話か」と身構え「朝食は何を食べられましたか」の質問にもイラっ。”紛らわしいこと聞かないでよ”と内心キレる。
「カイ」と聞けば「カイロ大学の学歴詐称疑惑はどうなってるんですか」と聞かれると思い身構え「回答方式は電話とインターネットです」といった選挙分析TVにもイラっ。
「ヒル」と聞けば「ヒルトンホテルの皿を盗んでいたという話は本当なんですか」と聞かれると思い身構え「昼間にはなんと34℃を記録しました」なんて気温情報にもイラつく。
「コジマ」と聞けば「カイロ大学の卒業証明書は自作自演だと告発してきた小島氏のことか」と身構え「コジマックスさんは元祖お掃除芸人なんですよね~」なんてバラエティにもイラっ。
「キタ」と聞けば学歴詐称を指摘したかつての同居人「北原百代」さんのことかと身構え「北国と言いながら最高気温は東京と同じなんです」なんてお天気番組にもイラっ。
「あま」と聞けば、一部の大手企業に都庁の役人が大量に天下りしている件のことかと身構え「あま酒は夏の疲労回復に良いらしいですよ、飲む点滴ですから」なんて側近の好意にもイラっ。
「みつ」と聞けば天下り先「三井不動産」のことかと身構え、「”みつ”なんて名付けたコロナ対策のネーミングセンスは最高でしたね」という取り巻きの言葉にもイラっ。
<百合子地雷ワード辞典>
・ちょう ・カイ ・ヒル ・コジマ ・キタ ・学歴 ・大学 ・イエスかノーで答えて ・食器 ・銀のさら ・セット(セットウ)
・エジ ・オーディー(エー) ※エジプトに多額のODA費用を日本が出しているのはひょっとして?
・あま(下り) ・みつ(いふどうさん) ・みつ(びしじしょ) ・じん(ぐうがいえん)
他にも色々ありそうだな。こんなことになるから、子供にとっては「嘘」ってすごく辛いんだよね。言い訳をすれば嘘に嘘を重ねることになるから辻褄が合わなくなっていく。
小池さん、ちょう・・・食はなにを食べられましたか?
小池さん、ヒル・・・間は暑かったでしょう、ヒルトンホテルで涼まれたら?
小池さん、「銀・・・のさら」さんから差し入れが届いていますよ。いや、銀の食器って磨き続けないとすぐに黒くなるからお手入大変ですよね。
小池さん、エジ・・・プト大博覧会をやってるそうですよ、そこで街宣したら注目度上がりますよ!
小池さん、あま・・・ちゃんの再放送あったら見ます?
小池さん、みつ・・・い不動産さんからってええ?(殴られた)差し入れがありました、って報告だったのに~!
一つ一つ、全部に身構えて、備えて、全部から逃げていかなきゃね。真っ向から相手にして本当のことを言ったら自分は楽になるけれど、もう後戻りできない所に来てしまったんだもんね。退路はもう自ら落としてしまった。ハリネズミのように針を立てて、うなるように金が入って来ても怖いもの、避けなければならないもので一杯。そんな人生にしたいと、彼女はいつ望んだんだろうね?
何なんだあいつは
T美叔母さんをドライブに連れ出して、自宅に連れて行くかどうかを考えて、「どちらにしても息子のD男と連絡を取らなければ」と思った。6月の見舞いの時の写真を送ったものの、依然D男から連絡はなかった。何かこちらに悪い印象でも持っているのかもしれない。そう思ってちょっと構えてD男のスマホを鳴らしてみた。「電波が悪いか、電源が入っていないかでつながりません」とのこと。
その後、メールで連絡があって明らかになったが、なんとD男は「フェリーと車で日本一周旅行中」だった。
何それ。
思わず笑ってしまった。写真を送っても返答が無いはずだ。自宅にも帰っていなかったんだから。こっち色々勘ぐって考えて、馬鹿みたい。でもよく親を放っといて長期の旅行に出るよなあ、なんて考えてむかっ腹立つような所もある。
そんなD男を見ていて考えた。私も母と一緒に旅行する「旅行の一環」として叔母さんの見舞いを捉えていた。そう考えると幾らでもフットワークは軽くなる。そしてそれで良いんじゃないか。「引き取る」とか「面倒見れない」とか、「遊びの一環」なら考えるようなことじゃない。そしてこまめに顔を出したら、一番叔母さんに感じて欲しい「私は私で良いんだ」という感覚を得てもらうことが出来るかもしれない。これがもし「義務」だったり、「しなくてはいけないこと」になってしまったら、たちまち私のフットワークも重くなって、むしろ「義務から逃げる」ことしか考えなくなるのではないか。
この7月中に叔母さんが誕生日を迎えると言うことをD男から知り、ドライブは近場の喫茶店で叔母さんの誕生会をすることにした。丁度姪のN子も当日が誕生日なので、一緒に祝ってやればいい。そして私が用意するプレゼントももう決めている。全然金もかからない、でも一番彼女たちが喜ぶだろうと私が思っているものを渡すつもりだ。
その後、メールで連絡があって明らかになったが、なんとD男は「フェリーと車で日本一周旅行中」だった。
何それ。
思わず笑ってしまった。写真を送っても返答が無いはずだ。自宅にも帰っていなかったんだから。こっち色々勘ぐって考えて、馬鹿みたい。でもよく親を放っといて長期の旅行に出るよなあ、なんて考えてむかっ腹立つような所もある。
そんなD男を見ていて考えた。私も母と一緒に旅行する「旅行の一環」として叔母さんの見舞いを捉えていた。そう考えると幾らでもフットワークは軽くなる。そしてそれで良いんじゃないか。「引き取る」とか「面倒見れない」とか、「遊びの一環」なら考えるようなことじゃない。そしてこまめに顔を出したら、一番叔母さんに感じて欲しい「私は私で良いんだ」という感覚を得てもらうことが出来るかもしれない。これがもし「義務」だったり、「しなくてはいけないこと」になってしまったら、たちまち私のフットワークも重くなって、むしろ「義務から逃げる」ことしか考えなくなるのではないか。
この7月中に叔母さんが誕生日を迎えると言うことをD男から知り、ドライブは近場の喫茶店で叔母さんの誕生会をすることにした。丁度姪のN子も当日が誕生日なので、一緒に祝ってやればいい。そして私が用意するプレゼントももう決めている。全然金もかからない、でも一番彼女たちが喜ぶだろうと私が思っているものを渡すつもりだ。