困難にもがく人が好きだ
わたしが好きな人達はみんな、何かしらの困難を持っていても、もがいている人たちだ。
困難をなんとか明るく捉え直すこともできるかもしれないけれど、正直わたしはその方法はうまくできない。自分の苦しい思いに蓋をしているようなものだし、人によって様々な背景があるし、感じ方も違うのだから、他の人にはわたしの困難は簡単なものに見えるかもしれない。
まさにそういうあたりでわたしは苦しむことが多い。見た目や声が強そうなので、よほど勘のいい人じゃないと、わたしの違和感には気づけない。今も基本フレンドリーに振る舞う。ただの道化なのだから何の苦痛もないのだけれど、後で疲れてしまうことは分かったので、そのあたりで調整している。
人生は苦しい。「幸せになれる何か」を求めて彷徨ってもがいてきたけれど、それはどこにもなかった。今は時間をかけて、カウンセラーさんや身の回りの人たちに助けられて、自分で自分に気づく訓練をしている。
今までたくさん「死にたい」「生きるのがつらい」と言ってきたけれど、本当はまだまだ言い切れていない。この生き辛さをなんと表現していいかわからないし、言葉で言っても伝わらない。最近はじめて自分が感覚過敏だと気づいたくらい自分に鈍いこともわかった。主治医は、わたしがもとから感覚過敏だと思いますよ、と知っていた。それも生きづらさの原因みたいだ。
幼い頃からなんだか細かいことに違和感を覚えることばかりで、それは自分が気にしすぎるせいなんだと堪らえ続けていた。実際わたしの人生には分かりやすい困難はない。でもそれはわたし個人の問題だ。家族にはいつも愛してもらっていた。
困難に蓋をしてやり過ごすときも必要だと思う。でも自ら困難を見つめ、どうしたらもっと人生を変えられるか、もがいている人が好きだ。そんな人のひとり、ココ・シャネルは孤児院育ちだったそうだ。他にもたくさんの困難に耐えなければならなかった。それをおおっぴらに話すことはあまりなかったそうだけど、この言葉が最近とくにグッと来る。
「私は自分の人生が嫌いだった。だから自分で自分の人生を作ったの」
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