精密検査はウォルターが手配することになった。
このまま拠点に連れて帰ろうとして散々渋ったし、あれこれ言い立てたのだが、今度という今度は頑として聞き入れられなかった。どうやらまた信用度がマイナス値に突入したらしい。
何故だ、と思わなくもない。むしろ忍耐力を褒めて欲しいほどだったのだが。
唇を思い切り曲げた自分を見て、レイヴンが楽しげに笑っていたのは、まあ一応の成果だった。
自分でもめずらしく思うほど粘って食い下がったのは、多分、言語化できない違和感と不安が、心のどこかに巣くっていたためだ。
気のせいだと思いたいのに、顔を見ないでいると勝手に不安が増幅していく。
レイヴンとのメッセージで検査結果をせっつくと、3日後にやっと返事が来た。
――「問題なし」との一言で。
それだけでわかるか、と検査項目だの検査方式だの数値だのを根掘り葉掘りしつこく聞き出そうとしていると、面倒になったのか、ウォルターに送ったのとおそらくは同じものであろうデータが丸ごと送られてきた。
諸々の身体データや強化手術の内容まで子細一式入っていたのだが、いいのだろうか。無頓着にも程がある。
前より痩せた印象ではあるのだが、前の数値を知らないので比較ができない。少なくとも以前は欠片も気にならなかった程度には肉がついていたはずだ。専門知識のいる部分については精査してみないとわからない。
とりあえず、無難そうなところにだけ反応した。
【骨密度はもう少し欲しいところだな】
【載ってた?】
【平均値ではあるんだけど、耐Gとか考えるとね】
【カルシウム……?】
【あとは運動か】
【筋トレね】
【せっかく足が治ったんだし、頑張るわ】
【ところで、相談があるんだけど】
めずらしい発言だった。大人しく先を待つと、すぐに続きが届く。
【交信の代わりになりそうな技術って】
【何か心当たりがない?】
【妙に知った感じだったから】
【実は今もう作らせてる】
【え】
【早い……】
【ずっと痛覚切っておくわけにもいかないだろ】
【危ない】
【まさにそう思ったからではあるんだけど】
【行動が早い……】
【試作機はすぐできそうだ】
【明日辺り暇か? 持っていく】
【いいの?】
【ありがとう、助かる】
時間は少し遡る。
レイヴンのところから帰ってすぐ、医療棟隣の工学研究棟へ足を運んだ。
オキーフおすすめの人材は道中で確認済みだ。赤毛のモジャモジャ頭に白迷彩の手製電子ゴーグル、という条件の研究員は、呼び出すまでもなくすぐに見つかった。
「おおー本物だ! 初めましてです、V.Ⅰ。めずらしく通信工学に興味をお持ちとか? いやあ、嬉しいなあ!」
通信機器は基本的に民生品(という表現も企業としては奇妙だが、つまりは他社のメジャー流通品)を軍事用に改良して使っているものばかりだ。要は、魔改造のエキスパートを期待しての訪問だった。
「ちょっと試しに作ってもらいたいものがあるんだ。うまく行きそうなら予算をつける」
「予算と時間があるなら如何様にでもってやつですよー。どんなもんです?」
「インカムというか、イヤーフック型のヘッドセットなんだが。コーラルを発音体に使いたい」
「……はー。面白いことを考えますね!」
研究員は白衣をまくった腕を組み、うんうん呟きながら首をひねった。
「スピーカーにおける発音体ってのは、要するに電気信号から空気振動へ変換を行う部分なわけですが……ああ、骨伝導だと振動子っすね、まあ要は振動させなきゃいけないわけですどっちにしろ。……うーん、コーラルで物理的振動を起こせるかなあ? 不活性化コーラルにそんな性質があればワンチャン? 該当の基礎研究がありゃいいんですけど、マイナーなんで、ちょっとしんどいですねぶっちゃけ」
「難しいか。振動系に直接干渉できるなら、別でもいいんだが」
「あ、それならマグネットへの作用に使えばいいだけですね。あーいや、ピエゾの方が面白いかな? わざわざコーラルを使う意味はなくなっちゃいますけど。ちょっと作ってみます?」
「頼む。必要なものがあれば言ってくれ、最短で決裁を通す」
「わお、ファストパスきちゃった! まあこれ、ありあわせでできそうなんですけどねー」
早速作業に取り掛かったところを見ると、そう時間のかかるものではないらしい。
とりあえず形になりそうだ。わりと急ぎだったので助かった。
実際に渡すものにするには試作品をさらに調整する必要があるだろうが、この様子なら、数日ほどで用意ができそうだ。
出直すほどの時間がかかりそうな様子でもなかったので、この間に適当な企画書を作っておいた。
内容は――「コーラルの情報導体性質の応用発展」あたりでいいか。持ち合わせている知識と公開ライブラリ情報、残り大半を調子の良いデマで埋めた書類は、30分もせずできあがった。
今作っている試作品が駄目でも、そのうちどれかはうまくいくだろう。
レイヴンはどうも「交信」と相性が悪いようで、受信にかなりの頭痛を伴っていた。とりあえず痛覚遮断機能でしのいではいるが、あれはあくまで戦闘中の負傷など、一時的な対処のために使われるものだ。睡眠管理デバイスと同じく、常用するものではない。
コーラル制御の発音装置ができれば、エアとの会話にかかる負担を減らせるだろう。聞こえない人間から幻聴扱いされることもなくなり、可能なコミュニケーションの幅が広がる。
自然にそんな事を考えて、はたと気付いた。――そうさせていいものだっただろうか?
前回の際には最終的に手を組んだ“Cパルス変異波形”なのだが、オールマインドに引き合わせられただけで、そもそもどんな目的でいたのかさえ微妙にわかっていなかった。
そんな状況で名前を覚えていたのは、オールマインドがひたすら枕詞のようにセットで名前を呼びかけてきたせいだろう。
コーラルという奇妙な生命体のうち、ごく稀に発生する“人格”。コーラルにおける現行唯一の知的生命存在という時点で、文明を持たず、また群体の
できるのは人類に似た階層での思考を行うこと、電子的な操作を行うこと程度だ。随分と中途半端な存在だが、その性質が、本来コントロールできるものではないはずの相変異に、指向性をもたらすことを可能にした――理論上は。
実際どうなのかはわからない。やってみるまえに潰えた計画だ。
はっきり覚えているのは、“エア”がレイヴンを恨んでいたことくらいか。たしか誰かの仇になっていたはずだ。
そいつもACのパイロットだという話だったので、殺していれば殺されもするだろうにと、冷めた気分になったのを覚えている。
そういえば喧嘩が多かった理由はその辺りだったなと思い出していると、オキーフから別の報告が入った。
コーラル逆流前後の事件情報だ。同様に逆流が観測された場所に絞ったとはいえ、相当な範囲だった。
対応が早かったのは、これを予測していたからか――もしくは、何か他の要素が絡んでいたためか。
前回の様子を思い返しながら資料に目を通すと、ひとつ、オキーフが確信を持っている様子の情報があった。
――ウォッチポイント・デルタ。かつては埋蔵コーラルの流量制御を行っていた施設だ。現在は流通を止められているが、惑星封鎖機構によって観測のみが続けられている。
その施設を警備していた40機近くのSG部隊が一夜にして全滅し、施設が破壊された。現時点で実行者は不明となっていた。
「全滅」という単語は、生存者がほぼ存在しない状況を示す。
そうか、と、少しばかり重い気分になった。
与えられた仕事が「趣味」の範囲で留まるならいい。殺す必要のないところでまで殺す必要はない。だが、
ウォルターはそれを指示し、レイヴンはそれを受け入れた。それだけの話だ。
惑星封鎖機構を刺激しないためか、情報部が取得したカメラ情報の多くはドローンによるもののようだった。
その中にさりげなく混入していた、所属不明機の存在に――おそらく意図的に薄く触れられたのを見とがめ、オキーフへ通信を入れる。
「資料を確認した。所属不明機の残骸、回収は可能か?」
《……惑星封鎖機構と遭遇する可能性がある。それに相応する必要性があるのか》
「無理のない範囲でいい、カメラの情報と通信記録を回収してくれ。……回収できた内容は余所に漏らすな」
《例の猟犬絡みか? だが――》
「できるかできないかを聞いている」
渋る様子を見て、態度を「強硬」へと切り替えた。
オキーフは苦り切った様子で、だが、異を唱えることはなかった。
《……善処しよう。期待はしてくれるな》
「ああ、わかっている。……失敗するのは良いが、隠匿はするなよ、オキーフ」
ため息を伴う了承が返ってきた。
内容が困難だからではない。所属不明機から得る情報をこちらに渡したくないのだろう。気付いていると示しておく必要があった。
画面をなぞり、苦々しい気分を持て余す。
ウォルターに対して、文句を言う筋合いはないはずだ。あの男は“できるかぎり”、レイヴン自身の意向を受け入れられるよう動いていた。それこそ、無駄とも思える手間さえかけてその望みを叶えてやっていたのだ。
だが――40機、つまりは40人。いきなり背負わせるには十分な重さだろう。目覚めたあとのレイヴンの、どこか不安定で、気を張った様子を思い返す。ウォルターの重苦しいため息も。それらに、これが無関係だったとは思えない。
それでも、レイヴンはそれを口に出さなかった。
話したのは今起きているエアとの問題だけだ。あの夜に起きた様々な苦難を、彼女は何一つ話さなかった。縋らなかった。――以前と同じように。
どんな方法を使ってでも知っておきたいというのは、ただの我が儘なのだろうか。
今の彼女が気を抜いて笑うとき、その大半は、こちらに顔を見せないでいるのだと――そのとき初めて気付いた。
- / - -
午後から仕事が入っていたので、訪問は午前の早い時間帯になった。
指定されたポイントで連絡を入れると、言い争いの真っ最中だったようだ。レイヴンがいささか辟易した様子で応答した。
《……待って、エア。一時休戦。お客さんよ》
「喧嘩中か?」
《喧嘩ってほどでもないんだけど……ちょっと、困ってはいるわね……》
首を捻りながらヘリの中に入ると、レイヴンが言葉通りの表情で出迎えた。
「来てくれて助かったわ、フロイト。来て早々に悪いんだけど、ちょっと仲裁してくれる?」
「仲裁か。大人になってからは初めて頼まれたな」
「……不安になるようなことを言うわね……」
「まあ、まずは話が聞けないと判断のしようがない。土産がうまく動くといいんだが」
インカムを手渡すと、レイヴンは不思議そうに首を傾げた。外見はごく普通のものだったからだろう。
さすがに居室へ通されることはなく、ガレージ近くのベンチに招かれた。
腰を落ち着けて、エアに話しかける。
「スピーカー機能もつけておいた。どうだ?」
しばらく待つと、スピーカーにノイズが走った。
硬質な、少女めいた声が響く。
〈……うまく、アクセスできたようです。聞こえますか?〉
いい感じ、と手に持ったままのレイヴンが手首を叩くように拍手した。成功のようだ。
すこしばかり照れたような様子で、エアが咳払いをする。なんだかんだ仲は悪くないようだ、と思い――はたと、引っかかりに気付いた。
「……いや、待て。ずいぶん人間くさいな……どこで学習した?」
〈学習……ですか? いえ、音声でヒトと意思疎通を行うのは、私にとって初めてのことです〉
「“交信”は?」
〈そちらも同様です。なぜですか?〉
奇妙な話だった。
オールマインドとは異なり生命体ではあるのだが、呼吸器を持たないという点では同じだ。「咳払い」などというものは、意思疎通において必要不可欠なものではない。学習による模倣でなければおかしいはずだ。
もう少し突っ込んで話を聞きたい気がしたが、レイヴンがそれを目で押しとどめた。
同じ違和感を抱いたらしい。その上で、今はそこに触れるべきではないと考えたようだ。
ひらひらと手を振り、同意を示した。
「……で? 何に揉めてるんだ?」
「ウォルターがしばらく不在で、私はしばらくの休暇。そこにお嬢さんが反対しているの」
〈反対しているわけではありません、レイヴン。ただ、早急な中央氷原への到達を目指すには、ベイラムの依頼を受けるべきではないかと提案しているだけです〉
「依頼内容は『先行調査』でしょう。休暇を潰して、おまけにわざわざ武器メーカーに喧嘩を売ってまで、ベイラムの歓心を買う理由はないわ――って、こんな感じで、平行線になってるのよね」
「なるほど。……ちなみに、どんなプランを立てているんだ?」
〈グリッド086の上層区画に存在する、大陸間輸送用カーゴランチャーの利用を提案しています〉
「……カーゴランチャー?」
〈はい〉
「
〈私です。ACに搭乗しているのであれば、破損なく中央氷原へ到達することが可能です〉
レイヴンが顔を引きつらせた。
相手は人間ではないとは言え、さすがにこれはいただけない。
「論外だな」
「論外ね」
声が揃った。
きっぱりとした断言に、さすがに思うところがあったのか、少しばかりエアの声のトーンが落ちる。
〈……机上の空論……でしたか?〉
「まさにそれだな。実験なしに
「そうね、せめて中身が無事だっていう確証を貰わないと。……死体だか瀕死だかになって一番乗りして、何になるって言うの……」
〈で、ですが、ACのデータ上の負荷Gは最大12です。計算上、これを上回ることは……〉
「エア。ACにはね、十分なデータと基準があるの。その上で
〈……はい……〉
「生物って結構脆いの。機械みたいに簡単に直せないし、失敗したら終わりなの。使うなら十分な実験を行ってから。それなら、そんな実験をしている間に、別の手段を取った方がいいってこと。……まあ、RaD辺りがちゃんとしたデータを揃えているなら、話は別だけど」
〈なるほど……わかりました。調べてみます〉
レイヴンが不穏なことを言い出したので、さすがに止めに入った。
「ちょっと待て。本気か?」
「データ上ででも、一応の安全性が保証されているならね。あとはウォルターの判断次第」
「いくら何でも止めるだろう」
「それならそれで話は終わるけど……だって、ちょっと興味はない? こう、ばかばかしいダイナミックさというか」
「……まあ、それは、否定できないが」
「ね」
いささか話の展開が不穏になってきた。だが、さすがに自分がこれに同行するのは耐G能力的に無理だ。もしうまくやれたとしても、自分とレイヴン抜きでは、アーキバスの輸送船団が
唸りながら腕を組んだ。
「……一応言っておくと、アーキバスは船での移動になる。いま建造中で、航行日数を含めた到着目標は30日後だ」
〈船……ですか〉
「船を作るところから始めて、30日? すごいわね……」
「これに限らず、製造工程は大半が自動化されているからな。そんなものだろう。動くのはウォルターが戻ってからなら、到着にそう差のあるものでもないと思うが。乗って行けばいい」
レイヴンの指が、考え込むように顎を摘まむ。小首を傾げる動きにあわせて、柔らかな色の髪が肩口を滑った。
「ウォルター次第だけど……それは個人的なお誘い?」
「いや、正式な依頼として回すつもりだった。多分技研の遺産とやり合うことになる。お前の戦闘力があれば助かりそうだ」
「技研の遺産? ……ヘリアンサスみたいな?」
「海で遭遇する以上、ヘリアンサスが笑い話になるレベルのものだろうな。まあ勘だが。その対処への協力を依頼するつもりだ」
レイヴンが笑みの形に目を細めた。何故か冷ややかなそれに、首を傾げる。
「勘、ね。……どう思う? エア」
〈どう、とは、どのような意味でしょう、レイヴン〉
「この人、たぶん説明が面倒な部分を全部『勘』で押し通すつもりよ。貴方のこととかね。気にならない?」
〈気になります〉
即答だった。ごまかせていなかったか、と首裏を掻いた。
「どう考えても名前を知るのは無理よ。エア、交信も音声での交流も、ここのところのものが初めてという話だったわね。今までテキストデータで名乗ったことは?」
〈数度ほど……相手はベイラムでしたが。取り合ってはいただけませんでした〉
「つまりいたずら扱いで、アーキバスの諜報網に引っかかるようなデータじゃないってことよね。そもそも、未知の存在への理解がいくらなんでも深すぎる。……フロイト、何か言うことは?」
自分自身のことには無頓着だったくせに、随分と鋭く切り込んでくる。
別に隠すつもりもないのだが、話に信憑性があるかというと、かなり微妙だ。
腕を組んで考え込み、結局のところ、素直に答えることにした。
「何か言えとは言ってもな……この間話した以上のことは知らないんだが。名前がエアだということと、コーラル生命体だということ、ペアリングした強化人間と情報を共有できること――くらいだな、本当に」
〈内容も勿論ですが、フロイト。聞きたいのは、なぜ、という点です〉
「そういうこと」
二人揃っての追撃に追加で考えこみ、ベースヘリの天井を見上げた。
そんなところに名案が書かれているわけはないのだが。
「……荒唐無稽で信用される気がしない。そのうち言わないといけなくなれば言うが、今は無理だな」
「……それで納得しろって言うの?」
「聞かれて言えることは話すが、それが正しいのかは微妙だ。結果的に情報としての価値がなくなっているかもしれないし、系統立てて話せるだけのものがない」
「端的に」
「面倒くさい」
「……まったく……。いいわ、ウォルターが戻ったら問い詰めてもらうから」
〈乙女の秘密を暴いておいて、この言いよう……。失礼な人です〉
「乙女なのか、お前」
〈本当に失礼な人です!〉
純粋に雌雄がないのではないかと思っただけだったのだが、怒らせてしまった。レイヴンが呆れたような目を向けてくる。
両手を上げて、降参を示した。
「ウォルターを相手にするのは厄介そうだな。俺はまあいいんだが、エアはいいのか?」
「え?」
〈私……ですか?〉
「コーラル生命体だということ自体をひけらかしたくないんじゃないか。……特に、企業やウォルターのような相手には」
本来であれば、自分もその側の人間だ。最初から知られていたということでハードルが下がったのかも知れないが、「営利的な目的でコーラルを求めている」と見做している相手に、やすやすと正体を明かすわけにはいかないだろう。集積地点の情報を要求されるのが目に見えている。
レイヴンが困惑気味にインカムを見つめる。
ややあって、迷うような声が言った。
〈……そう、ですね。……貴方の言うとおりです、フロイト〉
「言っておくが逃げ口上じゃないぞ。俺は別に構わない」
「フロイト、ちょっと黙っていて。……エア、もう少しきちんと話し合いましょう。どうしても秘密にする必要があるの?」
〈レイヴン……〉
「基本的な話をすると、私は判断をウォルターに委ねている部分が多いの。彼の意向を無視することはできないわ。……その上で、秘密にする必要性が本当にあるのか、よく考えて欲しい。どうしてもと言うなら受け入れるけど、利益相反が起きた場合に、私はウォルターを取る。説得の機会を失うことになるかもしれないわ。……それでもいいの?」
真摯というやつなのだろうが、対人間初心者に酷なことを言うものだ。
言われたとおり黙って推移を眺めていると、やがて、決意したような声がスピーカーから響いた。
〈……ありがとうございます、レイヴン。それでも……どうか、当面は、秘密にしておいてください〉
「……わかった。じゃあ、立ち位置はどうする? 無線マニアのルビコニアン、辺り?」
思わず吹き出した。
もう、とレイヴンが震える肩を小突いてくる。
だがしかし、さすがにその設定は無理があるだろう。
「ACのカメラと音声の情報を独力で得られる、現地の無線マニアか。無理があるだろう」
「ありえない、なんてことはありえない、でしょう?」
「ウォルターがまずは排除を試みるはずだ。そもそも不正アクセスの痕跡がないんじゃないか。視覚や聴覚の情報を共有しているんだろう?」
「だから、その辺りも踏まえて――」
〈では、最適なプランの提示を。フロイト〉
憮然とした二人の反応に、少し考えて頷いた。
「引き続き、幻聴扱いが無難だろうな。痕跡を考えると、それ以外の設定はどうにも継続性に無理がある」
「……まあ、そうなるか……。隠し事をするようで気が引けるんだけど……あと、仕事中に話しかけられて、反応しない自信がない」
〈そうですね……。わかりました。必要な部分のみを、できるだけモニタへの表示で提供するようにします〉
「それなら助かるわ。ありがとう」
レイヴンが苦笑した。それが邪魔だった場合にどう対応すべきか、といった雰囲気だった。
結局のところ、自分と同じように、レイヴンも現状以上のプラスアルファを必要としていないのだ。オペレーターのもたらす情報というのは基本的にACという機体以外で処理した方が良い情報――つまりは広域情報や作戦の推移などの周辺情報、もしくは機体が取得した情報の分析となる。その辺りをウォルターが担っている以上、エアが有益な情報をもたらすのは難しいだろう。
だが、多少なりと生き残る確率は上がるはずだ。個人的には今のところ、前回の因縁を覚えていないのであれば、特に排除する必要性を感じなかった。
そんなことを考えていると、レイヴンがからかい混じりの声で言った。
「あとは、貴方の『意中の人』、早く特定できたら良いんだけど」
〈待っ……! レ、レイヴン! こんなところで話さないでください……!〉
「意中の人?」
〈何でもありません。レイヴンの勘違いです。忘れてください、フロイト!〉
目をやれば、レイヴンが、ずいぶんと楽しそうな笑顔になっていた。
――これだったか、と妙に納得してしまう。厄介極まりない居候を受け入れる前提で動いていることに、今思えば違和感を覚えるべきだったのだ。
「お前……他人の色恋沙汰の前にまずは自分だろ……」
「それはそれ、これはこれ。恋する女の子が助けを求めてきたら、手を貸さないわけにはいかないでしょう?」
〈恋じゃないです……!〉
「自分がこんなぐだぐだしてるのにか」
「……聞こえないわ。何か言った?」
耳を塞いでそっぽを向く。腹が立ったので腕を引っ張って抱き込んでやった。バランスを崩して、小さな悲鳴が上がる。
その喉笛へ、噛みつくようにして吸い上げた。
派手な痕が残り、それと同じくらい顔を真っ赤にしたレイヴンが、首元を押さえてわなわなと声を震わせる。
「し……信じられない……っ!」
「あんまり虐めると逆襲するぞ。こんな具合に」
「ばか! 変態! 最っ低!!」
〈レイヴンから離れてください! ウォルターを呼びますよ、いま緊急回線を――〉
「ま、まってエア、それは私が恥ずかしい……!」
〈では……ええと、では、鼓膜が破れるくらいの大音量を発生させます! ただちに退去を、フロイト!!〉
「それレイヴンも巻き込まないか?」
当然ながら、当面ヘリを出禁になった。