ロシア中銀総裁エリビラ・ナビウリナは、巧みな金融政策でルーブルの崩壊を食い止めてきた Photo: Bloomberg Creative Photos / Getty Images

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1843マガジン(英国)

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Text by Kate de Pury

西側諸国による制裁によってロシアの経済は崩壊し、すぐに戦争は終わるだろうという予想に反し、ロシアは戦時経済体制をすばやく組み立て、国民の生活水準の急速な悪化を防いでいるという。そのために力を尽くした重要人物として、ロシア中央銀行のエリビラ・ナビウリナが挙げられる。

プーチンの忠実な部下に見える彼女は、もともとはリベラル派出身で、ロシアを世界経済に統合することに力を尽くしてきた。いま、プーチンの野望を支える彼女は変節してしまったのか、あるいは「プーチン後」を見据えた使命感で職にとどまっているのか。謎多き人物の実像に英誌「1843マガジン」が迫る。


2023年8月14日、モスクワは不安に包まれていた。ウクライナのドローンが市内の建物を攻撃していた。数週間前に反乱軍を率いて首都へ向かったエフゲニー・プリゴジンはまだ野放しになっていた。だが、その暑い月曜日にモスクワ市民を最も不安にさせたのは、自国の通貨ルーブルの状態だった。

世界のエネルギー価格の動きに敏感に反応して通貨の価値が上がったり下がったりするのを見ることは、ロシアの国民的娯楽だった。ところが、1ドル100ルーブルよりもルーブル安になると、人々は心配しはじめた。これ以上は許容できないと考えるラインよりも下落するなか、険しい表情でパソコンの画面にかじりつく人もいた。中央銀行の「利口なプロ」たちはどこで何をしているんだ? とみんな不平を漏らした。

この数年、ロシア人たちに特に信頼されてきた「利口なプロ」が一人いる。 ロシア中央銀行の総裁を務める、60歳のエリビラ・ナビウリナだ。

眼鏡をかけ、まさにテクノクラートという風貌のナビウリナは、謙虚な物腰の裏にすさまじい知識と行動力を隠している。ロシアで最大級に影響力のあるリベラル派経済学者の愛弟子だった彼女はこの11年の任期中、それまで共産主義かカオスかのいずれかしか知らなかったロシアの経済を、オープンで、安定的で、ほどよく統制されたものに育ててきた。

ナビウリナはその存在だけで市場を落ち着かせられるような、世界でも数少ない中央銀行総裁の一人で、ウラジーミル・プーチン大統領の地政学的野望がもたらしたいくつもの事件にも手際よく対処してきた。

2014年 プーチンのクリミア併合を受けて 西側がロシアに広範囲の制裁を課すと、ナビウリナはその後のルーブル信用危機を最小限のダメージで切り抜けた。データに基づく決定、および圧力のなかでもリベラルな経済政策にこだわる姿勢は、当時のIMF総裁クリスティーヌ・ラガルドから「中央銀行をうまく歌わせることができた」と称賛された。

そのような賛辞は、2022年にロシアがウクライナに全面侵攻を開始すると聞かれなくなった。欧州におけるロシア産原油とガスの販売停止を含む、前例のない制裁がロシアに課せられた。

ナビウリナは、経済を守るために自分が留任しなければ部下たちが逮捕されてしまうのではないかと恐れているという噂だが、動機が何であれ、彼女はロシアの銀行が最初の衝撃を逃れる手助けをした(そしてしばらくすると、ロシアの巨大な石油・ガス企業は欧米以外の新規顧客を開拓するのが驚くほど上手いと判明したのである)。

プーチンを批判する人たちは、ナビウリナらテクノクラートも、その後続いたウクライナでの流血の共犯者だと考えている。

通貨を守るため、本来の方針を捨てた


ところが2023年8月頃、ロシア経済の回復力は先細りになったようだった。中国がロシア産の原油を購入したことが、西側の制裁の影響を緩和する一助となったものの、中国の景気後退でエネルギー消費が落ち込み、ルーブルを圧迫したのだ。

ナビウリナは焦って通貨を守ろうとはしなかった。できるだけ通貨を自立させるのが彼女の本来の方針だったからだ。

介入しなかったことは激しい批判を招いた。国営テレビの司会者ウラジーミル・ソロヴィヨフは、「くそったれの中央銀行」が「どうしてルーブルの価値がここまで下がり、海外で笑いものになっているか」を説明すらしていないと激怒した。

2023年8月14日の昼には、プーチンの経済顧問マクシム・オレシュキンがさらに踏み込んだ声明を出し、通貨下落の責任をはっきりと中央銀行に押しつけるとともに、ルーブルを一時的に押し上げるために金利を引き上げる必要があったと示唆した。 少なくとも政府の暗黙の了解がなければ、これほど大物二人がナビウリナを攻撃することはなかっただろう。

だが実際は、オレシュキンの声明が発表される直前、中央銀行は翌日に緊急会合を開く旨をウェブサイトに掲載した。ナビウリナが対策に乗り出そうとしているというこの証拠だけでも、ルーブルの動向を反転させるのに充分だったと見え、その日の終値は1ドル約98ルーブルに落ち着いた。まだ安いが、きわめて重大とされる1ドル100ルーブルの基準よりは上がったのだ。

それを維持しようと、ナビウリナは一連の大幅な金利引き上げを実施した(金利は2023年5月現在、16%という驚くべき水準だ)。彼女はまた資本規制にも同調した。それは彼女がこれまで経済においてやろうとしていたことすべてに矛盾する、保護主義的な措置であった。

資本規制はプーチン本人からの命令だ。プーチンは2023年10月、ロシアの輸出業者に海外で得た利益をルーブルに交換することを義務づけた。ナビウリナは当初、この政策を公に批判し、「短期的な解決策にしかならない」という非常に異例なコメントをしていた。

戦争終結後の希望?


ナビウリナの友人たちによると、ナビウリナはプーチン大統領に率直に意見を述べることのできる数少ない側近の一人であり、プーチンに高く評価されているという。

意外に思えるプーチンとナビウリナのパートナーシップは20年続いており、さまざまな危機を乗り越えてきた。2022年以降はナビウリナのマクロ経済の巧みな舵取りによって、プーチンは戦争のための資質を増やす余裕を持てた。2024年の大統領選挙では、プーチンはロシア経済が欧州で最も急速に成長していると喧伝したが、それはあながち間違いでもなかった。

しかし、軍事力の要求と常に変化する制裁の影響によって、ナビウリナの仕事はますます困難になっている。戦争のための支出によって経済は成長し続けているが、危険なレベルにまでインフレが進む可能性が高まった。最近、ナビウリナは透明でほどよく規制された自由な市場という、彼女の初期の夢から遠ざかるような経済・政治体制の確立に取り組んでいる。

「ナビウリナはプーチンに、これが間違っているとは言えません。そのため、私が30年間やってきたことが破壊され尽くしています」と、かつてナビウリナとともに仕事をしていたロシアの経済学者コンスタンティン・ソニンは述べる。

「彼女は持ち前の洞察力を使っておらず、プーチンの言うことをただ実行しているだけです」

ナビウリナが自分の仕事を嫌々やっているという表向きの証拠はない。しかし、ロシアのビジネス界の内部では、ナビウリナが定期的に辞表を提出しているが受け取りを拒否されているという噂がある。関係者たちは、プーチンが彼女の退任を望む前に、彼女が自分で退任してしまうのは危険すぎると述べている。

ナビウリナが何をしようとも、プーチンの戦時経済はいずれかの時点でツケを払わされるだろう。だが、ナビウリナはその瞬間を遅らせるために不可欠な存在だ。

米国国家安全保障会議でロシア情勢に関するアドバイザーを務めていたフィオナ・ヒルは、ナビウリナが戦後ロシアと世界経済の架け橋になる可能性すらあると考えている。

「遅かれ早かれ戦争が終わり、西側諸国がロシアとのビジネスを再開するとき、ナビウリナこそがまともに取り引きできる相手だと西側諸国には思われるかもしれません」

そのときまで、ナビウリナはロシアを正しい進路に保てるだろうか。そして、国家主導の戦時経済が定着するなか、ナビウリナのようなテクノクラートは「愛国者」たちを押し戻すだけの力を持っているのだろうか?(続く)

プーチン体制の経済を支えているナビウリナだが、そのキャリアの出発点はプーチンとはまったく異なるところにあった。第二部では、ソ連崩壊後に自由主義経済の確立のために尽力してきたナビウリナの過去に迫る。



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