そろそろ限界だ。
整備主任が告げたその言葉に、まあそうだろうなと頷いた。むしろ、よくここまでもたせてくれたものだ。
「とにかく早く、できるだけいつでも出られるように整備してくれ」などという無茶振りに、整備班は実に懸命に応じてくれた。だましだまし修理や調整を重ねて、かなりの長期間、一応問題なく動かせる状態に持って行ってくれていたのだが――連戦に次ぐ連戦で、それもいいかげん厳しくなっている。
なにしろ自分の仕事以外にレイヴンのところへ無断出撃を追加していたのだから、単純計算で倍くらいの稼働率だ。操縦装置にいくつか緩みが感じられるし、機体部品の歪みや摩耗が無視できないレベルになっている可能性が高い。デポに回して分解検査を行うべきだという判断に、異論は唱えなかった。
「わかった、それでいい。ここまでよくやってくれた」
「まるで終わったかのような口ぶりですがね、隊長。機体が戻ってきたら、また同じようにしろというんでしょう?」
付き合いの長い相手だ。整備主任は無精髭の生えた顎を撫でながら、苦笑いで言い当ててきた。
「ああ。悪いな、よろしく頼む」
「やれやれ……。まあ、せいぜい、しばらく羽根を伸ばすことにしますかね」
「嗜好品でも提供するか。整備班の全員、
「それはありがたい。遠慮なくそうさせてもらいますよ」
にやりと整備主任が笑う。聞いていた整備班が、わっと沸いた。
それにしても、わかっていたこととはいえ、代替機がないのは痛い。
そもそもヴェスパーは強化人間の部隊で、機体の操作系統は神経接続を前提としている。練習機でさえ強化人間用だ。つまりは、他に使える機体がない。
ロックスミスのコアブロックは操縦装置やグラスコクピットの表示、管制システムに至るまで、なかなかとんでもない量のカスタマイズを重ねているので、簡単にもう一つ用意するというわけにもいかないのだ。
以前、機動を操作するフットペダルの導入についてレイヴンと盛り上がって結局スネイルに却下されたことがあったが、それ以外のフットスイッチなら既に導入していた。以前は観測データの切り替えに使うくらいだったのだが、今はもう少し踏み込んで、ACSやドローン個別操作機能のオンオフを割り当てている。他のケースでフットスイッチの導入がほぼない理由は言を俟たず、神経接続でのデータ反映と相性が悪いからだ。これはほぼ唯一の、強化人間に対する無改造の人間の優位性だといえた。
ともあれ、新たな機体を用意できないという点には変わりない。
これが切迫した状況であればコアブロック以外をすべて換装して期間を短縮するという手もあるが、さすがにこの状況下では、スネイルが予算を通さないだろう。
本来であれば
そろそろメディカルチェックを受けておくべきだろうかと考えながら歩いていると、不意に呼び止められた。
「フロイト」
名前代わりのコールサインではあるが、これで呼びかけてくる相手は案外少ない。
足を止めて振り返ると、これも付き合いの長い相手だった。
「戻っていたのか、オキーフ。久し振りだな」
「ああ。……少しばかり込み入った話がある。フィーカでもどうだ」
「さっき飲んだばかりだ。俺は水にしておく」
節制はパフォーマンスの維持に必要だ。カフェインへの感受性は高いほうだからこそ、量と頻度はコントロールしておきたい。
そうか、と頷いたオキーフが選んだのは、本人の自室だった。要するに内密な話ということだ。
招かれて足を踏み入れると、あいかわらず、物の少ない部屋だった。思い返せば、以前のレイヴンの部屋も似たようなものだった。
ただ、それよりも程度は徹底している。
清掃は行き届いており、足元に落ちる影さえ痕跡を消そうとしているかのようで、そこには染み付いた性分を感じさせる。
根を持たない人間の部屋だ。
差し出されたミネラルウォーターのボトルを受け取り、相手が口を開くのを待った。
「……予想しているとは思うが、Rb23の件だ」
「まあ、そうだろうな」
情報部門の人間を買収した時点で、オキーフに報告が行くことは予想していた。特に口止めもしなかったのは、むしろ手を借りる気満々だったからだ。
あっさり頷いたことでそれを察したのだろう。オキーフが呆れ気味に目を眇めた。
「一応言っておくが、お前が強要しているのは背任行為だ。お前の無断出撃に手を貸しているとスネイルが知れば、あいつらもただではすまない」
「そうだな。うまく隠蔽しておいてくれ」
「……そこまで気に入ったのか」
「ああ」
深々としたため息が落ちた。
オキーフが眉間を押し揉みながら、くたびれた声で言う。
「……毎回
「俺はそのつもりだ」
「向こうはどうだ?」
「……聞くな」
それなりに主張はしているつもりだが、はっきりと口にすれば逃げられそうな感覚がある。
じわじわ距離は縮まってきたと思いたいが、道のりはとんでもなく長そうだ。
なにしろ、まだ顔を見ることさえできていない。
改めて考えると、そんな状態で惚れただのなんだの言われても、まあ普通に信じられはしないだろう。今後も引き続き慎重にやる必要がありそうだ。
オキーフが大きく息をついた。
「フロイト。一応確認しておくが、より優先順位が高いのはどちらだ」
「優先順位か。どんな意味だ?」
「戦いたいからそいつなのか、それとも、そいつだから戦いたいのか……似ているようで、かなり差のある話だ。……そいつがもし戦えなくなったとしたら、お前はそこで興味を失うのか」
率直な問いかけに、少し考え込んだ。
以前だったら表裏一体だと思っていただろう。楽しく戦える相手だからこそ惹かれたし、期待通りに勝ったり負けたりするほど彼女が強くなってからは、本当に無二の相手だと思っていた。
だが、今の女は、率直に言って強くない。これから力量差が埋まるかどうかもわからない。
――今の自分が、そこに大して拘っていないことを、言われて初めて自覚した。
「……あいつだから、だな」
戦いたいのは相変わらずだ。変わらない。あいつだから戦いたい。
だが、多分、そうでなくても必要だと思う。
オキーフが目を瞠ってこちらを見た。予想とは異なる返答だったらしい。
そうか、と、ため息のような声が言った。
「……お前から、そんな発言が出てくるとはな……」
「意外か?」
「意外だ。……まあ、いい傾向なんだろうさ」
そうだろうかと首を傾げた。良い悪いで考えていなかったのだ。
かつては、戦えればそれで満足できると思っていた。それが一番重要だと。
だが今、色々とあがいて試行錯誤しているのは、「それだけでは足りない」からだ。その程度の自覚はある。
それにしても、前のときにも、レイヴンから似たようなことを聞かれた気がする。
――もしも、戦えなくなったときに、と。
ずいぶん心境が変わったものだと考えて、はたと、そのときのやりとりを思い出した。
「あ」
「どうした?」
「……そういえば、あれがあったな……」
存在をすっかり忘れていた。前回それを言われたのは、“ファクトリー”に絡んでのことだったのだ。
不和の原因になったという意味でもあるが、あれは彼女の信条的にどうあっても受け入れられない存在だったようで、前回はもう、敵対してのち敷地が更地になるほど徹底的に破壊してくれていた。
あれはすごかった、と思い返してうなずく。早めに店じまいをさせておいたほうがよさそうだ。
「そうだ、オキーフ。ベイラム−レッドガン間の情報共有なんだが、妙なところがないか調べておいてくれ」
「何か掴んだのか? ――それとも、いつもの勘か」
「勘だ。……そうだな……ガリア多重ダム襲撃失敗の件と、壁越え失敗の件あたり、戦況報告に何者かの介入がなかったかを知りたい。お前に心当たりがないなら、アーキバスじゃないだろうな」
「仮に介入があったとしても、アーキバスに不利益なものではないが……」
「ああ、だから急がない。片手間でやってくれ」
「……片手間で片付く内容ではないんだが……。人員をひとり回すのにも相応の苦労があると、そろそろ把握してくれ、V.Ⅰ」
「まあそう言うな。多分面白いものが出てくる気がする」
「……出てくるんだろうな、おそらく……」
オキーフが親指で目頭のあたりを抑えた。よほど睡眠不足なのか、いつにもまして疲れ気味だ。
首を捻った。
「疲れ目の対策なら、目より後頭部を押したほうがいいらしいぞ」
「……的確な助言だな。原因はお前だが」
オキーフの部屋を後にして、その足でスネイルの執務室に向かった。
いきなり人道に目覚めた(ようにみえる)首席隊長にスネイルが絶句していたが、ごり押しでどうにか閉鎖を呑ませた。だめなら辞めるかと思っていたし実際そう言ったのだが、本心だったので仕方ない。
どうせ、前回とは大きく異なってしまっているのだ。ヴェスパーにいるのは色々と便利で楽なのだが、同じように行動する意味もあまりない。
ファクトリーの研究に興味がなくなったのも事実だ。あれも方向性としては結局のところ「手足を用いない操作」なので、データ生命体になってACを動かせるようになった前回は、いわばその究極系だった。そして再び体に戻った今、あれはやっぱり、ちょっと違うなと感じたのだ。
もともと研究に協力していたのは、生きている限りはACに乗り続けたいというのが動機だった。
だが、あれは微妙だ。何と言っても自分で操作しているという感覚がない。そこまで魅力的な選択肢ではないと知ってしまった以上、これはただの、レイヴンと対立を起こす材料でしかない。たいして惜しむ気持ちも起きなかった。
「……こんなことをしたところで、過去は消えませんよ、フロイト……!」
疲れ切った、この上なく苦渋を滲ませた声で、スネイルが最後に吐き捨てていた。
承知の上だ。変えたいのは過去ではない。
そしてどこからかその話を聞いたようで、V.Ⅳがその日のうちに差し出口をたたきに来た。
「スネイルと随分やりあったようだな、首席隊長。辞めるとまで口にされては、いかに無茶な要求でも呑まざるを得ないだろう。気の毒に」
ちっとも心のこもっていない同情だった。
身元を知っている、と解放戦線の連絡役にボールを投げたつもりだったのだが、驚くほど表面上の態度は変わらない。耳には入っているはずだ。警戒心がないわけでもないだろうから、こちらがそれを認容していると踏んでいるのだろう。
実際、その判断は正しい。
――正しいのだが、男前が余裕のある佇まいをしているのは、なんだか意味もなく腹の立つものだ。そのうち何か仕掛けてやろうかと考えている。
とりあえず、肩を竦めて応じた。
「まあ別に、積極的に辞めたいわけじゃない。この星でアーキバスにしかないものが色々とあるのは事実だからな。治療のこともある。……まあ、あいつ次第か。いっそ独立傭兵をやるのも面白いかもしれないと思ってるんだが」
「止めはしないが、甘く見積もりすぎだ」
「……ご挨拶だな?」
「いいか、V.Ⅰ。独立傭兵は個人事業主だ」
「そうだな」
「つまり、貴方が今せずにすんでいる、経理や整備手配、消耗品の仕入れや在庫管理、食事の用意に至るまで、すべて自分で行う必要があるということだ。……できるのか?」
「できると思うか?」
「思わないから言っている」
「同感だ」
手摺りに凭れ、天井を仰いだ。
できるかできないかというより、実際のところ面倒くさい。実家から出るときのような面倒くささだ。
やらなければならなくなればまあやるが、できる限りやりたくない。
4番が苦笑いで続けた。
「ある程度の範囲は
「いっそウォルターに雇ってもらうか……」
「妙案だと言いたいところだが、残念なことに、断られる未来しか見えない」
「ものは試しだ。今度聞いてみよう」
実際に聞いてみた。予想どおり、「人手は足りている」と、ドキッパリ断られた。
今の猟犬はひとりしかいないのだから、絶対に嘘だった。
「やっぱり駄目か……。まあ、そうだろうな。予想はしていた」
記録でみる限り「ハウンズ」は、複数のACによるコンビネーションを売りとしていた傭兵集団だ。統率を取り、戦闘技術を仕込んでいたのはウォルターだろう。
ルビコンへ辿り着く前のPCAとの交戦で大半を失ったようだが、補充が行われていないのは不思議だった。前回はたしか、かなり後になって4脚ACが加わっていたはずだ。
ウォルターが頭痛をこらえるような声で言った。
《……そもそも、どんな発想でその発言に至った……。あまり思いつきで動くものではない。立場を考えろ、V.Ⅰ》
「スネイルのようなことを言うな?」
《多少、同情心に近いものを抱いたところだ》
驚きの発言だった。当てこすりと言うよりは、本心に聞こえる。
「あいつはお勧めしないぞ、ウォルター。絶対俺の方がまだましだ」
《何の話をしている。どちらも考慮外だ》
「論外より上か……道のりは長そうだな。ところで、話は変わるんだが、
《……こちらへ報告する必要は全くないが、一応、踏まえておこう》
「レイヴンには別に連絡する。他に機体もないし、さすがにMTだと勝てないだろうしな。そろそろ休む頃合いだとはわかっているんだが、どうにも退屈しそうだ」
ふと、ウォルターが沈黙した。どこか何かを考えるような沈黙だったので、首を捻る。
「どうした?」
《……以前そちらが打診した治療の件だが、話はまだ有効か》
「もちろんだ。受ける気になったのか」
《621がそれを望んでいる。……あいつは、お前を信用することに決めたようだ》
「本当か?」
思わず、身を乗り出した。
苦り切った声が続ける。
《そちらが休暇に入るならば都合が良い。決してあいつから目を離さず、安全を確保すると約束できるならば――》
「約束する。任せてくれ」
《……今回は歩行機能の再獲得のみだ。治療のプラン提示を。こちらで内容の検討を行う》
「わかった。3日以内に出させる。そちらの治療記録をもらえるか」
食い気味に返事をしてしまったせいか、ウォルターはまだ迷いのある様子で、唸り声のようなため息を吐いた。
レイヴンがアーキバスの進駐拠点に訪れる。つまりは、やっと再会できるということだ。
まがりなりにも信用してもらえたということもそうだ。素直に嬉しい。
うっかり浮かれてミーティングでこの話をしたところ、どういうわけかヴェスパー番号付きの緊急会議が行われた。
――なぜか、V.Ⅴがお目付け役に付くことになった。