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古いコピー同人誌からの転載です。お気に入りの話だったもので……。このページの背景画像は、「Free Art Box」様よりお借り致しました。
……え? 以前にも見た覚えがある? それは内緒にしといて下さいましな。
「殺しちまったのか、キバ」
 目の前に転がる複数の死体を見下ろし、シノは小さくつぶやいた。
「しょうがねえだろ。殺
(や)らなきゃ、こっちが殺られてた」
 くんくんと甘え声を出す仔犬を撫でながら、キバは平然として言う。
 辺りには、血の臭いが強く立ち込めている。
「何でもアリアリの中忍試験だろ。殺し合いだって、最初から覚悟の上だろうがよ」
 シノも、殺害の事実を責めるつもりはなかった。「死の森」と呼ばれるこの演習場に足を踏み入れた時から、いや、木の葉の里の忍として、焔の印を額に戴いた時から、それは判っていたことだった。
 だが、彼ら二人の後ろに立つ少女は、喉を切り裂かれて血塗れ
(ちまみれ)になった死体を、今も直視できずにふるえている。
「ちっ。まったく意気地がねえ」
 蒼白になったヒナタの顔を横目で睨み、キバは吐き捨てるように言った。
 仔犬をじゃらすキバの横を抜け、シノは死体のすぐそばにしゃがみ込んだ。
 三体の死体の頭部には、いずれもシノ自身と同じ木の葉の里の文様が刻まれた額あてがある。
 だが、
「――見ろ、キバ」
 シノはふところから小さな布きれを出した。その表面には、細かい砥の粉
(とのこ)が擦りつけてある。布製の鑢(やすり)のようなものだ。それで死体が身につけた額あてを強くこすると、焔の文様は黒くかすれ、やがて消えてしまった。
 その下からは、金属プレートを刃物で削った傷跡だけが現れる。
「紋を削り取ってやがったのか! じゃあこいつら、偽物かよ!」
「ああ」
 これでは、この忍達がどこの里から来たのかもわからない。もしかしたら、最初から忍ですらなかったのかもしれない。
 どうしてそんな連中が紛れ込んだのか。何を目的に、どうやって。
「……どうもおかしいぞ、この試験。こいつ等だって、俺等三人じゃなく、最初からヒナタ一人だけを狙ってやがった。巻物は俺等のうち誰が持ってるか判らねえのに」
 キバの言葉に、シノは内心、軽い驚きも感じていた。闇雲に突っ込むだけが能かと思っていたが、意外に回りも良く見ているのだな、と。
「……わ、わたし……?」
 初めて、ヒナタが口を開いた。
「わたしが、狙われてるの……? この……眼の、せいなの……?」
 怯え、大きく見開かれた眼には、瞳孔がなかった。
 日向一族という限られた人間達にしか与えられない、「白眼」。その恐るべき透視能力は、人間に限らず、この世に生きとし生けるものすべての「気
(チャクラ)」を見通すという。この眼の前には、「気」を操る忍はすべての秘術を見抜かれ、裸同然なのだ。
 忍達はこの眼を怖れ、また、渇望する。どうにかしてその能力
(ちから)を自らの意のままにできないかと。ある者は自らの身体にその眼を移植することを考え、またある者は日向一族の忍を、たった一人でも良いから自分の配下に組み入れられないかと画策する。
 その陰謀に、日向一族の総領娘として生まれたヒナタも、幼い頃から何度となく巻き込まれてきたという。
「で、どうする」
 少女の不安には返事をせず、シノはもう一人のチームメイトへ向き直った。
「どうするって?」
「試験会場に、受験生以外の連中が紛れ込んでいたんだ。監督官に連絡するか?」
「は、冗談じゃねえ!」
 キバはせせら笑った。
「そんで試験は中止、俺等の中忍昇格は、次回の試験がある半年後まで待ちましょうってか!? ふざけんな、ンな悠長な真似ができっかよ!!」
 そしてシノの目の前に指を突きつける。
「臆病風に吹かれてんのか、シノ!? だったら、中忍どころじゃねえ、今すぐ忍者を辞めちまえってんだ!!」
 その指を、シノは自分の顔の前からゆっくり押し戻した。
「判った。じゃあ、これはどうする」
 そして同じ手で、地面に転がる死体を指さした。
「このまま放置してたら、そのうち誰かが異変に気づくぞ。それに、もし他にもこの連中の仲間が受験生の中に紛れ込んでいたとしたら、第二陣、三陣として、俺達を襲ってくる可能性がある」
「てめえ、始末しとけよ」
 キバは抱き上げていた仔犬を、地面の上に下ろした。
「どうせ今夜はここで野営だ。俺はその辺りに罠を仕掛けとく」
「判った」
 シノの返事を待たず、キバは赤丸を連れ、森の茂みの中へ飛び込んでいった。
 それを見送ると、やがてシノは右手の中指と人差し指を揃え、唇に当てた。
 その唇から、低く呻るような音が漏れた。
 声ではない。呼吸と、唇の振動とで、虫の羽音に似たかすかな響きを作り出しているのだ。その振動を微妙に変化させれば、何種類もの虫を自在に操ることができる。
 一分と経たないうちに、人間の耳にははっきりと聞き取ることすらできない低周波の音をその羽根に感じた虫達が、森の暗がりから無数に集まってくる。
「え……。な、なに――」
 怯える少女の前に、黒い雲のような虫達の群れが出現した。
 シノの能力はこれだけではない。むしろこれは本来の能力に付随した、余技のようなものだ。
 ヒナタがもしその凶眼でこの身体を見通せば、嘔吐するほどおぞましいものを見るだろう。まるで朽ち木に群がるごとく、シノの身体中に巣食い、ぞわぞわとうごめく黒い蟲
(むし)どもを。いやむしろその様は、無数の蟲が集まって若い男の姿を形作っているように見えるかもしれない。
「喰え」
 シノは無表情に、命じた。
 虫達が一斉に死体に取りついた。
 三つの肉体はあっという間にうごめく小さな点に覆い尽くされ、人の形もわからない真っ黒な塊になってしまう。
「な……なんなの、これ……」
「シデムシ。こういう森の中に住んで、動物の死骸を喰う虫だ。四つ足の獣に死体を始末させると、どうしても骨だの髪の毛だの残骸が残るが、こいつ等なら、それこそ爪のかけら一つ残さず喰ってくれる」
 小山のように群れ固まった虫達が、ざわざわとうごめく。その黒い小波は見る間に低く平坦になっていった。そこにあった人間の身体が、虫どもの小さな腹の中に収まりつつある証拠だ。
 肉や骨が咀嚼され、分解されていく音はほとんど聞こえない。砂漠を渡る風のような、かすかな音がしているだけだ。
 それでもヒナタは驚愕に目を見開き、今にも失神しそうな顔色になっていた。
「無理に見るな、ヒナタ。あっちへ行ってろ」
「え……。う、うん――」
 そう答えたものの、ヒナタは動こうとしなかった。足がふるえ、歩くこともできないようだ。
「ヒナタ」
 倒れそうなヒナタを支えようと、シノが思わず手を差し伸べた時。
「わたし……。死ねと、言われたの」
 ヒナタは掠れる声でつぶやいた。
「この中忍試験が始まる前、ネジ兄様に……」
「え?」
「白眼を狙って敵が襲ってきたら、捕らえられる前に、いっそ自分で死んでしまえと……」
「――ヒナタ」
 シノは、彼女が兄と呼ぶ男の、冷淡な美貌を思い出した。
 正確には、ネジとヒナタは従兄妹同士だ。二人の父親が双子の兄弟であったのだという。
 だが母方の血筋で辿っても、二人は親戚関係にあるとも聞いた。白眼の能力を守るため、血族婚を繰り返しているのだ。ネジとヒナタは、通常の兄妹よりもずっと濃い血のつながりを持っている。
 だからだろうか。本来の主従関係をも忘れ、ネジがヒナタに傲慢とも思える言葉を吐いたのは。
 才能のある者は、ない者への配慮を忘れがちだ。自分にできることは他者にもできて当然だと思い、無茶な注文ばかり言ってくる。
 白眼の血継限界以外にも、卓抜した戦闘能力と冷徹な判断力を持ち、優れた忍として周囲から期待されているネジならば、少女に課した覚悟も簡単に持てるのだろうが。
「わたし達の白眼は、うちは一族の写輪眼とは違って、他者に移植することはできないそうなの。わたしが死んでしまえば、この眼はもう役立たず。死体から眼を抉り出しても、何の意味もないって――。だから……」
 ネジがヒナタに自決を命じたのは、そればかりではあるまい。シノは、耐えきれずにとうとう涙を落とし始めた少女の横顔から、苦い思いで眼を逸らした。
 聞いたことがある。
 似たような能力でよく引き合いに出されるうちは一族の写輪眼は、かなり強い遺伝力を持っている。親に能力の発露が見られなくとも、どちらか一方が写輪眼の遺伝子を持っていれば、もう一人の親がうちは一族とはまったく無縁の人間であっても、その子どもに写輪眼が出る確率もけして低くはない。その結果、片目だけが写輪眼などという人間も生まれてくる。
 また、一族以外の人間に生体移植が可能というのも、能力の強さの証だ。
 それに対し白眼は、遺伝上はきわめて劣性なのだという。たとえ片親に白眼の発露があっても、すべての子どもにそれが伝わるとは限らない。ヒナタとその妹ハナビのように、姉妹二人ともが完全な形で白眼を所有しているなど、希有なことなのだ。日向宗家の血の濃さの為せる業なのかもしれない。
 しかもその遺伝は、主として母親の血統だという。父親が白眼の能力を保持していても、母親にその因子がなければ、子どもはけして能力を持って生まれてこない。
 ネジが日向一族以外の女を娶って
(めとって)子を産ませても、それは白眼の能力者ではない。
 だがヒナタが子を産めば、その父親が誰であっても、白眼を持った子が生まれてくる可能性があるのだ。けして高い確率ではないが、だがそれに賭けようとする者は、後を絶たないに違いない。
 血継限界の謎を里の外へ流出させない最後の手段は、ヒナタの死でしかない。
 忍にならず、里の奥深くに匿われ
(かくまわれ)ていれば、そんなことも知らずにいられたかも知れない。幼い頃は一族の長である父に守られ、嫁げば夫に愛しまれ、守護される。日向の者として期待される役割は、子を産み、育て、次の世代へ能力を伝えることのみ。
 だが、木の葉最強の一族の総領姫として生まれたヒナタに、そんな安らかな日々は許されない。
「ネジ兄様、言ったわ……。もしもわたしが死んだ時には、死体はキバ君とシノ君がきっと上手に始末してくれるから、心配することはないって――」
 シノが呼び集めたシデムシは、すでに死体のあらかたを喰い尽くし、森の奥へ帰っていこうとしている。
 虫達が飛び立った後には、ただ血の痕が黒く残る地面だけが見えていた。人間の身体など、もうどこにもない。衣服すら喰われてしまったのか、切れ端も見あたらなかった。
 残ったのはただ、文様が削られた額あての金属プレートだけだった。森の掃除屋と呼ばれる虫どもでも、さすがにこれは喰えなかったらしい。
 シノは黙ってそのプレートを拾い上げ、ふところに押し込んだ。
 試験は中断させないが、終了した後にはこのことを報告しないわけにはいかないだろう。これはその時の、たった一つの物証だ。
「わたしが死んだら……シノ君の虫達が、きっとわたしを食べてくれるわね?」
 その言葉に、シノは少女を振り返った。
「ヒナタ」
 ヒナタは微笑していた。
 白い頬に幾筋も涙を伝わらせながら、それでも安堵の表情を作ろうと、ふるえる唇で懸命に微笑んでいた。
「――ああ」
 シノは短くうなずいた。
 その言葉を、ヒナタが待っていたから。
「髪の毛ひとすじ残さずに、わたしの身体、消してくれるのでしょう?」
「ああ」
「わたしが生きてた証も、何もなくなるのね」
 シノはもう、返事ができなかった。
 ヒナタの死が現実になった時、少女の言葉もまた、現実になるだろう。ヒナタの亡骸を始末するのは、おそらく自分になるはずだ。他の誰よりも、自分の能力はそれに適している。
 里の長老達はそのことまで見越して、自分達とヒナタを一つのチームとして組ませたのだろうか。
「そうしたらわたし、ようやく誰にも迷惑をかけないようになれるね……」
 ――それが、お前のたった一つの願いなのか。
 その凶眼を、望んで持って生まれてきたわけでもないだろうに。
 シノは立ち上がった。
 ふところからクナイを取り出し、手に持ったまま、ヒナタのそばに寄る。
「え……? な、なに、シノ君……」
「じっとしてろ」
 やわらかな髪を指先ですくい取る。甘い香りがふっとシノの鼻先をかすめた。
 鋭く研がれたクナイで、黒絹の髪を一房切り取る。
「えっ?」
 驚いたヒナタの目の前で、シノはそれを器用に編み、小さな環(わ)を作った。
 黒髪でできたリングを、自分の中指に嵌める。
「シノ君……」
「すべてがなくなるわけじゃない。お前の痕跡は、ここに残る」
 お前を始末する、俺の指に。
 最期までお前を看取る、この俺の指に。
 涙をいっぱいに溜めた眼が、真っ直ぐにシノを見上げた。
「うん……」
 やがてヒナタは泣いたことを隠すように、両手で顔を強くこすった。丸い頬や鼻の頭が、うっすら紅くなる。
「お前はもう寝ろ。休憩が取れるのは、せいぜい二、三時間だ。その後はまた強行軍だぞ」
「うん……。でも、シノ君は?」
「キバが戻ってきたら、交代で休む」
 ヒナタも、自分が二人のチームメイトより体力的にかなり劣っていることを知っている。それ以上は何も言わず、素直に大木の根元に身体を横たえた。
 やはり疲れていたのだろう、数分と経たずに、小さな規則正しい寝息が聞こえてくる。
 やがてシノも、その傍らに腰を下ろした。
 夢の中でも哀しい思いをしているのだろうか、少女の小さく開かれた唇を、黙って見つめる。
 それからしばらくして、罠に結びつけた極細の絹糸を幾筋か引っ張りながら、キバが飼い犬の赤丸とともに戻ってきた。








 シノは、左の中指に巻き付けた黒髪のリングを、そっと口元に押し当ててみた。
 それはまだ、少女の甘い香が残っているような気がした。
 ……自分が死ぬ時まで、これを身につけていられたら、いい。
 そんなことを、ふと思った。







                                           -終-

 
【 還 ら ず の 森 】
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