【125】「やべえヤツ」はどこにでもいる
人間関係が広がってくると、色々な意味で「やべえヤツ」に出くわす機会も増えることでしょう。
皆さんも例えば、中学に入ったとき、高校に入ったとき、大学に入ったとき、あるいは社会に出て様々に活動を行うようになったときに、おかしなひとびとがいるのに気づかれたこともあるのではないかと思われます。
あるいは私のような田舎者ですと、東京に出てからは街の中で「やべえヤツ」を見かけてびっくりすることもあります。
もちろん文明社会で生きている人間の大半はきっとまともな人だと信じたいところですが、どうしたって「やべえヤツ」は存在しますし、皆さんも出くわしたことがあるでしょう。
どうしてその年になるまでそんな家で精神的態度を持って生きてこられたのかと疑問に思いたくなるような人も少なくはありませんし、皆さんもきっと出くわしたことはあるでしょう。
もちろん、世界は広いわけで、自分の持っている基準があらゆる場面において適切で完全に正しい、と言い張るのはあまり賢い態度ではないかもしれませんし、「やばい」行動のひとつひとつにも様々な背景があるのだとは思われますが、それにしたって、関わりを持ちたくない・持つべきではない「やべえヤツ」はいます。
また、そこまで行かなくても、どうしても気が合わないとか、この人は他のところではうまくやれているはずなのに、どうしても自分とは話が噛み合わないとかいう人はいるはずです。
あるいは、(マジで理由が思い当たらないのに)自分に対して殊更に敵意を向けてくるような人間というのも、確実にいることでしょう。これはこれで「やべえヤツ」です。
目に入らないというのであればそれはそれで幸せなことですが、或る種の生き方や職業を選択していると、恐らく避けがたい面がある。そう思って予防に努めておいた方が良いように思われるのです。事故は
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——こんな話をしていると思い出されるのが、もう10年以上前に話題になったある事件です。少し長い話なのでリンクを貼っておきます。
http://cowa.qiqirn.com/doc/13/245.html
同人作家の出くわした一連の事件です。文化に詳しくない方は冒頭の「用語解説」からどうぞ。
同人誌を書いていた女性が、ファンを自称する人に付きまとわれて、何度も断ったり丁寧なメールで追い返そうとしているのに、家にまで押しかけられ、しまいには家族からも器物損壊、住居不法侵入、監禁未遂などの犯罪行為を行われ、電車の駅のホームから突き落とされるということまであったのです。
昨日、ヨガで疲れ切っていたところでこの話を読み返していたのですが(時間をヘンなことに使ってしまったな、と反省されます)、時をおいて読んでみると、他人の滑稽譚としてニコニコしながら読むことはできず、なんだか怖くなりました。
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もちろん、私たちの身の回りに「やべえヤツ」がたくさんいると思って生活するのは心理的に良くないかもしれませんし、さすがにそこまでおかしな人ばかりではないと思います。あるいはそう信じたいところはあります。
しかし、どうしたって関わらないほうがいい相手はいる、ということを含み込んでおいて生きていくということがどうしても必要になるでしょう。
上に引いた事件は、もちろん様々な悪条件が重なった結果であろうと思われます。しかし「ありえない」ことではない、と思われますし、そう思っておくほうがよいでしょう。
人間全般というものに対して失望するのではなくても、ある一定の諦めを以って、「やべえヤツ」はいるということをしっかり念頭において生活していくというのは、大切であるように思われます。
もちろん心理的な体制を持っておくだけでは、つまり「やべえヤツ」はいるから「やべえヤツ」に出くわしても仕方がないな、と思っておくだけでは不足です。確固たる予防策を用意し、対症療法を即座に準備できるだけの体制を整えておくことも必要でしょう。
つまり、「やべえヤツ」が自分のもとに来ないように、二重三重にネットを張っておくことは必要かもしれませんし、そんな連中が仮にそのネットをかいくぐってきてしまったとしても、即座にストレスなく追い返すことができるような準備——単純に言えば、多くの場合には士業とのコネクションということになるのでしょうか——を整えておく必要があるでしょう。
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人生全般というものに対して悲観的である必要はないにしても、「やべえヤツ」は確かにいるということを念頭において、その「やべえヤツ」とできるだけ関わらずに済むように、そして関わってしまったとしても即座に関係を断てるように、様々な準備を平素から進めておく、といういわば防御的な観点から自分の現在の行動を省みてみても良いのではないかと思われるということです。
もちろん、先ほどあげたような、犯罪にまで及ぶストーカーのような例はそれほど多くないのかもしれません(そう信じたいところです)。
とはいえ、さすがに傷害事件や住居不法侵入などまで行くことはなくても、「やべえ」ことをやってくるやつはいるものです。
学会にも、もちろん「やべえヤツ」はいますよ(笑)。
若い研究者にやたら絡んでハラスメントを行う、そうして「潰す」ことを狙う大学教員はいるわけです。あるいは学術的な内容に関係のない文脈で悪評を流そうと画策する人もいます——まあこれに関しては、そうした悪評に耳を貸す方にも大きな問題があります。あるいは(外野から見ている限りでは)理由もなく、気に入らない発表に暴言を吐いて帰るような人もいます。そういう人が「受信」だったりするから、誰も黙らせられない。そういうことはしばしばあります。
どこの業界にも、どこの会社にも、どこの職場にも、おそらく「やべえヤツ」はたくさんいるのです。
ですから、皆さんが固有の文脈において生活をオーガナイズする際に念頭に起きうるひとつの基準として、「やべえヤツ」を排除し、「やべえヤツ」と関わり合いになってしまった時に即座に叩き返すことのできる体制を作る、という防御的な基準をもっておいても良いのかな、と思われました。
自分が心理的にコミットできない環境に置かれているときには、特に重要な観点かもしれません。積極的な目標を持つことがさしあたってできないのならば、身を削らないことこそが重要になるということです。逃げるにせよ、立ち向かうにせよ、いなすにせよ、たとえば平社員が会社の中でいかに「やべえヤツ」を避ける個人的システムを作るかという観点は、極めて重要であるように思われます。上司が「やべえヤツ」だったらどうするか。「やべえ」新入社員が来たらどうするか。
……雇用されている身では何も抵抗することができない、と思われる人もいるのかもしれませんが、そんな中でこそできることを見つけて作戦を立てることは、高度な知的営為でしょうし、自分を鍛えることになるでしょう。「不快を防ぎ、避ける」という観点から取り組みを続けてゆくことは、何も考えずに不平を言いながら、退勤後に飲み屋でストレスを晴らすよりはずっとずっと良いことに繋がる可能性があるように思われます。ことによると、そうした取組みのなかから、組織を飛び出て新しいことをする意欲も生まれるかもしれません。
自分が積極的にやりたいことをやっているのだとしても、規模や強度をあげていけば多くの場合に人間との関わりは広がってくるわけです。自分が本来やりたいと思っていることに邁進するには、降りかかる火の粉は払わねばならないわけですし、振り払う際にいちいち熱がっていると大変ですから、しかるべき対策をとっておく必要があるということは言えるでしょう。
仰々しくまとめる必要もありませんが、「やべえヤツ」に対する予防策・対応策は、誰であれ持っておくほうがよいですよね、ということでした。


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