ウォルターからの情報とベイラムの先遣隊到着の情報を受け、アーキバスは中央氷原への大規模な進出を計画した。
アーレア海の船舶輸送だ。時間はかかるが、大量の人員と物資をまとめて動かすことができる。目先の到達競争よりも、その後の戦いを有利に導くべく立てられた計画だった。
主戦力たるACが水中で稼働できないこともあり、これまでルビコンにおいて船舶はほとんど運用されてこなかった。急ピッチで造船を進めると同時に、星外から操舵人員をまるごと投入してきたらしい。剛毅な話だ。
予定航海日数は10日間。旧湾口からの大圏航路のど真ん中に観測不能海域があり、それを迂回するルートとなっている。ジャミング装置の存在が予想された。おまけに微妙な範囲の変動が観測されたことから、移動型かつ兵器型であることも懸念されている。
悪い予感というのは当たるものだ。
重ねて言うが、ACは海上での戦闘に向かない。だが戦闘が想定される以上、それに備える必要がある。
水没すれば救助は困難だ。出港までには、そうならないためのジェネレーターとブースターが貸与され、十分な想定操作訓練が与えられた。
ちなみに出航前、スネイルからは真剣かつ特大の釘を差された。
航海中の模擬戦は一切禁止。船を壊されてもACで海に落ちられても、地上とはリスクが桁違いだ。ド正論だった。念押しとばかり巨額の罰則金を申し付けられたのだから、スネイルの本気がわかるというものだ。
なら仕方ないとシミュレータで代用したのだが、実戦よりも体力の消耗が少ないせいで、うっかりとんでもない長時間の連戦を重ね、揃ってうっかり昏倒して、方々から雷を落とされた。特に、純粋に個人として心配してくれたメーテルリンクに心底から叱られたのは堪えた。しばらく頭が上がりそうにない。
天候にも恵まれ、問題児が船を壊すこともなく、航海は順調に進んでいた。
観測不能海域が近づいていた。
やはり移動型のようで、こちらに接近しているとのことだ。ただし、速度に妙な緩急があり、正確な接触時刻が予想できないのが難点だった。
不測の事態に対応するため、隊長格2名が交代制で常時警戒態勢を取っている。今日の夜警はV.Ⅲオキーフとの組み合わせだった。
なんとなく目が覚めてしまい、のんびりと身支度を調えて、時間よりも早く甲板に向かった。
交代までまだ30分以上あるというのに、オキーフは先に到着していた。
「よう、レイヴン。早かったな」
「オキーフ長官。……温かそうですね」
ちょっとそれ以外の言葉が見つからず、妙な感想になってしまった。
湯気を立てるカップからは、コーヒーの匂いがしていた。
合成品ではあるが、わりと嫌いではない味だ。カフェインがしっかり入っているのもいい。もっともこれに同意したのは、フロイト以外にいなかったのだが。
飲むかと訊ねられたので、ありがたくうなずいた。
船のエンジン音とスクリュー音、あちこちで動く夜警中のACとMTの駆動音の向こうから、波の音がささやかに聞こえてくる。
「そういえば、お前さんには礼を言おうと思っていた」
「
「ああ、そっちもだな。もう聞き飽きたか」
今回はそちらではなかったらしい。
くつくつと笑い、オキーフがカップを揺らす。
「メーテルリンクから菓子をもらった。久々にうまいと思えるものを食ったよ」
「それはメーテルリンクの手柄では」
「最初にそそのかしたのはお前だろう? あの堅物なお嬢ちゃんに、あんな才能があったとはな」
「わりとストレス解消になるって言っていましたよ。本当かどうかはわかりませんが」
「成果がすぐにわかるのがいいんだろう。そういうものは、そう多くはない」
どこか、重みのある言葉だった。
なんとなく神妙な面持ちになっていると、こちらの緊張をほぐすように軽妙な声で続けられた。
「フロイトがお前を連れてきたときは、正直なところ、狂犬が増えたのかと思っていたんだが……ラスティの見立ても、あながち外れていないようだな」
「『人の営みを慈しむ』?」
「ああ、それだ」
「……どうでしょうね。他人の感情を勝手に娯楽にしているだけかもしれない」
コーヒーの苦みが舌に残る。ぬくもりに縋るように、カップを両手で包んだ。
「自分でも矛盾していると思うんです。恋人や、友人や、家族や……そういうものを大切にしている姿を見ると、とても嬉しくて、尊いものだと思うのに、ACに乗るときには何も考えずにそれを摘み取っている」
この手で数え切れないほどの命を奪い、ささやかな幸福を踏みにじっている。それでいて、人の美しさや愛情を好ましく思う。
そんな感情を切り捨てるつもりはないが、偽善もいいところだという自覚はあった。
オキーフが、息を吐くように笑った。
「当たり前だ。いちいちそんなことを考えていたら、あっという間にいかれちまう。正規の軍人ならまだしも正義や守るものってもんを信じられるだろうが、俺たち傭兵には、それもない。麻痺させておける人間しか、こんな稼業じゃ生き残ることはできないだろうな」
「……なるほど」
「かといって、簡単に興味をなくしてしまえるものでもない。それが人間って奴なんだろうさ。
……まあ、例外もいるがな」
少し考えて、訊ねた。
「フロイトやスネイルは、その辺りを切り離せていると?」
「ああ、あとは少し毛色が違うが、ペイター辺りもか」
「……傭兵としては、そちらが正しいんでしょうか」
「さあな。人間性のどこを残していくかは本人が決めることだ。生き残れるかどうかを言っているなら、それはただの運がいちばんでかい。思想や腕前以上にな」
なかなか受け容れがたい言葉だった。ただ、その通りなのだろうとも感じる。
沈黙を、波の音が埋めていく。
ふと、オキーフが呟いた。
「……選んで殺すのが上等かと言われれば、是だ。考えるまでもない。だが、“殺し方”を選ぶことが上等かというと……難しくなる……」
「殺し方?」
不思議な言い回しだった。まさか、使う兵器の選び方を言ってるわけではないだろう。
そういえば、殺そうと思って殺したことはあまりない。殺しているのは理解しているが、殺すことを目的として戦っているわけではないからだ。
「……いや。気にするな。まあ、自分の望む死に方くらいは考えておくといい。いざというときの指針になる」
いぶかしくは思ったが、深追いして欲しくないのだろう。素直に頷いて引き下がった。
今の自分の死に方はさすがに決められていなかったが、生きていると認識できる許容範囲はしっかりと持っているつもりだ。そこを越えたときが、自分の死に時なのだろうと思う。
空気を変えるように、オキーフがからかうような口調で言った。
「ところで、妙に丁寧だな。フロイトに気安いのはともかく、確かスネイルにはぞんざいだった気がするが」
「あれは払う尊敬が底を尽きたので。……まあ、親のしつけでしょうか。目上の相手には基本的に敬意を払うほうですよ」
「なるほど。いい親御さんだ」
「ええ。こんな親不孝な娘がいるとは思えないくらい」
ひそやかに笑いあったとき、周囲が急に靄がかった。
ただの霧ならこの航海でも何度か経験している。だが、これは別物だと肌で分かった。
「来ましたね」
「ああ、そのようだ」
カップをそのままにACへ乗り込む。遅れて警報が鳴り響いた。現在夜警中のV.VII スウィンバーンが、悲鳴のような声を広域回線に乗せた。
《14時方向、未確認敵性機体! とんでもない大きさだ……!》
手早く戦闘モードを起動し、アサルトブーストで指定地点に向かう。
存在を疑懼されていた敵性機体は、すでにあらかじめ通称名を与えられていた。
UNK-01「ケートス」。ギリシャ神話における海の怪物だ。
艦隊のサーチライトが敵影を照らし出す。波間から現れたその姿は、機械でありながら、まるで伝説の海竜にも似た姿をしていた。蛇のような長い胴体。それから生えた鯨のひれのようなもの。翼としても使えるのか、ブースターらしき光が見える。
とりあえずグレネードを打ち込んでみた。シールドを展開しているようで、手応えがない。
「ケートス」は大きく身体をくねらせたかと思うと、放射状の光線を放った。回避しながら予備動作を頭に叩き込む。追撃する前に、巨体は水中に沈んでいった。
大きすぎる波が立った。船の航行には危険だ。
予定通りの総力戦になりそうだった。
《艦船の待避を! 近づけば沈められるぞ!》
《こんなもの……どうすれば……!?》
メーテルリンクが困惑の声をあげた。
それに応じるように、総指揮官たるスネイルの冷静な声が、その場の混乱を鎮めた。
《総員、母艦の防衛が最優先事項です。敵機が海中にある間は全駆逐艦にて水雷攻撃。ACは海上に出てきたところを叩きます。シールドはパルス性のものと推定。V.ⅤおよびV.Ⅷ、スタンガンとパルスキャノンに換装して出撃を。その他はとにかく弾速と単発の威力を重視。FCSに影響が出ています。長期戦を見据え、手癖で無駄弾を撃たないよう留意しなさい》
了解、と口々に応える声には信頼があった。
矢継ぎ早に出された指示は、どれも納得できるものばかりだ。敵性機体がいなければ意味のなかった駆逐艦といい、すべての準備を整えた上で、起きた状況を把握して対処しているのだろう。なるほど指揮官とはこういうものかと、さすがに感じ入った。
すこしばかり尊敬が回復したかも知れない。まだマイナスが大きすぎてプラスにはならないが。
敵機のシールドは固く、なかなか有効打が入らない。
バズーカの反動で宙に浮きながら、細かくブーストを操作していく。暴れる海竜の動きは目まぐるしく、叩き落とされれば一瞬で海の中になりそうだった。
待望のパルスキャノンは、幸いにも脱落者が出る前に届けられた。
《すまない、待たせたね! 敵機のシールドを削る。援護してくれ!》
「了解。V.Ⅸ レイヴン、V.Ⅴの援護に入ります」
《こちらV.Ⅳ ラスティ。私はV.Ⅷの援護を受け持とう》
《お願いします!》
獲物に銛を打ち込むように、少しずつ、だが確実にシールドが削られていく。
パルスキャノンの2機を脅威と見なしたのだろう。攻撃が集中する。ホーキンスのリコンフィグを庇うように立ち回り、展開したドローンを立て続けに打ち落とした。
敵機体の攻撃手段は今のところ、大技の光線以外にミサイルとドローン、体当たりといったところで、それらを順繰りに出してきている印象だ。高度なAIにしては機械的すぎた。何かあるのかもしれない。
そういえば、と、そこでようやく気付いた。
――フロイトがいない。船にいるべきスネイルはともかく、あの男がこんな場面で出てこないのは不自然だ。
《パルスシールド、消失しました! 追撃を!!》
《いや――待て、離れろ!!》
オキーフが声を張り上げる。とっさにブーストで距離を取った。
きわめて広範囲に、紫色の雷群が海中から空へ向かって放たれる。けたたましい轟音が回線を混乱させた。
当たらないかどうかはもはや運だ。範囲もそうだが威力もすさまじい。機体を掠めたが、海面に落ちるまでに姿勢を立て直すことができた。高度は――どうにか足りている。リペアを起動させながら、そのままアサルトブーストで距離を詰めた。
長引けば長引くほど危険だ。シールドを再展開される前に、少しでも破壊しておきたい。
《よくやった》
フロイトの声が耳に届いた。昂揚感を煮詰めたような声音だった。
濃紺の機体が巨大な黄金の光を携えて、こちらを追い越していく。敵機のミサイルとドローンが同時に展開された。あっけに取られたのは誰もが一瞬のことだったようで、すぐに総力でその機体の援護に入る。
同時に駆逐艦からの総攻撃も行われたようだ。激しい水しぶきと共に現れた「ケートス」の巨大な脳部に、ロックスミスが迫る。
爆煙を上げて左腕がパージされた。一瞬、攻撃を受けたのかと思ったほど派手な離れ方だったが、機体制御には少しの揺らぎも見られない。青い炎が吹き出した。
幾重もの黄金色の刃が円環状に形状を変え、殺意に満ちた声を上げて高速回転を始める。
次の瞬間、アサルトブーストを遙かに超える速度でロックスミスが加速し、「ケートス」の頭部に
断末魔の悲鳴が聞こえるかのようだった。のたうつ「ケートス」に、ロックスミスはなお凶悪な刃を捩り込んで、完全に破壊する。
敵機がぐらりと力を失った。ジェネレーターが破損したのか、不穏な光を放ち始める。
――尋常な威力ではない。使ったACもただではすまないはずだ。
待避を呼びかけられる中、アサルトブーストで接近した。
一度ブーストを止めてジェネレーターの回復をじりじりと待つ。モニタに目を凝らし、破損した機体が落ちていくのを捉えた。海面が迫る。とっさに下へ回り込んで、再びブーストを噴かし、ぶつかるように諸共機体を上昇させた。
爆発の余波が収まり、「ケートス」がくずおれていく。海に沈みゆくその巨体に一度着地し、ジェネレーターを回復して、ようやく人心地ついた。
無事を確かめると、フロイトが掠れた声で反応した。
《は……助かった。想定より……壊れたな……》
「無茶が過ぎる! スネイル、貴方の作戦じゃないわね!?」
《当たり前です!! フロイト、一体どこから、それを……!》
めずらしく息の合った二人分の詰問が、広域回線に響き渡る。
疲れ切った苦笑をこぼし、ホーキンスがそれを宥めた。
《まあまあ……無事で良かったじゃないか。続きはいったん帰投してからにしよう。海に落ちる前にね》
結論から言うと――まあ予想はついていたが――極秘裏に開発されていた規格外の大型破壊兵器の存在を、フロイトが嗅ぎつけたのがそもそもの発端だった。
威力こそ桁外れであるものの、作動中は排熱で装甲を削る、OSに負荷をかけすぎてエラー祭りになる、重量は通常兵器の十倍近く、おまけに仕様として左腕に推力を仕込んでパージするなどというとんでもない代物で、実用化の目処も立っていない試作品だったというのに、今使わなくていつ使うんだと大乗り気になったフロイトが開発チームを抱き込んだのだという。
本当に、ベクトルが向いたときのフロイトの推力は恐ろしい。凶人に暇を与えてはならないという例である。万難を排してとんでもないことをやりとげてしまうのだから、後始末に奔走されるスネイルには同情してしまうくらいだ。
使うならせめて地上でやれ、というスネイルの叫びは、何一つ間違っていない。
ただ、単純に独断専行を責めるのは難しいところだった。慎重を期した作戦は破綻せず順調に進んでいる段階ではあったものの、相手はあまりにも強大で、条件も非常に悪かった。長期化すれば、番号付きを何名か失ったであろうことは想像に難くない。
当然だが、機体があれだけ破損したのだ。「中身」への影響もとんでもない。
熱傷と高Gによる脳虚血一歩手前のダメージで、真人間にしては極端に頑丈なフロイトもさすがに集中治療室へ放り込まれた。特に、アーキバスは彼の脳への後遺障害を恐れていた。代替のないパーツであるフロイトが損なわれれば、取り返しがつかないとの判断だろう。
チューブや機械に繋がれて眠る男を眺めるのは、どうしようもなく、心が騒いだ。
「……先に、言ってくれても、よかったじゃない」
ぽつりと呟いた声が、人気のない廊下に響いた。
わかっている。ただの我が儘だ。自分たちの関係はあくまでACで戦い続けるだけのもので、肩を並べたり、背中を守ったりするようなものではない。所詮は独立傭兵だ。すべての情報を分け与えるような相手でもない。
言ってくれたら、もっとうまくフォローできた。
けれど、それを望める立場にはないのだと気付いて、なんだか重苦しい感情を抱えてしまった。そのこと自体に落ち込んでしまう。
ごつんと硝子に額を押し付け、ため息を吐く。
フロイトはまだ目覚めない。