621がV.Ⅸになるifルートの話   作:ikos

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居場所の温度

 

 ウォッチポイントからの帰り道は散々だった。

 コーラルの奔流に呑まれた影響なのか、眩暈と嘔吐感がひどい。オートパイロットで移動する方が症状がきつくなったので、自分で操作するほかない状況だったが、かなり危険だという自覚があった。頻繁に休憩を挟みながらのろのろと移動した。行きは3日ですんだ道程が、帰りは5日かかった。水と食料も底を突いていた。

 機体か携帯端末のどちらかだけでも通信が生きていてくれれば助けを求められたのだろうが、機体の通信不良は回復する気配もなく、携帯端末に至っては完全に電源が入らなくなっていた。踏んだり蹴ったりだ。

 

 ようやくアーキバス進駐拠点付近までたどり着いたころ、はたして識別信号が生きているのか、急に不安になった。

 通信が完全に死んでいる以上、襲撃だと思われたら冗談抜きで戦闘になってしまう。機体塗装に手をかけてこなかったせいで、目立った特徴もないのだ。

 ――落ち着いたら、適当に派手なカラーリングを頼もう。

 ひとつため息を吐いて、やむを得ず近場にACを降ろした。

 疲れた身体に鞭打って、徒歩で敷地内に向かう。通用門でまず驚かれ、機体の回収を依頼して、一度自室に戻ってシャワーを浴びた。生き返るような心地だった。

 本音を言えばそのままベッドに潜り込みたいくらいだったが、スネイルへの報告を片付けておかねばならないだろう。執務室に重い足を向けた。

 スネイルには、幽霊を見たような顔をされた。

 

「……生きていましたか。V.Ⅸ」

「コーラルの逆流に呑まれて死にかけてたわ。通信手段が全滅したから、連絡もできなくて」

「時期的にそうだろうとは思っていましたが……あれは貴方の仕業でしたか。よく生きていたものだ」

「本当。今回ばかりは、同感ね」

「ベリウス北西部のベイエリアでは、コーラルの局所爆発で地形が変わったと報告を受けています。ベイラムのMT部隊が相当な被害を受けたようだ。……貴方の悪運も相当なものですね」

 

 頭痛がひどくなったのだろう。スネイルは眉間を揉みながら端末に指を滑らせた。

 

「一通り検査を受けておくべきでしょう。医療棟にはこちらから連絡しておきます。大人しく向かうように」

「今回は変なものを紛れ込ませないで欲しいわ。本当に疲れてるの」

「気付かれている以上利点は少ない。やめておきましょう。……ああ、それと、これは雑談ですが……フロイトが貴方を心配していましたよ」

 

 異世界語を聞いたような気がした。

 部屋を出ようとしていた足を止め、この上なく怪訝な顔で、スネイルを振り返る。この上なく取り澄ました顔をしていた。

 

「……“フロイト”と“心配”のどちらかが間違っている気がするんだけど。何言ってるの?」

「おや、随分と心ない発言だ。……貴方、あれの馬鹿げた頻度のメッセージへ律儀に応じていたそうですね。それが不在予定期間を大幅に過ぎても音沙汰がないものだから、ここしばらく、我らが首席隊長殿の機嫌は過去最低値を記録しています。

 頑丈な犬らしく、見たところ、ぴんぴんしているようだ。検査が終了したら顔を見せに行くことを勧めます」

 

 拭えない違和感に、眉間の皺が戻らない。こんなに親切な男だっただろうか。

 メーテルリンクやホーキンスならわかる。自分でもわりとこの手のたぐいのことは言う。だが、これはV.Ⅱスネイルである。嫌々でも渋々でもなく、個人的な人間関係についてこんなお節介な助言を与えるなど、あまりにおかしい。何の裏もないのならもはや偽者だ。

 

「……考えておくわ」

 

 警戒心もあらわに言い置いて、医療棟に足を向けた。

 

 大体が、思い立ったら行動な節のあるフロイトである。顔を見たいというならあちらから押しかけてきそうなものだ。大人しくこちらの訪れを待つ意味がわからない。

 

 医療棟では、これまでにないデータの持参に諸手を挙げて歓迎された。大量のコーラルを浴びた患者で、自分の足で立っている例はほとんどないのだという。研究棟からも大勢が駆けつける騒ぎになった。

 この検査がまた疲れたのだが、結果は驚くほどに良好とのことだった。

 

「話を聞く限り、致死量のコーラルを浴びているはずなのですが……体内の各種デバイス、脳波、脈拍、血圧、いずれも正常値です。信じがたい結果だ」

「三次元神経導管は?」

「勿論そちらも。しばらくモニタリングしますが、問題はないでしょう」

 

 眩暈と嘔吐感はおそらく空間識失調に似たものを引き起こしていたためだろう、とのことだった。診断は脱水と軽度の栄養失調。過労と寝不足もそこに加わっている。栄養剤を点滴されているあいだ仮眠を取ると、大分身体が軽くなった。

 これで一通りやることは終わった。

 空腹だが食欲はない。部屋に戻って寝直そうかな、と考えたが、そういえばフロイトの件が残っていた。

 

 おそらくこちらの帰還は既に知らせが行っているだろう。現時点で来ていないということは、やはりスネイルの発言は与太話のたぐいだったのだろうが――寝ているところを叩き起こされそうな予感もした。

 まだ約束の100回は大半が残っている。契約を反故にせずすんだと、一度報告しに行くべきだろう。

 それに、携帯端末が壊れてメッセージへの返信もできていない。一体何通送ってきていたかは知らないが、謝っておきたいような気持ちも湧いてきた。

 

 いくつか理由を数え上げて、頷く。これは確かにこちらから顔を見せるべきだ。

 半分夢遊病者のような足取りで宿舎に向かい、人に場所を聞いてフロイトの部屋を尋ねた。

 思っていた以上に勢いよく扉が開かれたので、少し驚いた。

 

「……ええと。ごめん、戻りました」

「……ああ」

 

 フロイトが無表情のままこちらを見下ろすので、どうにも居心地が悪くなってきた。

 釈明も必要だろうかと口を開くが、それが出てくるより先に、大きな手が腕を掴んだ。

 

「え、ちょっと」

 

 部屋の中に押し込まれて、扉が閉まる。フロイトが腕を放そうとしないので、そのまま引っ張られるようにして廊下を進んだ。

 部屋は首席隊長らしい特別仕様で、リビングには革張りのソファまでしつらえられていた。思ったより雑然としていないのは、定期的に清掃担当の手が入っているからだろう。この男が私室を片付けるイメージがない。

 顎で示されるままソファに腰を下ろす。乱暴な動作で隣に座ったフロイトは、なるほどスネイルの言葉通り不機嫌のようだ。無表情のまま、もう一度こちらの手をとってきた。

 何がしたいのかと思っていれば、勝手に袖をまくって、ためつすがめつ何かを確かめはじめる。

 よくわからないが、止めるほどでもない。好きにさせておくことにした。

 

「……聞いてると思うけど、ちょっと事故ってしまって。通信機器が全部駄目になったの」

「ああ」

「連絡ができなかったのは悪かったわ。あと、メッセージ、たぶん全部読めてない」

「そうか」

 

 答えるフロイトはこちらを見ようとしない。

 指の一本一本に至るまで、動きを確認するようにひっくり返しては触れていく。機械の調子を見るような具合だ。特におかしな危機感は覚えなかった。

 言い訳を求めている様子ではなさそうだったので、そのまま口を噤んだ。

 こうして生きて帰ってきて、また闘えるなら、経緯などどうでもいいのかもしれない。

 

「左」

「……はいはい」

 

 短い命令に、身体を捻って左手を渡す。

 同じようなよくわからない確認作業を続けるフロイトは、いつにないほどの無表情だ。怒っているようには感じないが、やはり機嫌は悪そうだった。

 ACの操作に支障がないか、調べでもしているのだろうか。触ってわかるものなのかは知らないが。

 

 目蓋が重くなってくる。あらがえない睡魔にしばらくは踏みとどまっていたが、どんどん眠さが増していく。

 まだ何も話せていない。ここで寝るのは駄目だ。そう思えば思うほど、目蓋が下がっていくのが分かった。

 触れる手の熱が心地よい。

 意識が落ちる前、フロイトの声を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸福なまどろみの中にいた。

 ちょうど良い温度のぬくもりに、目蓋を開けるのが勿体なく感じてしまう。このままもう少し眠っていたい。そんな思いが頭をよぎった次の瞬間、自分以外の気配に気付いて目を見開いた。

 

「っ……!?」

 

 かろうじて声を殺す。状況が把握できない。

 眠っていたのはベッドの中だ。自分の部屋のものではない。

 おまけに、目の前に、眠っているフロイトがいた。

 

 どうやらフロイトのベッドで寝ていたらしい。あわてて自分の現状を確認したが、妙なことをされた様子はなかった。

 安心すると同時にまた眠気が復活し、ふたたびベッドに頭を落として、目の前の寝顔を眺めた。さすがにもう一度寝る気にはなれなかったが、なんだか気が抜けてしまったのだ。

 何をどう考えたのかは分からないものの、ここまで運んだのはこの男以外にありえない。

 こんな状況になったのは初めてだ。たぶん、怒ったり、批難したりするところなのだと思う。それでも、たぶん何も考えていないのだろうなあと思うと、そうするだけの熱量が面倒になった。

 

 ぼんやりと眺めているうち、目蓋の裏に隠されている、融けた色の目が見たくなった。

 どうしてだかわからない。だがたしかに、帰ってきたという実感が湧いてくる。

 少しのあいだ考えて、伏せた目蓋にそっと唇を寄せた。

 ――そのとき抱いていた感情は、たぶん、いとしさに似ていた。

 

 もうそろそろ夜明けのようだ。ブラインドの向こうは薄く明るくなっている。

 やけに喉が渇いていた。サイドテーブルに水を見つけて、用意の良さに首を傾げながら拝借する。その隣には、なぜだか点滴用のユニットが立っていた。ますます妙な話だ。普通、寝室にあるようなものではない気がする。

 

 やがてフロイトの目蓋が動き、待ち望んだ色の目が、覚醒しきらないままこちらを見た。

 大きな欠伸と共に声をかけられる。

 

「やっと起きたのか。お前、3日も寝ていたぞ」

「……3日!? 本当に!?」

「ああ。一応医者は呼んだんだが、寝ているだけだと言っていた」

 

 昏睡期間の驚きが吹っ飛ぶような発言だった。

 信じられない気持ちで、まじまじとフロイトを見る。

 

「……待って。だったら、どうしてまだここにいるの」

 

 医者を呼んだ時点で、自室なり、医療棟なりへ移動することはできたはずだ。むしろそうすべき状況だったはずである。わざわざ点滴を部屋に持ち込む必要性がない。

 フロイトはしれっと答えた。

 

「俺が置いて行けと言ったからだな」

「意味が分からない……! なんでそんなこと! 絶対、ろくでもない誤解を生んで――」

 

 肩を押される。ぎし、とベッドが鳴った。

 思わず身を強張らせた。両脇に手を突いたフロイトが、覆い被さるようにしてこちらの目を覗き込んでくる。

 完全に、組み敷くことを目的とした体勢だった。

 

「……何のつもり」

「スネイルが言っていた。女を支配するなら、有効な方法はひとつだと」

 

 意味を理解した瞬間、臓腑が冷えるほどの怒りを感じた。

 ――あの変態陰湿クソ眼鏡、いつか割ってやる!!

 やはりろくでもない目論見があったということだ。ああそうだろう、一般的に男女の仲になれば殺しかねないような戦闘は避けるはずだ。一般的には。さぞ扱いやすい駒になるとほくそ笑んでいたことだろう。

 胸中で盛大に罵倒するが、今はそれどころではない。

 こちらを見下ろしてくる、感情の読めない目を、射殺さんばかりに睨みつけた。

 

「ふざけないで、絶対にいやよ。そんなことで支配される女だと思ってるの?」

「いいや」

「だったら!」

 

 フロイトの手が頬を撫でた。両手で包むようにして、まるで慈しんででもいるかのように。

 

「お前が帰ってこない間、暇だった。5日目くらいで、さすがに死んだかもしれないとは思った。残念は残念だったが、すぐに諦めがつくと思っていた。死んだ人間とは闘えないからな」

「そうでしょうね」

「……それなのに、いつまでも、お前の存在が居残ってる」

 

 目を瞠った。

 フロイトの目が泣き出しそうに見えたのは、さすがに錯覚だったのだと思う。けれど、行き場のない感情を抱えていることは理解できた。

 だからといってこの手段は、まったくもっていただけない。

 慰めるように、こちらも頬へ手を伸ばした。撫でるのではなく、ぺちりと軽く叩く。

 

「……私は生きてるわ」

「……ああ」

「ちゃんと帰ってきた」

「ああ、そうだな」

「だからどいて」

「いやだ」

 

 いやだではない。

 そのまま首筋に、肩にと手を滑らせてくるので、渾身の力で胸を押し返した。悔しいことに、びくともしない。

 

「やめてって言ってる……! もうAC戦やらないわよ!?」

「それはだめだ」

「だったらやめなさいよ、意味が分からない!」

「そんなにいやか?」

「いやだって言ったの聞こえなかった!? いい、私は私のものなの。もう所有権を誰かに明け渡すつもりはないの! そもそも手段として間違ってるのよ、馬鹿なこと吹き込まれて鵜呑みにして! せめて馬鹿正直に、やりたいからつきあえとでも言いなさいよ!!」

 

 勢い任せの言葉が、さすがに耳に届いたらしい。

 意外そうな顔で、フロイトが少しばかり身を起こした。

 

「そうか。それでいいのか」

「……ごめん、ちょっと違う、さすがに語弊が」

「どう違うんだ? 何だったらいいんだ」

「えええ……」

 

 事態は一向に改善していないが、聞く耳を持っただけ一歩進んだのか。それとも泥沼に踏み込んだのか。

 のしかかられた体勢のまま考える。

 この男とそういうことをするのが嫌かと言われれば、そこまででもない。好意めいたものは確かにある。かといって、恋愛感情を求める気にもなれないし、それがこの男にあるとも思えない。たぶん性欲と、せいぜいが独占欲だ。もしかしたら、もう少しくらいは何かがあるかも知れないが。きっと理由になるほどの大きさではない。

 ぐるぐるしながら考えたが、やがて、諦め半分に答えた。

 

「……支配だのなんだの言わないなら、まあ、いい……?」

「そうか」

「あ、あと先にシャワー」

「いい」

「でなきゃしない」

「……逃げるなよ」

「逃げないわよ」

 

 ふてくされた声に笑って、頬をつまんだ。

 

「……本当はね、今の関係性を変えるのはあんまり乗り気じゃないの。でも、まあ、貴方となら大丈夫な気がする。口説き文句は最低だけどね」

「口説き文句か」

 

 視線を天井に上げて考えたフロイトが、思いのほか長い間考えて、予想外の言葉を口にした。

 

「おかえり」

 

 目を瞬く。

 一般的にはただの挨拶であるそれが、ゆっくりと、心の中にしみこんでいった。

 欲しかった言葉だと、そう思った。

 泣き出しそうな笑い出しそうな、むずむずした気持ちになって、その首に抱きつく。

 

「……正解ってことにしてあげる」

「返事は?」

「そうね。……ただいま」

 

 笑みを含んで耳元に囁く。

 それは、二度と交わすことはないと思っていた、親しい挨拶だった。

 

 

 

 


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