621がV.Ⅸになるifルートの話   作:ikos

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もういない、女の子の名前

 

 

 その仕事を受けたのは、端的に言って気まぐれだった。

 依頼者はルビコン解放戦線で、ターゲットはベイラム。アーキバスとの直接的な利害関係はない。ウォルターの元を離れてから大きな仕事がなくて退屈していたところだし、独立傭兵としてのスタンスを一度内外に示しておく必要もある。

 あとは、コンタクト役のいつもの青年が、いかにも真面目で誠実そうで、貧乏籤を引いてすぐ死にそうな風だったことも、理由の一つくらいにはなるだろうか。

 

 依頼内容こそ「捕虜奪還」という聞こえのいい名前を持っていたが、実際的にはベイラム基地への襲撃だ。

 守るものがある戦いは得意ではない。先手を取るに限ると、ブレードの代わりに中距離向きのリニアライフルを載せ、レーダー反応を片っ端から撃ち落としていく手段を取った。

 救出した解放戦線の重鎮がどうにも気に障る人物で、「もうその人だけここに置いていかない?」と口走りそうになったり、脱出目前でレッドガンのG2が部下を引き連れて現れ救出ヘリを集中砲火されたりと散々な目に遭って、アーキバスの進駐拠点に帰り着く頃には夜も更け、すっかりくたびれ果てていた。

 ぐるぐると同じ単語が頭の中を巡っている。

 

 ――甘いもの。なにか、甘いものが食べたい。もういっそ、歯が溶けそうだというヌガーでもいい。

 

 甘党ではなかったはずだが、ここのところ油断するとそれを考えてしまう。

 ずっとなかったはずの渇望が蘇ってきたのは、身体が正常に戻ろうとしている証だろうか。

 眉間を揉みほぐしながら機体のハッチに手をかけたとき、メッセージが入った。

 解放戦線のコンタクトパーソンだ。ぼんやりしながらそれを聞く。

 

 どうやら、あの重鎮はあの態度のままらしい。やっぱりあのとき捨ててくればよかったんじゃない、などと考えながら聞き流していたのだが――不意に、それまで神妙だった男の声のトーンが、明るく変わった。

 

《それから、レイヴン。個人的にもお礼を言わせて貰いたい。

 ……ツィイーを助けてくれて、ありがとう》

 

 メッセージはそこで終わっていた。

 しばらく、動くことができなかった。

 

 心からの感謝を込めた声だった。噛みしめるような、喜びと愛おしさがありったけに込められた声だった。

 ツィイーというのは救出対象の一人だろう。彼個人にとって彼女がどれほど大切な存在なのか、その一声だけで十分に理解できるほどに。

 

 もうずっと見ていなかった、やわらかくて綺麗なもの。

 空想のように純粋で、かけがえないと思える何か。

 

 ぎこちない動きで、シートに深く身を沈め、知らず詰めていた息をゆるゆると吐いた。

 

(……よかった)

 

 腹の底から、喜びに似たものがじわりとにじみ上がってくる。

 ――よかった。本当に良かった。この仕事を受けて良かった。苦労してでも守り抜いた甲斐があった。

 綺麗だと思えるものに触れられたことが嬉しかった。血に塗れたこの手が、それを守れたことがどうしようもなく嬉しかった。心が浮き立って、何だか泣きたいような気分になった。

 実際はそんなものではないかもしれない。わかっている。解放戦線だって数多の命を奪っているし、今回の作戦でも多数の人間が死んでいる。自分がこの手で殺している。彼らにだって、きっと帰りを待つ恋人や家族がいただろう。

 

 だからこれは、本当に、とても身勝手な感動だ。

 

 それでも気分が軽くなって、先ほどまでの疲れをすっかり忘れた足取りで機体を降りた。ペイターの教えてくれたサイバニクスユニットは本当に優秀で、生活上での不便の大半を解決してくれていた。

 携帯端末を見れば、未読メッセージが32件。ほぼフロイトの独り言だ。

 目についたものにだけ適当に反応を返していると、ハンガーの照明が再点灯して、もう一人の働き者の帰還を知らせた。

 特徴的なフォルムの機体だ。逆関節だろうか。ずいぶんと細い脚に、なんとなく中型の鳥を連想した。色合い的には大瑠璃鳥あたり――エンブレムのイニシャルを見るに、第4隊長の機体だ。

 未読が残り十件ほどまできたところで、こちらの帰還を知ったからか、また新着メッセージが入り始めた。

 これはもう、いったん切り上げて自室に戻った方が良さそうだ。

 

 端末をしまって歩き始めたとき、帰還したパイロットと目が合った。

 背の高い、端正な顔立ちの青年だ。彼は少し驚いたような様子を見せたあと、もの柔らかに微笑んだ。

 

「……まさか私以外にも、働き者がいたとは思わなかったな」

「同じことを考えていました。お疲れさまです」

「ああ、そんなにかしこまらないでくれ。その機体、君が噂の“レイヴン”だろう? ようやく会えて光栄だ」

 

 ごく自然に手を差し出してきたので、戸惑いながら握手を交わした。

 ルビコンに来て、こんな社交的な応対をされたのは初めてかもしれない。だが、そつのない対応とは裏腹に、どこか引っかかるものを覚えた。

 

「私はV.Ⅳ ラスティ。君と壁越えで協働するはずだった男だ」

「ああ。あのときの」

「あのときには第1隊長殿に割り込まれてしまったが……そのうち、同じ作戦に参加することもあるだろう。随分と腕が立つと聞いている。期待させて貰おう」

「ご期待に添えるよう努力……と、いえ、努力するわ」

 

 困ったように眉根を寄せて小首を傾げるので、なんとなく言い直した。

 伊達男というのはこういうものを言うのだろう。隙がないようで、時折わざと隙を見せているように感じる。フロイトからは逆さになっても出てこない発想だ。

 ラスティは浮かべた笑みを嬉しそうなものに変えて、そのまま立ち話を始めた。

 

「フロイトのお気に入りだと聞いているが、タイプは随分違うようだ」

「さすがにもう少しは人間がましいつもりだけど……ただ単純に、今は機嫌が良いだけかもね」

「そうなのか。何か良いことでも?」

 

 笑みは変わらない。だが、想像していた通り、何かを推し量るような気配があった。

 ここに来て一ヶ月が経過する。本当に興味を持っていたのなら既に顔を合わせていたはずだし、行動範囲が近い以上、どこかで遭遇していたはずだ。

 おそらくは接触を避けていた。そして今、会話を続けようとしているのは、何らかの“前提”が変わったためだ。

 考えたのはきっちり二秒。

 探られて痛い腹は、もうあまりないことに気付いた。

 

「たいしたことじゃないわ。恋人たちの再会を手助けできただけ」

 

 ラスティが一瞬、虚を突かれたように目を瞠った。すぐにそれは、楽しげな笑顔に塗り替えられたが。

 

「……なるほど。君はとても優しいひとだな」

「そう? 自分でも身勝手だなって思っていたところよ。独りよがりに嬉しくなってただけだもの」

「それでも」

 

 自嘲を押しとどめるように、笑みが深くなる。

 

「……君が人の営みを、慈しめる人間だということだ」

 

 そこまで言われては居心地が悪い。無言で肩を竦めた。随分と、優しい言い聞かせ方をしてくれるものだ。

 ――今日受けた仕事は解放戦線の仕事で、重鎮を捕虜の身から解放するという「成果」を挙げている。ベイラムによほどの怨恨を持っているのでなければ、おそらく、きっかけは解放戦線に与したという事実だろう。

 現在のいわゆる「ルビコニアン」と解放戦線は、無視できない割合がアイビスの火以降の不法移民とその二世で構成されている。企業を侵略者と見るにしても、素直に肩入れするには難しい存在だ。

 ヴェスパーの番号付きの戦闘について、フロイトから一通り聞いた評価が脳裏をよぎる。

 いわく――飼われている狼らしい戦い方ではない、と。

 

 それ以上深入りする必要はない。軽く息を吐いて、話の矛先を変えた。

 

「そういえば、第4隊長さん。隊長と言うからには、それなりの権限をお持ちよね?」

「不穏な言い方をしてくれる。……要求は何だ?」

「すごく空腹なんだけど、食堂の厨房って、使わせてもらえるものかしら」

 

 笑みの形のまま鋭さを増していた目が、きょとんと瞬いた。

 

「……どうだろう? 試したことがないな」

「今、ものすごく、本当に無性に甘いものが食べたいの。ここで許可を出してくれる? 私への貸しに計上しておいて。あとは勝手にやるから」

「構わないが……材料はあるんだろうか」

「……最低限、小麦粉と油脂と砂糖があれば、なんとか。多分」

 

 失敗したとしても、食べるのは自分だけだ。カロリーにはなる。

 真剣に算段を立てていると、ラスティが吹き出した。

 

「いや、すまない。まさかそんなところに情熱を見せつけられるとは」

「食欲は大事よ。生きる原動力だわ」

「なるほど。至言だな」

 

 くつくつとまだ笑いながらうなずき、ラスティは端末を操作して、形式通りの許可証を発行した。きちんとIDコードが添付されている。

 

「これで許可範囲の電子施錠の解錠と、加熱装置の使用ができるはずだ。健闘を祈る」

「どうもありがとう。成功したら明日にでも賄賂をお持ちするわ」

「失敗したら?」

「疲れすぎて夢でも見たってことにしておいて」

「そうか。成果を期待するよ」

 

 爽やかに手を挙げる第4隊長と別れ、食堂に足を向けた。半分は話をごまかすためだったが、我ながら良いアイデアだったとすっかりその気になっている。

 集団生活を行う場合の食事は、効率化のために組織が用意することが多い。レーションだけで長期間士気を保つのは困難だ。ごくまれにでも、温かいものや汁物を提供してくれるのは有り難かった。

 アーキバスの食堂は提供時間外は施錠されている。談話室代わりに使うことができないため、他の隊員の目がないのが幸いだ。しんと静まりかえった厨房に一人分の足音が響いた。

 

 小麦粉はすぐに見つかった。砂糖は少し時間がかかった。バターは見つからないので植物系の合成油脂で代用する。おそらく前者ふたつは星外からの搬入品だろう。さすがに、卵はなさそうだった。使用量の報告を入力して手に取る。

 

 この材料でできるとしたら、ショートブレッドぐらいか。

 はるか昔の記憶を頼りに、材料を量っていく。小麦粉を基準にして、油がその3分の1、砂糖が4分の1。ついでに塩をひとつまみ。ここからはもう適当の手探りだ。

 加熱した油に塩と砂糖を投入して混ぜ合わせる。確かここでしっかり混ぜる必要があったはず。

 振るってもいない小麦粉を投入。さっくりと混ぜて油になじませ、まとめて、叩いて、伸ばして、平べったい固まりになったところで冷蔵庫に移動。しばらく冷やす。

 

 作業が一段落したところで、返信の続きを思い出した。

 ちょうどいいので端末を取り出すと、未読が29件に増えていた。よくこんなに一方的に話し続けられるものだと、独り言の才能に感心してしまう。

 

 日付が変わるまではあと30分ほど。

 少し考えて、こちらからメッセージを送った。

 

 

 【実験台になる気はある?】

 【あるなら30分後に食堂集合】

 

   【ACの話か?】

 

 【食べ物の話ね】

 

 

 まあ来ないだろうな、と予想通りの反応に思う。どうして声をかけたのか、自分でも謎だった。

 だから、【行く】という返信があったのは、正直なところ驚いたのだ。

 

 その謎は、五分と経たずに現れたフロイトの開口一番で解明した。

 

「さっき聞いたんだが、G2とやりあったって? 抜け駆けとはずるいじゃないか!」

「ああ、急に通知が増えたのってそれだったの」

 

 洗い物をしながら頷いた。まだそこまで読めていなかったので、あのメッセージは無視したような形になってしまっていたらしい。

 内容を確認しようとしたが、フロイトが手を抑え込んでそれを遮った。

 融けるような色をした目がごく間近から覗き込んでくる。その色を見るのは、わりと好きだった。

 

「なあ、どうだった? 勇猛と名高いレッドガンのナンバー2だ。歯応えはあったはずだろう? 戦闘データはあるよな。すぐ送ってくれ。このままじゃ眠れそうにない!」

「護衛任務みたいなものだったから、ちょっと動きすぎてて見づらいかも。最後のお客さんが大量だったのよ」

 

 言われるままにデータを送ると、ようやくフロイトが腰を下ろした。

 手が離れたので、その間に残りのメッセージにざっと目を通す。大体は今の会話と同じ内容だ。返事は必要ないだろう。

 

「……支援タイプだな。場所が悪い。近接戦闘型と一緒に組めば面白そうなんだが……。G1も来ていればかなりいい感じだったろうに、惜しいな」

「来てたらきつすぎたわね。防衛戦って苦手だわ」

「でも、楽しそうだろう?」

「否定はしないけど。うっかり死んでたかもね」

 

 期待したほどの中身ではなかったらしい。フロイトは見返すことなく映像を終わらせた。

 そろそろ頃合いだろう。冷蔵庫から生地を取り出し、ナイフで表面に薄く切込みを入れてから、フライパンで焼いていく。

 

「何を作ってるんだ?」

「ショートブレッド、っぽい何か。ありあわせの突貫工事だけどね」

「へえ。久々に食べるな」

 

 相槌が意外だった。てっきり、このまま部屋に戻るだろうと思っていたのだ。

 振り返ると、フロイトは気怠げに頬杖をついてこちらを見ていた。

 

 甘くて香ばしい香りが、さっきまで物騒な会話をしていた空間を漂っていく。

 お菓子作りなんて本当に久しぶりだ。――深夜の非日常な空間だからだろうか、まるで、過去に戻ったかのような錯覚を覚える。

 苦痛と悲嘆に満ちた過去よりももっと前の、自分にとっての平凡が当たり前だと思っていた、幸福だった頃。

 ふんわりと立つ甘い香りが、足を絡め取るように、現実感を鈍らせていく。

 ふと、フロイトが口を開いた。

 

「そういえば、お前の機体名。由来は何だ?」

「……さあ。そっちは? 鍵職人(ロックスミス)さん」

「000かaaaにでもするつもりだったんだが、当時の上官から駄目だしをくらった。機体はお前の恋人だと思え、だとさ。実際に名前をつけてみたら愛着が湧いた。由来は、まあ、辞書で適当に選んだだけなんだが」

 

 エンブレムは鍵を収めた栄光の手。何もかもを暴き掴もうとする飽くなき欲求。適当に決めたにしては、この男にぴったりの機体名だ。

 ショートブレッドも片面が焼けた頃合いなので、一度皿に移してからひっくり返す。

 言いたくないので水を向けたつもりだったが、「それで?」と重ねて訊ねてきた。

 そんなに知りたいのかと顔をしかめてみせる。だが、気のなさそうに頬杖をついているくせに、視線がこちらを逃がそうとしない。

 それでも少し迷ったが、渋々答えた。

 

「……もういない、女の子の名前よ」

 

 予想はついていたのだろう。フロイトは何も言わなかった。

 正直なところあまりに感傷的な気がして、本当に口には出したくなかったのだ。自分の弱さの証に思えていたたまれない。後ろめたさが手伝って、フライパンに向き直ると、言い訳のように言葉を重ねた。

 

「大した意味はないわ。私も、機体名にはそんなに興味がなかったの。認識されるのは識別名だけだと思ってたし、誰も気にしないんじゃないかと思ってたから。それこそ000でもよかったかも。……でも、そうね、どこかに残しておきたかったのかしら。笑っちゃう」

 

 大きく息を吐いて、口元に笑みを作った。振り返る気にはなれなかった。

 

「まさか、こんなにあちこちで見る羽目になるなんてね。本当、もうちょっと考えて決めればよかったわ」

 

 少しの間、沈黙が落ちる。

 フロイトの声が、淡泊な声音で機体名を呼んだ。

 ――懐かしい響きだとは、思わなかった。

 

「お前がその名前の頃だったら、俺は欠片の興味も持たなかっただろうな」

「それはそうね」

「俺が会ったのが、今のお前(レイヴン)で幸運だった」

 

 しみじみと告げられた言葉に目を瞬き、思わず、笑ってしまった。

 まるでこちらの不幸を喜ぶような言い方だったが、あまりにもしみじみしていて、欠片も不快感が浮かばない。おかしな男だと思った。

 

「口説いてる?」

「もう口説き落としたあとだろ」

「そうだった。貴方のそういうところ、結構好きよ」

 

 色恋沙汰ではないのに真顔でこんなことを言うから、面白いと思ってしまうのだ。

 一緒にいて楽だし、肩の荷を下ろせる。戦えば誰よりも昂揚させてくれて、必要なのだと突きつけてくれる。構えとばかりにしょっちゅうメッセージを送ってくるのも、まあご愛敬だ。

 過去に興味を示したのは少し意外だったが、きっと、こちらが弱みをぶら下げていたせいだろう。大した意味はなさそうだった。

 

 借り物の「レイヴン」という名前が、少しずつ自分の中で息づいていく。

 だからだろう。思っていたほどには、口にさせられた感傷に引きずられずにすんだのは。

 

 できあがったショートブレッドは、まあ焼きたてなら美味しいと思えなくもない、そんな味だった。

 

 

 

 




ラスティとの邂逅と夜食の回。
多分この二人ものすごく相性が悪いはずなので、初対面だけが奇跡的に噛み合った感じなんだと思います。第一印象って大事ですね。

なおメッセージの形式はツリー式を想定してます。




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