目標地点が近い。座標を確認しながら渓谷を抜けると、想像していた以上の光景が広がっていた。
平原に堂々と姿を晒しているのは、ガラスのように光を弾く、濃紺の建造物だ。階層こそ二階ほどで高くないが、圧倒されるほどの美しさと広大さで地面に居座っている。建物正面には数多のヘリポートが円を描き、ACやMTが整然と言うにふさわしい規律を持って行き交っていた。
企業がルビコンに再進出して、まだ大した期間は過ぎていない。えげつないほどの建設能力だ。
あらかじめ聞いていたチャンネルに通信を繋ぎ、一呼吸おいて名乗りを告げた。
「こちらは独立傭兵識別番号Rb23、レイヴンです。V.Ⅰフロイトから訪問予定の通知が届いているかと。受け入れ地点の指定をお願いします」
《少々お待ち下さい。……確認しました。ようこそ、Rb23 レイヴン。アーキバス・グループは貴方を歓迎します》
すんなりと受け入れは進み、誘導に従ってハンガーに入る。
どこもかしこも眩しいほど磨き上げられていて、いっそ神経質なほどに清潔だ。機械油とブーストの影響が色濃い先日までの居場所を思い出し、なんだか異世界に迷い込んだような気分になる。気後れと言うよりも、違和感の方が強い。
私物は殆どなかったので、持ち込んだのはACと小さなコンテナ一つ、それからコクピットに無理やり詰め込んだ歩行用装具だけだった。
この詰め込みを手伝ってくれた整備スタッフは、今回のことを手放しで喜んでくれた。 いわく、「待遇も環境も大違いだ」とのことだ。あまりに良かったの一点張りなので、こちらのほうが少しばかりの寂しさを抱えることになった。
ウォルターは――簡単には、行かなかった。
当然の話だ。どうにか第一段階を突破して、ようやくルビコンに辿り着いたというのに、手塩にかけた手駒が手元を離れると言うのだから。
だが、金を目的として掲げていた以上、大金を積まれた事実があまりに重い。
――お前がこの時点で、ここまでの評価を得るとは予想外だった。
そうぼやいたウォルターの言葉は、どこか諦念を感じさせる穏やかさがあった。そう、思いたかっただけかもしれないが。
渋るウォルターにここまでかかったすべての費用を押し付けて、仕事はいつでも受ける、と伝えた。
返答はなかった。
それでも、彼が新しい手駒を用意するまでは、借りを返す機会はあるだろう。
コクピットのハッチを開け、装具を手に取る。
広すぎるハンガーの奥の方から、弾むような声がかけられた。
「レイヴン! 遅かったな。待ちわびたぞ!」
一人の青年が小走りに近づいてくる。声の感じからして、おそらく、彼がフロイトだろう。わざわざ迎えに出てくるとは、想定以上の歓迎ぶりだった。
特に背が高い訳ではないが、AC乗りらしく程よく鍛えた体躯をしている。容姿は目立つようなものではないのに、不思議と、どこか剣呑さにも似た迫力を感じさせた。
一番印象に残ったのは、目だ。
焦がれるように爛々とした光を灯してこちらを見据えている。うずうずした気持ちが伝わってきて、随分と買いかぶられたものだと思った。
「色々やることがあったから。身辺整理とか、お世話になった人への挨拶とか」
「……? 必要か、それ?」
「どうかしら。私はしようと思っただけだし」
フロイトは不思議そうだ。彼こそ企業の勤め人であるはずだが、そういった発想は持ち合わせていないらしい。じれったさを隠しもせず急かしてきた。
「まあいい、早く降りてこい。先に面倒な手続きを片付けないとな」
「少し待ってて。これ、着けないと歩けないの」
歩行用装具を持ち上げて見せる。この程度で同情心を持つような男ではないだろうから、大して気にせずに言ったのだが――装具を取り上げられたのは予想外だった。
「まどろっこしい。俺が運ぼう」
「え? ちょっと」
言うが早いか右の手首を掴まれた。そのまま腿の間に手を差し込んできたので、ぎょっと腰を引く。掴まってしまった状態では逃げ切れるわけもなく、あっさりと肩に担がれてしまった。
右側の腕と腿を片手でホールドしたフロイトは、歩行用の装具を拾い、堂々とハンガーを歩き始める。
あまりの手際に、抵抗もできなかった。
頭が真っ白になるとは、なるほどこういう事態をいうらしい、と、あとでしみじみ思ったほどだ。
「あの」
「まずはスネイルに話をつけよう。そういえばまだ何も言ってなかった。面倒ごとはあいつに任せるに限る」
確か旧世代の映像で、羊がこんな感じで運ばれているのを見たような記憶がある。ありていにいって「搬出」だ。
腿の間に腕を突っ込まれている時点で羞恥心がとんでもないことになっているのだが、あまりにもフロイトが自然体で、なおかつ体勢が安定しているのに気付いてしまうと、これが普通なのかと思えてしまう。
もっとも、ハンガーの道行きでちらほらすれ違ったメカニックたちは、一様に目を丸くしてこちらを見ていたのだが。
さらし者になっているんじゃないかと気付いたときには、ハンガーを抜けて社屋に到達していた。
そこで出会った男女の反応は、とりわけひどかった。
ふくふくとした穏やかそうな男性がぎょっと目をむき、顔色を変えてこちらに駆け寄ってくる。きりりとした印象の女性は逆で、くるりと踵を返して走り去った。おそらくは、彼女の全速力で。
「フロイト君!? どうしたんだ、負傷者かい!?」
「いや。歩けないらしいから運んでいただけだ。気にするな、ホーキンス」
歩行装具を手に飄々と応えたフロイトに、ホーキンスと呼ばれた男は右手で目元を覆った。
やっぱりどうも、この運び方はおかしいらしい。
降ろしてくれと言うべきか悩んでいると、どうにか気力を振り絞ったらしいホーキンスが、重苦しい動きでがっしりとフロイトの肩を掴んだ。
「……フロイト君。いいかい。ファイヤーマンズキャリーは、平常時に、女性を運ぶやり方ではないんだ」
「……どう違うんだ? 要救助者の――」
「復唱するんだフロイト君! それは、断じて、平常時に、女性を運ぶやり方ではない……!」
振り絞るような言い聞かせにも、フロイトはただただ首を捻るだけだ。
今度こそ降ろしてくれと言うべきだろうと口を開いたとき、ばたばたという足音が、車輪の音と共にやってきた。
「ホーキンス隊長! 車椅子を持ってきました!」
「さすがだメーテルリンク君! 本当に素晴らしい判断だよ! ありがとう!」
息を切らせた女性が、フロイトを威圧するように車椅子を近くまで寄せる。押し当てそうな勢いだった。
二人がかりの気迫に辟易してか、フロイトが渋々といった様子で肩の「要救助者」を車椅子に降ろした。
あからさまにほっと胸を撫で下ろす二人は、おそらくとても、善良な人たちなのだろう。
黙っているのもおかしな話なので、無難にお礼を言うことにした。
「あの……ありがとうございます。助かりました」
「いいけど、君もね、変な扱いをされたら文句を言わないと駄目だよ」
「……ルビコンとかヴェスパーとかだと、もしかしてこれが普通なのかと……」
ホーキンスとメーテルリンクは揃って、重々しく首を振った。当然ながら横に。
いまさら、装具を使えば歩けるとは言い出しにくい雰囲気だ。歩行速度は当然ながら遅いので、フロイトがまたじれる可能性もあったが。
ふう、と息をついたホーキンスが、思い出したようにたずねた。
「ところで、どこに向かってたんだい?」
「スネイルのところだ。手続きを頼もうとな」
「それは……。あの格好で君たちが執務室に現れたら、彼もさぞ度肝を抜かれただろうねえ……」
惜しいことをした、と冗談めいた口調で言い、ホーキンスはこちらを見た。
「まあ、なかなか距離があるからね。これを使うと良いよ」
「返却は受付に伝えてくだされば大丈夫です。無理をしないでくださいね」
メーテルリンクも付け加える。目元の涼しげな、面倒見の良い女性だった。
年齢もそう変わらなさそうだ。笑みを浮かべて頷くと、応じるように細められた目がことさら優しい印象になった。――よかった。まだ表情筋がぎこちないが、うまく笑えていたらしい。
きっとこれから、接点も増えるだろう。好感を持てる同性がいるのは幸いだ。
そのまま二人と別れ、フロイトがこちらを見下ろした。
どこか、もの言いたげな風情だった。
「……押すか?」
「ありがとう。お願い」
古式ゆかしいシンプルな車椅子で、電動機能はないようだった。自力で動くのは大変そうだ。
わざわざ聞いてきたということは、少し落ち着いたのだろう。おそろしい速度で車椅子が滑走する未来は避けられたようだ。
やらかしたと理解できているのかは微妙だし、いまひとつ納得もできていなさそうだが。
つるりとした床の上、車椅子の車輪が規則正しく音を立てていく。
急に静かになったフロイトに、なんだか、微笑ましいような気持ちがわいてきた。
「そんなに焦らなくても、これからいくらでも戦えるのに」
「いまかいまかと待ってたんだぞ。メッセージにもろくに返信してこなかっただろ」
「あの頻度で送られたら追いつかないわよ。だいたい、ほとんど日記みたいな内容だったじゃない。……まあ、そう言うならもうちょっと反応するようにするわ」
そこでふと思い出し、身体を捻ってフロイトを振り返った。
驚かせてしまったのか、一度足が止まる。
「そういえば、あのときの装備! サイコロで決めたって本気なの?」
「……ああ、使ってみなければ分からないことも多いからな。今はアサルトライフルの楽しい使い方がないか試しているところだ」
「あれ、TURNERでしょう? 弾数が多いのはいいけど、マガジンの量が微妙よね……」
「あれが倍になるだけで違うだろうな」
「本当にね。大豊を見習ってくれたらいいのに」
「ああ、あそこのガトリングガンはいい製品だ。敵を選ばない」
「え、それ知らない」
「今度使ってみるか? 快適すぎて封印したくなると思うが」
「封印って。考えられない台詞ね」
「お前もそのうちわかるさ」
さらりと同類扱いされた気がするが、褒め言葉のつもりなのだろう。
そのまま、ああでもないこうでもないとACについての話で盛り上がる。この星で普及している武器やパーツにあまり知識がないためか、フロイトから聞く話はどれも魅力的に思えた。あれもこれも、試してみたくなってワクワクする。
話し込んでいると、遠いと言われた目的地まではあっという間だった。
ノックも声かけもせず、フロイトはいきなり扉を開く。即座に、嫌味めいた声がかけられた。
「誰です、不躾な……。ああ、なるほど。貴方ですか……」
「お前はいつ見ても端末に向かっているな」
「書類仕事を担ってから言っていただきたいものです。……それで? わざわざ貴方が出向いてきたということは、どうせ面倒ごとの類いでしょうが」
絡みつくような声で言い、男はこちらを睥睨した。
無理もない。車椅子に乗った女を連れてきたとなれば、楽しい話はなかなか予想できないだろう。
目的地と言っていた以上、彼がV.Ⅱ スネイルだろう。そのナンバー2のわかりきった嫌味を、フロイトはあっさりと受け流した。
「とりあえず、こいつに番号を与えたい。確かⅨあたりが空いていたな? 手続きをしておいてくれ」
受け流すどころではなかった。要求だけぶち込んできた。
これは、とさすがに眉間を押さえる。部屋の空気が一段と冷え込んだかのようだった。
震える声で、スネイルが訊ねた。
「……貴方はどうも、V.Ⅰという立場にありながら、ヴェスパーのナンバーというものの価値を理解していないようだ。そんな身元も知れない人間を、誇り高きアーキバスグループの一員として迎えるだけの根拠は何です?」
「特にないな。その方が便利だというだけだ」
「論外です。却下します。どこから拾ってきた野良犬かは知りませんが、話にも――いや、待て、野良犬だと?」
驚愕に見開かれた目が、信じられないと言わんばかりにこちらを射貫いた。
「……まさか、ウォルターの駄犬か!?」
「なんだ、今気付いたのか」
「ふざけた真似を……! フロイト、貴方は一体何を考えているのです!? 愚にもつかない木っ端の勢力とはいえど、身のうちに爆弾を埋め込むようなものですよ!!」
「ウォルターの手元からは離れたあとだ。まあ、そんなことはどうでもいい。欲しいから貰ってきただけだからな。独立傭兵のままでいるつもりのようだから、とりあえずはただの識別標がわりだが」
「貴方は……!!」
それ以上の罵倒を飲み込むのに必死らしい。頭を抱えて動かなくなってしまった男に、少しばかり同情心が湧いた。
残念ながら、元凶にはまったく通じなかったようだが。
「見ての通り、歩行にも難儀しているようだ。その辺の改良も頼みたい。手配しておいてくれ」
「……そうするだけの、社の利益は、あるのですか……!」
「俺の欲求不満がしばらく減る。それ以上が必要か?」
傲慢を具現化したかのような発言だった。
地を這うような呻き声が部屋に響く。さすがに見かねて、口を挟んだ。
「……黙ってるつもりだったけど……もうちょっと言い方ってものがあると思うわよ」
「別におかしなことは言っていないだろう。事実のままだ」
「貴方の満足度が社の利益を左右するってこと? すごい自信ね」
「そうか?」
「……そこの駄犬、口を挟まないで貰いましょうか。部外者にしたり顔で話をされるのは不愉快です」
事実なんだ……と、心の中でだけ呟いた。アーキバス・グループは高度に組織化されているように見えたが、ヴェスパーは意外と危ういバランスの中にあるのかもしれない。
ともかく、ようやくスネイルがフロイトではなくこちらに話しかけたのだ。
第一印象というものは大事だ。車椅子に座ったままでは今ひとつ迫力が足りないが、背筋を伸ばして胸を反らし、スネイルを見つめる。できうる限りのえらそうな態度で、淡々と告げた。
「私も、面倒ごとは好きじゃないから言っておくわ。私はこの人に雇われただけで、聞いてのとおり純粋に欲求不満の解消要員。無理に番号を貰う必要はないし、これ以降アーキバスに不利益な仕事を受けることは極力しないわ。せいぜい役に立ってみせるわよ。……それで、何か質問は?」
居丈高に発言を促せば、底光りする目がわかりやすいほどこちらを噛み殺しそうなものになった。
好意を持たれるのは無理だと判断していたから、嘗められないことを優先するほかない。
睨み合いは、数秒で終わった。
皺の寄りきった眉間を指先で揉みながら、スネイルが吐き捨てるように告げる。
「何の思惑もなくただ仕事を受けた結果だと、そう言うのですね?」
「ええ」
「我が社に微力を捧げ、貢献する意思があると」
「もちろん」
「……番号については保留します。アーキバスはベイラムと違い、使い捨てる番号など用意してはいませんので。せいぜい、それだけの価値を示してみせることです」
「そうさせてもらうわ。ありがとう」
文句をつけそうだったフロイトを押しとどめる。いかにも不満そうな顔を向けられたが、スネイルの発言は、やたらと多い貶し言葉を削ればもっともな内容だった。この辺りが引き際だろう。
忠誠を問われなくてよかった、と内心で胸を撫で下ろす。
嘘はつきたくない。もしそれを訊ねられていたら、曖昧にごまかすことしかできなかった。――もしかすると、それをわかっていて口にしなかったのかも知れない。
スネイルの執務室を後にして、用意された宿舎に向かう道すがら、フロイトが怪訝そうに言った。
「番号はあった方がいいと思うが」
「いきなり押しかけて来た部外者だもの。まずは貢献しろというのは、理に適った話だと思うわ」
「番号付きなら弾薬と修理費が会社持ちになる」
「……失敗したかも」
作戦での出費より、フロイトとの戦闘での出費の方が痛そうだ。
――これは一刻も早くスネイルを納得させて、番号を勝ち取る必要がある。
この621はたぶん鬼メッセに引かないし普通に適当に手を抜きつつ対応するしアセン談義に花を咲かせるタイプ。でも自分を戦闘狂だとは思ってない。たぶん認識に齟齬がある。
ちなみにファイヤーマンズキャリーはこんなのです
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