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2019年12月18日(水)

なぜ男は冬富士に向かったのか?
~ネット生配信の先に~

なぜ男は冬富士に向かったのか? ~ネット生配信の先に~

10月末、ひとつの動画がネットで話題になった。冠雪した富士山を登る様子を自撮り生配信していた男性が、足を滑らせ滑落。動画には、リスナーと会話しながら滑落していく、最後の瞬間までもが鮮明に残されていたのだ。映像は、またたくまに拡散。「自殺しに行ったのでは」「金を稼ぐための配信」など様々な誹謗中傷が飛び交った。彼はなぜ危険とされる冬富士に登ったのか? ネットに残された足跡を丹念に追跡すると、意外な実像が浮かび上がってきた。西早稲田のアパートにひっそりと暮らす、47歳の司法浪人生。かつて一緒に司法試験を勉強した仲間は「穏やかで、優しさ溢れる男」と証言。元ひきこもりのリスナー男性は「彼の動画を見て“自分と同じ孤独を抱えている”と感じた」と話す。男の人生をたどることで、ネットを支えに懸命に生きる人々の姿を追う。

出演者

  • 武田真一 (キャスター)

なぜ男は冬富士に向かったのか?

たくさんの自撮り動画を配信していた男性。
本名は明かさず、テツ(TEDZU)とだけ名乗っていました。

残された配信映像を丹念に確認していきます。
中でも多いのが、自転車で走りながらの映像。

テツさん
「わせ弁(早稲田の弁当屋)が、わせ弁値上がりしている。」

「早稲田インキュベーションセンター。」

会話の中にたびたび登場する「早稲田」ということば。

現地に行ってみると…。
ほど近くに、テツさんが住んでいたと思われる古いアパートがありました。
大家さん夫婦に話を聞いてみます。

大家さん夫婦
「(テツさんが滑落したのは)ただただ驚天動地。富士山に登りに行っていることも知らなかったので。」

取材班
「テツさんはどちらに住んでいた?」

大家さん夫婦
「あちらに見える、平屋建ての。」

庭先に建てられた古い離れ。
47歳で亡くなるまで、ここで1人暮らしをしていたといいます。

大家さん夫婦
「友達が出入りしている様子もなかったですから。」

取材班
「仕事の気配もあまり?」

大家さん夫婦
「なかったですね。むしろ、あまり立ち入ってほしくないような、日常生活では印象ありましたけどね。」

「よく夜中ずっと電気がついているので、けっこう明け方まで電気ついているなと思ったから、そういうのでネットとか、夜中にいろいろしていたんでしょうかね。」


テツさん
「This is the inside of the apartment.(これがアパートの中です。)」

テツさん自身が撮影した住まいの映像が、海外の動画投稿サイトに残されていました。アメリカへの留学経験があったというテツさん。流ちょうな英語で部屋を案内していきます。

テツさん
「This is the toilet.As usual not clean.(これがトイレ。他の部屋と同じように汚いんだよ。)」

「Japanese style.(和式トイレだ。)」

トイレは共同で風呂はなし。一部屋4畳で、家賃は2万5000円でした。
雑然とした部屋には、大きなパソコンモニターが。さらに、自撮り配信用のマイクも用意し、ここからさまざまな放送をしていました。

マイクの下には司法試験の参考書。
亡くなるまでの10年以上、弁護士を目指して、ずっと勉強を続けていたといいます。

取材を続けるうち、テツさんの友人だったという人物から情報提供したいと連絡が入りました。
現れたのは60代の男性。
かつて、司法試験の勉強を一緒にしていた仲間だといいます。

男性(60代)
「ネット上なんかで、彼に対するひぼう中傷というかね、なんかバカにしたようなことを書いてあって、それがちょっと気になりまして。本当の姿を知ってほしいなと思って。本当いいやつですよ。」

「これが最初の、彼と勉強したときですね。平成23年、2011年ですね。5月26日。」

テツさんが予備校の掲示板で勉強仲間を募集。それに応じ、2人で勉強会を開いていたといいます。

愛媛県生まれのテツさん。進学校に通っていましたが、大学受験に失敗して上京。アルバイトでためた資金でアメリカに留学。その後、日本の大学で法律を学んでいました。

男性(60代)
「(2人の勉強会では)必ず缶コーヒーとか栄養ドリンクなんか用意して、ニコッと笑って私にくれると。優しいですよ。非常に気前がいいというか。人に喜ばれることがうれしいわけですよね。」

しかし、勉強会は長くは続きませんでした。
男性が予備試験で結果を出す一方で、テツさんの点数は伸び悩んだのです。

男性(60代)
「マークシートの試験なんですけど、私の知る限り2回連続落ちてしまって、そこからガクーンと彼は意欲がなくなりましたね。彼がモチベーションを上げてくれるように、あの手この手でもって励ましたりしたんですけれども、結局やる気が出ないままで。」

テツさんはその後も試験を受け続けましたが、ずっと不合格。勉強会は自然消滅し、滑落のニュースで、久しぶりにテツさんのことを思い出したといいます。

男性(60代)
「自分が思うには、彼はあえて軽装備で(冬の富士山に)行ったんじゃないかなと。そこで挑戦するというね。そういった、あえて危険なことをすることで、生きがいみたいなものを持っていたんじゃないかなと。あの世に行ったら再会して、『お前バカやったな』と言ってやりますよ。おそらく彼は照れ笑いすると思いますけれども。また会いたいですね。」

司法試験を受け続けて7年。
テツさんは生配信に力を入れ始めます。

生配信とは、ネットで自撮り映像などを生放送すること。
例えば、20代の女性が寝落ちする様子の生配信。

この動画配信サービスには190万人もが有料登録。
リスナーが書き込んだコメントを、音声読み上げ機能「棒読みちゃん」が無機質な声で読み上げます。

棒読みちゃん(リスナー)
「髪切ってさっぱりしたね。」

発達障害を抱えているという 20歳
「髪切ってさっぱりした、ありがとう。」

棒読みちゃん(リスナー)
「専門学校はどうなったの?」

発達障害を抱えているという 20歳
「専門学校は行ってますよ。行ってますけど、幽霊。」

棒読みちゃん(ディレクター)
「ニコ生配信を始めたのは、何がきっかけなんですか?」

発達障害を抱えているという 20歳
「自己承認欲求って、ずっと言っていると思うんですけど、自分の存在を認知してほしいんですよ、いろんな人に。」

棒読みちゃん(ディレクター)
「どんなときに中継しているのですか?」

2日1回生配信をする 22歳
「どんなとき?暇なとき。暇なときにしてる。眠れないときとか。今日も眠れない。」

事務職 38歳
「会社でもない、どこでもない。そういう世界を作りたかったんじゃないですかね。『この間リストカットしてさ』みたいな話、普通にできないじゃないですか。みんなビックリしちゃうから。」

取材班
「友達とかにも?」

事務職 38歳
「もちろん。他人なんで。」

多くの人が熱中する生配信ですが、人気の配信はほんの一部。ほとんどがリスナーがゼロか数人程度しかおらず、“過疎放送”と呼ばれています。

これは、テツさんが思いつきで豊洲市場に行ったときの配信。時間が遅くて、店はほぼ閉店。リスナーも1人しかいない過疎放送でした。

テツさん
「何もないね。市場感ゼロですよ。」

リスナー
「ここはゾンビが出そうだ。」

テツさん
「ゾンビ出るかな。ゾンビ探そう。」


テツさんの配信を初期から見ていたと、ツイッターに書き込んでいる人が。

つくば市に住む、木村直弘さん。35歳。

取材班
「絵、すごい素敵ですね。」

木村直弘さん
「これは、僕が破壊したところを隠しているだけです。ちょっと親子げんかした時に、壁に八つ当たりしたってことはありましたね。」

ひきこもり当事者を支援する情報誌を作っている木村さん。自身も過去10年間ひきこもった経験があるといいます。
きっかけは、テツさんと同じ司法試験。勉強をしてもなかなか成果が上がらず、うつ状態になっていきました。

木村直弘さん
「父親からは『早く働け』とか『司法試験なんか無理だ』とか、否定的な言葉ばかりかけられていました。周りは働いているのに、自分はそうではないっていう引け目から、自分の姿を見られたくないっていう形で、結果的にひきこもってしまったっていう。」

昼夜の生活が逆転し、夜中にネットを眺めるように。そんななかで出会ったのが、テツさんの過疎放送でした。

テツさんの当時の配信履歴。

一人勉強する姿を淡々と放送したり、寝落ちするまでの数時間を配信し続けたりしていました。

木村直弘さん
「(テツさんの放送は)はっきり言って全然面白くないですね。僕以外にコメントしているのは、もう1人くらいしかいなくて。本当になんて言うか、1対1で語り合っている感じでした。(テツさんは)ほぼほぼ(自分と)同じですね。(ネット上に)自分がいるなくらいの。」

自分と似た境遇のテツさんと会話するうち、木村さんは現実でも人と関わりたくなり、外に出るきっかけになったといいます。

木村直弘さん
「テツさんはいろんな不安を持って生きてたとは思うんですね。見えない不安を分かりやすい形で乗り越える、生き抜く手段として、富士山の登頂っていうものがテツさんの中にあったんじゃないかなって。」

司法試験への挑戦が苦戦するなか、40代に入ったテツさんは富士登山に熱中するようになります。

リスナー
「配信は止まってはいない。」

テツさん
「止まっていない、了解。」

リスナー
「気温何度くらいですか?」

テツさん
「気温たぶん18度くらい。」

時には、配信者が大勢集まって富士山に登るイベントにも参加。
人気配信者が集う場所からは距離を置き、下山道で疲れた登山者に飲み物を配っていたといいます。

“てつさんは人に何かやってあげるのが好きで配信者の人達が困ってたら、バッテリーを差し入れたり、自転車を貸してあげたり、色々してました”

“リスナーにいじられても馬鹿にされたりしても決してめげないし怒らないところが印象的でした。”


取材を始めて1か月。
テツさんが住んでいた部屋を久しぶりに訪れると、ドアが開いていました。
中にいたのは、50代の男性。
配信仲間の通称わくわくさんです。

わくわくさん
「ここにパソコンがあって、モニターがあって。だいぶ片づけちゃいましたけど。」

ご両親の許可を得て、遺品の整理を手伝っていると語るわくわくさん。
テツさんが滑落したとき、警察の捜査にも協力したといいます。

わくわくさん
「(テツさんが滑落したとき)僕もちょうどネット配信中で、リスナーが、テツくんの(滑落の瞬間)を見ている人がいたんでしょうね。『テツくんが落ちたよ』って(教えてくれた)。最初冗談だと思っていましたからね。何かの間違いだろうと思って。」

テツさんとのつきあいは、過去に何度か会ったことがある程度。
しかし、滑落のニュースを聞いたわくわくさんは、すぐに警察に連絡。何か手伝えることはないかと申し出ました。

わくわくさん
「(警察は)まず名前と住所が分からないと。何か調べる手立てはないかなと思って、僕も配信開いて、リスナーに問いかけたんですね。」

手がかりとなったのは、テツさんがアパートを英語で紹介していた、あの動画。よく見ると、一瞬だけ家の門が映っています。わくわくさんは、ネットの地図写真をくまなく調べ、同じ門がある場所を特定。テツさんの両親とも連絡を取り、スムーズな捜索につなげたといいます。

わくわくさん
「ネットでそうやってコメントで、いろいろ心配とか助けてくれた人はいましたね。その代表が僕だっていうことでいいんじゃないでしょうかね。」

毎週テツさんの部屋に通い、遺品整理を続けるわくわくさん。
中でも驚いたのが、病院の診察券が大量に出てきたことです。

わくわくさん
「CT(スキャン)とかデータじゃないですかね。」

取材班
「やっぱり本当に、がんを患っていらっしゃった。」

テツさんは去年、ステージ4の直腸がんの告知を受けていました。
治療のために全国の病院を訪ね歩き、配信にもその様子が残されています。

テツさん
「これが、がん研ですよ。がん研有明。世界で3本の指に入るがんセンターっすよ。」

病状についても、リスナーに赤裸々に話していました。

テツさん
「(がんが)再発したときに、すぐ分かるように(検診は)半年ごとにならないらしい。3か月できっちり診ていくと。」

リスナー
「がんも治せるっていい時代。」

テツさん
「いい時代だね。ステージ4でも切らずに治せる。」

配信の中で、治療はうまくいき、寛解状態にあると語っていたテツさん。
しかし、テツさんのがんの5年生存率は、一般に2割ほどといわれています。

滑落する直前、足の踏み場もないほど散らかっていたというテツさんの部屋。

わくわくさん
「いろいろ参考書を見ると、やっぱりそこまで新しい参考書もなかったですし、司法試験はテストは受けていたけど、今までの勢いでやってるだけだったんじゃないかな、実際。でも、ネット配信の中では楽しそうにしていたと思いますけどね。(リスナーに)こういうの見せてあげたい、要望があればやってあげようとか。ああいうとき、すごい生き生きしていましたけどね。」

遺品を整理するにつれ、わくわくさんはテツさんの気持ちが分かるようになってきたといいます。

取材班
「(わくわくさんから見て)テツさんは友達ですか?」

わくわくさん
「実際、世間から見れば友達ではないんでしょうけど、この片づけをしていることで、友達になった感じかな。深まった。テツくんのことを一番知っている人になってしまったかもしれないですね、今では。
冬の富士山に登るようなタイプではなかったと思うんですよね(滑落の)5日くらい前の放送のなかで、リスナーから『冬の富士山も見てみたい』というコメントがあって、それに印象が残っていて、行く気になったのか。」

わくわくさんが教えてくれた配信動画。
病院からの帰り道、自転車に乗りながらリスナーと会話しています。

リスナー
「雪景色の富士山見たい。」

テツさん
「見たい?雪もう降っているかな。富士山なぁ。」

リスナー
「雪景色の富士山見たい。」

テツさん
「富士山行く?今だったら多分そんなに寒くないんだわ。(気温は)マイナス3とか4でしょ、山頂。だから、パッと行って、パッと帰れば死なずにすむ。そんな寒い思いもしないで。」

5日後の10月28日。
テツさんは、1人富士山に向かいました。

9時。

(ネットへの投稿)
“河口湖駅で乗客いなくなった”
“ビビる”

10時。

“バス酔いで気分悪い”
“もう帰りたい”

10時30分。
富士山に到着すると、テツさんは配信を始めます。

山頂は数日前に初冠雪したばかり。
この時期は、十分な計画や準備無しの登山は禁止されています。
しかし、テツさんはなぜか夏の装備で登っていきました。

テツさん
「(山の上も)電波あるね、結果。」

リスナー
「めちゃくちゃきれいね。」

テツさん
「きれいね。」

午後2時前。
8合目を過ぎたころ、リスナーとこんなやりとりをしています。

リスナー
「自分一人だけで、孤独や恐怖を感じませんか?」

テツさん
「まあ大丈夫よ。東京にいた方が孤独だもん、俺の場合。よし行こう。そろそろ酸素がなくなってくる。風がね、だんだん弱まる予報でね。滑るな、ここ、地味に滑るな。」

リスナー
「ケガしないように。」

テツさん
「了解。」

2時半ごろ、山頂に到着。
リスナーに、頂上からの雪景色をたっぷりと見せます。
さらに歩き出した、その時のことでした。

テツさん
「よし、行こう。ここも危ないね、斜面。滑る。」

(滑落する音)

生配信にこだわり、冬富士に向かったテツさん。
リスナーとの会話は、最期の瞬間まで続いていました。

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2019年12月17日(火)

幼保無償化 現場で何が
~少子化対策をどう進める~

幼保無償化 現場で何が ~少子化対策をどう進める~

10月から始まった「幼児教育と保育の無償化」。子育て世代の負担を軽減することで少子化対策につなげようと、多額の予算があてられる。保護者からは、「無償化をきっかけに働きに出られるようになった」など、歓迎の声があがっている。その一方で、保育の現場からは、「保育士不足なのに預かる子どもが増えて手が回らない…」という戸惑いも。また、税収が多い一部の自治体では、無償化にともなう費用を負担する必要があり、これまでのサービスの見直しを迫られるケースも出ている。“幼保”無償化から2ヶ月。いま何が起きているのか。可能性と課題を考える。

出演者

  • 中室牧子さん (慶應義塾大学 教授)
  • NHK記者
  • 武田真一 (キャスター)

開始2か月半 見えてきた効果と課題

無償化をきっかけに働き始める母親が増えています。
酒井久美子さんと4歳の長女、理紗ちゃんです。
これまでは高い保育料が壁となり、子どもを預けて働くことは諦めていましたが、13年ぶりに復職できました。

酒井久美子さん
「このきっかけがなければ、そのまま働かずに家で主婦の仕事をしていたかもしれない。感謝ですって気持ちで、今はいます。」

無償化で対象になるのは、酒井さんのように、原則3歳から5歳までの子どもがいる世帯です。財源は消費税の増収分のうち、年間およそ8000億円。これまで保護者が払っていた保育料が、自治体を通じて税金で賄われるようになりました。子育て世代の経済的負担を軽くすることで、少子化対策につなげるのがねらいです。

働く親の増加とともに、“延長保育”を利用する家庭も大幅に増えました。
通常の保育料を負担する必要がなくなったことで、延長料金を払ってでも働きに出たほうがメリットがあると考えているからです。
この保育園では、以前は40人程度でしたが、今では60人以上を預かる日も少なくありません。
こうした中で問題が。
保育士の数は増えていないため、一人一人が見守りに今まで以上に気を遣わなければならなくなったのです。

保育士
「ちーちゃんがいない!ちーちゃん。あれ…?」

3歳の女の子の姿が見当たりません。
クラスに戻ると。

保育士
「いるよここに。」

保育士
「いたいた!」

部屋の中で発見。ひやりとする場面が増えたといいます。

保育士
「やることも多いし、子どもの数が増えると目が届かない。大変ですね、やっぱり。」

無償化を機に強まる現場の負担。保育士たちは危機感を抱いています。

保育士
「やっぱり人数が多いと、(水を)こぼしたりとか、いろいろトラブルが発生するのでね。」

保育士
「今までやってあげられたことが出来なくなってきて、結局、保育の質が落ちてくると思うんですよ。」

等々力保育園 鹿島しげみ園長
「もう1人配置した方がいいと思っている?」

保育士
「そうですね。」

“保育士を増やしてほしい”という切実な声。
しかし、簡単ではありません。
保育士不足は年々深刻化。有効求人倍率は直近で3倍を超え、全職種の平均をはるかに上回っています。


等々力保育園 鹿島しげみ園長
「パートの募集をしているんですけれど。」

連絡したのは、保育士専門の人材派遣会社。ハローワークなどでは見つけることができなくなり、利用し始めました。紹介料は、1人あたり最大100万円。少しでも早く人手を確保するためには、やむをえないといいます。

等々力保育園 鹿島しげみ園長
「週に3日ぐらいで、お願いできないかと思うのですが。」

しかし、給与や労働条件で折り合う人はなかなか見つかりません。
60年にわたって地域の子どもたちを受け入れ、手厚い保育を心がけてきたこの保育園。どうサービスを維持していくのか、頭を悩ませています。

等々力保育園 鹿島しげみ園長
「(無償化が)スタートしてしまった。でも、現場が混乱している状態です。その場、その場に追われている状態なので、最終的には子どもたちに影響してしまう。すごく懸念するところです。」

保育士不足なのに離職者も…

無償化について、NHKに寄せられたメール。
これまで保育現場にあった課題が、さらに深刻化したという声が相次ぎました。

広島 保育士(48)
“低賃金。増えるばかりの事務処理。心底疲弊する毎日。”

大阪 幼稚園教諭(42)
“無償化で預かり保育の子どもが増え、仕事が倍増。私たちを助けてください。”

寄せられた200通のうち、3分の1が窮状を訴える保育士などの声でした。

こうした厳しい実態が保育士の離職にもつながっています。
関西地方の認可保育所で働く、20代の女性です。手取りは16万円。責任の重さに見合わない待遇に限界を感じていました。

認可保育所の保育士(24)
「頑張りたいけど、もう保育士として頑張り続けるには限界があると思いました。」

無償化のあと、この女性が働く保育所でも子どもを夜遅くまで預ける保護者が倍増。保育士の余裕がなくなり、子どもにきつくあたってしまう場面を見かけることが増えたといいます。女性は今、保育士を辞めようと考えています。

認可保育所の保育士(24)
「保育の質もガタガタ。忙しいからみんなピリピリしてくる中で、子どもたちもつらく当たられる。子どもたちに、自分もきつく当たってしまうところがあって、年内にはもう辞めさせてもらおうと思って。」

待機児童対策にも影響が!?

無償化が拍車をかける保育士不足。
待機児童対策の見直しを迫られる自治体も出てきています。

全国の市区町村で、待機児童数が4番目に多い岡山市。無償化が始まった10月の入園希望者は、去年に比べ118%と大幅に増加しています。

ところが、すべての希望者に対応するだけの保育士が確保できず、待機児童が解消するめどが立っていません。
この園の定員は135人。本来なら、まだ20人以上受け入れられるはずですが、そのためには保育士が7人足りません。
園長の宮川洋子さんです。

こじかこども園 宮川洋子園長
「これが、求人関係の今年度の募集をかけている資料です。」

保育士を確保したいと、賃金を市内トップクラスにしたり、残業を減らしたりするなど待遇改善を進めてきました。

しかし、状況は一変したといいます。
去年までは、新卒採用の募集に必ず応募がありましたが、無償化がスタートしたことしは全く反応がないのです。

こじかこども園 宮川洋子園長
「保育士養成校にも(求人が)県外から来ていて、県外、県外、県外、県内、県外、県外、県外、県内、と言うぐらいな感じで、県外から相当数の求人票が来ていますので、県をまたいでの争奪戦という現状ですね。」


今、市は待機児童解消に向け、さらに厳しい状況に直面しています。

この5年で市内57か所に保育施設を開設し、およそ5000人分の新たな受け皿を整備してきました。しかし、保育士が足りず、およそ3割の保育施設で、子どもを定員いっぱいまで受け入れられずにいます。

岡山市は、849人だった待機児童を2年かけて353人まで減らしました。ところが、無償化が始まった10月、増加に転じてしまったのです。来年4月、待機児童ゼロを目指していましたが、その実現は難しくなりました。


先月設けられた、来年度の入園に向けた申し込み窓口。人波が途切れることはありませんでした。

「2歳と4歳ですね。(保育園に)通っていなくて、幼稚園も落ちてしまった。今度は入れなかったらどうしようかなと思う。」

「全然入れないって聞いています。働きたいですね。働かないと。困るな。」


今月4日。
市内の園長会の代表が市役所を訪れました。保育士を確保するための支援制度を充実してほしいと要望したのです。岡山市は、今年度で終える予定だった、賃金を上乗せするための補助金の継続と増額を検討せざるを得なくなっています。

岡山市 大森雅夫市長
「(補助金の)継続はもちろんのこと、上乗せも考えていく必要があるのではないかと。1人でも子どもを受け入れられる環境作りが、どうしても必要だ。」

開始2か月半 見えてきた効果と課題

武田:今回の無償化で、どのくらいの人が恩恵を受けているのか。全国の保育所や幼稚園に通っている3歳から5歳の子どもたち300万人の利用が見込まれています。世帯の収入などによって違いはありますが、認可保育所の平均では月額3万7000円ほど負担が軽くなる計算になっています。

取材した間野さん。2か月半がたち、無償化の効果がある一方で課題も見えてきてますよね。

間野記者:どれくらいの効果があったのかというのは、まだ始まったばかりで全国的なデータというのはありませんが、今回取材した保育園では、実際に働き始めた母親は増えていて、無償化で助かっているという声も多く聞かれました。ただ、これまでの問題への対応が十分に行き届いていない中で無償化が始まったことで、保育士不足や待機児童といった問題が改めて浮き彫りになってしまったと感じています。NHKに寄せられたメールの中には、保育士からの辞めたいという声が複数届いただけでなく、保護者からも、保育士の負担が増えることで結果的に保育の質が低下してしまうのではないかという懸念の声もありました。

武田:今回の無償化ですけれども、認可か認可外かなど、施設によって安くなる保育料に違いがあります。間野さん、こうした点に現場ではどんな声が上がっているんでしょうか?

間野記者:子どもたちが通う施設には、このほかにも幼稚園など、さまざまな施設があります。一口に無償化といっても、通っている施設や親が働いているかどうかで安くなる保育料には違いがあり、実際は全員の保育料が無料になるというわけではありません。待機児童問題などで希望の保育施設に入れていないという子どももいるので、子どもの目線で見たときに不平等なのではないかという声もありました。こうした現状を知ってほしいと、VTRで紹介した保育所は取材に応じてくれました。

武田:教育経済学が専門で、政府に対して社会保障の在り方の提言を行っている中室さん。中室さんはこの制度の評価できる部分として、どんな点を挙げられますか?

ゲスト 中室牧子さん(慶應義塾大学 教授)

中室さん:我が国は少子高齢化が進んでいますので、どちらかといえば高齢者に対して資源配分が偏るということが指摘されてきたわけですけれども、やはり若い世代に対して、しっかりと投資をしていこう。こういうメッセージが国民に対して広く浸透したとしたら、それは極めて重要なことなんじゃないかなと思うんです。

武田:それは、どんな効果を生むんでしょう?

中室さん:経済学は教育というのを投資だととらえているわけですが、この投資には外部性があります。すなわち、教育を受けた人の収入が上がって税収が増える。犯罪率が減って治安がよくなる。あるいは、次世代の健康とか教育がよくなるとかいうような、教育を受けた本人だけじゃなくて、社会全体としてメリットがある。これが教育の外部性ということですから、やはり、若い世代への投資の重点化というのは社会全体にメリットがあるということだと思います。

武田:メリットがあるんですけど、現場ではいろんな問題点が出てきているということで。保育士不足や待機児童について、国はどう捉えているのかを内閣府に聞きました。
まず、保育士不足に対しては処遇改善が重要だとして、この6年間で月額3万8000円。また、おととしからは技能や経験に応じて、最大月額4万円の処遇改善を実施してきました。さらに今回の無償化に合わせて、今年度から月額3000円相当の処遇改善も実施しています。さらに、待機児童についてですけど、来年度末までの3年間で32万人分の受け皿の確保に取り組んでいるということです。

中室さん、国はこうした対策を講じたうえで無償化を行っているわけですけど、それでもまだ問題が起きている。これはどういうことなんでしょう。

中室さん:国は一生懸命やってくださってると思うのですけれども、例えば、保育士の処遇改善ということでいえば、こうした処遇改善が園や施設のほうで止まってしまっていて、実際の保育士さんの賃金に反映されてないんじゃないかという指摘があったり、あとは保育の受け皿に関していうと、この32万人というのは国の推計なんですが、民間のシンクタンクの推計では90万人という推計もあります。先ほどのVTRにもあったように、例えば、預かり保育が増えているということだったり、潜在的な待機児童がいるということで、受け皿が十分ではないのではないかというような指摘もあります。

武田:さらに今後、見ていかなければいけないということですね。

住民サービスに思わぬ影響…

武田:今回の無償化に充てられる予算はおよそ8000億円ですが、これを国がすべてを賄うのではなく、一部は自治体が負担します。そのことによって、無償化以外の住民サービスに影響が出るのではないかと懸念する自治体もあります。


来年度、無償化によって生じる新たな財政負担に頭を悩ませている自治体があります。

埼玉県和光市。
東京のベッドタウンとして、子育て世代が増えています。保育所の整備などに力を入れ、保育関連費用は歳出のトップ。10年前の倍以上に増やしています。無償化によって、さらに歳出が増えることになります。

来年度の無償化にかかる費用を試算しました。私立の保育所に7000万円。公立で1億1000万円。最大3億円になる計算です。

こうした費用について、国は地方自治体に入る消費税の増収分で賄うことを念頭に置いています。仮に増収分を上回っても、交付税で補填(ほてん)するとしています。
しかし、和光市など財政力のある自治体は、ある問題に直面しています。不足分が補填されず、赤字になる恐れが出ているのです。

和光市 保育サポート課 中野陽介課長
「市が負担しなければならない項目もあるので、私たち自治体にとっても、神経を使う仕組みになっている。」

無償化の費用を増収分で賄えるのか、確認することにしました。

和光市 保育サポート課 中野陽介課長
「全体で見ますと、約3億円増加する見込みになっていまして。」

和光市 財政課 櫻井崇課長
「結構な額がかかりますね。」

和光市 保育サポート課 中野陽介課長
「そうですね。」

和光市 財政課 櫻井崇課長
「できるだけ精査して、予算要求させて頂きたいと思います。よろしくお願い致します。」

財政課の資産では、消費税の増収額は1億2000万円。1億8000万円の赤字になることが分かりました。その分は全額、市の予算から捻出しなければなりません。

和光市 財政課 櫻井崇課長
「自主財源をもって措置することになりますので、その影響はでかいと考えています。」

和光市では当初、消費税の増収分を高齢者や障害者施策の充実にも充てようと考えていました。しかし、無償化にすべてを使っても、なお赤字が出ることから、今後どのように住民サービスを行うのか難しいかじ取りが求められています。

埼玉 和光市 松本武洋市長
「われわれ特に首都圏はみんなそうですけれども、高齢化と子どもの施策と両方同時に戦っていますので、毎年なんらかの財政的な引き締めをやって、捻出して対応してきたわけですね。また全体的に引き締めなければならない。」


待機児童数470人と全国で最も多い東京・世田谷区。無償化によって、和光市を上回る3億円の持ち出しが出ると試算しています。無償化による赤字の負担と待機児童対策とを、どう両立させていくのか、課題に直面しています。

東京 世田谷区 保坂展人区長
「保育待機児童対策について、待機児童解消まで、まだ悪戦苦闘していますから、そこで(国は)手を緩めないで欲しい。制度設計されると、その矛盾が自治体に押しつけられてくる気がします。どこがどのように至っていないかということは、逆に現場を運営している、われわれがしっかり言っていく役割を持っている。」

財源限られる中どうしたら…

武田:中室さんは、和光市の少子化対策にも関わってらっしゃるということですけれども、自治体のどんな悩みを感じていらっしゃいますか?

中室さん:和光市は従来、保育の質というのを高めることに非常に熱心に取り組んでおられた自治体だと思います。ところが、今回、幼児教育の無償化が行われて、保育の質を向上させるための事業の予算の一部を無償化のほうに回さなければならなくなった。さらに、市長もご指摘になっておられましたけど、例えば高齢者や障害者のように、従来は市の政策として、市の実情に応じて重点配分をしてきたという施策についても、その一部を幼児教育の無償化に回さなければならなくなったということですから、本来、市がやるべき事業の一部が無償化のほうに転じてしまったという印象を持ちますね。

武田:自治体はこれから来年度の予算編成の時期を迎えてくるわけですけど、今、具体的にどんな難しさが見えてきているのか。間野さんが取材で感じている課題は、この2つですね。

間野記者:まず1つ目ですけど、自治体の財政負担についてはVTRで見てきた保育料というところだけではなく、ほかにも自治体が持ち出して対応しなければならない可能性が出てきています。
例えば、保育士を確保するために国の処遇改善に上乗せをして、独自に賃金補助を行っている自治体では、さらに増額の検討が求められています。
また2つ目ですが、無償化に伴い、保育所などでは自治体への申請など、新たな事務作業というのが発生していて、その負担が重いという声が上がっています。そのため、事務作業を外部に委託する費用を自治体に負担してほしいと現場から要望が上がっているところもあるため、さらに支出が増える可能性があるんです。

武田:これについて内閣府は、自治体の財政負担などの課題について、国と地方で役割分担をすることが基本。国と地方がよく連携して進めるとしています。この事務負担が大きいという現場の声に対しては、今後、必要に応じて対応を検討するとしています。そのうえで、地方自治体とは、引き続き無償化に関する協議の場において、さまざまなレベルで意見を丁寧に聞きながらPDCAサイクルを回していく。つまり政策を実行しつつ、検証を続けるという考えを示しています。

国は今後2年をめどに見直しを検討するということになっていますけど、中室さん、財源が限られて国の借金も増え続けています。そうした中で、こういった高齢化、障害者施策、さらには少子化対策にも対応していかなければならないということですよね。この制度を見直していくうえで、どんな視点が必要とお考えですか。

中室さん:私は、やはり保育の質ということが極めて重要になってくるのではないかなと思います。私たちの研究者グループは、研究の過程でたくさんの幼稚園や保育所を訪問させていただくんですけど、その中で、例えば絵本や遊具が、予算が厳しいので非常に少ない保育園や幼稚園を見ることがあります。ですので、8000億円という大きなお金でありますので、無償化だけではなくて保育の質を高めるという方向で、もっと支出をできないものかと思いますね。

武田:例えば、今おっしゃった保育園のさまざまな施設とか、あるいは保育士さんの処遇についてもですか?

中室さん:おっしゃるとおりです。保育士さんが足りていないとか、求人をしても集まらないということを考えると、もっと保育士さんの待遇を直接的に改善していくのは意味があると思いますし、それもまた、保育の質に資するのではないでしょうか。

武田:私は子どもがすでに大きくなってしまいましたが、少子化対策というのは社会の持続性を左右する全世代が関係することですよね。未来への投資ですよね。

中室さん:全世代型社会保障という言葉が出てきていますけれど、高齢者だけでなくて、若者世代にも投資して、これが将来、高いリターンを生んでいくようにしていくことが重要だと思います。

武田:私のような世代も無関係じゃないと。