オウム事件・井上嘉浩元死刑囚が告白していた「過ち」と、カルト被害者を救おうと決意した元同級生の思い

2024年2月5日 12時00分
 オウム真理教の元幹部井上嘉浩元死刑囚=2018年に執行、当時(48)=と高校時代に同級生だった男性が、カルト被害のない社会を目指す市民団体で活動している。男性の根底にあるのは、同級生を止められなかった自責の念だ。カルト被害はこの国で、旧統一教会の問題も含めて形を変えて今も根強く残る。オウム真理教事件は終わっていない、と訴える識者らも多い。(木原育子)

◆「もっとちゃんと話に耳を傾けていれば」

 「井上が生きていたら、きっとカルト被害に遭う人たちを救おうと奔走したはず。井上に代わって続けたい」。井上元死刑囚と同級生だった山口てつじさん(54)=仮名=が高校時代の卒業アルバムをめくりながら語り始めた。
カルト被害をなくす活動をする市民団体の発行物を前に、「もっと話を聞いていれば」と悔やむ井上元死刑囚の同級生

カルト被害をなくす活動をする市民団体の発行物を前に、「もっと話を聞いていれば」と悔やむ井上元死刑囚の同級生

 アルバムの中のクラスごとの自由記述ページには、「I can fly」との言葉とともに、井上元死刑囚が座禅を組み、空中浮揚を試みる絵が描かれていた。「井上が言うならと誰も否定しなかった。まさかそれが死刑に結び付くとは。あの時、もっとちゃんと話に耳を傾けていればよかった」と重くつぶやく。
 井上元死刑囚は「諜報(ちょうほう)省」トップとして数多くの違法行為に加担した。1995年5月に逮捕。殺人罪などに問われ、2010年1月に死刑が確定し、18年7月に執行された。一審の無期懲役から二審で死刑に覆ったのは井上元死刑囚だけで、再審請求の手続きが進む中での執行だった。

◆元死刑囚は16歳で入信してからどんどん変わっていった

 井上元死刑囚は16歳で入信し、18歳で出家した。高校は京都にある仏教系の私立の男子校で、山口さんは3年間同じクラスで友人だった。オウム真理教の教祖で麻原彰晃を名乗った松本智津夫元死刑囚=18年に執行、当時(63)=に心酔し、どんどん変わっていく様子を間近で見てきた。
 「アルマゲドンが来るから」「ブッダの生まれ変わりという人に出会ったんだ」と目を輝かせた井上元死刑囚。「何か変なこと言っているな」と山口さんに引っかかりはあったが、明確に否定できるものがない。
 高校2年になると、井上元死刑囚は授業中でも座禅を組むようになり、「殺生はいけない」とお弁当も野菜だけに。おなかが減るだろうとおかずを分けようとしても拒み、修学旅行で他の生徒が恋愛話に盛り上がっても、井上元死刑囚だけは「興味ない」とかたくなだった。次第に笑わなくなった。
カルト被害をなくす活動をする市民団体の通信を前に、「もっと話を聞いていれば」と悔やむ井上元死刑囚の同級生

カルト被害をなくす活動をする市民団体の通信を前に、「もっと話を聞いていれば」と悔やむ井上元死刑囚の同級生

 高校卒業後、同窓会が何度か開かれたが、井上元死刑囚が参加したことはなかった。山口さんはその後、故郷の県庁職員に。地下鉄サリン事件が起き、井上元死刑囚の裁判が始まると、山口さんは新聞を読みあさるように。そして、一つの記事が山口さんを変えた。

◆「カルトに取りつかれる前の本当の井上に戻っている」

 それは死刑執行の4カ月前、東京拘置所から大阪拘置所への護送中の記事だった。護送車の窓から子どもの頃に遊んだ山や川が見えたようで、井上元死刑囚が「心が震えた」と話した記事を読んだからだった。
 「30年ぶりに見る故郷の景色は、きっといとおしかったに違いない。カルトに取りつかれる前の本当の井上に戻っていると感じ、何かできることはないか」と山口さんは思い立ったという。記事にあった支援者の真宗大谷派「浄専寺」(石川県かほく市)の平野喜之住職(60)に連絡し、市民団体「『生きて罪を償う』井上嘉浩さんを死刑から守る会」の事務局で手伝いを始めた。
 山口さんは言う。「人々がカルトに向かい、のめり込んでしまう問題の本質やそこに追い込んだ社会的矛盾、支援の欠如。問題は何も解決しておらず、社会で考え続けるべきだと思う」

◆カルト宗教の恐ろしさを知る「生き証人」でもあった

 山口さんが関わった「守る会」は2007年1月、母校の高校で宗教を教えていた教師らで設立した。平野住職も卒業生としてメンバーに加わった。
 平野住職は井上元死刑囚と190通にも及ぶ手紙や面会を続け、死刑が執行される前まで15回の通信を発行し、言葉を伝えてきた。井上元死刑囚も、カルト宗教の恐ろしさを知る「生き証人」として、「後世に二度と同じ苦しみをしてほしくない」との思いを訴え続けてきた。
地下鉄サリン事件で、防護服を着て霞ケ関駅に向かう東京消防庁の隊員ら=1995年3月、東京・霞が関で

地下鉄サリン事件で、防護服を着て霞ケ関駅に向かう東京消防庁の隊員ら=1995年3月、東京・霞が関で

 通信に書かれた言葉は悔いに満ちる。11年1月には「牢獄(ろうごく)で少しずつ自分を取り戻しはじめると、見渡すかぎり他者の命を奪い苦しめた罪の海」と記し、12年10月は「修業すればするほど人の心を見失い真理だ救済だと声を張り上げ、多くの人々を邪道へと導きました」とざんげした。
 地下鉄サリン事件から20年が過ぎた15年3月22日には「かけがえのない命を犠牲にして、自分達が信じる救いを社会に押し付けました」と長文を寄せ、死刑執行前の最後の手紙には高校時代がつづられた。「16歳の時、オウム神仙の会に入会したこと自体が、私が宗教というものを全く理解していなかった私の未熟さによるものであり、安易に解脱できるとの麻原の教えにそそのかされたのは、私の目が曇っていたからに他なりません」。そして、カルト被害に悩む人に「自分の目で見て自分で考えて欲しい。どうか本当の自分を取り戻して下さい」と結んだ。

◆事件に区切りはついても、現実にカルトはなくならない

 「守る会」は死刑執行後、「Compassion井上嘉浩さんと共に、カルト被害のない社会を願う会」に名称を変えて活動を続けている。平野住職は「井上君の思いを社会に橋渡ししようと活動してきた。だがいつの時代も社会に不満を持つ若者は生まれ、カルト団体は実にうまくすくい取る。カルト被害のない社会はまだ遠い」と嘆く。
 元北陸朝日放送記者で、ジャーナリストの高橋徹さん(65)は「オウム真理教の事件について総括できないままの現状が次の被害を生んでいるのではないか。多くの課題を積み残しながら、平成という時代とともに国は大量の死刑執行で幕引きしたように思える」と指摘する。
 高橋さんは死刑執行から5年がたった昨夏、書籍「『オウム死刑囚父の手記』と国家権力」(現代書館)を出版。井上元死刑囚の父親が書きためた手記を基に、当時を振り返った。「家族にとっては1人の息子の死刑執行だった。カルト被害は家族を巻き込む。ようやく宗教2世の問題が指摘されるようになってきたが、オウム真理教の事件の時に報道のあり方も含めて変わるべきだった」と話す。
 早稲田大の森岡正博教授(現代哲学)も「地下鉄サリン事件は、宗教的な意味合いを背景に、一般人を巻き込む『宗教テロ』との意味で時代を先取りしていた」とし、「オウム真理教も最初から破壊行為をしていたわけではなく、選挙に負けて陰謀論に固執していった。今SNS上を中心に飛び交う陰謀論の視点からも、オウム真理教事件は先駆けだった」とみる。「オウム真理教とは何だったのか、現代から捉え直しの作業を続ける必要がある。オウム真理教事件は終わっていないのだから」と続ける。

◆社会の無関心が被害を大きくしたのだとしたら

旧統一教会への解散命令請求を受け、財産保全立法の必要性を訴える全国霊感商法対策弁護士連絡会の弁護士ら=2023年10月、東京・霞が関で

旧統一教会への解散命令請求を受け、財産保全立法の必要性を訴える全国霊感商法対策弁護士連絡会の弁護士ら=2023年10月、東京・霞が関で

 なぜ事件は防げなかったのか。なぜ暴走したのか。報道の姿勢に問題はなかったのか。検証すべき「なぜ」は残されたままだ。
 宗教学者の島薗進氏は「日本は宗教全体を忌避している面があり、『日本人は無宗教』ということに安住し、宗教への認識を避ける傾向がある。近現代の宗教動向に関しても社会は関心が薄く、その結果、被害が大きくなる事例もあった」とし、「オウム真理教や旧統一教会の事例をきっかけに、社会の認識が高まれば制度面にも影響してくる。社会のあり方が問われている」と説く。

◆デスクメモ

 井上元死刑囚が高校生だった80年代後半は昭和の終わりごろ。バブル景気で、日米貿易摩擦やNTT株上場が話題だった。世紀末に向かう世界は、チェルノブイリ原発事故や米ソ核軍縮交渉で激動。時代は変わったが、人々の苦悩や社会の困窮が狙われるリスクは今も残されている。(本)

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