“暴力を受けているわけではないけれど、家族といるのがしんどい”
いま、家庭環境に悩みを抱え、家が自分の居場所だと感じられない若者たちが多くいます。
身体的暴力など目に見える虐待はなくても、親の過干渉やケンカなどにさらされ続け、最悪の場合には若者みずから死を選んでしまうことも。
そうした若者たちに向けた、ある情報サイトが注目を集めています。
キーワードは「あなたを助ける手札」。
若者にとって本当に必要な支援を“デザインの力”でかなえる取り組みを取材しました。
(おはよう日本 ディレクター 伊藤亜寿佳)
去年5月に開設された情報サイト、『nigeruno(にげるの)』。これまで、のべ7000人が利用しています。
特徴は80種類にも及ぶ『あなたを助ける手札』です。
苦しいなかで、どうしたらいいかわからなくなっている若者たちに、“現状から逃げるための手段”をカードのように表示して提案します。
そのひとつ、『学校の先生』の手札は、自分の話を聞いてくれるメリットがあるとする一方、先生が勝手に親に連絡してしまう危険性があるとしています。
『恋人』の手札は、何かあったときに頼りにできる一方、家庭環境を理解してくれない場合もあるとしています。
住んでいる場所を知られたくないときは、住民票の閲覧を制限するなど、具体的な行動を示す手札も紹介しています。
まるで自分の手札を確認するように、さまざまな選択肢を吟味することができるデザインになっているのです。
さらに同じ悩みを解決した人の体験談も。
親からつらい言葉をかけられたという女性は、はじめに学校の先生に相談しましたが、「親はそういうものだ」と言われて理解してもらえず、次にカウンセリングを受けることにしましたが、期待していたものとは違ったといいます。
しかし、別のカウンセラーの人に相談してみると、気持ちを理解してもらえて、一歩前に踏み出す勇気が出たといいます。
どんな手段を使い、その結果どうだったか、という試行錯誤の道のりをステップごとに記載しています。
私や弟は“苦しい”と言えなかった
サイトを運営するNPO法人の代表で、ウェブデザイナーの奥村春香さん、24歳です。
立ち上げたきっかけは、奥村さん自身の家庭環境にあります。
勉強第一の家庭環境で育ったという奥村さん。デザインの勉強がしたいと両親に相談したところ、理解してもらえなかったといいます。
そして奥村さんが大学生のころ、14歳だった弟が、みずから命を絶ちました。弟は漫画家になるのが夢でしたが、家庭の方針に戸惑っている様子だったといいます。
「若い時って、いい意味でも悪い意味でも世界が狭い。家か学校しか選択がないってなった時に、学校はそこそこだけど家の方がガクンと落ちちゃうと、人生を諦めたような環境にしかならないというのはすごく共感ができました。
後悔みたいなのものもすごくありましたね。何か悩んでそうな時に声をかけられたらよかったっていうのはすごく思うんですけど、でも当時はそれができない状況だったなって思いますね」
最悪の状態になる前に、若者自身が現状から逃げ出すためのヒントを提示したいー。
奥村さんは大学で学んだ『デザイン工学』の知識を生かしながら、弁護士などのアドバイスも取り入れて、悩む若者が思わずアクセスしたくなるサイトを目指しました。
「自分が実行に起こせる手段、手札が一覧にばーって並ぶような形にしていて、まずはそこで圧倒させたいなというのがあって、まだいっぱいできることってあるんだということに気付いてほしい」
手札がたくさんあると知ることが、心のよりどころになる
このサイトを利用している、由美子さん(仮名)です。
両親ときょうだいと一緒に暮らしていた由美子さん。主にひとりで子育てをしていた母親が、父親やきょうだいと毎日激しいケンカをしていたといいます。
「母親は『(きょうだいが)何もしないみたい』とずっと怒っていて、同じ部屋のなかで布団をかぶってイヤホン両耳にして音量MAXにしても、全部会話が筒抜けになるくらい大きな声で叫び合うし、物を投げ合っていました。次はわたしかもしれないみたいなと思って、すごく先回りして、家の手伝いをしたり、母親が喜んでくれそうなことを言ったりとか、母親の意志に反さないことをするのにすごく必死だったなって思います」
その後、由美子さんは心身ともに不調となり、学校にも行けなくなりましたが、公的な支援を頼ろうとは思わなかったといいます。
「別に私が殴られているわけでもないし、ただケンカしているだけだから、公的な支援を頼るのは違うだろうって思いました。私が生活できているのは母親のおかげだから、否定的に思えないっていうところのジレンマがすごくしんどかったです」
大学進学とともに親元を離れましたが、それでも母親が押しかけてくるのではと不安に襲われたといいます。
そんなとき、このサイトを知りました。
目に留まったのは、「父親」という手札。
数年前に両親は離婚し、それ以来父親とは疎遠になっていました。由美子さんは、これまで母親のことについて父親に相談したことはなかったといいます。
「これまで母親から父親の悪口をいっぱい聞かされていて、何かされたわけではないけれど父親に対して嫌悪感のような複雑な思いがありました。でも自分の助けになる手札がまとめてある中にそういうのが入っていると、“あっ、頼ってみてもいいのかな”みたいに思えました」
父親と連絡をとり、これまで口にしたことがなかった不安について初めて相談したところ、「いつでも頼っていい」と声をかけられました。今では何かあったときに頼れる存在になったといいます。
「選択肢が増えるだけで、すごく心のよりどころになります。その手札を自分で選べるっていうのはすごくありがたいし、自分で選べるから積極的になれるかもしれないです」
しんどくなる前にどう気づかせるか 言葉にならないモヤモヤを可視化する
11月中旬、奥村さんはある展覧会を開きました。“若者たちのモヤモヤした悩みを絵によって可視化する”という新たな試みです。
たとえば、崩れそうな積み木のイラストは、『土台となる家庭が不安定だと、心の病気を発症しやすい』という独自の調査結果に基づいて描きました。
他にも黄色信号や、ぐにゃりと曲がった男女の人形など。
つらい気持ちの根底に家庭での問題があるかもしれないことを、より直感的に感じとってもらいたいといいます。
奥村さん
「家庭のことで悩んで傷ついているけど、当たり前になっていて気づいていない子たちに対して気づくきっかけをつくる、これ見て「私ってジェンガだな」みたいにちょっと立ち止まって考えてみるきっかけになればいいなと思って」
展示会には、大学生や家庭の支援に関わる仕事をしている人など、50人ほどが訪れました。
20代女性
「私も学生時代に、家庭が原因とは言わないけど何かわからないモヤモヤを抱えていたときがあって、こういう気持ちは自分だけでまわりに共有してもわからないと言われると思っていました。展示を見て、私だけじゃなくてクラスでもいたんだと思えました。子どもたちが言語化できない気持ちを、心に照らして気付く手段としてアートを使われているのは斬新だし本質的だなと感じました」
子ども家庭支援センター職員
「日ごろ支援をしていて、こちらは課題だと思っていても子どもや保護者は課題だと思っていないということがあって、どうアプローチするか難しさを感じることがあります。特に子どもたちには視覚的なものは響くと思うし、積み重なっていって気づくものがあるかなと感じました」
「悩みに気づかせる絵」、そして「逃げ出す手札」。
奧村さんは、若者たちが手に取りやすい形に情報をデザインすることで、苦しい状況から一歩踏み出すことを支えていきたいと考えています。
「デザインという視点が既存の福祉にも必要だと思っています。デザインに注力していくことで、救える母数が増えていって、社会に与える影響も大きくなるかなって思っています」
トー横キッズなど若者たちの声を多く聞いてきたという児童精神科医の山口有紗さんは、
奥村さんの取り組みを次のように見ています。
「若者たちは“自分っていない方がいいのかな”“誰も話を聞いてくれない”といった思いや経験が降り積もり、自分を助ける何かにつながるハードルが高くなっているのだと思います。こうした取り組みはそのハードルを下げていて、しんどい気持ちの中にある若者たちの『心のトーン』にあっているのではないでしょうか」
【取材をして】
家庭環境の問題には、家族の関係が壊れてしまうという恐怖心から、苦しくても家族を責められないという特有の根深さがあるように思います。
取材をした由美子さんも、母親が子育てへのプレッシャーを抱えるなか、自分やきょうだいのために頑張っていた部分もあったと感じていて、「母親と接するとつらい気持ちになってしまうのが申し訳ないと思った」と話していました。
苦しい気持ちが当たり前になり、日常の中に埋もれていくSOSの声。
そうした若者に、「私が助けます」でもなく「相談してね」でもなく、「自分に合った逃げ方をしてもいいんだよ」とそれとなく気付かせてくれる奥村さんの取り組みから、若者たちが本当に求めている支援とはどんなものなのかを考えさせられました。